ボニボニ

 

My hotelier 124. - 仰げば尊し - 

 




・・ン、  ・・・ジニョン、

「・・・ん・・・。」


・・ニョン? ・・・う・・きないと・・・・・だよ・・。

「・・ド・・・ヒョクssi・・?」



仕方のない奥さんだな。 笑いを含んだ 低い声。 
 
シン・ドンヒョクの大きな手が伸びて うつぶせに寝た 華奢な身体を抱き起こす。
ぷるんとこぼれた白い乳房に ふっ と笑った唇が寄る。
ドンヒョクは まだ眠っているふくらみの先を  あむ・・と柔く噛んでみた。

「ひっ!!」


ふふん・・  まったく 夫という立場も楽じゃないな。
こんなに寝起きの悪い奥さんを 心地よく 目覚させてやらねばならない。

「ド・・ドンヒョクssi !! ・・・な・・何・・?」
涼しい顔のハンターは 愛しい胸へキスをしてから 名残惜しげにベッドを出る。
「やっと起きたか。 僕は 走りに行くけど?」

走りに? ・・それならまだ早いじゃない。 私 もう少し 寝ていたかったのに。
ウェアに着替えてタオルをつかむ夫は  妻の不平に 眉を上げた。
「君が寝ていても “僕は” 一向に構わないよ。」
「・・・?  ・・あっ!!」

そうよ! パパがいるんだった! 
婿殿は朝から鍛錬しとるのに お前はダラダラ朝寝して・・と また煩いのよ!

弾かれたように起きたジニョンに ランナーが ひゅうと口笛を吹く。
「誘ってる?  できれば僕はもう 走りに行きたいんだけど。」
「な・・・!!」

慌ててシーツで胸を隠すと ジニョンは 遠いガウンへ手を伸ばす。
紳士らしく ガウンを妻にかけてやり お礼のキスをせしめたドンヒョクは
上機嫌で 家を走り出た。

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シーゲート・テクノロジー社の副社長は 打ち合わせに現れた男たちを見て 
もう少しで 椅子から転げ落ちる所だった。

「フ・・フランク・・・・シン?」


ホテルが専門のトップレイダースが どうしてこんなちっぽけな町工場の代理人なんだ?
アメリカンクラブのパーティで遠くから仰ぎ見ただけの 伝説のハンターが
目の前で優雅に書類を取り出すのを 副社長は 呆然と眺めていた。



「それでは 御社とのアライアンスに関する話し合いを 始めさせてもらいましょう。」

「ちょ・・ちょっと待て! アライアンス(事業提携)だと・・?」
これは 我が社の「吸収合併」だ。 何を 寝ぼけたことを言っている。

小首を傾げたドンヒョクは シルバーフレームを光らせて 副社長を射すくめる。
「どうやら 状況把握が遅いようですね。 本社に問い合わせた方がいい。
 御社の株は 『某韓国系資本』によって 8%まで 買われています。」
「な・・・。」
「金額では すでに当方の出資の方が 多いですね。」

御社の株を放出してもいいという相手への ネゴシエーションも済んでいる。
話し合い如何では スクランブルレベルまで 御社の株を買い占めます。
「な・・んだ・・・と?」
「しかし、目的は『敵対』ではありません。アライアンスにより双方のビジネスパワーを
 強固にする 『友好的提携』が希望です。 ・・・レオ?」

レオナルド・パク弁護士はうなずいて 軽快にリモコンを操作する。
各自の卓上に内臓されたモニターがスリープから目覚め スライドショーが準備された。
「今後のビジネスモデルプランと 事業収支計画を 私から説明させていただきます。」



小一時間で話は片付き シン・ドンヒョクは すらりと席を立った。
「当方でM&Aマネージャーを用意しました。 後は そちらと細かい事を進めて下さい。」
隙ひとつない身のこなし。 カチリと アタッシュケースをロックして
レイダースは 早くもドアへと歩き出す。
キツネにつままれた顔のまま 副社長は 立ち上がった。


「ミスター・・・シン?  あの 1つ お伺いしたいことがあるのだが。」

どうして 貴方が こんな 小さな基盤工場の代理人など?
背中を見せて立つハンターが ゆっくりと振りかえる。 その口の端がわずかに上がった。


「この仕事をやらないと 腕立て伏せを・・・させられるんだ。」 

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おかしいぞ。 確かに 机の上に女神像が あったはずなのだが?

