ボニボニ

 

My hotelier 108. - 靴を 投げる - 

 




恋人時代に  ずいぶん深く 相手を知ったつもりでいても
結婚して 一緒に暮してみると 
今まで見たこともなかった 相手の顔が見えてくる。



シン・ドンヒョクが プライベートタイムで見せる 顔。

サファイア・ヴィラに 泊まったことも 幾度となくあるのに 
ジニョンは 初めて見るような姿に 眼が奪われる。


例えば・・・

彼は シェーバーを使うとき まず顎に当てて 
左の頬から 剃っていく。
思いがけないほど ラフな仕草。 歩きながら ジージーやったりもする。

それから 顔を洗う時には あの大きな掌で 
ザブザブと 意外と豪快に洗う。


―ドンヒョクssiには 端整で 落ち着き払ったイメージがあったけれど
  そばで見ていると 思っていたより ずっと 男っぽい動作をする人ね。



そして・・・  彼は 靴を投げる。

最初に見た時。  
ジニョンは とても驚いた。


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「ジニョン明日は早番だろう? 仕事は都合つけるから 外へ夕飯でも食べに行こうか?」
「オモ・・ 私が作る食事じゃ だめなの?」


ふふ。 そういう意味じゃないよ。

上機嫌で帰宅したドンヒョクは うつむいて笑い ネクタイをゆるめる。
歩きながら ジャケットを脱ぎ
ベッドにそれを放りざま どさりと椅子へ 腰を落とす。


ぱたぱたと 彼の後を歩くジニョンは 
脱ぎ捨てられた ドンヒョクの服を かいがいしく抱える。


「・・ジニョンの手料理も 嬉しいけれどね。 美味い・・シーフードを食べさせる・・。」

言葉を継ぎながら 長い足を膝に乗せ 
靴の踵を抜き去ると ぽいっ と靴をじゅうたんへ 投げた。
「!」
「・・レストランが 新しく出来たんだよ。」


床の上に 長身の彼らしい 大きな靴。


「・・・・。」
「行って みない?」


え・・?  ああうん。 そうね。

ベッドの足元に置かれた 皮の室内ばきを履いて
ハンターが 洗面所へ消えてゆく。
足元には ドンヒョクの靴が ごろりと転がる。 

そっと 揃えてつかみ上げると 少しだけ 彼の温もりがあった。



―びっくりした。  ドンヒョクssi・・ 靴を 投げたわ。

「ぽいっ だって。」 


ふっ・・。
愛しい人の 初めて見る仕草。
粗野な動作なんて しない人だと 思っていた。

陽気なカウボーイみたいに ぽいっと 靴を投げる仕草が珍しかった。
シューズ・クローゼットに 靴を片付けながら 
夫の秘密を見つけた気がして ジニョンは 小さく笑っていた。

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朝早く。  サファイア・ヴィラの前の道を シン・ドンヒョクが駆け上がる。

もうこの坂を 登らなくともいいのだけれど
最後のスパートを全力で上ることが 彼は 好きだった。


「あら? アンニョンハセヨ! 理事。」
「なんだか お久しぶりだわ ね? ね?」

ハウスキーパー達が かしましく 朝の作業中に 声をかける。
「サファイア“ハウス”の方 お掃除は大丈夫?」
「ソ支配人忙しいんじゃないの? ねえ理事? 私達 いつでも行きますよ。」



どうも ありがとう。 何とか2人でやっています。

「でもねえ・・。 広いんでしょ? 今度の家。」
ソ支配人も大変よ。理事も手伝うの? まさかねえ・・。

「以前みたいに ぽいと靴を投げて 奥さんに拾わせているんじゃないでしょうね?」
「・・・え?」

ああ そうよね。 
理事ってば 身綺麗にしているくせに 時々 靴を投げておくんだから・・。
「たまに片っぽ どこか行っているのよね。」「そうそうそう!」


「お金を払うハウスキーパーじゃないんですからね。
 奥さんに 靴なんか拾わせてたら ソ支配人 出てっちゃうわよお。」
「・・・!」

それじゃあ。 いつでも呼んでくださいね 理事。


陽気なハウスキーパー達は もつれるようにさんざめきながら
自分の仕事に 戻ってゆく。


笑顔で見送るドンヒョクは ジョギングの続きへと走り出しかけて
ふと・・・ 足を止めて ポケットに手を挿した。
「靴?」


うっかり していた。

僕はここ10年程。  ハウスキーパーのいない生活をしたことがない。
靴などは 「放っておいても いつかその辺にしまわれているもの」だった。


確かに僕は 時折 靴を投げる。

いささかワーカホリック気味に働いていた僕は スーツ姿でいる時間が
異常なほどに 長かった。
1日の仕事を終え、レオと仕事の話をしている時などに
ぽい と 投げ捨てる靴は オフタイムへのスイッチだった。

・・僕は最近 靴を 投げただろうか?


