AnnaMaria

 

春のきざし 2

 

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週末がはさまり、明けて月曜日。
レポート提出は明後日に迫っている。

外が真っ黒になったのはわかっていたが、
窓際から遠い席だったし、資料探しに焦っていたので、
ぼんやり外を眺めている暇はない。

恵子が図書館の蔵書を積み直して片手で持ち、棚に戻そうとしていると
後ろから声がした。


「手伝おう・・・貸せよ」


いつもより本が多いのに、バッグと本を一緒に持って来たのを
つくづく後悔していたところだったので、
ありがたく厚意に甘えることにした。

10冊近い本を棚に戻し、コートを持ち替えて速水に向かい合う。


「どうもありがとうございました。」

「いや」


速水はほとんど目を合わせずに、すぐに前を向いてしまった。
そのまま、先に立ってずんずんとロビーを進んで行く。

自分についてくるのが当然と思っているような歩調に
少々腹が立ったが、本の片づけを手伝ってもらったのだから、と、
後からついて外に出ると、
急に立ち止まった速水の背中に、どしんとぶつかってしまった。


「きゃっ!すみません」


速水がふり向いて、ひっくり返りそうになった恵子をぎゅっと支え、
恵子がまっすぐに立ち直ると、手を放した。

恵子が闇に向き合う。
暗い空から一面に、白い雪が舞い落ちて来ていた。

煉瓦敷きの床には、雪がシャーベット状にべちゃべちゃと積もり始め、
向かいの照明を横切る雪影から、どれほど勢いよく降っているのかがわかる。


「すごいわ・・・・久しぶりの雪!」


恵子はつい興奮した声をだしてしまった。
速水が振りむいて微笑んだ。

すごく優しい表情だったので、どきりとしたのに、
次のせりふを聞いて、どすんと落ち込んだ。


「雪で騒ぐなんて、ガキだな。」

「悪かったですね。」


速水はまだ笑っている。
そういう速水だって手のひらを上に向けて雪を受けたりして、
結構楽しそうに見える。

自分だって雪が好きなくせに。


「待ってろ・・・」


言い残すと、また右手の方に消えて行き、
自動販売機に物が落ちる音がゴトンゴトンと響いた。


「今日はカイロ代わりにしよう・・・」


恵子にひとつ手渡し、自分も熱い缶コーヒーをポケットに入れた。

ありがとう。

「さあ、駅まで行こう・・・」


うれしそうに言った。
その表情がはしゃいだ子供のようで、
よっぽどそう指摘してやろうかと思ったが、やめておいた。


熱いコーヒーをくれたんだものね。


「速水さん、傘は?」

「持ってない。岡崎は?」

「わたしもないです。」

いいだろ、雪だ、このまま行こう。


だが、しばらく歩くうちに、すぐに濡れ鼠になった。

降っているのはまぎれもなく白い雪なのだが、
ところどころ、みぞれまじりで、服につくと、べちゃりと濡れる。

速水はダウンジャケットのフードをあげて、頭にかぶった。
恵子の中綿コートはフードのないタイプだったので、そのまま歩いていると、
速水が自分の巻いていたマフラーを外し、
恵子の頭からかぶせて、巻き付け始めた。


「あ、大丈夫ですよ!マフラーが濡れちゃう。」


今日は濃いグリーンのマフラーだったかな。
こんな暗いと色がはっきり見えやしない。

恵子は頭を振って、速水を止めようとしたが
速水はなおも恵子の頭に、ぐるぐると巻き付けるのをやめない。


「いいからかぶってろ。かなり濡れるぞ。
 明後日、レポートを提出する前に、
 風邪引いて来られなくなったら悔しいだろう」

「う・・・・化けて出るかも。」


恵子の言葉に、速水は低い声で笑い出した。
前髪の先から、しずくが光って飛び散る。


今日は沢山、笑うみたい。
雪のせいだろうか。


「速水さん、先週の金曜日はレポートやらなかったんですか?」

「ああ?」


いきなりの問いに、速水はしばらく黙っていたが、


「ライブに行ってた」


ぽつんと答えた。


「へええ、いいな。
 何のライブ?
 どこで?どうだったの?」


速水はまたしばらく黙っていたが、


「いや、出たんだ。」

え?


