ボニボニ

 

My hotelier 109. - お願い - 

 




ソウルホテルの支配人オフィスを  背の高い男が 歩いている。



ややガニ股の長い脚が どかどかと 端まで行っては立ち止まり
まわれ右して また どかどかと歩き出す。
彼のターンは300回を超え すでに 動物園のクマ並みの往復回数だ。


「・・・・・。」

PCモニターを覗き お客様からのメールをチェックしていたジニョンの眼が
その神経質な足音に やれやれ・・ と半眼になった。

「もぉ・・ 早く病院へいけばいいのに 総支配人!
 そんな所で ウロウロされていては こっちが 仕事になりません。」



“何だと!”

一瞬 気色ばむオ・ヒョンマンは 
はっ! と息をついて また歩き出す。
「今日は 経済同友会の年度総会があるんだ! 万が一にも・・・。」

万が一にも 粗相のないように こちらで十分気をつけますから。
「初めての赤ちゃんが 生まれそうなのでしょう? イ先輩が 不安になっているわ。」
「ああっ マイ・ハニー! マイ・・ベビー・・!」


君達の一大事に そばに付いていられない非情なパパを 許してくれ。
ソウルホテルは私がいないと 一日だって 動かないんだよ。
「・・・・・。」

うんざり顔の ソ支配人は 
そっと受話器を取り上げて 内線番号をプッシュする。


pi.po.pi.pi....


「ハン・テジュンです。」
「テジュンssi・・? ねぇ 助けて。」
「ジニョンか? 何だ いったい?」
「キリマンジャロのヒョウだかハイエナだかが もう 隣でウロウロウロウロ! 
 ・・・・こっちが仕事にならないの。」


あっはっは・・・

電話の向こうに テジュンの陽気な笑い声。 
「俺が代わってやるか。 じゃあ ここが終わったらそっちへ行こう。」
「お願いよ? すぐに・・ね。」
「ああ わかった。」

-----



「・・・・・。」

“テジュンssi・・? ねえ 助けて。”



シルバーフレームの中の眼が ゆっくりと閉じる。
ソ・ジニョン。
君は そんなに可愛い声で ハン・テジュンに 助けを求めるんだな。



「・・何か ありましたか?」

静まりかえったドンヒョクは 帳簿を見ながら 顔も上げない。
テジュンの 人の良さそうな笑顔だけは 
今 何があっても見たくなかった。



オンフックで話をしていたテジュンが いやぁ・・と 明るい声を出す。

イ・スンジョン女史が いよいよ産気づきましてね。
今朝から 病院で がんばっているんです。
「オ総支配人が やせ我慢して 産院に駆けつけないものだから・・。」

あははは・・ 

芯から陽気な笑い顔を シン・ドンヒョクは さりげなく無視した。

 
「・・それでは 今日は社長が 総支配人代理を?」
「ええ。 ちょうどいいですよ。 数字ばっかり見ているのは 性に合わない。
 私もそろそろ お客様の顔を 見たくなって来たところです。」
「・・では こちらはもう切り上げましょう。
 経営状態に関しては 当面 アドバイスの必要も無さそうです。」



「・・?・・」
目を伏せたまま  書類を重ねるコンサルタントに ふと気づき
ハン・テジュンが 面白そうにレイダースを見る。


―何だこいつ? 不機嫌だな? ・・・・ははぁ・・ さっきの電話か。
「あぁ理事 “ジニョン”なら 支配人オフィスで ふくれっ面していますよ。
 お会いになっていけば いかがです?」

―私の妻だ! ジニョンと呼び捨ては 止・め・ろ!
「・・いいえ。 仕事中ですから遠慮しましょう。 “顔なら毎日見ています”からね。」

―へっ! カミさんにしたくせに まだ焼モチかよ。 独占欲の 強い男だな。
「では 私は失礼して。 “ジニョン”が SOSを出してますから。」
「・・・・。」

―ジニョン・・ 君。 ハン・テジュンを 頼みにしているんだな。
「・・・支配人のくせに社長にSOSなど 困ったマネージャーですね。」

ついに眼をあげないドンヒョクは アタッシュケースを閉じて 席を立った。

-----



シン・ドンヒョクの車の前を 背の高い男が 走っている。

「・・・・・。」



オ・ヒョンマン。
奥方が心配なのはわかるが そこは 車道の真ん中だ。

「できれば・・ どちらかへ 避けてくれないかな。」


総支配人がいくら優秀なランナーでも ジャグワーが 負けることはない。
彼の伴走に 業を煮やして 
パウ・・と ドンヒョクは ラクションを鳴らす。

振りかえる総支配人は 必死を絵に描いたような形相で
吹きだしそうになった理事は 
彼に  乗って行きませんかと 言わざるを得なかった。



やたらと可愛らしい外観の 産院の前に 車を止めて
どうぞと言ってみても オ・ヒョンマンが動かない。
「総支配人?」
「あの・・ ちょっと 動悸がものすごくて ・・・1人で 歩けないんです。」



大丈夫でしょうか大丈夫でしょうか大丈夫でしょうか大丈夫でしょうか・・・


「大丈夫です。」
・・多分。 だから 耳元でわめかないでくれ。
何だって僕が 他人の妻の出産に 付き合わなくてはいけないんだ?

