ボニボニ

 

My hotelier 112. - 野生 - 

 




コン・チャン・リーという老人について 身近な者に語らせれば
間違いなく 似たような言葉が並ぶに違いない。



倣岸、偏狭、尊大、頑迷・・・

華僑として 水産物貿易商から身を起こし
一代で 韓国に巨大なフードコンツェルンを築きあげた彼は
要するに 周囲の敬愛を受けているとは言い難いワンマン・オーナーだった。



「台北の翠華大飯店が・・・買収されただと?」


・・・どういうことだ?
我がコンツェルンの 台湾でのビジネス拠点だぞ? 息子が裏切ったとでも言うのか?
いえ会長。  むこうの経営陣も今 上を下への大騒ぎです。
「話に聞くところでは ホテル専門のM&Aハンターが動いたとかで・・・。」

瞬く間に 市場株を買い集めてしまったのだそうです・・・


ガチャーン!!

報告役の専務の足元で クリスタルの灰皿が 派手に割れる。
リー会長の怒声を聞いて 部屋の隅に寝そべっていた 巨大な犬がむくりと起きた。
ウウ・・と 垂れた唇をむいて歯を見せる怪物に 専務の背筋が凍る。

「か・・会長・・。」

「どこの どいつだ! そのハンターとか言うのは! ここへ連れて来い!」

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ガウン!ガウン!  ガウガウガウッ!!


鉄格子の向こう。 鋭い鋲を光らせて ドーベルマンが吠えている。
堅牢な鉄柵に沿って車を滑らせながら レオが 気味悪そうに窓の外を見る。


「喰い付かれそうだな・・・。ボス?」
「無視していろ。あっちは犬だし こっちは“ジャグワー”だ。」

コン・チャン・リーの豪勢な館は 陰鬱な空気に覆われており
家の主の偏狭さを表すように 訪れる人を拒絶する雰囲気を重くたたえていた。



「は・・。 よくもまあ こんなに排他的な場所へ 人を招待するな。」
「・・ボス?  やっぱり帰ろうか?」


美味しいお菓子を食わしてくれそうだから行こうって レオが誘ったんだろ?

「いやだから 俺は・・ むやみに敵を作るのもなんだと思って。」
この屋敷の あまりのコワモテ振りが 僕はいっそ可笑しく思えてきたよ。
ドンヒョクが いたずらそうに 眉を上げる。


物怖じするレオに 頓着もせず ハンターが車を降りたった。
「行こうぜ。 韓国にもホーンテッドマンションがあるって ジニョンに教えてやろう。」

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カチカチ・・と やけに時計の音が大きく聞こえる部屋で
会長コン・チャン・リーは 椅子に ふんぞり返っていた。


「私の翠華大飯店に手を出すなんて いい度胸だな。」
「度胸? これは単なる株取引です。 ホテルに企業買収を仕掛けたい者がいて
 私がそれを請け負った・・ that’s all。  冒険でも 何でもありません。」



「私を敵に回したらどうなるか、知らない とでも言うのかね?」


知りませんね。 申し訳ないけれど、僕はアメリカ国籍ですから。

涼やかに 薄い笑顔まで浮かべて答える男に リー会長は驚愕する。
自分に対して ここまで平然とした態度を取る人間を 彼は ついぞ知らなかった。 
生意気な小僧め ちょっと脅してやるか。

「テムジン・・・。 お客さんだよ。」


にたりと笑う会長は じっとドンヒョクを見据えたまま 背後の暗がりに向かって 言う。
その声に 子牛ほどもある大きな影が ゆらりと立ち上がった。

ウウウウウ・・・



・・・ウ? ・・バウッ♪ バウッ! キュゥンキュウン!
「おい テムジン・・?」


近づいて来た影は 途中でいきなり駆け足になり
ドンヒョクの足元に擦りついて 丸太のような尻尾を振りだした。
「テジュン? ここは お前の家だったのか・・。」


おいやめろ 舐めるんじゃない! ヨダレがつく。 ・・ああ、もう手がべたべただ。
「やめろ!」
ぴたり。 身体をはずませる喜びを抑えて 犬のテジュンがお座りをする。
それでも我慢が出来なくて 腕を折ってごろりと腹を見せた。


ボス 撫デテ 撫デテ・・

「相変わらず 甘ったれた奴だな。」
それでもにこやかなドンヒョクは 長い腕を伸ばして巨大な犬の腹を掻いてやる。


「貴・・様は・・・。」

思い出した。
初めて会ったにしては どこかで見た奴だと思ったんだ。
勝手にわしの犬を飼いならした男。 ソウルホテルの理事・・だと言っていたな。



「じゃあ・・あれか・・・お前があの キム会長を逮捕させた・・。」

「フランク・シン。 韓国名はシン・ドンヒョクです。」
にこやかに ソファに長い脚を組んで 今や伝説のレイダースが悠然と微笑む。
その足元には 嬉しげなマスチーフが 忠実な侍従よろしく身を伏せた。

は・・・
その堂々たるたたずまいに コン・チャン・リーは 感嘆する。
―見事な 男だな。 自信と気力が 陽炎のように身体からのぼり立つ。
 テムジン。 その男の足元のお前が いつも以上に大きく見える。  




