AnnaMaria

 

続・春のきざし 10

 

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プラザ周辺は風が強かったが、素晴らしい五月晴れとあって、
待ち合わせの人がたくさん集まっている。

夏めいた日差しに誘われて、服装も軽く、半袖やサンダル姿が目についた。

え〜〜っと・・・。

奈々がきょろきょろしているのを見て、

「アイスクリーム屋さんって、○—ゲンダッツのことでしょ?
 だったら、この地下じゃなかったっけ?」

恵子が階段に向かいかけると、「あ、ちょっと待ってよ」
相変わらず、奈々は誰かを探すようにあたりを見回している。

「お友達とも約束したの?」

恵子が訊くと

「うん、せっかくだから一緒にと思って・・・あ!」

奈々が大声を上げて、ぱっと目を見開いたので、

「どうしたの?」

「きゃはは!こんにちは〜〜」

恵子の後ろに向かって大きく笑いかけたので、恵子がふり向こうとすると、
くっと後ろから腕をつかまれ、動けなくなった。
驚いて、顔だけふりむけると

「よう・・・」

思いがけず、速水の顔があった。

恵子はびっくりして、あっと口を押さえたが、急に色んなことに合点が行った。
奈々と律、速水の顔をかわるがわる見比べていると、

「速水です、はじめまして。」

恵子の頭上から声がし、律がにやにやしながら、挨拶を返した。

「こちらこそはじめまして、弟の律です。姉がいつもお世話になっています。」

冷静に挨拶を交わす二人を眺めながら、

「どうやって連絡を取ったの?速水さんの電話番号なんて、知らないはずなのに。」

「奈々ちゃんが、店に電話をくれたんだよ。」

速水が答えると、

「そうなの。お姉さん、ライブハウスの話、してくれたじゃない?
 お店の名前も教えてくれたから、きっと土曜日ならいるかな、と思って、
 電話させてもらったの。大当たりだったわ。」

奈々がうれしそうに答えたが、恵子は急に恥ずかしくなった。

「なんだか、どうしようもないわね。高校生に気を使わせちゃって・・・」

「いや、うちの頑固親父があちこち巻き込んじゃって、申し訳ないです。」

律が速水に向かって言うと


「いや。俺の配慮が足りなかったんだ。
 よっぽど謝りに行こうかと何度も考えたんだけど、
 却ってお父さんを刺激する結果になってはと思ってね。」

「あれでもやり過ぎた、と密かに反省してるとは思うんですがね。
 それを認めるとなるとまた・・・」

律は顔をしかめた。

「じゃあ、お姉さん、ここでバイバイ!」

「え?わたしはアイスクリーム食べちゃいけないの?」

「いけないの。」

奈々が笑って決めつけた。

「折角、時間を作ってあげたんだから、行列に並んで無駄になんかしないでよ。
 さ、行った行った!」

追っ払うように手を振ると、律に向き直り、二人でさっさと階段へ歩き出してしまった。

改めて速水と二人残される。
しばらくは言葉もなく、向かい合っていた。


「ひさしぶりだな・・・」


速水の顔を間近に見たとたん、自分がどれほど会いたかったのかに気づいて、
胸がいっぱいになった。

「感激して、抱きついてくれてもいいぞ。」

「そんな・・そんなことしない。」

そうしたい気持ちと裏腹に、あわてて恵子は横を向いた。

おかしい、涙もろいほうじゃなかったのに。
こんなことくらいで、もう・・。

ハンカチを探すべきかどうか、迷っていると速水の手が肩に置かれた。
面白そうに恵子をのぞきこんでいる。

「ね、感激の涙はうれしいけど、ここだと俺が泣かせているみたいだから、
 少し移動しよう。」

言いながら背中を押して歩き出し、恵子はよろめきながら、
やっぱりハンカチを取り出したのだ。






「奈々ちゃんからいきなり電話もらった時は驚いたけど。
 ちょうどお願いしたいことがあったから、会えて良かった。」

初夏の陽射しがきらめくなか、以前よく来た広い公園に来ていた。

桜の季節が終わって人出は落ち着いていたものの、
新緑とつつじの彩りに大池の散策を楽しむ人は多い。

「お願い?」

恵子が訊き帰すと速水は真っ白な歯を見せて笑った。

「ちょっと言いにくいんだけどね・・」

「何?気になるわ。」

恵子と速水は公園のベンチに座っていた。

日曜日にこんなところにいれば、また誰かに見られるかもしれないが、
恵子にはもうどうでもよかった。

「今度の・・・俺の誕生日に・・」

はっと恵子は思い出した。
忘れていたわけではない。諦めていたのだ。
どうやって速水の誕生日を祝ってあげられるかと、ぼんやり悩んでもいた。

「いっしょに飯でも食ってもらえないか、と思って・・・」

まあ!

