AnnaMaria

 

This Very Night 第1章 -出会い-

 

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この夜、シン・ドンヒョクとレオは厄介なクライアントとの夕食を終えたところだった。
二人ともかなり疲れていて、へたりこみそうな気分だった。

「ボス、一杯やっていかないか」

「俺はホテルに戻る。レオ、行ってこいよ」

ドンヒョクはそう言うと、ホテルの方に向かって歩き出した。



ニューヨークの街角・・・
折から雪が舞い始めた。
今年初めての雪だろうか。

ドンヒョクが10才でアメリカに着いた、あの日も雪が降っていた。
その日のおぼろげな記憶をたどりながら歩いて行くと、突然銃声を聞いた。

覆面をした男が二人、狭い路地から飛び出して来ると、ドンヒョクの傍をかすめて逃げて行く。
二人は待たせてあった車に飛び乗ると、あっという間に走り去り、何が起きたのかを確かめる暇もなかった。


路地からかすかな物音が聞こえてきたので、ドンヒョクが音のする方へ歩いて行くと、
ほっそりした小柄な体が地面に横たわっているのを目にした。
腕の中に抱き起こしてみると、東洋人の女性だった。

彼女の頭から血が流れていて、その血が見る見るうちにドンヒョクの腕にも広がっていく。

「たすけて、たすけて・・・おねがい」

彼女はかすかな低い声で、助けを求めている。
ドンヒョクは携帯電話を取り出すとすぐに救急車を呼び、到着を待った。




ドンヒョクは手術室の外で待っている間、彼女の所持品をざっと見ていった。
それらは彼女を見つけたあの暗い路地の地面に散らばっていたもの。


彼女は韓国人で、ソ・ジニョンという名前だった。
ドンヒョクは、彼女がやって来たのは自分が一番思い出したくない場所からだったことを知ると、軽いとまどいを覚えた。
身分証明書の写真にうつっている女性は、大きなくっきりした瞳で微かに微笑んでいる。

さっきは銃撃を受けた傷から流れる血のせいで、はっきりと顔が見えなかった。

彼に見えたのは、目だけ・・・
死に行く獲物のような目、死に打ち負かされようとしている者の目、
あのまなざしがシン・ドンヒョクの胸を衝いた。




手術室のランプが消え、中から医者が出て来たので、ドンヒョクは話を聞こうと歩みよった。

「弾丸が頭部を損傷した際、脳をかすめた可能性があります。
 おそらく脳の水分保持のために、脳内に腫れが生じていると思われますね。
 今のところはあまりはっきりした事は言えません。
 患者の容態が安定するまで、詳しい検査をするのは待たなければならないでしょう」

医者はそう言った。

その時、レオがその場に駆けこんで来た。

「ボス、大丈夫か?何だって病院なんかにいるんだ?どうしたんだ?」

ドンヒョクの話を聞き終わると、レオは自分の頭をぴしゃり!とたたいて言った。

「ボス、気でも違ったのか?
 この件を処理するのに、韓国大使館にちょいと連絡を取るだけでいいんだよ。
 ボスが彼女の面倒を見る必要がどこにある?
 ボスには何の責任もないだろう!」

ドンヒョクにも、どうしてこんなにも自分がこの女性を助けたいと思うのか、
なぜ入院やら他の手続きまでもしたのか、うまく説明ができなかった。


   ・・・彼女のあの目のせいだろうか?・・・





彼女が昏睡状態に陥ってから5日が経った。
ドンヒョクは毎日仕事が終わると、病院まで車を走らせていた。

「あの、本当にお知り合いじゃないんですか?」

看護婦がとまどい気味にたずねたほどだ。

レオは、とにかく大使館に連絡すべきだと毎日のように繰り返している。
だが、ドンヒョクはそんな言葉に耳を貸さず、冷たい一瞥で答えるだけだった。


自分でも自分の行動がわからなかった。
他人の面倒を見るなんて、全く自分のスタイルではなかったはずなのに。
病院に来ても、ただ黙って枕元に座り、この女性を見守っているだけだった。


   ・・・ソ・ジニョン・・・





この日、ドンヒョクが仕事帰りにいつも通り病院に寄ると、医者が彼女の病室のドアのところに立っており、看護婦たちの出入りが慌ただしい。
ドンヒョクは自分の心臓の動悸が速くなるのを感じた。


   ・・・どうしたのだろう?何かあったのか・・・


病室に入ると、彼女が目を覚ましていた。
だが、ベッドのすみの方に体を丸めたまま、おびえた目をしている。

ドンヒョクが近づくのを見ると、やっと自分の頼れる者が来たという目で、ひたと彼を見つめた。
そしていきなり彼の腕の中に身を投げ出すと、しがみついてくる。
溺れかけた者が、浮いている丸太に必死につかまっているかのようなひたむきさだった・・・。