「・・・・・台北翠華大飯店の社長は 私の4男だ。」

ぽつり とつぶやく会長の声には しみじみとした響きが混じり
そっと眼を伏せたドンヒョクは 礼儀正しくうなずいてみせる。

「存じ上げております。なかなかの“趣味人”でいらっしゃる。」
「遠慮なく“放蕩者”と言え。 ・・・アレと戦うのは たやすかったか?」
「僕は 勝てる相手としかゲームをしません。
    ご子息は ・・・ちょっと 経営が放漫になっておられましたね。」


そうだろうな。
叩き上げのわしとは違い 息子達は 揃いも揃って座敷犬みたいに軟弱なんだ。

―この 野生の虎みたいな男にかかったら ひとたまりもないだろうさ。


「シン・ドンヒョク・・。 君の取得した株を 倍額で買い戻そう。」
「残念ですがビジネスはすでに 僕の手を離れました。明日にでもわかることですが
米国資本のホテルグループが 吸収合併することになります。」
「じゃあ・・今度はわしの依頼を受けろ。台北翠華大飯店を 取り返してくれないか?」
「無理です。」

言ったでしょう?
僕は 勝てる相手としかゲームをしません。この買収は もう誰にも引っくり返せない。


「お前が手がけた以上は完全勝利 ということか?」
「僕は それで 報酬を貰っていますからね。」
は・・・
「これ以上の抵抗は 無駄という訳だ。」


倣岸、偏狭、尊大、頑迷の コン・チャン・リーが 力なく笑う。
こんな息子が 私に いて・・くれたらな。

「ドンヒョク・・・今夜 わしと一緒に 飯でもどうだ?」

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次の週。

ソウルホテルに リー会長がやってきた。
シン・ドンヒョク。 
もう1度会ってみたい。 共に組んで 仕事をしてみたい男だった。



「オモ!? いらっしゃいませ! リー会長。 ご宿泊ですか?」

VIP客の来訪を ソ支配人が明るく迎える。
「ああ・・ソ支配人か。 頼むよ ヴィラを取ってくれ。」
こいつがいるからな と 会長が 犬に顎をしゃくる。
「あら? テジュンちゃん! あなたも来たの~? 久しぶりねえ。」

「!!」


撫で撫で撫で・・
小腰をかがめたジニョンが マスチーフの頭を平然と撫でる。
―“ボスのメス”のジニョンさんだ!
リー会長の猛犬は フリフリと ちぎれる程に尻尾を振った。


「は・・・。 これは どうしたと言うんだ?」
主人以外にはなつかない 凶暴な犬じゃなかったのか? お前は?
このホテルには 一体どんな魔法があると言うのだろう?



ソウルホテルの ガーデンカフェで リー会長が ハイティーを飲んでいる。
ぼんやり庭を眺めていると バラ園の奥のしげみで
ドンヒョクとジニョンの なにやらもめている姿が見えた。


「う~っ!チッ!  もう! 離して ドンヒョクssi!」
「ジニョン! ヒョンチョル君は 2つ返事で当直を代わってくれたよ。」

せっかく僕が 早く帰れる日なのだから。 
「これからレストランにでも。・・・ね? ジニョン。」
やめてくださいドンヒョクssi!  また皆に 笑われちゃうでしょ!


自分の仕事の手が空いたからって 他の人を脅して 私の当直日程を調整しないで!!
「理事に言われたら ヒョンチョルさんだって 嫌と言えないでしょ!」
「そりゃ・・嫌なんて無粋は 言わないだろう? 僕たちは まだ甘い新婚なんだし。」
「ドンヒョクssi!」


ぷううっ・・と膨れたソ支配人が ドンヒョクに向かって 仁王立ちする。
妻の剣幕に しかたなしの夫は そろりと機嫌を取り始める。

「ジニョン・・・? 怒った?」
「支配人としての 私の立場も 少しは考えてください!」
「O.K. “今度から”気をつけるよ。 今日はいいだろう? もう 代わってもらったし。」
「もぉ・・。」


美味しい蟹料理なんだよ。 君 好きだろう蟹?

恥ずかしそうにそっぽをむいて ジニョンが 半分怒りながら歩く。
肩の右から左から 愛しい人を覗きこみながら ハンターが妻を追うようにして歩く。

やがて 後から羽交い絞め。
きょろりと周囲を見回したハンターは テラスからこちらを見つめる会長に気がついた。
おやこれは・・と 軽く肩をすくめて見せた後で  
自分の身体の向こうに ジニョンを隠す。


「だめ・・誰か・・見るもの。」
「こんな茂みの奥なんて  “誰も 覗いていないよ。”」
「も・・ぉ・・。」

リー会長は 唖然と2人を 眺めている。
たそがれ時のバラのしげみで 恋人を捕らえた男は 
満足そうに腕の中へ顔を伏せて どうやらキスでもしているようだ。
やがて ドンヒョクの大きな背中の両脇から もじもじ白い手が這い出して そっと 背中を抱きしめた。



「なんと・・まあ。」

呆れ顔のコン・チャン・リーは 口をへの字にへしゃげると 足元の愛犬を見下ろす。

「おい。 お前の“ボス”は 野生の虎だと思っていたが
   ああしてみる限り ・・・どうやら ソ支配人の飼い猫のようだな。」


        *        *        *        * 


※このお話に出てくる犬は
     ◎My hotelier30 おいでテジュン
     ◎My hotelier54 テジュンが守る女  に出てきた「尻尾のあるテジュン:犬のテジュン」です。

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