ボニボニ

 

My hotelier 102. - マリッジ・リング - 

 




ソウル中心部のオフィス街。



シックな外観のそのビルには 主に外資金融系企業のオフィスが入居している。
ある日 小さな情報が そのビルの幾つかの場所で話されていた。

そして エレベーターの中でも。


「・・・嘘 でしょう?」
「だって 私 見たもの。」
「そういえば しばらく見なかったわねぇ。 じゃあ・・ハネムーンだったの?」
「そんなぁ・・。」
女達は書類を抱きしめ 額を集めて ささやき合う。

 

♪ポゥン・・

軽快な機械音とともに エレベーターが止まる。
音もなく開く扉の中。 背の高い男が 小柄な連れとともに入って来た。
「!」「!」「!」

男と連れはゴンドラの真ん中まで進み 扉に向き直って立つ。
こそこそと隅に寄る女達を気にもせず 2人は 仕事の話をしていた。 


「・・・向こうでの実績も 確認したいな。 どれ位で調べられる?」
「ボスが 手を伸ばす位の時間で。」
「?」
怪訝そうに眉を上げて ハンターが振りかえる。
相棒は 鞄から薄いファイルを出して ひらひら振りながらウインクをした。


「抜かりはない か。」
眼を落として笑ったボスが すい・・と 左手を伸ばす。


「!」「!」「!」

女達が 息を飲んだ。

長い指が す・・と伸びて ファイルを受ける。 
女達の視線が 美しい 大きな手に 吸いついて
思わず前のめりになった女3人に レオが ぎょっと身構えた。
「・・・何か?」

あ?いいえ。何でもありません。 私たちが 何かしましたか。
変だな。 今 覗きこんでいなかったか? レオがうさん臭げにじろじろ見る。


♪ポゥン・・・

「もういい。 レオ 行くぞ。」
大股で ドンヒョクがフロアへ歩き出し 2人の後姿に ドアが閉じた。

「見た?」
「見た!  あれはどう見ても マリッジ・リングだわ。」
「やっぱり結婚したんだ・・・。 すごいショック。」

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ハーバード・ロウ・スクールを出た M&Aのスペシャリスト。
ウォール街で ブッチ&サンダンスという異名をとったレイダースが 
いきなり ビジネス拠点をソウルに移して 韓国で仕事を始めた。
それだけで 十分に話題となっていたドンヒョクだった。

でも このビルをオフィスとする女性たちにとって
彼の怜悧な美貌と 隙のない端整なたたずまいの方が 
実際 もっと大きな話題だった。



積極的な女性が数多く生息するこのビルで 今まで 彼にアプローチを試みた者は多い。


廊下で コーヒーごとぶつかる女がいた。
オフィスに着替えがあるから 気にしなくていいと去られた。

眼の前で 山と積みあがった書類を落とした女がいた。
親切なレオが 1つ残らず拾ってくれた。

雨の日に 傘を忘れて途方にくれてみせた女がいた。
返さなくていい と傘をもらった。

オフィスの近くの物陰で 思わせぶりに泣く女もいた。
ちらりと視線を向けられて そっとしておかれた。

真っ向から 1度お食事でもと誘う女がいた。
申し訳ないがそんな暇はないと 言われた。



“ああいうタイプにありがちだけれど 女に 興味がないのかもしれないわよ。”

手の届かない葡萄は 酸っぱい。
女達の間に 諦めとともに 憶測が飛び交うようになっていた。
そのドンヒョクの指にいきなり マリッジ・リングが輝いた。 


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オフィスに戻っても 女達の噂が止まらない。

「誰よぉ・・ 女に興味がない なんて言ったの?」
「え~。 でも どんな人と結婚したんだろう?」
「Mrs Sinは ぜったい私!と狙っていたのに 口惜し~い!」
「いや 貴女のセンはないから・・。」

きゃあきゃあ・・と かまびすしい女達の哄笑に 年若い男性スタッフが口をはさむ。
「Mr Sinの結婚式のことなら どこかの雑誌に出ていましたよ。」


うそ!どこで?
「経済誌か・・いや 一般紙だったかな。国内政財界のVIPがずらりと並んで
 某家のプリンスまで来た それは盛大なものだったそうです。」

大したもんだよなあ。 ソウルに来て1年も経たないのに 
いささか閉鎖的な面のある韓国で どうやってあんな人脈を作ったんだろう。

「・・・ひょっとして 政略結婚かもよ。」
「あ! その手もアリよ! 仕事一途って感じだもの。」
「じゃあ あれだ。 愛のない結婚ってやつ?」

絶対に手の届かない葡萄は もっと 酸っぱい。
女達の憶測は 強力で 
ドンヒョクの妻は どこかの いけすかない財閥令嬢ということになった。 


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クシャン!