―投げた・・ような気が するな。
 
それで? その後は?  どうしただろう。
見事なほどに記憶がない。 おそらく 気にもしていなかったのだろう。 
「・・じゃあ ジニョンが 僕の靴を?」

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その深夜。
もじもじと ドンヒョクが家に帰って来た。
ジニョンは仕事を持ち帰ったのか ソファで口をとがらせて 分厚い資料を読んでいる。
「お帰りなさい。 お夕飯は?」

ドンヒョクは 寝室の椅子に腰を掛け 
ぽい・・と 靴を投げてみる。
「レオと 打ち合わせをしながら・・・食べたよ。」

クロゼットのドアを開け ネクタイを ゆるめながら
靴を投げた男は 背中に 神経を集めている。


「ねえドンヒョクssi? 私のネ PCの具合が 何だか悪いのよ。」
申し訳ないけれど ちょっと・・見てくれないかしら。
困り顔でやって来たジニョンが しゃがみこんで 靴を拾う。

クロゼットのドア内側に貼られた鏡で 妻を見ていたドンヒョクが うろたえる。


「ジニョン!」
「ひ!!」

何事なの? いきなり夫に呼びかけられて 大きな瞳がこぼれそうに 開き返す。

「その・・靴。」
「え? ああ 片付けようと思って。 だめ?」
この靴 どこか壊れたの? もしそうなら 明日シューシャインの所へ持って行くわよ。


ジニョンは靴を持ち上げて しげしげ 甲皮をチェックしている。
ドンヒョクは それと見る間に 赤くなり
靴を持った妻の手を ふわりと握った。

「すまない・・。 君に そんなことさせて。」
「え?」
なあに? 変な ドンヒョクssi。
だって 私。 あなたの奥さんでしょ?


まじまじと見つめるドンヒョクが 照れくさそうに 下を向く。

―・・本当に 誰かに面倒をみてもらったことが ない人ね。
 こんなことで 照れているわ。


「うふん 新婚の妻ですから。 私だって 靴くらい片付けてあげる。」
「・・・新婚期間を過ぎたら?」

「“ドンヒョクssi! ちゃんと片付けなさい!”って 叱るわ。」


ふふふ・・と笑う人の愛しさに たまらなくなったハンターが 腕を伸ばした。

オモ! ドンヒョクssi・・。
白い手から また落とされた大きな靴が 絨毯に軽い音を立てる。


オフタイム・スイッチ。
僕が 無造作に投げた靴を 君は そっと拾ってくれる。
ドンヒョクの胸は温まり 愛しい人を 抱きあげた。


「新婚の奥さんには 靴拾いより お願いしたいことがあるな。」

ジニョンをベッドに埋めた夫は 満面の笑みで顔を寄せる。


ぽいっ・・ ぽいっ・・

もう キスし始めたハンターは ジニョンの足から室内履きを奪い
コインのように 背中越しに投げる。
「ドンヒョクssi・・。」

可笑しいわ。  貴公子然としたあなたの 子どもみたいな 小さな悪癖。 
“シン・ドンヒョクは 靴を ぽいと投げる。”
「あなたの そんな癖を知っているのは 私だけね。」


うふふふ。 

うなじを這い始めた唇に うっとりと眼を閉じながら
ジニョンが 得意そうに言う。
「・・そうだね・・。」


―ハウスキーパーのおばさん達と ああ・・レオも 多分知っているな。
あいつらには 今度 口止めしておこう。
愛しいジニョンのパジャマの中に ごそごそ頭が もぐりこむ。


ねえ ジニョン? 
君に拾って欲しくって  僕は また靴を投げそうだ。


ジニョンの息が ゆっくりと 柔くほどけて溶けてゆく。
幸せの中でハンターは 甘えたことを考えていた。

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