ボニボニ

 

My hotelier 74. - 吾亦紅 - 

 




ヘンゼルは えらいな・・。


大人たちが 自分を捨てる話をしているのを聞いても
すぐに 小石を拾いに行けて。
僕には 何も できなかった。
怒ることも 逃げることも 泣くことさえも。


アボジ。

あの日の中庭で 僕はただ 足元を見ていたんだ。
10数えたら 誰かがきっと すべて嘘だと言ってくれる。
そんな作り話に 必死で すがりつきながら。

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その家は 高台の 日当たりのいい斜面にあった。


ドンヒョクが ジェニーのために建てた 父の家。
父は 昔住んでいた家と似たような 中庭のある家を望んだ。
門扉をくぐって 中庭に入った時・・・

シン・ドンヒョクは立ち止まり そして そのまま動けなくなった。



「・・よく・・来たな。 ・・・遠かっただろう?」

父は おずおずと縁先に 背中を丸めて立った。


「・・・・おひさしぶりです。 お元気ですか。」
うつむき加減の挨拶。 ドンヒョクは 眼を上げない。

父の家を訪れるのに ドンヒョクは スーツを着ることを選んだ。
ジニョンは それには 何も語らず 
ただ 私にネクタイを結ばせて と言った。


あなたの鎧。 あなたの 殻。
そうしなければ まだあなたは お父様の前に立てない。


父の家には なじみの飲み屋の小母さんが 
茶菓の手伝いに 来てくれていた。


ぎこちない親子を 追い立てるように いざなう。
「さあさあ そんな所で 立っていないで。
 ほら息子さんにも 早く 中に入ってもらわなきゃ・・。」
そうだな。 踵をかえす父親へ
呼び止めるように ドンヒョクが言った。


「アボジ・・。 あの・・この人が ソ・ジニョンssiです。 
 ・・・僕・・・ 彼女と 結婚します。」

いっぱいの 精一杯の 息子の報告。
父はまぶしげにジニョンを見つめ うんうん・・と 小さくうなずいた。

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挨拶が済んでしまうと  沈黙がやってきた。
「・・・。」
「・・・。」
お互いに 幾千の言葉を噛みしめたままの 沈黙。


ジニョンと おさんどんの小母さんが 
その場を繕うためだけに 当り障りのない 四方山話をする。
ホテルの支配人さん? 大したものねえ。いえそんな。


中庭の水場のそばには  吾亦紅の穂が 揺れている。
開け放した座敷にも 秋の風が流れる。

部屋の隅に 古ぼけた碁盤。


思いついて ジニョンが口を開く。
「お父様・・・。花札は なさいます?」

「・・・花・・・札・・。」
「ドンヒョクssiは 花札 知らなかったんですけど
 最近 出来るようになったんですよ。
 うちのホテルのシェフが とても 花札が好きで・・。」


陽気な風にジニョンが笑う。 バッグの中にひそませた札を 思い出す。
ドンヒョクは形ばかりの笑みを なんとか 浮かべようとしている。

父は そんな息子を 痛ましげに見つめ 
・・・やがて 思い切ったように 口を開いた。


「・・花札・・・知らなかったのか?」
「・・・・はい。」
「そうか・・。」

持っているのかい 花札・・。 ええここに。 
父が ジニョンに手を伸ばす。
受け取った札を カタカタと切りそろえる手が ふるふると震える。


「・・・ドンヒョクは・・。 ・・・お前は 花札がうまかったよ。」
「?・・・。」
「俺が・・・教えた。 お前は ひどい負け嫌いで 
 何度も何度もやろうと 言った。 次は 絶対負けないんだと。
 そして 学校に上がる頃には  ・・・俺なんかより 強かったんだ。」
「・・・・。」


人間は 憶えていたくない事を 
・・・忘れるように出来ているんだな。

うすく笑った父の頬が 引きつるように 崩れてゆく。

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“見ろよ おっかあ! また負けた。こいつは大変な勝負師だぞ。”

“あんたったら 子どもに またそんなこと・・ドンヒョクだめよ!”


封印された記憶。
なかったはずの思い出が ドンヒョクの中に押し寄せる。
そうだ 僕は 憶えている。
この父と 笑いあった日の あったことを。


“アボジ!だめだよ! この金は オンマの薬を買う為に・・”
“大丈夫だよ ドンヒョク。 アボジがもっといい薬を
 オンマに飲ませてやるからな・・・。”


そうだ アボジは 優しかった。 
優しくて ・・哀しいくらいに 弱かった。

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ぱらぱらと 花札が 床に散る。
父は 顔を伏せたまま 小さく肩を震わせている。
ぶるぶると 膝を握った掌へ

ジニョンが そっと手を伸べた。

「!」

ジニョンの 華奢な 柔い手が 老いた父の手を包む。 
節くれだって 爪の筋が目立つ手を 愛しさを込めて包みこむ。
「・・・ありがとう・・ございます。」
「・・・。」

あなたがいなければ 私は 彼に出会えなかった。
ジニョンの想いは 言葉にならず。 ただ 泣きべその笑顔になった。


さやさやと
吾亦紅を揺らして 柔らかい秋の風が吹く。


そして  この午後
生まれ故郷の 小さな座敷で
ドンヒョクは やっと 自分の少年を超えた。


「アボジ・・・。 ・・・・・花札 しようか?」

久しぶりにさ。 僕 今だって強いんだ。
今日初めての笑みを浮かべた息子に  父は顔を向けない。


「やめたんだ・・。 お前とドンヒが 行った日に・・。」

そうだよ この人。さすがにね・・。
子ども達を手放してからは 博打は一切 やらなくなったんだ。
お人よしの小母さんが 脇からおずおず 口をはさむ。

一瞬 ドンヒョクの目元が揺れた。

パチリ パチリ・・
長い指が 散った花札を 集めだす。

「花札は・・・ゲームだよ。 ・・・博打じゃない。」


大丈夫だ。 もう 僕は 大丈夫。

「アボジ。 花札 しよう。」
少年のようにドンヒョクが言い 父は  奇跡のように息子を見る。


「ああ・・ しようか。」

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ふわと開いたススキの穂が 延々並んで揺れる道を 
ドンヒョクとジニョンが歩いている。

「・・お母様の お墓 憶えているの?」
「いや・・。ジェニーが 地図を持たせてくれたんだ。」

墓地へと向かう山の道。 恋人たちは 穏やかにのぼる。 


「お母様に会ったら 何て報告してくれる?」
「そうだな・・。
 “オンマ 彼女が活きたままタコを食べる 食いしん坊のジニョンです。”」

まだ言ってるわ。 食べてみればいいのよ 美味しいのに。
ぷうっと口をとがらせながら ジニョンが恋人の腕を抱く。

「不謹慎なレディだな。 こんな所で 誘惑するなんて。」
仕方がないな キスだけだよ。
そんなこと言っていないじゃない。んん・・

―オンマ。 彼女が 僕のジニョンです。
 凍りついた時間の中から 僕を見つけてくれた人。


ドンヒョクが 強く恋人を抱く。 秋野に 風が吹き渡る。
「ねえ・・。早く お母様に会いに行かなくちゃ・・」


「だめだよ・・・・。
 オンマの前では出来ないからな。 ここでまとめてキスして行こう。」

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