AnnaMaria

 

続・春のきざし 2

 

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ライブハウスに行く約束の土曜日までにも、恵子は速水と何度か会った。

本やCDを借りる、楽譜を買うのに付き合う。
多くはささやかな用事を果たすもので、会う時間もごく限られていたが、
それでも、一日おき、二日おきに出会うようになると、
その時間が次第に、なくてはならないものに変わっていく。


「明日から、しばらく新しいバイトをするの・・・」

恵子が紅茶のカップに触れながら、切り出した。
新しく手に入れたCDのジャケットを見ていた速水の視線が恵子に戻った。

「ふうん、何のバイト?」

「お弁当やさん。
 学校が春休みになるじゃない?
 パートさんの中には、子どもと家にいたいって人もいるから、
 わたしがその代わり。
 朝から玉ねぎを10個も20個も刻んだりするのよ。」

「そうなのか。大変だな。」

「うん。」


速水は微笑んだが、恵子が言い出した意味はわかっていた。

速水のバイトは夕方、ライブハウスの開店前から始まり、深夜まで続く。

恵子が朝からアルバイトを始めれば、
こうして二人で会える時間はぐんと少なくなるだろう。
その上、速水は来週からしばらく、東京の両親の元に行くことになっている。


「何時から何時までなの?」

「朝8時から4時まで・・。
 朝と昼ご飯付きなの。」

へえ・・・。

「俺も岡崎の作った弁当、買いに行こうかな。
 場所を教えろよ。」

にやにやしながら、速水が身を乗り出した。

え〜〜っ!イヤだ。


「だって、三角巾して、割烹着してるもん。
 見られたくないわ。」

「じゃ、こっそり見に行こう。」

「速水さん、目立つからこっそりなんて無理よ。」

「帽子かぶって、サングラスかけて、変装して行く。」

「よけい目立つってば・・・」


その姿を想像した恵子が笑うと、速水もつられて笑い出した。


「じゃあ、今日は家まで送って行こう。」

「大丈夫よ、まだ時間あるし・・。
 わたしを送ってたら速水さん、バイトに遅れちゃうわよ。」

「平気だよ。平日の開店したてはガラガラに空いてるから暇なんだ。」





店を出ると、誘い合わせたように、いつもの公園へと足が向いた。

桜は半分ほど花が開いたところで、寒さがぶり返し、
そのまま凍結したように、開花がゆるやかになっている。


「今週末が満開かな。」

「そうね・・・。でも満開になると、すごい人出になるから
 花を見るには今が一番いいのかも。」


手をつなぐことは、二人にとってそれほど不自然ではなくなっていた。
ゆっくりと手を絡め合ったまま、大きな池のまわりの道をぶらぶらと進む。

二人とも周りの景色をながめているふりをしながら、
その実、お互い、つないだ手の持ち主のことばかり考えていた。

ベースを弾いていると、指にたこができるのかしら・・。

速水の指の堅くなったところに、ふれてみたいと思いつつ、
そんなことは考えてもいないそぶりで、さざなみ立つ池の面を眺める。

速水が自分をちらりと見る視線を、ほおの皮膚で感じた。
何か言ってくれるのかな、と思ったが、何も言わない。

何も言わなくてもいい。
でも、まだ帰りたくない。


池を一周する時間がないのは最初からわかっているので、半分ほど過ぎたあたりで、
別の小道に切れ込み、出口へと戻ってくる。

出口に近づいた頃は、さすがに暗くなりかけていた。
最初に来た時より、しっかりと速水の手をにぎり、足下に目をこらす。

ちらりと速水の方を見ると、
速水も恵子の視線を感じたのか、薄暗い中でかすかに微笑んだ。

不意に速水の手が恵子の肩に移動して、
少し引き寄せられる。

心臓がどきどきして、速水に聞こえてしまうのではと心配だったが、
薄暮を幸い、少しだけ速水に寄り添って公園の出口を通った。

バスターミナルまで一緒に来てくれた速水に向かい合うと、


「このまま行って。送ってくれなくても本当に大丈夫だから。」

「ああ・・・」

速水はやや不満そうだったが、恵子が速水の手を放して、
小さく手をふると、あきらめたように微笑んだ。

「次は土曜日かな。」

「うん。それまでに一度連絡する。」

速水はうなずくと、恵子の肩に手をおいて耳のあたりに唇を近づけ、

「じゃ、気をつけて。」

ささやくと、ポンと一つ肩をたたき、夕暮れの人ごみにまぎれて行った。

