AnnaMaria

 

セピアの宝石 「のぞみ」1 "カウントダウン"

 

sepia_title2.jpg





「佳代子の荷物はもうできているのか?」


手早く荷造りをしながら、仁が聞いた。


「ええ、すっかり。
 今直ぐ入院してもいいように、全部バッグの中に入ってる。
 念のため、一番小さなオムツと哺乳瓶もそろえたの。」

「そうか・・・」


仁は部屋の隅をちらりと見た。
白木の可愛らしいベビーベッドが、新しい住人を待っている。

気が早いと言ったのに、仁の親がどうしてもと買い求め、
早々と送り届けて来てしまったのだ。

仁の思いを察して、佳代子が笑った。


「まだ、3週間あるのにね。
 お義父さまったら、待ちきれないみたい・・。
 でもベビー用品をあの下に仕舞えて、具合がいいのよ。」


佳代子がほほえんだ。


「本当に俺の出張中、実家に帰らなくていいのか。
 もし、何かあったら、お母さんでも茉莉でも・・・」


いつもの心配性が始まる前に、やんわりと遮った。


「昼間は、一度、お母さんが来てくれるって言うし、
 今週末は詩織たちが遊びに来ることになってるから、
 必要なものがあれば、その時に頼むわ。
 茉莉さんの携帯番号も、もちろん登録してあるし・・・」


「だが・・」

「仁」


佳代子は仁のそばに近寄った。
この体では妖精のように軽やか、とは行かないが、
仁は荷造りの手を止めて、佳代子を迎え入れた。


「たった5日間よ。
 大荷物をまとめて持って実家に行くより、
 ここで母や友だちに来てもらった方がずっとラクなの。

 入院の用意もできてるし、大丈夫、ちゃんとやれるわ。
 赤ちゃんが産まれるのは、まだ3週間も先よ。
 初産は遅れがちだっていう話だし・・・。
 心配しないで。」


お腹が丸くて、向かい合って抱きしめてもらうことは出来ないが、
仁はそれでも大きな体で、佳代子を包み込んだ。


「こんな時、佳代子をひとりっきりにしたくないんだが、仕方ない。
 今、行っておけば、予定日の頃ここにいられる。
 くれぐれも気をつけて、大事にしてくれ。」


お腹に手を当てながら、器用に口づけた。
佳代子も仁の首に両手を回し、ゆったりと応える。

安心して欲しいと願いながら・・・。

唇を離した仁はなおも、何か言いたそうだったが、
佳代子がだまって微笑むと、代わりに仁も顔をゆるめた。


「わかったよ。」


仁が再び、さっさと荷物を詰め始める。
何度も出張に出かけているので、荷造りはお手のものだった。

佳代子も夕食の後片付けに戻る。
明日はゆりかもめの始発で、仁は出かける筈だ。



臨月を迎え、佳代子は上を向いては寝られなくなっている。
お腹の子どもは相変わらず動いているが、少し回数が減り、
代わりに内側からの突き上げは前より強くなっている。