ドンヒョクの中で何かが弾けた。
自分の心の中に今まで味わったことのないような感情が生まれたのに気づいたが、すぐに彼女に応えていた。
手をのばしてそっと体を抱きしめると、この女性の母国語を口にした。


「心配しなくてもいい。大丈夫だから」


少しかすれ気味の韓国語で、腕の中の女性にそうささやいた。





「この患者は脳に衝撃を受けており、自分の言葉で表現ができないようです。
 明らかに記憶喪失の症状で、我々が想像していたよりも悪い状況に陥ってしまったようです
 な。
 患者があなたの顔をおぼえていたのは、おそらく銃撃を受けてから意識を失うまでに見た、
 最後の記憶だからだと思われますね」

医者はドンヒョクにそう説明した。


彼女は医者に精神安定剤を注射してもらうと、また深い眠りに落ちていった。
しかし、手はドンヒョクの服の袖をしっかりと握りしめたままだった。

ドンヒョクはベッドのそばに座り直すと、しばらくの間この女性をつぶさに観察した。

繊細な顔立ち、まっすぐな鼻、ばら色の唇。
だが先ほど見た目は、あの夜の恐怖におびえた目とは違っていた。
今日は、罠にかかった動物のような目をしていた。






彼女が退院できるようになるまで、2ヶ月かかった。

この2ヶ月というもの、ドンヒョクが昼間仕事をしている間、
彼女は病院のベッドのはしっこで丸まって過ごし、
座ったり、横になったりを繰り返して、ひたすら彼の来るのを待っていた。
食事も彼がいる時にしか、食べようとしない。

毎晩、ドンヒョクが病室を去る時間になると、じっと懇願するようなまなざしで彼を見つめ、
彼の服の袖を引っ張って、固く握りしめる。
いつものように、またすぐ来るからと約束して納得させると、やっとドンヒョクの袖を離した。


この2ヶ月、レオとは何度も言い争いをしていた。
レオは、ボスの頭がおかしくなってしまったと思っていた。


   ・ ・・完全にイカレちまったか!

   ニューヨークのストリートで、銃撃されてケガをした韓国人女性を拾った。
   この女性は頭のはたらきも動作も子供並みに低下してしまって、自分の考えを
   きちんと言う事ができないどころか、自分が誰なのかもわからないと来ている。
   それなのに、ボスは大使館に連絡もしない上、彼女の医療費まで全額負担している。
   いくらボスが裕福だといって、これは自分の金をつぎ込むようなことじゃないだろ
   う・・・


レオはそう考えていた。

このことで、二人はお互いに逆上し、ついに猛烈なケンカとなってしまった。
結局その後は、二人の間でソ・ジニョンの話題はタブーとなった。





これまでのドンヒョクというのは、他人に対して幾分冷淡で、打ち解けない人間だった。

もっと若い時には肉体的な必要もあって、何人かの女性と交渉を持ったこともあったが、
心の中の感情的な部分においては、どんな女性も決して自分の中に入り込ませない。
ソ・ジニョンのことは全くの偶発的なできごとだ。

レオはたとえ、ボスとケンカする時でも、怒りや憤怒といった感情の表現にまで自分流のものがある。


「今回はつまり、ボスは高級なペットを手に入れたようなもんだよな・・・」

と、この件はいかにもレオらしいジョークをとばして終わった。





ジニョンのために、ドンヒョクは自宅に部屋を用意した。

彼女を寝室に連れて行って落ち着かせると、自分も自室に戻る。
着替えを済ませ、ざっと顔を洗ってから一杯飲むと、いつの間にか睡魔が襲って来て眠りこんでしまった。

真夜中に、ドンヒョクはふと目を覚ますと、彼女が自分のベッドの足元にうずくまっているのを見た。
彼女は彼にぎゅっとしがみつくと、そのまま体をもたせてくる。

ドンヒョクは手をさしのべて、ベッドの上に抱き上げてやり、
彼女の手足や体をまっすぐに伸ばして寝かせると、静かに自分の胸に抱き寄せた。
彼女は頬をドンヒョクの首筋にぴったりとあてると、赤ん坊のように眠ってしまった。