速水の方を見ると、少しうつむいて、
ポケットに手を突っ込みながら歩いている。
フードからのぞいた前髪に雪が白く付き始めていた。


「中州のライブハウス。前座の前座だけど。」

「へえ・・・すごい。見てみたかった。
 何をやったの?」

「オールディーズのカバー。あの店はアメリカンテイストだからね。
 モータウンのナンバーをいくつか。
 客の方がうまかったら、即ステージ降ろすぞって
 オーナーにおどされた。」

「ほんとに。で、どうだった?・・・」

「まだそんなにお客さんが多くなくて、引きずりおろされずにすんだよ。」


速水の口調もどこかはずんでいた。


「いいなあ。行ってみたいわ。」


恵子は心底うらやましかった。

そんな店でどっぷり生の演奏にひたれたら、どんなにいいだろう。


「行けばいい。今度一緒に行こう。」


思いがけない速水の誘いだったが、恵子は首を横に振った。


「ダメなんです。」


「どうして?行きたいんだろ。」


速水が問いかけてくる。
恵子はため息をついた。


「うちの父が厳しくて、夜おそく帰るのをどうしても許してくれないんです。」

意外な返事に、速水は驚いた。


「そうなんだ。お嬢さまなんだな。」

恵子は激しく首をふった。


「お嬢さまでも何でもなくて、ただ頭が固いだけなの。
 新歓コンパに出ただけで、1時間もお説教されました。」

「ほう・・・だから、サークルにもあまり顔を出さないのか」

「いまどき、バカみたいでしょ?
 サークルの森田君が連絡してきてくれても、
 途中で父が電話をいきなり切っちゃって。
 すっごくケンカになっちゃった。
 横暴なのよ。」


速水はしばらく黙っていると、手強いな・・とつぶやいた。


気まずい沈黙が降りて来た。
時代錯誤の父の話なんか楽しい話題ではない。
何より、この話をしていると自分が興奮してきてしまうのだ。


「え・・と、速水さんはギターでしたっけ?」

いや、ベース、といささか不機嫌そうな返事が来た。

「岡崎、サークルの他のメンバー、全然見てないんだな。」

すみません・・・・。


歩いているうちに、一段と雪が激しくなってきた。
もうみぞれまじりとは言えない、真っ白なぼたん雪だ。

草の表面にうっすらと雪が積もり、滑りやすいことこの上ない。

さっきからずるりと、何度も足の裏にイヤな感触を覚えているので、
そろそろと慎重に歩き、口数もぐんと少なくなった。


「電車、止まっていないといいがな。」

「不吉なことを言わないで下さい・・・あっ!」


恵子はでろりと道に伸びていた笹の表面を踏んだらしく、
ず〜っと足が滑るのを感じた。


きゃあっ!


