ボニボニ

 

My hotelier 115. - オーバーブッキング - 

 




「今夜も僕が また 振られるということは ・・・ないだろうね?」

「もぉ・・ ドンヒョクssi。」



サファイアハウスの 早朝。
ランニングを終えたハンターと 夜勤を追えたソ支配人が
門の前で 夕方の予定を合わせている。


「大丈夫! 私は もう夜勤明けだもの。 何があっても 午後には退社出来るわ。」
「そうお願いしたいものだね。」

My hotelier。 言いたくはないけれど 僕の時給は 君の数十倍なんだぜ。
君に合わせて 仕事の都合をつける身にも なって欲しいな。


「ドンヒョクssi・・。」
「ごめん。 たちの悪い冗談だ。聞き逃してくれ。」
・・・あなた。 それ 全然冗談に聞こえないわ。


怒らないで。 愛しているよ。
これ位言わないと 僕は いつも「お客様」の後まわしになる。
「だって・・。」
「“だって”はなし だ。 OK? ソ・ジニョン。」
「わかりました。 今日は 絶対時間通り! 愛しているわ。」


そして そんな日に限って ・・・逃れようのないトラブルが やってきた。

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午後1時。 社長室の電話が鳴る。

「ハン・テジュンです。 ああ 先輩 ご無沙汰しています ・・・・え?」



市内大手のホテルで起きた “オーバーブッキング”。

キャンセルを見込んで いささか多めに予約を取ることは 
客室稼働率を競うホテルにとって 常識 と言えることだった。
そして運悪く すべての予約が キャンセルされなかった時・・・
ホテルは オーバーブッキング。  室数以上の客を抱え込む。

「ハン・テジュン! 頼む。 うちの団体客を 引き受けてくれないか?!」

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ジニョンは 上機嫌で更衣室にいた。


この頃 トラブル続きで ドンヒョクssiの機嫌を損ねてばかりだったもの。
「今夜は 美味しいイタリアンでも食べようっと。」

ドンヒョクssiったら ワインを飲むと危ないの。
この前も 食後にはカルバドスよりジニョンがいいな ・・なんて。


“ジジッ・・!  支配人以上のスタッフは 至急 社長室にお集まりください!”

「え・・・?」

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社長室には 各部の支配人が居並び 何が起きたかと身構えていた。

パン!

手にしたファイルを デスクに打って ハン・テジュンが口を開く。
「パレスホテルで 今夜 80名のオーバーブッキングだ。」

「!」「!」
「!」「!」「!」

「いいか 受け入れるぞ。 何人収容可能か 各部15分以内に返事をしてくれ!」

厨房が、 ハウスキーピングが、 料飲部が、
思わず ごくり・・と 喉を鳴らす。
「・・・・出来れば うちで  全員受け入れてやりたいんだ。」



ざわ・・・。

社長室の 空気が揺れる。

突然の 80名の宿泊増は  ホテルにとって 無謀な負荷以外の何者でもない。
仕入れ 人員配備 各種サプライ用品・・。
総て 宿泊予定をにらんで ホテルは計画を組んでいる。

それでもオーバーブッキングは どこのホテルでも起こりうる“災害”で
この場面に火の粉をかぶろうとする ホテリアーは
相手にとっては 間違いなく 救いの神に違いなかった。

「いいか! ホテルマンシップにかけて 君たちの最大限で 返答をしてください。」


「・・・・・。」
うつむいて 唇を噛んでいた料理長が まっすぐ眼をあげる。
「・・・・厨房は80名を 受け入れましょう。」


「!」「!!」「!」

しぃん・・ と 場が 静まった。

オーバーブッキングの受け入れに対して 材料面で最も融通のつかない厨房が
真っ先に 80名を受け入れた。
「・・“あの” パレスホテルでしょう?」 
「総料理長・・・。」


10年前。

コンピューター化が いい加減に定着していた時期に起きた 最悪のオーバーブッキング。
時の パレスホテルの総支配人が 
まさに“身を挺して” ブッキングで溢れた客を 引き受けてくれた。

「パレスホテルには ・・・引くわけにいかない 恩義がある。」
総料理長の 糸の様な眼が ゆっくり周囲を見回す。

「ソ支配人・・。」
「はい。」
「どうだ?」
「・・・・。」

躊躇より先に 唇が 答えていた。

「大丈夫です。 手分けして当れば できない数字ではありません。」 

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ソウルホテル  午後5時。


ロビーには 急遽宿泊先を変えられた パレスホテルの客が溢れている。
「ねえ? ここ 垢すりエステはあるの?」
「私は 高層階には泊まらんぞ! それで予約をしたのだからな!」
「あの~ここ カラオケ出来ますぅ・・・?」

退勤のスタッフも当直スタッフも 総出で チェックインをさばいてゆく。

ベル・パースンが駆け回り フロントは まるで戦場だった。


「いらっしゃいませ。ソウルホテルにようこそ! こちらでチェック・インを承ります。」 
「支配人・・・。 あの。」
「後にして! いらっしゃいませ  ソウルホテルにようこそ!」
「ソ支配人・・・理事が・・。」


え・・?