恵子はすぐにも呼び戻したくなるような気持ちを抑えて、
後ろ姿を見送る。

まだ耳の底に漂っている速水の低いささやきを、
何度も再生しながら、バスを待った。





ライブハウスって何を着ていったらいいのだろう。
ジーンズでは、入れてもらえないのかしら。

ジャズや、ロック喫茶と違って、生バンドの演奏を楽しんで、
フロアで踊るお客さんも多いと聞く。

どうしよう・・・。

速水に聞こうかとも思ったが、
力が入りすぎてると笑われそうで、恥ずかしくて聞けない。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のダンスパーティを思い浮かべる。
くるくる広がる、きれいな色のサーキュラースカートに肩の開いたドレス。

どれも恵子のワードローブには、まるっきり見当たらないものだ。

恵子はひとつ、ため息をついて、クローゼットの扉を閉め、
もう一つの難題に取り組むことにした。
意を決して自分の部屋を出ると、階下に降りて行く。


「ねえ、おかあさん・・・相談があるの。」


台所にいる母に、声をかける。
いつにない娘の改まった調子に、母はちょっと心配そうな顔をしたが、
手を拭きながら、茶の間に出て来てくれた。

弟の律がごろんと転がって、TVを見ている。
背が高いので、かなり場所を取るのだが、
恵子の声の調子に律も起き上がった。

父は仕事から、まだ帰っていない。


「あのね、今度の土曜日、奈々ちゃんの都合が悪いんだって。」


家庭教師をしている教え子は、母の知り合いの娘さんだ。
先方から恵子を名指して頼んできたので、
ここに遊びに来たこともあった。


「それで・・・その日、サークルの先輩がライブハウスで演奏するから、
 聞きに行きたいんだけど、だめかしら・・・?」


速水が演奏するかどうかは、わからなかったが、
演奏することもあるのだから、嘘ではないだろう。

母の顔がくもった。

「お父さんが何て言うかねえ。」

母はため息をついて、あごのあたりを指で撫でる。
やっぱりダメだろうか。

「お父さんは、姉貴に借りがあるよ。」

「なんです?借りって・・・」

大きな体をむっくり起こし、
急に首を突っ込んで来た律にむかって、母が問い返した。

「この間の雪の夜、姉貴はレポート書いてて遅くなったんだろ?
 遊んでたんでも、寄り道してたわけでもないのに、
 お父さん、いきなり姉貴のこと、ひっぱたいたじゃないか。
 ひっぱたかれた一回分くらい遊びに行かなくちゃ、割に合わないよ。」

思いがけない弟の応援に恵子は驚いたが、
律の方をみると、調子の良さそうな顔をして笑っている。

あとで、小遣いをねだられるかな。

そう思いながらも律の言葉はありがたかった。

「そんなこと言ったって、お父さんはすごく心配してたのよ。
 割に合わないなんて、言い方は変です。」

母は律に言い返した。

「でも理由も聞かずにひっぱたいたのは事実だろ。
 しかもあの日、姉貴が晩飯も食べずに図書館で頑張ってたってわかっても、
 全然謝ろうともしなかったじゃないか。
 お父さんが悪いよ。

 それに一回くらいライブハウス行ったって、いいじゃないか。
 姉貴が音楽好きなのは、お母さんだって知ってるだろ?
 コンサートにもろくに行かせてもらえないんだから、
 ライブハウス一回くらい、許すべきだ。」

「うん、もう。あんたは口がうまいんだから・・。
 恵子に頼まれたんでしょ?」

母が律をにらみつけても、律は平気な顔でほほえんだ。

「違うよ。俺はずっと姉貴が殴られ損で気の毒だと思ってたんだ。
 頼まれたわけじゃない。な、姉貴?」

「あ、うん。別に頼んでないわ。
 ね、お願い。今回だけ行かせて・・・。」

ここを逃すと行かれそうにない。
そう思うと、恵子も律の尻馬に乗るしかない。

母はため息をついて、首をふった。


「二人で来られちゃ、適わないわね。
 じゃあ一回だけよ。
 お父さんには、わたしから言っておくから・・。」

そう言うと、母はまた台所に戻って行った。
律が目をくりくりさせて恵子の方を見ている。

「やったな、姉貴・・」

「ありがとう。律・・・」

「いやいや、礼はいいよ、その、あとでちょっと姉貴の部屋に行くからさ。」

律はにやりと笑うと、またTVの方に向き直った。


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