「たっ!」

ベッドに横たわりながらも、佳代子は思わずうめいた。


「この子って絶対、足ぐせ悪いわ。」


その言葉に、隣に横たわっていた仁が笑い声を立てて、
佳代子の後ろからかぶさり、お腹に大きな手を広げた。


「そうら、お前の親父だぞ。けっとばしてみろよ。」

「やだ、仁。けとばされるのは、わたしのお腹なのよ。」


佳代子の抗議もむなしく、でん!という突き上げがあり、
仁がうれしそうにお腹を撫でた。


「ふふふ・・・元気のいい子だ。
 しばらく留守にするけど、お父さんの声を忘れるなよ。」


そのまま、佳代子のくびすじに口づけ、耳の外側に唇をすべらせた。
長くて強い腕は佳代子のお腹を滑り降りて、さらに下を探っている。


「仁。あの・・・お医者様が、もうそろそろ止めた方がって・・・。」

「わかってるさ。でも方法はひとつじゃない。」


耳の下をちろりと舐めると、くっと佳代子がのけぞった。

じっとしてろよ・・・。

仁がささやくと佳代子の前ボタンをそっと外し、ぐっとつかみあげた。


「仁・・・」

「すごく大きくなった。俺の片手に収まらないくらいだ。
 あったくて柔らかい。これじゃ、重いだろう?」


先を撫でながら、軽く持ち上げて揺すると、佳代子の口から声がこぼれる。

我慢するなよ。

「あ、だって仁!」

こっち向け。


じたばたと寝返りを打つのを待って、仁が胸元に顔を埋める。

くちゅくちゅ、という刺激に佳代子は体をよじって逃れようとするが、
仁が足ではさみこんで逃がさない。


「暴れるな。佳代子・・力を抜いて」


仁はゆっくりとあやすように言い、柔らかく佳代子をなぶり始めると、
溶けて行くほかなかった。





「もう行くの?何か食べていく?」


仁の起き上がる気配に、佳代子も目を開けた。


「途中で何か食べる。このまま寝てろ。まだ早いだろう。」


優しくキスを落として、仁はバスルームへと消えて行く。
春が来ているらしい、穏やかな朝だ。

遮光カーテンのかすかな隙間から、すでに光が漏れ始めている。
夜明けがずいぶん早くなった。

佳代子がゆるゆると起き上がり、ガウンを羽織ると、
仁が戻って来た。


「寝てろって言ったのに。」


そう言いながらも嬉しそうだ。


「コーヒーでも入れる?」

「そうだな。もらおうか。」


佳代子がコーヒーの用意をする間に、仁が手早く身支度を終えた。
ベランダに面したカーテンを大きく開き、外を見ながらコーヒーを飲む。


「もうすぐに咲きそうだな。」

「そうなの。もう明日にでも・・・。
 仁が帰ってきたら、ちょうど一緒にお花見ができるわ。」

「一人で遠くまで出かけるなよ。」

「だいじょうぶだって。」


仁が大きな手を佳代子の頬にすべらせた。
指の背でかるく上下しながら、じっと顔を見つめる。
佳代子は逆らわずに温かい手に頬を預け、にっこりと微笑んだ。

夫は不安なのだ。安心してもらわなくては・・・。

思いが通じたのか、仁も微笑んで、そっと口づけて来た。
コーヒーの味がする。


「佳代子・・・」


名前を呼びながら、佳代子の頬を両手で挟み込んで、
何度か口づけるとやっと唇を離す。


「行ってくるからな。」

「うん。待ってる・・・」

「他に言うことはないのか。」

「他にって?」


佳代子が目を見開くと、仁が苦笑した。


「まあいい。帰ってから聞くよ。」


上着とコートを取り上げて立ち上がった。
中国内陸部は、今なお寒い。

気をつけなければならないのは、仁の方かもしれない。

玄関までよたよたと歩いて行って、仁が靴を履くのを見守った。
相変わらずピカピカ光って、手入れが行き届いている。


「じゃ・・・」


靴を履き終えた仁が佳代子に向き直ると、キスをした。


「行ってらっしゃい。」


佳代子は仁のがっしりした両肩に手を置いて、耳元にささやき入れた。


「仁、大好きよ。」


仁の目がぴかりと光って、佳代子をぎゅっと抱き寄せた。
佳代子の丸いお腹を撫でると


「じゃあ、お前も待ってろよ。すぐ帰ってくるからな。」

お腹に話しかけると、応えるようにボコリとお腹が動く。

よしよし・・・。

なだめるようにお腹をさすって、佳代子に笑顔を向け直し、


「行ってくる。」

「ええ、行ってらっしゃい。」


ドアを閉め際に、きゅっと佳代子にウィンクをしたのを見逃さなかった。

仁ったら・・・。





心配性な夫がようやく出かけたことで、少しほっとしたが、
同時にちらりと不安もよぎる。

大丈夫。結局、一日置きくらいに誰かが来るわけだもの。

自分を安心させるようにつぶやいて、お台場を臨む窓に戻る。
海の色はもうすでに水色だ。
あちこちの木々が赤らんでいるのが上から見てもわかる。

あれが明日にも白く変わり始め、やがてうす紅色の雲のように、
景色のあちこちを彩り始めるだろう。

桜は咲いて初めて、場所を知るものも多い。
ここから目星をつけておいて、仁が帰ってきたら連れて行ってもらおう。

佳代子は微笑んで、うららかな景色を見下ろしていた。





最初にやって来たのは、母だった。

準備は整っているから何も持って来なくていい、と言ってあるのに、

「貧血だって聞いて、ひじきを煮たから」
「ガーゼのハンカチを見つけたから」
「おとうさんがオモチャを買っちゃったから」
「胎教用のCDを売ってたから」

何だかんだと結局、沢山の荷物をしょって来る。

部屋に用意されたベビーベッドには、
小さな布団と母が手編みしてくれた白いアフガンが置かれている。


「おかあさん、また持って来ちゃったのね。
 CDはずっと聞いてないと意味がないんですって。
 あと3週間じゃ、意味ないわよ。」

「なんでよ、せっかく買ったんだから、昼間ブラブラしている時に聞きなさい。
 そうだ、おいしい桜餅を買って来たんだわ・・・」


大きな袋から、またも包みを取り出す。


「うわ、うれしい。お医者さんには内緒だけど。
 今、お茶煎れるわ。」

「あ、わたしがします!佳代子にお茶を煎れさせた、なんて言ったら、
 お父さんに怒られちゃう。」


立ち上がりかけた娘を押しとどめて、座らせる。

母は雑多な荷物を取り出し終わると、取りあえず落ち着いたようで、
ケトルを火に掛けながら、春めいたお台場の海を見下ろす。


「ほんと、いい景色・・・。
 ずいぶん高いところで子育てすることになったわね。
 佳代子、順調なの?」

「うん、すごく順調。ちょっと体重が増え気味で甘いものを控えるように
 お医者さまに言われてる以外は。」


お持たせの桜餅を椿皿に盛りながら、佳代子はぺろりと舌を出した。


「桜餅ひとつくらいならいいでしょう。
 お父さんも心配して来たがってたんだけど・・。
 天井につるす、赤ちゃんのおもちゃを買おうかどうしようか悩んでたみたい。」


佳代子はげんなりしながら、義妹の茉莉が整えた、しゃれた空間を見回した。

一角がすでに育児コーナーとしてしつらえられ、ベッドにたんすに、
起き上がりこぼし人形まである。


「とにかく、これ以上、絶対に何も買わないよう、お父さんを見張っててね。」

うん・・・。

自信なさげに母が答える。


「こんな都心の真ん中で、お買い物困らないの?」

「スーパーがあるもん。公園は多いし、保育園もあるし・・・。
 昼間歩くと、ベビーカー押してる人、けっこう居るのよ。」

「そうなの・・・」


母が大きくなった娘のお腹を見ながら、うれしそうに微笑んだ。


「ああ、もうすぐだわねえ。本当に楽しみだわ。
 佳代子がお母さんになる日が来るなんて、
 つい、この間まで考えられなかったわ。」

「それってちょっとひどい言い方ね。」


親子二人で声をあげて笑うと、うす紅色のお菓子を挟んでお茶の時間となった。
桜餅から、ふわりと春の香りが漂って来る。


「そういえば、お父さんがね・・・」


女同士のおしゃべりは、あれこれと尽きなかった。

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