はっと ジニョンが 我に返る。
フロント前の ロビーの椅子に シン・ドンヒョクが座っていた。
“オモ・・”

静まりかえった 表情。 
長い脚を高く組んで ゆったりと ソファに座る。
片手に顎を乗せて 肘掛に頬杖をつく様は 不自然な程に 落ち着いている。
「ド・・ドンヒョク・・・ssi・・。」

ああ 最低。


一瞬 ジニョンは眼をつぶる。
当分ドンヒョクssiの機嫌は直らないわね。 でも・・・
「いらっしゃいませ。ソウルホテルにようこそ! こちらでチェック・インを承ります。」 



「・・・・申しわけありません。理事。」
「・・・。」

ソファに座るドンヒョクの前に ハン・テジュンが立つ。
―すまない。 これは ホテリアーとしての 信義の問題なんだ。
シン・ドンヒョクは ゆっくりと顔を上げて 眼鏡の底を光らせた。  

「この騒ぎは ・・・オーバーブッキング?」
「よくお解かりですね。 パレスホテルの客の 引き受けです。」
「原因は?」
「え?」

オーバーブッキングは どこのホテルにも起こりうる営業事故だ。
「原因を究明して ソウルホテルで同様の事故を起こさないよう 
 チェック体制を作ることが重要ですね。」
「はい・・・。」



“あのぉ すみません・・。コンシェルジェのデスクは?”

ネームプレートを付けたテジュンを認めて 団体客の一人が近づいてくる。
「はいお客様。こちらへ・・。 どういったご要望でしょうか?」
案内したデスクでは 当直のコンシェルジェが 
5~6人のグループを前に 慌ただしく応対していた。


「この 自然食レストランへ行きたいんですけど。」
「申しわけありません。 ただいま担当がご案内いたしますので 少々お待ちくだ・・。」

すっと  ドンヒョクの腕が伸び デスクサイドからファイルを抜き取る。
「?!」
「こちらが 周辺の案内図です。当ホテルを経由するバスルートもありますが 
 初めて行かれるのでしたら タクシーをご利用の方が 間違いがありません。」
「まあ・・どうもありがとう。」

玄関から出て 左に タクシーの待合所があります。
「この地図を見せて ドアパースンにお声かけ下されば 
 タクシーの運転手に 的確な指示を申し付けますので どうぞご利用ください。」
「あら・・まあ。 本当にご親切に。」

どうぞ よいお食事を。
コピーを手渡しながら シン・ドンヒョクが にこやかに笑う。
その微笑に頬を染めて 客は どきまぎと礼を述べた。


「は・・・・。 理事が 接客をなさるとは 思いませんでした。」
―お前は 誰を相手にしても 傲慢な奴なんだと 思っていたぜ。

「ふん。 “愛しい妻”が 接客業でね。」
―さっさと客をさばいて 僕のジニョンを 退勤させたいんだ。


ソウルホテルの フロントロビー。
2人の男が並び立って にこやかに前を向きながら 憎まれ口を叩きあっている。
押し寄せる 客の波を受け止めながら 
ソ支配人は 引きつった笑顔で 2人の男を盗み見ていた。

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「ドンヒョクssi・・・?」

「うん。」


サファイアハウスの 24時。
夫の顔色をうかがいながら ジニョンは そっと毛布へもぐる。

「今日は・・・あの ごめんなさいね。」
「・・・・。」
「約束したのに 遅刻しちゃって・・。 レストランもキャンセルで・・・。」

もじもじと 申し訳なさそうな 上目使い。
夫の腕に つかまって ジニョンはご機嫌を取っている。


眼を伏せたままのドンヒョクは 妻を見ないで 顔をそむける。
口元に浮かぶ 薄い笑いを 決して見られないように。


怒ってなど いるわけがないさ My hotelier。

オーバーブッキングは対岸の火事と 高見の見物だって出来るんだ。
それなのに 一歩も引かずに引き受けた
ソウルホテルの ホテルマンシップを 僕は・・

「・・・誇らしく思っているさ。」
「え? なあに? 怒って・・いるの?」
「何でもない。」
「・・・んもぅ。」

それは それ。
せっかくジニョンが僕のために ご機嫌取りをしてくれる。
こんなチャンスはないからな。 シン・ドンヒョクは 不機嫌を装う。

「ねえぇ・・ ドンヒョクssi。 ・・・ごめんなさい!」
「・・・。」
ハンターの 腕の中へと無理やりに 身体を滑りこませて 
精一杯の猫なで声で 可愛い人が 甘えている。

「ねえ? 許してくれるでしょう? だって 仕方がなかったんだもの。」
「・・・。」
「ねえぇ。」
・・・限界だ。 このままでは 僕は 吹きだすな。


仕方がないから 折れたふり。

愛するジニョンの頬をつかんで 少し 邪険なキスをする。


“やった♪ ドンヒョクssi これで陥落ね。”
ほくほくと ソ支配人は自分の手腕に満足する。
「ソ・ジニョン・・・」
「あ! あ! ねえ ドンヒョクssi! 私 あの 肩が! この辺が・・痛いの。」
「・・ここ?」
「う・・ん・・。」

きれいなうなじを覗かせて 愛しいジニョンが 懸命の 誘惑をしている。
ふっ・・と 密かに 笑いをひとつ。
聞こえないように咳払いをして ハンターは恋人を抱きしめた。


「ねえ・・ もう怒っていない?」

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