ボニボニ

 

My hotelier 86. - つとめて - 

 




コンコン・・・


「ジニョン。 もう 起きているか? 入るぞ。」

カチャリとドアを開けて ソ・ジョンミンが入った部屋は
なんの乱れもなく 空気までもが しん と整えられていた。
「・・・・・。」

人間は どうやったって パンドラの箱を開けたくなる生き物だな。

・・・開けなければ いいものを。
ゆっくりまばたきを 2つして 父は階段を降りていった。

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ヒュウ  ヒュッ! ヒュッ!

ぴたりと揺れない切っ先が もののみごとに空を斬ってゆく。
くるりくるりと身体をひるがえして ジョンミンは 機敏な素振りを続けていく。
ジニョンの家に ほど近い広場。
つとめての 冷えた空気の中でさえ 額に汗が浮かんできた。

「は・・・・」

はあはあと 息があがる。 
近くに置いたタオルで顔を拭い 周りを見回して 彼は ふと彼方へと眼をとめた。

朝もやが 流れる中を 背の高い男が走ってくる。
大きなストライド。 サングラスの顔を 少しうつむき加減にして
かなりのスピードで街を駆け抜ける。

「シン・ドンヒョク・・・。」

それが 彼の習いなのだろう。 走り慣れた ペース配分。
最後の100メートルは スパートと決めているらしく
くっと 身体を前傾させるや 獲物をとらえる獣になった。


「ジニョン!」

見れば ジョンミンの自宅の前には いつの間にやら愛娘が立っている。
恋人の戻る頃合いを はかって待っていたのだろう。
両手には タオルとミネラルウォーター。 
「ふん・・ チアガールみたいに 振ってやがる。」


・・娘の父親なんかに なるもんじゃないな。

ため息ひとつ。 ジョンミンが 家へと歩き出す。
100メートルを走りきったハンターは ゴールのジニョンを高く抱いた。

「きゃっ!」

ちゅっと キスの音がして 宙吊りのジニョンがぱたぱた足を揺らす。
「もう 下して!」
「だめだよジニョン。 愛してるって言って。」

ドンヒョクの陽気な笑い声。 ちょっとねえねえ 誰かが見るわ。
大丈夫。 こんな時間に 誰も見やしな・・・


恋人たちが固まって ドンヒョクの身体をジニョンがずるずる滑りおりる。
「うほん・・・・。」
ぱくぱくと ジニョンが 酸素を求めている。


「Good morning, Boys & Girls. 」
「・・・・Good morning, Teacher.」
「さすがに 発音がいいな。シン・ドンヒョク。」


あの えっと・・・ 
ドンヒョクssi 朝は松の実のお粥にするって ママが・・。
口元に行ったジニョンの手が 胸へ 髪へと せわしなく動く。
出来そこないの野球監督が 下手くそなサインをしているようだ。

「それは 美味しそうだね。 ジニョン・・さん。」
「先にシャワーを・・・。 あ!あたし!バスルームにタオルを出してない!」

敵前逃亡。
はねっかえり娘は 回れ右をして ぎくりしゃくりと逃げて行く。
その後姿を 愛しげに見送ったハンターが 
覚悟のしんがりを務めるために 木刀の前に 向き直った。

「おはようございます。 ご精が出ますね。」
「・・・・なに 年寄りの健康管理だ。」
「市内大会で 優勝されたこともあるそうですね。」
ジニョンめ そんな昔の事を。 それは・・・お前が幼稚園の頃の話だ。


“すごいすごいすごい! パパが一等だ!”
“どうだジニョン パパは強いだろう? どんな怪獣が襲って来ても
 ジニョンとママは パパが ちゃ~んと護ってやるぞ!”

―ジニョンとママは パパが ちゃんと護ってやるぞ・・か。
 もう お前を護るのは 私の 役目じゃないんだな。


涙腺のもろいジョンミンの 目頭がくっと熱くなる。
“パパ!”
幼いジニョンの声が響く。 ソ・ジョンミンは夢中で木刀を振りかぶった。

ヒュッ!