ドンヒョクはレオの「高級なペット」という言葉を思い出して、苦笑した。


   ・・・あの表現はあたっているみたいだな・・・





家の中で、彼女はドンヒョクの行くところにどこまでもついて回った。
回復の段階として今は人間並みというより、動物レベルにあるようだった。

自分の体や他人の体に対する羞恥心もまるでなく、恐れるようすもなくバスルームにまでついてきて、彼がシャワーを浴びるのをしげしげと見ていた。

そのうち服を脱ぎ捨てて、シャワーの下に入ってくると、自分のことも洗ってほしいと身振りで伝えた。
ドンヒョクは彼女の完璧な肢体を見つめた。

彼女の髪を優しく洗ってやり、それから体をそっとていねいに洗ってやる。
邪な気持ちは持っておらず、ただ彼女の美しさに驚き、圧倒されていた。

すきとおるような滑らかな肢体は、熱いシャワーを浴びてほんのりとしたピンク色に染まっている。
顔じゅうに満足そうな表情をうかべて、半ば目を閉じたまま、彼の首に自分の腕を巻きつけて、
頭を彼にすりつけ、体をぴったりと寄せたまま、何か聞き取れないことばを口の中でつぶやいている。

ドンヒョクは自分の中に欲望がむくむくとわき上がってくるのを感じて、狼狽した。
急いで彼女をバスタオルにくるむと、その場をあとにした。


   ・・・彼女といると、さまざまな思いが絶えずあふれてきて、
   胸の中がいっぱいになる気がする。
   誰かに必要とされるということが、こんなにも素晴らしい気持ちだなんて、
   僕は生まれて初めて知ったみたいだ・・・





2週間に一度ほど、ドンヒョクは彼女を街に連れ出した。
彼女のリハビリの受診と、買い物のためだった。

そうしているうちに、彼女は何でも自然な感じのものが好みで、派手な色やけばけばしい色は好まないのが、わかってきた。

絵が好きだった。次から次へと吸い寄せられるように絵を眺めていると、家へ帰るのも忘れてしまうようだった。
絵を鑑賞しているときの目の中にはきらきらした光が宿り、かわいらしい小さな口元には微笑みが浮かび、
お気に入りの絵を見ているときは、彼に向かってなにか楽しそうなつぶやきをもらした。

ドンヒョクはやさしく彼女の頬にふれると


「楽しいの? ああ、わかってる、わかっているよ」

と返した。





ある日、二人は楽器を売っている店の前を通りかかった。

ドンヒョクは何かにふと駆り立てられたような気持ちになり、彼女を連れて店に入った。
彼は自分が外で仕事をしている間、彼女が家で退屈せずに過ごせるようにピアノを買おうと考えたのだ。
高品質のピアノをいくつか見てみようと、店主と共に店の奥のショールームに向かった。

ジニョンの方は入り口近くにいて、鍵盤をもてあそんでいる。
メロディーにならないバラバラな音が店内に響き始めた。

しばらくして、ドンヒョクは入り口の方から美しい音色が流れこんでくるのを聞いた。
誰かの弾く、バイオリンの音色。

最初はゆっくり、ごくゆっくりとしたテンポで始まり、
やがて美しい弦の響きが時に高く感情がほとばしるように、
時には低く心がひきちぎられるように響きわたる。
情熱的な音色は、見知らぬ他人であっても、店にいた全ての人の心を強く揺り動かした。


まるで美しい少女が、力強く感動的な声で歌っているような音色だ。
店主はこの美しい音色の源を知ろうと大慌てで入り口に向かい、ドンヒョクもその後を追った。

二人とも、信じられない思いで目をみはった。

彼女だった。

店に置いてあるたくさんのピアノの真ん中で、プロのバイオリン奏者の姿勢そのままの、
風の中をさまよう奇跡の花のような姿で立っている。
誰もが驚きと賞賛のまなざしで、演奏が終わるまでじっと彼女を見つめていた。
聴いている者の胸に感動が走った。


ドンヒョクは200年の歴史を刻むバイオリンの銘品を、瞬きひとつせずに買い求めた。
それはスポーツカーの新車一台分よりもっと高価だった。

店主は彼女の演奏の素晴らしさに、まだ感心している。

「プロの演奏家なのですね。どなたでしょう。アジア人の演奏家?全く素晴らしい。
 お名前はなんとおっしゃるのですか?」

ドンヒョクは彼女を引き寄せると、急いで店を後にした。



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出典
Original in Chinese by Jenny Lin
Translated into English by happiebb
Translated into Japanese by AnnaMaria

2004/7/15 ~ 2004/7/29, 2005/10/25 dreamyj
2004/8/5 ~ 2004/9/8 BYJ Quilt (by happiebb)
2004/8/8 ~ 2004/9/8 2005/11/30 hotelier 2002(by happiebb)

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