尻もちをつく寸前に、速水に背中を支えてもらった。
彼に捕まって、何とか立ち直る。

ダウンジャケット越しでも速水の体は固く、頼もしい感触だった。


「すみません。速水さんまで転んじゃいますね。」


起き直っても、速水の手が恵子の腕から離れないので言ってみる。


「俺は大丈夫だ。ワークブーツ履いているから、そんなに滑らない。
 駅まででいいから、つかまれ。」


そんな・・・。


雪が舞い散る中、差し出された腕を前にためらっていると、


「いいから。
 今度こそ、下りの斜面で雪の上に尻餅をつくぞ。」


恵子はおずおずと速水の腕に手を伸ばした。


では・・・失礼します。


ダウンジャケットの表面はべっとり濡れていたが、しっかりつかまると
腕の強さと温かさが感じられた。

転ばないように足元を見ながら、ゆっくり歩き、
ところどころで滑りそうになると、
速水がぐっと力を入れて支えてくれる。





あたり一面、真っ白に染まり始めていた。

いつもの不気味な木立や薮でさえ、クリスマスの飾りみたいにきれいで、
ロマンチックに見える。

他の学生は、タクシーにでも乗ることにしたのか、
この道を通っているのは、二人だけのようだ。

つい先週まで、ほとんど口も利いたことのない人だったのに。
さらに2週間前は、もっと別の人と腕を組んでいたのに。

恵子は速水につかまって歩きながら、現実感を失っていた。
白い世界に二人っきりで取り残されたようだ。

雪が横なぐりに吹き付けてきて、しっかり目を開けられない。

速水となるべく歩調を合わせながら、
そろそろとすり足で進んで行くのが精一杯だ。

こんな調子で、一体、いつ駅に着くんだろう。


「この間の奴は知り合いなのか?」

「この間の奴って」


速水は前を向いたまま、言い直した。


「この間、岡崎の同級生と連れ立っていた男だよ。」


あ・・・。


どうして速水にわかったんだろう。


恵子が答えないので、速水が一瞬、こちらを見たのがわかったが、
それ以上、何も聞いてこない。


「知り合いです。
 高校の先輩なの。うちの大学じゃないけど。」


速水がうなずいたのがわかった。

また沈黙が降りて来た。
このまま、黙っていればいいのもわかっていた。


「前につき合っていたんです。」

ほんの3週間前まで。


「なんで・・・あ、いや、何でもない。」


何で別れたのか、と問いたいのか。

はっきりしているような、よくわからないような・・・。

ファーストキスの相手だった。
それからもう少しの・・・。

父に一度、電話を取られてしまったのが原因か。
会っていても、わたしがいつも帰り時間を気にしていたからか。

それとも、その・・・・誘いを断ったから?

どれもが理由になりうるのかもしれない。
明らかなのは、彼が自分をひどく憎んでいたこと。

唐突で残酷な言葉を聞かされてから、
彼のことはずっと封印してしまっていた。





舞い飛ぶ雪の先に、黒っぽい建物がようやくおぼろに見えて来た。
このまま、ゆるやかな坂を下れば駅に着ける。

恵子はほっとして息を吐いた。


「駅だわ・・・」


速水はまたちらっと恵子を見たようだ。
が、黙って自分の腕につかまっている恵子の手をとって、
手の中に包んだ。


「すんげえ冷たくなってる」


手をつないだ感想なのか、言い訳なのか、それとも説明なのか、
よくわからなかった。

速水の手も負けずに冷たかったのだが、包まれていると
触れている部分は、じんわりと温かくなってくる。

速水の体に力が入っているような気がして、なんだかおかしい。

くす、と笑うと、速水がそれを感じ取ったらしい。
一瞬、こちらに不審な目を向けると、ぷいと前を向いてしまう。


雪のスクリーン越しに、さらに駅の姿がはっきりしてくる。

この奇妙な雪の道行きも終わりだ、と思うと、
少し残念な気持ちも芽生えてきた。

また坂道になったのをしおに、ぎゅっと握りしめると、
速水がまた、一段と体が固くしたのがわかる。

ついまた、くすりと笑いがもれたのを、
さすがに感じ取ったのだろう。


「何だよ、何がおかしい・・・」


その口調がもっとおかしくて、恵子は声を出して笑い出してしまった。


こいつ!