シン・ドンヒョクの鼻先で 木刀が 空を斬る。
寸分さえも 揺るがずに ドンヒョクは刃先を見つめていた。

「どうした? 腰が 抜けたか?」
「いいえ。 成敗は どうぞご存分に。」

―やっぱり この男は逃げもしない。
 いい眼をしているな。 ・・・こんな男が 私の息子だ。

「・・・行こう。ママのお粥は絶品だぞ。
 だけどジニョンときたら 料理はからきしだ。 お前は損したな。」
「僕は 世界一の幸せ者です。」
「ぬけぬけと 言いやがる。」

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ズルズルズル! ・・・ズッ ズー!

「もう・・パパったら。」
盛大に音を立てながら やけくそのソ・ジョンミンが お粥をすする。
聞き苦しい音に 眼をつぶりながら ドンヒョクが笑いをかみ殺す。

―ノーティ・パパ。

そのすね方を 僕のジニョンに教え込んだのは あなたか。
ドンヒョクの心が温まる。 ここは確かに 僕のジニョンができた場所だ。

「ねえねえ ジニョン。 車なんだから キムチの甕も持って行ったら?」
「だめよ。ドンヒョクssiの車がキムチ臭くなっちゃう。」
「僕は かまわないよ。 頂いていったら?」
「だめだめだめ! ママのキムチ甕ってすごく大きいのよ だから・・」


ダン!

「シン・ドンヒョク!」
匙を 強く叩き置き 突然パパが大声を出す。 何ごとか と食卓が静まった。

「・・・・幸せに してやってくれ。」

「オモ・・。」
「まあ・・。」
なんて場違いな パパの科白。 笛吹きケトルが ぴょーっと 鳴る。
カチ・・と ママがガスを止めて うなじを見せてうつむいた。

「幸せに ・・して・・やってくれ。」
「命がけで。」
「!」

眼を剥く父親に ドンヒョクが 静かな声で応えた。

「・・・ええ。命がけで。」

間違いなく この男は ジニョンのために命を賭ける。
どうだ この男。 肩口から焔たつのが 見えるようじゃないか。 

がたん・・と パパの力が抜ける。ジニョンがそっと 父親のそばに来た。

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ソウルへ向けて 車が走る。

「・・・ええ。命がけで。 きゃあ~! カッコイイ~!ドンヒョクssi!」
「いい加減にしないか。」

躾の悪い ソ家の娘は 自分の恋人を茶化している。
シン・ドンヒョクは 柄にもなく 少々頬を赤くしている。

―ちょっと・・気色ばんだ な。
僕は どうやら熱血先生に 感化されてしまったらしい。


「こっちは 木刀で 叩き殺されるところだったんだ。」
「私 心臓止まるかと思った。 ねえ・・キスしたところ 見ていたかしら?」
「大丈夫だよ。」

My hotelier そんなことは 問題でもない。
ハンターは クスと苦笑い。 ダッシュボード上の小さな置物に眼を向ける。
ジニョンに似た少女が小さな鈴を持つ 絹細工の民芸人形。

「お前にやる。」
「?・・・ありがとうございます?」

これは 私のベッドサイドに置いてあったものだ。
「昨夜はこれが チリチリ鳴って うるさかった。」
「!」 
「・・・お前でも 動揺することがあるんだな。」


ママは一度寝たら 起きないんだ。 男同士の秘密にしておいてやる。
「申しわけありません。」
「・・・私も そうだった。」
男って奴はしょうがないな。おかげで今は 因果応報だ。

「くく・・・。」

なあに また 思い出し笑い。 
ドンヒョクssiって 私の家の 何がそんなにおかしいの?


なんでもないよ 「ジニョンさん。」
そして 陽気なハンターは ソウルホテルへと アクセルを踏んだ。

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