ドンヒョクの奴 模様替えしてしまったのだろうか。



シン・ドンヒョクのオフィスで ソ・ジョンミンは キョロキョロと周囲を見回していた。

先日来た時には  デスクのあたりに ジニョンによく似た女神像があった。
あいつの帰社を待つ間に もう一度 よく見せてもらおうと 思っていたのに・・。
ジョンミンは いささかの落胆とともに コーヒーをすする。


やがて オフィスの空気が動いた。 スタッフ達は 緊張に背筋を伸ばして
弁護士を従えて戻ってきた 長身の男を出迎える。
「申し訳ありません お義父さん。 ・・・お待たせしましたか?」



的確な短い言葉で レイダースは 交渉の経緯を報告した。

ひた と息子を見つめて 話を聞いていた義父は  最後にぽつりとつぶやいた。
「迷惑をかけたな ドンヒョク。 ・・本当にありがとう。」


ためらいもなく すっと立ち上がったジョンミンは 息子へ 深々と頭を下げる。
「お義父さん。」
「本当に 助かった。 どれ程の犠牲を 払わせたのか知らないが  申し訳なかった。
 お前という 頼れる息子を持てた事に 心から感謝します。  どうも ありがとう。」

ぴしりと通った背筋を 礼儀正しく折り曲げて ソ・ジョンミンは頭を下げる。
何一つ 自分の為でなく ただ 昔の教え子たちのために。

は・・・。


―まいった な。

うつむいてしまったドンヒョクは 何とか努力して 冷静な表情を保つ。

“お前という 頼れる息子を持てた事に 心から感謝します。”
ソ・ジョンミン。 まったく貴方と言う人は ・・そんな 言い方はないだろう?


 
工場の社長。 お義父さんに 会いたいと言っていましたよ。
「礼を言いたいのに 電話も受けないそうじゃありませんか? 
 ・・・会ってやればいいのに。」
「ふん! 中年男や不良上がりの工員と会う程 私は 暇ではない。」

あいつらは今回 他人様から有難いご助力を頂いたんだ。 
「昔の担任と遊んでいる暇があったら 身を粉にして働けと言ってくれ。」
「・・・。」


「・・・それはそうと なあ ドンヒョク。」
デスクにあった女神像 どこへやったんだ? 見当たらないようだが。
「!!」

「片付けたのか?」
不思議そうな義父の言葉に 忙しそうにファイルを眺めて 婿殿はうわべを取り繕う。
「・・・・・いや。 そういえばありませんね? どうしたのだろう。
 スタッフが 模様替えでもした・・の・・・かもしれません。」


「良い作品だったよな。 なあ あれ 私にくれないか?」
「だめです。」
即座に答えるドンヒョクに 義父は一瞬固まって  やがて ぎりりと目玉を剥いた。
「・・・お前には ジニョンをやったじゃないか。」
「だめです。」

つんと横を向いたまま  シン・ドンヒョクは 言い放つ。
ジニョンも ジニョンに似た女神像も 僕のものです。

「それは強欲だぞ ドンヒョク。」
「ジニョンに関する限り 何と言われようと結構です。」
「私の娘だぞ!」
「僕の妻です。」


は・・。
いきなり強情極まりない 義理の息子に ソ・ジョンミンは呆れかえる。
僕の妻です。  自分の放った言葉の甘美な響きに  ハンターは うっとりと微笑んでいる。

「言ったでしょう? 永遠に奪ってゆくと。」
「・・・。」
「ジ・ニョ・ン・は 僕の妻です。」
「・・・・。」

ギリリと締め上げた 長い沈黙。 先生の鼻が 膨らんでいる。
こらえきれないドンヒョクが 思わず くっと吹き出して ソ・ジョンミンが大笑した。


あははは・・

ボスのオフィスから聞こえる 突然の笑い声に スタッフが ぎょっと顔を上げる。
ガラス・ウォールの向こうでは 義理の父子が 愉快そうに身体を揺らしていた。


「えらいざまだな ドンヒョクは。」
しかし そんなにベタ惚れでは カミさんに舐められるぞ。
ジニョンは あの通りのじゃじゃ馬だから 気をつけないと お前は尻の下だ。

「そうですね。 どうしたら 夫の威厳を保てるでしょう。」
なあにジニョンが生意気を言うようなら 横抱きにして ケツを叩きゃいい。
「あいつが小さい頃は いつもそうしていたからな。」

それはいいな。 「良いと言うまで腕を上げておけ」より そっちがずっと楽しそうだ。 
ジニョンのお尻か 可愛いだろうな。
義父から仕入れた情報を ハンターは しっかり頭に書き留めた。

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ソウルホテルの 朝早く シン・ドンヒョクが走ってくる。

いつも通りのルートを ランナーは かなりのスピードで駆けてゆく。
きれいに伸びるストライドが   突然 何かを見つけて 失速した。
「ソ・ジョンミン・・。」


ヒュッ ヒュッ ヒュッツ!