速水がつぶやくと、つないでいた左手が離れ、
肩越しに、ぎゅっと速水に締めつけられる。

驚いて固くなったのは、今度は恵子だった。
急に引っ張られたので、足下がふらつき、倒れそうになる。

引き寄せたのと同じくらい唐突に、速水が恵子から腕を放すと、
もう手もつないで来なかった。





黙ったまま、二人で駅のホームに入り、まばらな人影の中、
お互いの雪を払い落とし合った。

速水のダウンはべっとり濡れ、
肩にもくぼみにも、白く雪がこびり着いていたが、
速水は先に恵子の肩や腕から雪を払ってくれた。

恵子は自分の頭を覆っていたマフラーを外し、
軽く振って、雪を払い落とす。

バッグからハンカチを出して水滴をぬぐうと、
軽く畳んで速水に差し出した。


「ありがとうございました。」


速水は一瞬迷ったようだが、


「いい、家までして行けよ。
 まだ雪はやんでないし、岡崎、傘を持ってないんだろ。
 家に帰るまでにまた降られるぞ。」


受け取らずに横を向いてしまった。

はあ・・・と言ったきり、一度差し出したマフラーを
また首にひっかけた。





突然の雪のせいか、電車はなかなか来ない。
二人とも、すっかり冷えきってしまい、
もう一缶ずつ、コーヒーを買った。

今度はポケットに入れず、すぐに飲もうとしたのだが、
手がかじかんでいて、うまくプルトップが開かない。

それを見た速水が、恵子の手から受け取って、
器用にプルトップを開け、返してくれた。





雪の中、黄色いライトが近づいて、やっと電車が来た。

明るい車内で見ると、さらにびしょびしょなのがわかり、
お互いのハンカチを総動員して、
コートから濡れた水滴を拭き取った。

速水は黒いバンダナを使っている。

濡れているので座席には座らず、
二人して電車のドアにもたれて立っていた。

濡れたコートから沁みこんだわけではなかったが、
温かい車内にいても、体からぞくぞくと熱が奪われるようで、
恵子は軽く震えてくる。

黙って隣に立っていた速水が、ふと恵子に体を寄せると、
少しくっついて立つ。

電車が揺れるたびに、時折り、二人の体や手がぶつかる。

そのまま、ずっと寄り添って立っていた。

まるで恋人同士のように。
黙ったまま。





中心部のターミナルに着いたのは、9時半を回っていた。
駅前の立ち食いそばの匂いが、空腹を刺激する。

帰宅予定時刻を大幅に過ぎていたが、
こんな天候だから、事情をわかってもらえるだろうと恵子は思っていた。

念のため、駅から家に電話を入れると、心配そうな母の声が出た。


「恵子、どうしたのか、すごく心配してたのよ。」

「ごめんなさい。雪で駅まで時間がかかった上に、
 電車がなかなか来なかったの。
 来てものろのろ運転で何度も止まるから、こんな時間になっちゃった。」


お父さんは?


恵子は少し声を低めて聞いた。


「まだよ。
 お父さんもおんなじように、雪に巻かれているんでしょう。
 気をつけて帰ってらっしゃいね。」


恵子はほっとしながら電話を切ると、近くに立っていた速水に向き直った。


「ありがとうございました。
 おかげで無事にここまで帰れました。
 ひとりだったら、帰り着けなかったかも。」


速水はほんの少し微笑んだ。


「あの山の中で遭難してた?」

「う〜ん、それはどうかしら。
 今日は不審者はいなかったろうし・・。
 でも、あの坂でしりもちを5回以上ついたのは間違いないです。
 ありがとう。」


いったん手を放してしまうと、はなれた手は限りなく遠いようだ。

速水の温かい手にもう一度触れたくても、
二人の距離がそれをさせない。


「岡崎の家は、ここからどの位だ?」

「バスで15分くらいです。
 でも今日はもっとかかるかも。」


雪は粉雪に変わったが、
相変わらず勢いよく降ってくる空を見上げる。


「バスを降りてすぐ?」

「う〜んと、降りてから10分ちょっとかな。」


速水はうなずいた。


「わかった。
 今日は家まで送って行くよ。」


恵子はびっくりして手を振った。


「そんな!大丈夫です。
 あとはバスに乗って帰るだけだもの。
 平気です。」

「この様子じゃ、バスがちゃんと来るかどうか、
 バスが来ても、降りてから滑らずに歩いて帰れるかどうか、怪しいだろ。
 やっとここまで無事に着いたんだから、最後まで見届けるよ。」