「そんなこと、お祝いされる人に心配させてごめんなさい。
 速水さんの誕生日、忘れてなかったわ。
 ただ、16日の日曜日は家を出られそうにないな、とあきらめていたの。
 代わりにどうやって・・・」

いや。速水は手を挙げてさえぎった。

「恵子が直接、『おめでとう』って言ってくれるのが一番うれしい。
 他は何も要らない。」

恵子の手をとって、きつく握りしめた。
少し・・痛いくらいに。

「でも・・」

「考えたんだけど、その日は、俺が家まで迎えに行くよ。」

「でも・・・・」

「それで一度きちんとご挨拶する。
 その方がいいと思う。」

「でも!」

「恵子みたいな人は、長いこと親と喧嘩するなんて状態、耐えられないんだよ。
 ずうっと冷たい戦争を続けてたら、気持ちがまいってしまう。」

「父は耳を貸すような人じゃないわ。
 そんなことして、速水さんに迷惑かけたら・・・」

「やってみなければわからない。」

速水はきっぱり言ったが、

「それでもいきなりお父さんにショックを与えて、よけい頑になるといけないから、
 最初にお母さんに伝えておいて。
 俺が行くこと、挨拶をしたがっていること、その夜、一緒に出かけること。
 ね?」

速水の顔立ちはいつも通り優しくてきれいだったけど、
今日はさらに、頼もしく見えた。

うまく行くかしら?

「うまく行くよ。ダメでもともとなんだから、いいじゃないか。」

「でも・・・。もっと厳しく監視されて、家から出られなくなったら・・・」

ぎゅっ!

また速水がつよく手を握った。

あったっ!

恵子が小さく悲鳴を上げたが、速水は手を放さなかった。

「その時は、思い切って恵子に家出してもらって、あの下宿で一緒に暮らそう。
 恵子と同棲するって言うのも、かなり良いかもしれない。」

気楽そうに握った手をぶらぶら揺すっているが、言っていることは過激だ。

「そんな・・・」「いや?」

速水がまたのぞきこんで来る。

「いや、って言うんじゃないけど。そんなことできるかしら・・・。」

「まあ、それは非常手段だけど、それもアリだってこと。
 その位に考えておけば、お母さんに話す勇気くらい出るだろう?」

大丈夫だろうか・・・?

恵子は自信がなかった。
母は自分に「がっかりした」と言ったではないか。
そんな母を、果たして味方にできるだろうか。

考え込んでしまった恵子の手をひっぱって、立ち上がるよう速水が促した。

「歩こう。きれいな花でも見ながら一緒に歩いて、少し忘れよう。
 せっかくあの二人が苦労してくれたんだから。」

恵子はうなずいて、繁みを赤く染め分けたようなツツジに目を向け、
速水と手をつなぎ直して、歩き出した。





それこそ、崖から飛び降りるくらいの気持ちで、
恵子は日曜日の計画を母に打ち明けた。

自分を迎えに速水がここに来ること、
その際、一度あいさつがしたいと言っていたこと、
一緒に夕食を食べて帰ってくること。

驚いたことにあっさり母は同意して、
父への説得にも力を貸してくれると言ってくれた。

「ありがとう、お母さん。わたし、絶対にダメって言われると思ってた。」

見るからにほっとした表情の恵子に、母は苦笑いを浮かべながら、
種明かしをしてくれた。

「奈々ちゃんのお父さんがあなたのことを心配していたの。
 軽い『鬱症状』が見られるって。」


先日、頼まれて奈々の家に届け物をした際、奈々の父が出て来て、
恵子の状態を解説してくれたのだと言う。

恵子みたいに真面目で思い詰めるタイプは、いったんダメだと諦めると
がっくり気力を落とし、食欲減退、睡眠不足、ひきこもりや、
無気力になったりする『うつ』に陥る可能性があると。

母の言葉を聞きながら、奈々の父は大げさに言ってくれたのかとも思うが、
恵子自身、思い当たる節がないでもなく、
自分は本当に『軽い鬱状態』だったのかもしれないと思い直した。


「それにね、俊子さんからはもっと別な風に脅かされたわ。
 あんまり厳しく禁止ばかりすると、思い詰めて『家出』したり
『駆け落ち』したりするかもですって。
 恵子がそんなことするわけないって、笑い飛ばしておいたんだけどね。」

先日、速水と話した『家出して同棲』を思い出し、少々どきりとする。

奈々の母は、恵子には『いざとなれば家出』を薦めたくせに、
一方で『家出』の可能性があるかも、と母を脅す。なかなかの策士だ。

笑ってしまう部分もあるけれど、奈々一家の心遣いが身にしみた。
こんな自分を応援して、両親との中を修復してくれようとしている。
高校生の奈々が、速水と恵子のデートまで設定してくれた。

