ボニボニ

 

My hotelier 119. - ハンターの帰る場所③ 宣言 - 

 




「しかし、ひどいなこの会社。 めちゃくちゃに分社化しているから
 どこが親会社だか 解りゃしない・・。 株も あっちこっち持ち合いだし。」

「華僑資本になっていたからな。 奴ら 親戚が多いんだ。」


買収に成功した会社の企業情報を こまごま チェックしていた弁護士は
バサリ と書類を投げ出すと  眼鏡を取って眉根をつかんだ。


「これじゃ アメリカの税制規格に合わせるのが ひと仕事だな。」

「構わないだろう・・・? そのまま引き渡せばいい。」

向こうが優秀なCPAを使って財務整理をさせるさ。 そこまでは僕たちの仕事じゃない。
椅子に身を沈め ネクタイを解くドンヒョクは ごきげんそうに靴を投げる。
「さあて これで今回の仕事はゴールだ。 我々は さっさと契約を済ませて 帰ろう。」



“なぁ お前も 早くソウルに行きたいだろ?”

ヘッドロックをするように 片手でテディを抱えながら
どれどれと ハンターが書類を見入る。
「・・・・・・・・・。」

「ボス?」
突然  集中し始めたドンヒョクに レオが 怪訝な顔をした。

眼の底を光らせて顔を上げ 片手で顎をつかむ。 ドンヒョクの視線が宙に流れた。
やがて ゆっくり1つまばたいたハンターの眼に 好奇心が灯る。


「・・・・なあ。 モーガン&スタッドレーの依頼って 何だった?」

「ああ? 前に断わったやつか? パームスプリングスのホテル&リゾートだよ。
 チェンバース・グループの開発物件だった。 ・・・あれは 難しいぜ。」
「そうだよな。 チェンバースだ。」



「・・・レオ? モーガン&スタッドレーに 連絡を取れるか?」

「仕事するのか? やったら半年は アメリカ暮らしになっちまうぞ。」
「予定通りに帰るよ。 『ジョーカー』があるから 切って行こうと思ってさ。」
「『ジョーカー』・・・?」

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「君は たかがレイダースに 振り回されているそうじゃないか。」

「・・・・。」


少々 荷が重かったのか?
眼を伏せたまま にこやかに 組んだ手を見ているモーガン・スタッドレー4世の前に
おどおどと直立するプレジデントは 滝の汗を 流している。


RRRRR・・・

最高顧問の 卓上電話が鳴る。 飛びつくように受話器を取るプレジデントに
秘書が 弁護士レオナルド・パクからの電話を告げた。
「・・・レオナルド・パク? つなげ!」

どさり。 
重厚な革張りのチェアに背を埋めて 最高顧問が 退屈そうな声を出した。

「私が出よう。フランクに代わるように 言いなさい。」
「顧問!!。」



グラス・シーリングの上に住む貴族の声を 眉1つ動かさず ドンヒョクは 聞いた。

「フランク・・。 君は確か いいヨットを持っていたっけな?」
「過去のことです。 もう 売却しました。」
「NYYC(ニューヨーク・ヨットクラブ)のクラブハウスにご招待するよ。 一緒に飯でも喰おう。」

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マンハッタン N.Y.44thストリートにあるNYYCのクラブハウスは 石造りの古めかしい建物で 
誇らしげに翻る ブルーにレッドクロスのクラブ・フラッグに眼を留めなければ
この建物に アメリカの栄光の歴史が眠っているとは 行き交う人も気づかない。


ドンヒョクとレオが案内を乞うた時 守衛には きちんと連絡が届いていた。

見事な彫刻の 重い木扉の向こう。 吹きぬけたエントランスホールの真正面に
レッドカーペットを敷きつめた 豪奢な階段が立ち上がる。
すげえ威厳だな。 レオが ゴクリ・・と喉をならした。


靴の沈む絨毯を踏みしめて 2階へあがる。 

踊り場に立って左を見ると 空っぽのガラスケースが ひときわ目立つ位置にあった。
「レオ、見ろよ。 ・・これがアメリカズ・カップの 抜け殻だ。」


世界最古の銀杯。
1851年 英国万国博覧会を記念して開かれたヨットレースで
ヨーロッパ中の艇を押さえて 新参者の艇『アメリカ号』が 優勝杯を勝ち取った。


「やあ フランク! よく来たな。  君をここへ 迎えることができて嬉しいよ。」

それは いかにもこの国の貴族らしい。 口あたりの良い 社交辞令。
口の端だけで薄く笑うと ハンターは 礼儀正しく挨拶をした。



「その時 偉大なるビクトリア女王は 聞いたんだ。」

“一番になったのは どこの艇か?”
“『アメリカ』・・・でございます。”
“なんと! それでは2番目は?!”
“女王陛下・・ このレースに2番はございません。”

「そして銀杯は 大西洋を渡った。 世界の覇権と共に・・な。」

ヨーロッパ中の大富豪が全財産を傾けて アメリカズ・カップを奪還に来たが
それから 132年間の永きにわたって
アメリカの栄光は この マンハッタン44thストリートを動かなかったんだ。