「ヘイボス! どうした?」
「失礼・・。 いや どうしたのかな。 鼻がムズムズした。」
「どこかで噂でもされてるのさ。 で・・次の資料なんだが。」

クシャン!
「おいおい・・風邪か?」


休暇明けなんだぜ。 ここで休むのは 勘弁してもらいたいなボス。
パタパタとキーボードを叩きながら レオが 少し心配げに言う。
「体調は悪くない。 ふん 本当にどこかで噂でもされているのだろう。」
裸で寝て冷えたんじゃないのか? だからパジャマを着た方がいいと忠告したんだ。


「・・・・・。」

「?」
レオがPCモニターから眼を上げて  黙り込んだボスをいぶかしむ。
ボスはまっすぐ書類を見ながら 口元が わずかに上がっていた。

―あ~あ・・・
 まいったね。 裸で寝てって・・“そういう事”をからかったわけじゃないのにな。 


ぱらり・・と書類をめくりながら ハンターの眼がちらりと時計に走る。
―まずい!


「レオ! この書類は 少し検討させてくれ。」
家に帰って ゆっくり読もう。
「え? ボス・・。」
もう5時か 申し訳ないが今日は失礼するよ。 クシャミも 出るしな。
言うが早いかドンヒョクは 上着を取って歩き出す。
「じゃあ レオ いい週末を。」


「は・・・。」

レオが カレンダーに眼を落とす。
「・・・ジニョンさん 今日は早番か。 もう そろそろ退勤時間だ。」
失敗したな。余計なことを言って ボスに里心をつけちまった。


カチリ・・

ライターをワンノックして ふうっと レオが紫煙を吐く。
仕方ない。 全てを放り出した恋が実って やっとやっとの結婚だ。
もうしばらく あのハンターは 使い物にならないな。 

「・・・まあ ボスが幸せじゃなきゃ 
 俺もソウルくんだりまでやって来た 甲斐がないさ。」
忠実な部下としては 仕事の段取りでも進めておくか。 


煙草をぎりと奥歯で噛んで スクリーンセーバーに変わった画面へ向かい 
レオが ポンとキーを押した。


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ソウルホテルのバックヤードを 私服に着替えたジニョンが歩く。
ソ支配人 今日は上がり? 
ええ お疲れ様 お先にね。


カツカツ・・と響くヒールに 後ろから 黒い影が近づく。 
いきなり伸びる大きな手が ジニョンを物陰に引きこみ口を塞いだ。
「!」

大きな瞳が 一瞬の恐怖にいっぱいに開いて。
やがて やれやれと 半眼になる。  
ジニョンと同じ指輪が クセ者の指に光っている。 小さく ひじ鉄。

ぐ・・・
「意外と強いね。 奥さん。」

塞いだ手が口元を離れ ウエストに下りて 抱きしめる。
人目というものがあるんだから やめてって 言ったでしょう?
「かまわないだろう? もう僕たちは 夫婦だ。」
「それでも!!」


バックヤードの物陰で 新婚夫婦がもめている。
「ここで 君に何かしようなんて 思ってはいないよ。」
あ・・あたりまえでしょう?

「しかし お望みとあらばしかたがない。キスくらいなら してあげてもいいな。」
「ち・・ちょっと。 ドンヒョクssi?」
可愛いな  恥ずかしがりの 僕のジニョン。
ハンターは上機嫌で 愛しい妻を抱き寄せる。
マリッジリングをした手が ジニョンの髪をほどいて すっと中に入ってゆく。



「イ主任・・マデラ酒どうしますかね?」

ジェヨンが情けない顔で 主任を見上げる。
早いところ 持って行かないと 料理長に大目玉喰らいますよ。

「どうするって お前。あの理事に 備蓄倉庫の前だからどいてくれって言えるのか?」
「言えませんね・・・。後が 怖すぎます。
 ・・・でも 料理長のげんこつも 怖いですよ。どうします?」
しかたない。 お前 咳払いしろ。
「ええ!・・・まいったな。」


ケ・・ケホン ケホン・・・


「お前それじゃ 気弱な風邪っぴきだ。」
「そんなこと言うなら 主任がやってくださいよ。」


オ・・オホン・・オホン・・


ソウルホテルのバックヤード。人目につかない 物陰で 
同じ指輪をはめた2人は こっそり 長いキスをして。

2人のコックは ドアに隠れて かわりばんこに咳をしていた。

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