舞うように身体の向きを変えつつ 見事な 剣さばきで空を切る。
ソ・ジョンミンの素振りには 鬼気迫るほどの 集中があった。

ヒュッツ!!

袈裟懸けに切り下ろす 木刀の先に 息子の姿を見つけたのだろう。
義父は 身にまとった剣士の殺気を ふっと脱いで まぶしげに笑った。

「・・・ドンヒョク。 走ってきたのか?」


「おはようございます。 木刀なんて どこで買って来たんですか?」
「買わんよ。 作ってもらったんだ。」
「?」
「庭師の老人に 枝をもらってな。  素振りをしていたら 手先の器用なコックが
 使いにくかろうと 作ってくれた。 皆親切だな。」
「!」

ガテマンジャー?!

ジニョンの女神像を作らせた 彫刻の天才だ。
うしろ暗い気分のドンヒョクは 心の中で 肩をすくめる。  それにしても・・ 
ガーデナーに 枝をもらった?  僅か数日で ずいぶん親しくなるもんだな。



「あっこらっ! アン・ミヒ!」

突然“先生”の叱咤が飛ぶ。 アン・ミヒが 見つかったと言う顔で 舌を出す。


「また君は! 今日は早出だろう? もっと早く来なさい。」
「すみませ~ん・・。」
「ヨンジェ! 制服のシャツはズボンの中だ!」
「げ・・・ ジニョン親父・・。 はぁい はい。」
「返事は1回だ!」


ホテルは 早番の出勤時間。 
ホテリアー達は 三々五々に 従業員通用口を目指して行く。
ソ・ジョンミンはその人波を 岸辺に立つ人の様に眺めては  時折 声をかけてゆく。


は・・・
今度こそ。 ドンヒョクは 呆れかえって義父を見る。

―熱血先生。 いったい何人の 顔と名前を 記憶したんだ? 
 アン・ミヒが今日早番だと そんな事を ・・・いつ憶えた。

「ジェヨン! バイクはそこじゃないだろう! ちゃんと従業員指定の・・・・」



いきなり 口うるさい生活指導の言葉が 途切れる。
「?」
ドンヒョクは 怪訝そうに 仁王立ちするソ・ジョンミンを振りかえる。



「・・・・・・。」
「・・・・・・。」


ソウルホテルの 朝早く  まだ 洗い立ての空気の中で
7.8人の男たちは 横一列に並んでいた。

「先生・・・。」

先生! 先生! 先生! 先生!
朝の爽やかさに不似合いな デコボコしている男たちは 
今にも駆け出しそうな姿勢で じっと 恩師の声を待っていた。


「・・・こ・・こんな所で さぼっているな! とっとと仕事場へ帰って 働け!」

真っ赤な顔のジョンミンは 男たちを一喝すると くるり と 踵を返す。
「行くぞ! ドンヒョク。 私も・・走る。」
「・・・まったく・・・。」


「やめんか! こら! ドンヒョク!」
フィットネスジムのベンチプレスで 僕は優に 貴方以上を持ち上げますよ。

暴れる義父を持ち上げて シン・ドンヒョクが男たちへ向かう。
男たちは もう駆け出して ドンヒョクが放り投げた身体を 宝のように受け取った。


照れ屋の 熱血・ジョンミン先生。  たまには 生徒の“お礼参り”も受けてやれ。

「生徒諸君 今日の我が家の朝食は 7時半なんだ。」
ジニョンが頑張って ベーコンを焼く。  ・・・それまでには 返してもらおう。
わあ・・と上がる かつての生徒たちの歓声。


感激屋の お義父さん。
朝食までに 泣きすぎて 脱水症状を起こすなよ。



「あんな男が ・・僕の父か・・。」

くるり と大きな背中を向けて 薄く笑ったハンターは 
愛しい妻が フライパンと格闘する我が家へと 軽い足取りで 走り出した。

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