モンラッシェを アペタイザーのように飲みながら モーガン・スタッドレー4世は語る。
行儀よく 貴族の昔話を聞きながら ドンヒョクも ワイングラスを覗きこむ。

―あなたの好きな「アメリカの栄光」も 今は もぬけの殻なのにな。※



「・・君は 今回の仕事を断っているそうじゃないか? 一体 どうしたんだ?」

「申し訳ありません。どうしてもスケジュールの 都合がつきません。」
「君にとって 私の依頼のプライオリティは ・・・・そんなに 低かったかな?」
ゆったりと にこやかに 毒を孕んだ問いかけ。
この国の権力を握る男の優雅な恫喝に カラードのレイダースは 薄く 微笑んだ。


「この会社を お買いになりませんか?」
別件で買収した企業グループの中の1社です。この会社をお売りしても良いですよ。
「?」

ぱらぱらと モーガン・スタッドレー4世は資料を見る。
古臭い 取り立てて見るところもない 不動産会社。
けげんな顔でファイルをめくる手が 所有株式の欄でぴたりと止まった。
「・・・・。」

―美味いパテだな。 
シン・ドンヒョクは のんびりと野菜のパテを口に運ぶ。
そろそろ ノ料理長の 魚料理が恋しくなった。


「・・・・これは 本当か?」

「ご覧の通りです。その古ぼけた会社は 事実上 チェンバーグループの筆頭株主だ。」
株の面白いところですね。 時々 こういう事が起こる。 
それがあれば M&Aの交渉など 赤子の手をひねるようなものでしょう。

「売却価格は 株式評価額の100倍でいかがです? それでも 元が取れる。」
僕が実際に買収に動いたら そんな額では収まりませんよ。
「これは クリアランス・バーゲンです。」

重厚で華麗で上品な NYYCのレストラン。 ・・ここの写真を撮ったら ジニョンが喜ぶな。
「い・・今すぐ決済する。 書類は あるのか?」
「レオ。」

写真を撮らせてくれとは ・・・このシチュエーションでは 言えないだろうな。
いそいそ 書類を取り出すレオを横目に 
ドンヒョクは 妻の機嫌を取り損ねたことを 内心 かなり残念がっていた。

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「ご馳走様でした。 素晴らしいランチでした。」


膝のクロスを 優雅な仕草でテーブルに置き レイダースが暇乞いをする。
―これで お役御免だろう? 

「・・・・フランク。」
「はい。」
うちに来ないか? M&A事業部。 プレジデントの座を用意しよう。


「!」
隣で レオが息を飲む。
WASPにしかその扉を開けないと言われてきた 強固なガラスの天井が
今 レイダースに向かって 開いていた。

「フランク・・・。 アジアが どれほどの急成長をしようが 
 世界の金融を支配するのは このアメリカ合衆国なんだ。 わかるな?」
カラードではあるが お前なら 我々の一員として 迎えてやってもいい。
これからは 対アジア戦略も 必要となってくるからな。


カタン・・・

すらりと立った ドンヒョクが 窓辺に向かう。
N.Y.アール・ヌーボーの華麗な窓から じっとストリートを見つめている。
「報酬なら充分考えよう。」
「僕は・・・。」

「ソウルホテルの ストックホルダー(株主)です。」
「知ってるとも。600室程度のホテルだな。 何にしても 大したものじゃない。」
お前が 扱うような物件じゃない。 もっと大きな仕事が お前には似合うだろう。


“大したものじゃない。”
シン・ドンヒョクが うつむいて笑う。 僕も 最初はそう思いました。
「今 僕にとって あそこ以上に価値のあるホテルは 存在しません。」


モーガン・スタッドレー4世の眠たげな眼が 信じられないように見開いて 
まじまじと 眼前で 今 背中を向ける男を見つめた。
「・・・断ると言うのか? アメリカのセレブリティに入れるチャンスだぞ。」

パワーと財力が 約束される世界だ。  
「気でも違ったか? フランク。」


こんな言葉を・・・。  

僕が 言える日が来るなんて 数年前には思いもしなかった。
眼を閉じて きれいな顎をすんなり上げて レイダースが柔らかく笑う。
聞こえるかい? 愛しいジニョン。

そして シン・ドンヒョクは振り返り きらめくような笑顔で宣言した。


「Mr.モーガン? あなたにどれほどお金があっても それで  “私の幸福は 買えません。”」

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だから 悪かったよ。 

「君がスンジョンさんの前で あのメールを開くとは思わなかったんだ。」

「あれは 職場のアドレスよ!!」
「だって君 “資料”は 職場へ送ってくれって 言っていただろう?」
「あれが 資料?!」
「違いましたか。 ・・・・じゃあ 嗜好品?」

ガチャン!

やれやれ ちょっと遊びすぎた。 帰ったら まずはジニョンのご機嫌伺いだな。
でも大丈夫。 こっちには プレミアム・テディという切り札がある。

RRRRRRRRR・・・・

「Hello?」
「・・・・・・・・・誰が撮ったの? あの写真・・。」
「セルフタイマー。」

ガチャン!!


「くっ・・くっくっく。」
可愛いすぎるな 僕のジニョン。 少しは 心配してくれたわけだ。
この分なら 仲直りまで 短いゲームになりそうだ。


ああ これでやっと 君へ 帰れる。

ベッドふさぎなテディを投げて ハンターは 一人で微笑んでいた。


         *          *           *          *

いつか ドンヒョクに 
この言葉を 言わせたかったのです。
お金で 私の幸福は 買えません。
ぼにぼに


※アメリカズ・カップは1983年、オーストラリアに奪われました。
その後、ニュージーランド、スイスと勝者が代わり、
これを書いてから5年後 2010年現在ではアメリカが再奪還しています。

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