「奈々ちゃんのおうちって、本当に優しい人ばかりよね。」

恵子がしみじみと微笑むのを見ながら、母はため息をついた。

「あなたにとってはね。
 やれやれ、つまりは、わたしがお父さんに言わなくちゃいけない役だわ。
 いちばん大変じゃない。どうしたらいいかしら・・・」

途方にくれたようにつぶやく母の背中へ、恵子はそっと抱きついた。

「おかあさん、ありがとう・・・」





結局のところ、母が父にどんな風に話をしたのかは、わからない。

うっすらともやが掛かって、曇ったような日曜の朝は、
日が上るにつれて、見事に晴れ上がった初夏の好日となった。

母が前日から、あちこち拭き掃除をして磨き上げ、
律がシャツを脱ぎっぱなしにしておくと、即刻、片付けるように宣告され、
パジャマ姿のまま、頑に新聞を読み続けている父をどかして、
朝食のテーブルを片付ける。

母の落ち着かない気持ちは全員に伝染し、無理矢理、関係のないふりをしている父も、
この顛末がどうなるのか、やきもきしている恵子も、朝からまるで落ち着かなかった。

律だけが面白そうに、部屋を出たり入ったりしながら皆の顔を眺めては、
母に追い払われていた。

「何時に見えるって言ってた?」

「11時よ。」

昨夜から何度繰り返したかわからない話を、我慢して、また繰り返す。

「お父さん、お父さん、いくら何でもパジャマはダメですよ。
 早く着替えてきて下さい。」

父は口の中で、不満そうに何かぶつぶつと呟いたが、
ついに新聞を置いて、部屋を出て行ってしまった。

11時15分前になると、母が何度も部屋の中を横切る。

「わたし、これでおかしくないかしら?」

白いブラウスにたまご色のカーディガン姿を気にして、恵子に訊くと、

「お母さんが何着てたっていいじゃないか。」

律がおかしそうに笑って、母ににらまれる。

母があまりに舞い上がっているので、恵子は自分も緊張しているのを感じずにいられた。
ちらりと鏡で自分の姿を確認する。

白と紺の細かいチェックのシャツドレス。
ウェストを細いベルトで絞って、動くとふわっとスカートが広がる。

これなら、頑張り過ぎに見られないだろう・・・。

余計な想像ばかりあれこれとしていると、ピンポーン!ベルが鳴った。


「あ、来た!」

「これ律、失礼でしょ。は〜い、恵子、玄関を開けて来て。」


母が何度目かに髪を撫で付けるのを見てから、恵子は玄関から出て、
外の門へ降りる。

速水がすっきりと、今日の天気そのままの雰囲気で立っていた。

以前より短く黒くなった髪は、さらさらと風を受けて無造作に流れ、
ベージュのコットンジャケットに黒のパンツ姿は、
長身で細身の体にぴたりと似合っている。

自分や家族より、よっぽどリラックスしているように見え、
恵子をみると、ほんのり微笑んだ。

門を開けて、中へ招じ入れると「おはよう」とつぶやいて恵子を見る。

「おはよう、来てくれてどうもありがとう」恵子が応じると
「まだそれを言うのは早い」と苦笑された。

恵子が先に立って玄関に入ると、あがりかまちに出て来た母へ、
さりげなく速水を押し出しながら言った。

「おかあさん、速水さんです。」

「初めまして、速水浩平です。
 ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。」

ていねいに頭を下げた速水に対し、

「いえ、いつも恵子がお世話になっているようで・・・、
 こちらこそご丁寧なご挨拶をいただいて恐縮です。」

ようやく顔をあげて速水を見ると、にっこりと微笑んだ。

「まあ、さっそうとしていらっしゃる。
 こんな感じの方とは想像もしていなくて・・・」

律が階段を下りて来て、顔を出した。

「いらっしゃい・・・」微笑みながら、軽く頭を下げる。

「おはよう。お邪魔しています。」

速水が応えるのを見て、母は二人を見比べた。

「ひょっとして、あなた、もう会ったことがあるの?」
律をにらみつけると
「一度だけね」

律が得意そうに言うと、あなたたち、みんなして手を結んじゃって・・
と言いかけてやめる。

「律。お父さんは?」

あれ、どこかな。ちょっと見て来る。

「お父さん、お父さん・・どこにいるの?」

律の探す声が少し遠ざかる。

恵子がちらりと速水を見上げると、速水も恵子を見下ろした。
母は居心地悪そうに玄関に座ったままだ。

「おかあさん、お父さんいないよ。靴ある?」

靴ったって、さっき余分なのは仕舞っちゃったからわからないわ、と言いつつ、
玄関回りを見回すと、父の休日用の靴が見当たらない。

「お父さんの靴、ないみたいだわ。」

恵子の言葉に、母は焦ったようだった。

「え?そんな筈ないのに。お父さん、どこ行っちゃったのかしら。
 もう、あれほど言っておいたのに。」

母が申し訳なさそうに速水をちらりと見て、あわてて家の奥に戻って行く。

恵子がまた速水を見上げ、見下ろす速水の視線にとまどいが含まれている。

お父さん、お父さん・・・!

