ボニボニ

 

My hotelier 114. - 弟子 - 

 




ソウルホテルの 朝 早く。


施設内の舗道 には 生まれたての新緑が光る。
爽快な風が流れる中を かなりのスピードで 1人の男が走ってくる。
サングラス越しにもわかる 端整な顔だち。
ややうつむき 大きなストライドで 一目散に駆けてくる。

やがて前方に何かを見つけ ドンヒョクは 小さく眉をあげて立ち止まった。



美しい青年が バラの茂みに立っていた。
すらりとした長身。 うつむく頬が まだ若い。
トラディショナルなハンタージャケットを なんの無理もなく着こなす青年は
立ちすくむハンターに 黒目がちな瞳を向けた。 



「SPが腰を抜かすのではありませんか プリンス?  そこは 360度 周囲から 丸見えだ。」

呆れたようにドンヒョクが 近づくと
プリンスは にこやかな笑顔を見せた。


「ここは ジニョンさんと口づけした思い出の場所です。 ああ 嬉しかったな・・。」
ドンヒョクの頬が ひくり と揺れる。
「なかなか 好戦的ですね。」
「ドンヒョクをからかうのが 面白い。」
「な・・。」

―テジュンといいプリンスといい どいつもこいつも。いい加減にジニョンを 諦めろ!


お呼びいただけば お屋敷までお伺いしましたのに。

「そうはいかない。ドンヒョクは 私の先生になるわけだからな 
 師に教えを乞うときには 弟子の方が訪なうのが 道理というものだ。」


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ソウルホテル 小会議室。



「それでは今日は 小競り合い ディ・トレードをお教えしましょう。
短期で利ざやを稼ぐ いささか投機的なトレードです。
プリンスのように資産のあるかたなら 中長期の運用主体でいいと思いますが。
「・・ドンヒョクの得意な “ゲーム”だな?」
「御意 というべきですか。」

さあ 場に入って。
1000買って 500売ってください。

「何で そんなことを?」
「株価を急騰させないためです。 ああ いい上がり方ですね。 じゃあ売って。」
「全部か?」
「ほら 場が慌ててきました。 まだ待って・・・今が底です。買えるだけ買って。」

刻々とインデックスが上がってくる。

「これならまだ行くな。 でも 半分売って 利食いしましょうか。」 
「シン・ドンヒョク。」
「はい。」
「面白いな。」

きらきらと光る 若者の瞳。 
市井の人のように 働く事も許されないプリンスは 今
自分の力で 収入を得る道を知って 頬を紅潮させていた。


―いい眼だな。

大家の若様なのだから 資産運用など 腕のいいマネージャーを雇えば事足りるだろうに。
この青年は 自分が知識に対して盲目であることを 良しとしない聡明さを持っている。

「今日はここで ゲームオーバーにしましょう。 ・・・売りぬけてください。」
「まだ どんどん上がっているぞ。」

「もう コーヒーが飲みたくなりました。」



コンコン・・・
礼儀正しい挨拶をして ヒョンチョルがコーヒーを運んできた。

「?・・ ソ・ジニョンは?」
「はぁ。 その・・ クレームのお客様がおられまして。」


なんだ。 せっかくソ・ジニョンに会うために ソウルホテルに来たのになあ。
不満顔のプリンスがぬけぬけと言い
ふん と鼻を鳴らして ハンターがわざと不機嫌を装った。

やっぱり お目当てはジニョンでしたか。
「“弟子が師を訪なうのは道理だ”と言ったのは どなたでしたか? プリンス。」
「ああ これはまずい。 ・・語るに落ちたな。」

くっ・・・・くくく。


まあいい。
ソウルホテルへ来ることは きっと この不自由な若君の 息抜きになるのだろう。
ことジニョンに関しては 狭量を自認するハンターも
プリンスには 何故か ガードが甘かった。

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「いったいこれはどういうことだ! 俺を 誰だと思っているんだ?!」

ソウルホテルのメインロビーで 若い男がわめいている。
「お客様・・。 他のお客様もおられますので・・。」
「それがどうした! 俺にこんな無礼をはたらいて ただですむと思うなよ!」

く・・と ジニョンが唇を噛む。


一銭の持ち合わせもなく 派手な女達を引き連れて豪勢に宿泊した客。
カードも何も 持たない若者は しかし 名だたる名家の子息だった。

「不愉快だ! 俺は もう帰る!」
「申しわけございません。お客様!  お手数ですが・・
 ご精算をしていただくまでは お帰りいただくわけにはまいりません。」 

だから こんな無礼なホテルには 金など払うもんか!!