そんな・・・。


恵子は今まで、こんな風に心配してもらったことがなかった。
どんなに大変でも、くたびれても、自分で何とかすべきだと考えて来た。

自分はお姫様でもお嬢さまでもないのだ。


「速水さん、わたし、大丈夫です。
 今まで、事故で電車が止まったり、色々あってもちゃんと家に帰れたもの。
 心配しないでください。」

「岡崎、お前びしょびしょで半分震えてるんだぞ。」

「わかってます。」


頑固だな。
お父さんに似てるのかな。

恵子はちょっとひるんだ。
こんなことを今まで言われたことがなかったからだ。


「どのバスだ?」

「・・・」

「大丈夫だとわかったら、途中でほっぽって帰る。
 だから一緒に行こう。」


速水がでたらめに進みだしたのを見て、あわてて後を追う。


「こっちです。あの19番のバス・・・」





バス停には5人ほど並んでいた。

普通なら、この時間帯でも15分に一本は走っているはずで、
バス停にもサラリーマンや学生が沢山いるのに、
今夜は極端に人通りが少ない。


前のバスが行ったばかりなのかしら・・。


バス停の屋根を越えて、雪まじりの風が時おり吹き付ける中、
じっと待っているのはなかなか骨が折れた。

また体が震えてきそうだ。

ちらりと速水を見ると、びしょぬれのダウンを着たまま、
絶えず白い雪の舞い上がっている夜空を見上げている。

きれいな横顔だった。
額から鼻、唇にかけての線が整っている。

濡れて、ぐしゃぐしゃに掻き乱した髪も、
速水だとわざとくずしたように見える。

きっちり襟元まで留めている、ダウンジャケットからかすかにのぞく首すじも、
ダウンの下からすうっと伸びている、ジーンズの足も、
何もかもがバランスよく整った人だ。

でも、恵子が触れたいと思っている長い指は、
無造作にポケットに隠されている。


この人がベースを弾いているのを見たことがあったかな。
見てみたいな。





軽音部に属しているくせに、恵子があまり顔を出さない理由は
ひとえに厳しい門限のせいだった。

どんな理由も許されず、帰宅が遅れるのを叱責され続けると、
だんだん理由を説明するのも面倒になり、
とにかく家に帰ってしまおうと言う気になる。

付き合いが悪い、という評判はとっくに定着していたし、
遅くまで残って練習するのもあきらめていた。

いっそサークルを辞めてしまおうかと思っていたくらいだ。





20分以上待って、ようやくバスがやってくると、
温かい場所に避難できた安堵で、ぼうっとなった。

バスからのながめは、普段とはまるで違う。

白い歩道、白い屋根、バスにつもった雪、
見慣れた街がクリスマスのお菓子に替わったみたいだ。

乗客の息で、窓が結露し、白い景色の中、
ネオンまでが幻想的ににじむ。





「岡崎・・・岡崎・・・」


かるく揺すぶられて、目を覚ました。
速水にもたれて、うっかり居眠りをしてしまったらしい。


「岡崎のうち、まだか?
 もう駅から15分近く経ったけど。」


恵子は座席から起き上がって、窓の外を見ようとした。
すっかりくもっていたので、指先で丸く濡らして外を見る。


わ、どうしよう!


恵子のバス停は今さっき通り過ぎてしまっていた。


「乗り越しちゃった!次、降ります!」


バスのブザーをあわてて押すと、しばらく走って、
ガタンとバスが止まった。

ひとつ先の停留所に、速水と二人、降り立ってみると
あたり一面真っ白で、まるで人影がない。


「悪い、もう少し早く起こせばよかったな。」


速水の言葉に、


「ううん。あんな時、寝ちゃうのがいけないんです。
 寒いところから、あったかいバスの中に入ったから、
 ついうとうとと・・・。
 すみません、こんなことにまでつき合わせて。」

「いや、俺が送って行くと言ったんだ。」





雪がふかふかと積もった歩道は、
積もり始めの道より歩きやすかった。

小幅でぺたぺたと足跡をつけ、歩道が斜めになったところで、
ずるっと滑りそうになると、速水が手を支えてくれる。

何度か重なるうちに、また二人、
いつのまにか手をつないで歩いていた。


「速水さん、どこに住んでるの?」

「俺?駅から地下鉄で3つほど行ったところ。
 まだまだ電車はあるから平気だよ。」

ひとり暮らし・・・ですよね?

「ああ。でも一軒家だからね。ベース弾いても平気なんだ。」

「へえ、いいですね。」

「階下の人が、飲食関係で夜が遅いんだよ。
 だから、外に聞こえない限り、かなり遅くまで弾ける。」


ひとり暮らし・・・・。

どんなに自由だろう。
うらやましいな。

一人で夜遅くまでギターを弾いてみたい。
ライブハウスに行って、閉店まで音楽を聴いてみたい。

言い訳ばかりの毎日から、解放されてみたい。


「何考えてるんだ?」

「え?ひとりっていいだろうなって思って。
 わたしの夢なんです。」


一人暮らしが?

そう。


かすかに速水が微笑んだように見えた。
フードから出ている髪がまた、白く染まっている。

二人でほっほっと息を吐きながら、
しんしんと降る雪の中を行軍していった。

通り過ぎたバス停の分まで、30分近く歩いて、
ようやく、恵子の実家の玄関が見えるところまでたどり着いた。

家から電柱ふたつ分手前のところで手を放し、速水に向き直った。


「こんなところまで送ってくれて、ありがとうございました。
 速水さんがいなかったら、もっとヘロヘロになってたと思います。
 遅くまでつき合ってもらってすみませんでした。」

「大学出てから、ずいぶん時間がかかったよな。」


速水は照れながら、恵子のあいさつを受けた。


「そうですね。3時間以上かかっちゃった。
 信じられないわ。」

でも・・・。

恵子はためらって、小声で付け加えた。


「面白かったです。雪が降って、別世界みたいだったし・・・」


それを聞くと、速水の表情がふわりとほどけて、
照れたような笑顔が浮かんだ。


俺も・・・。


ごく小さなつぶやきだったが、恵子の耳にはきちんと届いた。


「じゃ、おやすみ。」


速水は、恵子の肩にほんの少し手を触れると、後ろを向いて
ゆっくり自分の足跡をたどり始める。

恵子は大きく手を振って、速水の後ろ姿を見送った。

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