母が父を呼ぶ声が聞こえてくる。
律が「しょうがねえなあ」と苦笑いしながら、二人をみやった。

「逃げちゃったみたいだね。だらしないな。」

今度は完全に二人で顔を見合わせた。
しばらく無言のまま、3人で待っていると、母が申し訳なさそうな顔でやってきた。

「ごめんなさいね。お父さん、さっきまで居て、ひげを剃ってた筈なのに、
 どこかへ出かけちゃったみたいだわ。
 せっかく、きちんとご挨拶して下さろうとしているのに、
 本当に申し訳ない。すみません。」

恵子の母が深々と頭を下げたので、速水があわてて制し、

「いえ、僕が勝手にここまで押し掛けてきたのですから、
 どうか、気になさらないで下さい。
 いちど、ご家族にご挨拶しようと思ったのと、
 先日、恵子さんを遅く帰してしまったお詫びを言おうと思って、伺いました。

 どうも、ご心配をおかけしてすみませんでした。」

再び速水が深く一礼すると、今度は恵子の母があわてて止めた。

「いえ、どうかもう、そのことはおっしゃらずに。
 わたしどもも恵子に厳しくあたり過ぎてしまって、あちこちから諭されました。
 これからも、この子をよろしくお願い致します。」

長くなりそうな挨拶を見て、律が笑った。

「まあ、肝腎の親父が逃げちゃったんだから、今日は堂々と出かけていいんじゃない?
 おかあさん、そろそろ行かせてあげないと・・・」

そ、そうね。

母は我に返ったようだ。

「恵子、あなたはもう用意できてるの?」

「はい。」

「じゃあ、気をつけていってらっしゃい。
 速水さん、わざわざこちらまで出向いて下さってありがとうございます。
 今度は家へご飯でも食べに来て下さいね。」

「ありがとうございます。では、失礼します。」

速水が恵子に目で合図し、二人は玄関を出て、ようやく門を閉めた。

バス停へと歩きながら、二人は一言も交わさなかった。
思い出すと笑えてくるような、緊張した分、座り込んでしまいそうな、
変な気分だった。


「まいったな・・・」

速水がひとことつぶやいて、恵子がその声の調子に笑い出した。

「ひどいな。決死の覚悟で行ったのに、なんで笑うんだよ。」

だって・・・・。

こら、やめろ!
速水が恵子の口を手でふさいで、笑いを止めようとし、
恵子が抗って逃げようとした時、

「ん!」

恵子の目がまんまるになった。
速水が気配に気づいて後ろをふりむくと、恵子の父が立っていた。

「お父さん!こんなところで何してるの?」


速水とじゃれていたのを見られた恥ずかしさもあって、
恵子は少し大きな声で詰問したが、恵子の父はまるで動じなかった。

「ちょっと外に出ただけだ。」

そう言うと、恵子の傍らにちらりと目をやる。
速水はいずまいを正した。

「初めまして、速水浩平です。」

「岡崎です。」

速水の礼に応えて軽く頭を下げると、そのまま、背中を向けようとする。

「あの・・・」

一瞬、背中が止まり、ほんの半分、体をこちらに向けると、
「じゃ、これで・・」と軽く手を挙げ、どんな言葉も聞かない、という風に、
すたすたと歩いて行ってしまった。

恵子と速水はまた顔を見合わせて、今度こそ、こらえきれずに吹き出したが、
恵子の父に聞こえるといけないと、お互いし〜っと唇に指を当てながら、
バス停に歩いて行った。

ガラガラのバスに乗り込み、並んで座ると、
初めて、一緒に出かけられる実感が湧いて来た。
二人、手をつないで微笑み合うと、黙ってバスの揺れに身を任せる。

そうっと速水の体に寄り添って、窓の外を見た。

緑の若葉に白い光がいっせいに反射して、きらきらと笑うような光を跳ね返す。
車内に差し込む光に浮き上がる埃さえ、舞い踊って見えた。

空は真っ青だ。
バッグの中には、速水へのプレゼントが入っている。

後でこれを渡した時、速水はどんな顔をするだろうと考えて、
恵子は微笑まずにいられなかった。






                < 了 >


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