男の怒声が ホールを揺らし ジニョンは思わず 眼をつぶる。
不安げに寄ってきたスタッフに 総支配人を・・と 小さく声をかけた時
ロビーに 朗々とした声が 響いた。


「チェ・チュンヒャン! 何をしている!」
「!!」

ロビー中の視線が 声の主へ向かう。
シン・ドンヒョクを後に すらりと立った青年は 
その場にいる誰もが 見覚えのある 貴人だった。

「ひ・・・若・・・。」
「チュンヒャン 許さんぞ!」
「いえ・・・あの・・これは。」
「心しろ! お前の前にいる女性 ・・・ソ支配人は 私の想い人だ!」
「!!」
「見苦しい! もう下がれ!! チェ叔父には 私から きっと咎めておこう!」


切なげな顔で プリンスは ジニョンに歩み寄る。

「ソ・ジニョン。 すまなかった。 あいつは 叔父の次男なんだ。」
彼の支払いは 私が代わりに済ませよう。
「どうか ・・・許してくれないか?」
「プリンス・・。」


さらさらと プリンスがチェックアウトシートにサインをする。
「ソ・ジニョン?」
「はい。」
「可笑しかろう? 私は 自分で支払いをするのは これが初めてだ。」
「まぁ。」



毎度ありがとうございます。 またのご利用を 心よりお待ち申し上げます。

にこやかな笑顔を 深々と伏せて ソ支配人がお辞儀をする。
その美しい礼を 惚れ惚れと見たプリンスが 子どもの様な笑顔を見せた。

「ソ・ジニョン?」
「はい。」
「うちの侍従長は とんだタヌキだな。」
「は・・・?」

会計をする者は こんなに美しいあなたのお辞儀が 見られるのだ。
「なのに あの爺いときたら それを私に教えなかった。」
「じ・・爺・・。」


「シン・ドンヒョク。」
「はい。」
私は これからもっと 自分で 何でもしてやろう。
伝統が なんだ。 しきたりがなんだ。
人としてのあるべき姿を 見失わない限り そんなものはクソくらえだ。

せいせいと 胸のすくような明朗さで
プリンスは ロビーを歩み出る。
その後姿を 見送りながら ドンヒョクはやれやれ と肩をすくめた。

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サファイア・ハウスの 25時。

眠ろうと画策するジニョンの背中を ハンターが 甘く攻めている。


「“私の想い人” は ないんじゃないか?  僕の妻だぞ 君は・・・。」
「んもぅ・・。 それを 私に言わないでよ。」

そんなこと言うなら あなたが助けてくれたら良かったでしょ?
「・・・僕が助けても 良かった?」
「・・・・。」

ドンヒョクssiが あの場に入ってきたら。
訴訟? 裁判? それとも・・流血沙汰。
「・・・・。」
やっぱり プリンスが止めてくれて助かったわ。


「ドンヒョクssi?」
「うん。」
「プリンスが何を言っても 私の想い人は“あなた”でしょ?」
「・・・“あなた”?」
「うふん。」
「そうだね。」


だ・か・ら。 この話はこれくらいにして もう寝ましょ。
だめだよ。  この話はこれくらいにして 愛し合おう。


どたばた じたばた。
薄手のブランケットが 2人の動きにふわふわ 踊る。
「もおぅ・・。 明日 ・・・早いのにぃ・・。」
「だか・・ら 少し・・・だけで・・いいと・・言っているだろう。」


結局 やっぱり今夜も ハンターの勝ちで もつれる影はやがて重なり
ふわふわ浮いた ブランケットが ため息のように2人の上に落ちた。

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「こ・・この 爺に黙って が、外出されるなどと! 若!」


筋張った首を 怒りに染めて 侍従長がプリンスを 叱る。
ちょこちょこついてまわる 侍従長を尻目に
プリンスは 師匠を真似て 陽気にジンのグラスを干した。

「爺・・・。 私は これからも 行くぞ。」
「何と・・申されました?」

ソウルホテルだ。


あそこには 私の求めるものが2つある。
虎の英知を持つ男と 天使の笑みを持つ女。
「止めても無駄だ。 ソウルホテルを 今後 私の立ち寄り所にしておけ。」

断固として固い 若君の決心に 侍従長が青ざめる。



「ねえ ジニョン。 ・・もう寝た?」
「寝た。」
「冷淡な妻だな。 ・・・起きているだろう? 」
「んもぅ。」


プリンスの決意など 露知らず  
満足そうなシン・ドンヒョクは
愛しいジニョンの首筋を  うっとりと 頬で 撫でていた。


             *         *         *         *

※初めて読まれる方へ

  このお話は
      ◎ My hotelier33 ― ジニョンの輿入れ ―
      ◎ My hotelier34 ― プリンス ―
      ◎ My hotelier92 ― ドンヒョクの招待 ―   に出てくる 「世が世なら王様」というお家の若君です。

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