背の高い男が2人 分娩室の前に座る。
ご主人様は中へ と言われても ヒョンマンは 腰が抜けていた。


ホ・・ギャア 

「!」
ホギャアァ ホギャア・・・
「ああ 生まれたようですね。」
ドンヒョクが明るい声を出す。 並んだベンチから立ち上がり
父親になった男の方へ にこやかな祝福の手を差し出した。



むちゅむちゅした 赤ら顔に あくびがひとつ。

「はは。 あくびをしていますね。」
赤ん坊などと言うものを 間近で見た記憶がないが 小さいものだな。
「理事が・・ 私を心配して わざわざ来てくださるなんて。」


こんな姿でどうしましょうと スンジョン女史が髪をなでる。
「あ? はぁ いや。」
そういうわけでは ないのだが・・。
母子同室の居室まで  腰抜け男を 運ばなくちゃいけなかったんだ。

それでも 生まれたての子どもには
さすがのハンターも 眼が和らぐ。 
そっと指で触ってみると 赤ん坊にきゅっと指を握られた。
「Wao・・」


「あ! だめだめ! 理事! ウチの娘に手を出さないでください!」

気をつけるんだよ 世の中には 君を狙うオオカミがいっぱいだ。

-----



「総支配人曰く “僕の娘だからなぁ。美人は心配だ ねェ?ハニー・・” だそうだ。」


きゃーっ あははは!

ベッド上のソ・ジニョンは バタバタと転げて 笑っている。
サファイア・ハウスの24時。 ドンヒョクは いささか不機嫌に 
ベッドサイドの椅子に座って ナイトキャップのグラスを揺らしていた。


「うふふ ねぇドンヒョクssi?  赤ちゃんに指を握られて 嬉しかったでしょ?」
「・・そうだね。 “君の助けにはなれなくとも” この世に 
 僕を頼ってくるものが1人はいる。 そう思えて 幸せだったよ。」
「?」


「君が 今日社長に電話した時。 僕も その場にいたんだ。」
「・・え?」
「“テジュンssi? ねえ助けて。”」
「!」

ドンヒョクが ゆっくりとした動作で 眼鏡を外す。
眼鏡がないときつく見える視線が まっすぐ ジニョンに突き刺さる。
ぱくぱく口を動かしながら 妻の口からは 声が出ない。


「君は・・ ずいぶん社長に 甘えた口をきくんだな。」
「あ・・の ドンヒョク・・ssi。」

まあ 僕は 君の仕事を手伝ってやる事が できないからね。

-----



・・さっきから 何だか 変だと 思っていたわ。


ジニョンの目玉が きょろりと動き 黙りこくった彼を見る。
赤ちゃんが生まれたハッピーなお話をしているくせに
彼ったら やけにむっつり お酒をなめていたのは。  

―・・・そういうことか。


上唇をきゅっと かんで  妻は 横目で企てごとをする。 
「ねえ ドンヒョクssi?」
「・・・。」
「お願いがあるんだけど。」


僕では お役に立てるかどうか?
機嫌を損ねたハンターは  2杯目の酒を 飲んでいる。
「肩が寒いの・・ ぞくぞくするわ。」

ふん。 いつもいつも そんな手には 乗れないな。
そう思いつつ ドンヒョクは窓の外へと 視線をそらす。
「・・寒くって 風邪を引きそう。 ・・ねえ?」

ガッデム! ジニョン なんて陳腐な交渉だ。 そんな茶番に つきあう身にもなってくれ。
タンブラーの底を鳴らし 眼を伏せて ハンターがしぶしぶ立ち上がる。
妻の横へすべりこみ乱暴に肩を抱いてやると 華奢な肩が そっとすりよった。



ベッドサイドは 灯りがひとつ。

ほの暗い寝室に ジニョンの瞳が大きく揺れる。


「怒ってるの? ドンヒョクssi。  ・・・愛しているのに。」
妻の甘い言葉に 不機嫌を装って見つめるドンヒョクは 
どうしようもなく 眉根がゆるんでゆく。

「・・あんな声で 他の男を 頼られてはね。」



だって そんなの仕事の話でしょう? 

“あなた”に お願いすることは もっと違うじゃない。
「温めて‥とか キスが欲しい‥とか “極私的な”お願いは 
 ドンヒョクssiじゃなきゃ 頼めないでしょ?」

―そんな嬉しいお願いは あまり聞かないな。


「・・それから ・・・赤ちゃんが欲しいと言うお願いも。 “あなた”にしか 頼めないじゃない?」
「!!」

ずるいな ジニョン。
恥ずかしそうに そんなことを言われると  口元が 勝手にほころぶだろう。
「ええと・・その 奥さん? そういうお願いをしたいのかな?」
「ううん まだ。 ・・・ドンヒョクssiを 独占したいもの。」
「!!!」

------



サファイア・ハウスの 寝室に 甘い泣き声が揺れている。


愛しい人を組み敷いて ハンターはうっとり頬を撫でる。
赤ちゃんが欲しいというお願い か。
確かにそれは 僕しか 聞いてあげられない。
仕事を代わってくれという願いなら ハン・テジュンに 頼めても。


「・・・ねぇ・・ もっと・・。」

本当にずるいな ソ・ジニョン。
君がもっと・・と ねだってくれるのは 僕の機嫌をとりたい時だけじゃないか。 
「ドンヒョクssi?」


・・まあ 仕方ない。 どのみち僕は ゲーム・ルーザーだ。
「いたぃ!・・・もぅ・・ドンヒョクssi。」
「ふん。」



悔しまぎれに 甘噛みひとつ。

それでもいそいそハンターは ジニョンのお願いへと 動き始めた。

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