ボニボニ

 

My hotelier 126. - ハンターの沈黙 - 

 




きょろ・・


ジニョンの目玉が 真横へ動き 
朝食のテーブルで むっつりと新聞を読む人を 探るように見る。




「・・・・・・・・・・・・。」

いったい全体 何だって言うの。 その “ものすごくウルサイ”沈黙は?
「・・・・・・・・・・・・。」
コホン。
「ドンヒョクssi?」


バサリと新聞を折りたたんで 静まり返ったハンターが 目を上げる。
「?」

「ええ・・と。 今日は あの 遅くなるかしら?」
「10時には帰宅する。  何か 用があるかな?」
「あ、 いいえ。」
「・・・・・・・・・・・・・。」 


シン・ドンヒョクと言う人間は 決して 口数の多いタイプではない。
ただ1人。  自分の半身である 妻ジニョンに対してだけは
すすんでコミュニケーションを取りたがり 愛情溢れる言葉をかける。

彼は どこまでも自分の想いを 言葉にして伝えようとする男だった。



その夫が ここ数日 不思議なほどの沈黙を続けていた。
話しかければ答えるものの それ以外は むっつりと押し黙る。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
だけど 口を閉ざした夫に 何か言いたい事があるということは 
彼の雄弁な沈黙がぐいぐいと ジニョンへプレッシャーをかけてくることで明らかだった。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


ドンヒョクの「・・・」が 100ポイント程の極太フォントで 宙に浮かんでいるので
ジニョンは だんだん息苦しくなってゆく。


― もうっ! ホントに何よ! 言いたい事があるなら言えばいいのに。


-----



「オモモモ。 そ・れ・は・危険! きっと 女がからむお話だわ。」


塗り塗り と 唇をルージュで塗り固めながら イ・スンジョンは 嬉しげに気色ばむ。
― ・・・あんたに言ったのが 間違いだったわ。
うんざりと 半眼でにらみつけて ソ支配人はコンパクトを閉じた。

「たぶん一夜のラブロマンス・・♪  アニョ 出会ってはいけない運命の女とのめぐり会い。 はぁん。」
「イ先輩。」
「ジニョンにどうやって言い出したものか。 そう 理事の心は今 千路に乱れているのよ。」


何かの時には あたくし 是非 相談に乗らせていただくわ。 
「気を 落とさないでね。」

すっかり人生相談室の回答者になり切ったイ・スンジョンは このうえなく優しい。
この女は 1回 漢江に沈めてやったほうがいいのかもしれない。
ジニョンは ぐったりとした疲れを感じた。



退勤前の更衣室で カラカラと高い音を響かせるうがいが 
次第次第に ゆっくりとなって ジニョンは ぼんやり鏡を見る。

―それにしても何かしら?ドンヒョクssiは 黙っているけれど 
 なんだか お気に召さない事があるみたいよね?



アメリカ育ちの彼は 納得行かないことや不満があると 対話で解決しようとする。

仕事を理由に 彼との約束を断る事が重なった時も
ブロンド2人と 屋台で飲みすぎて 遅くなった時も
後輩の夜勤を続けて替わって 数日 家で一緒に寝なかった時も

「ジニョン? ちょっと そこへ座って。」
そんな風に やんわりと でも 無敵のネゴシエーターになって迫ってくる。


その彼が 今回に限って沈黙する理由は 何かしら。
言い出せば ドンヒョクssiの方が分が悪くなること?
まさか イ・スンジョンの言うとおり 他に女性が出来たなどと

「そんなことは  ・・・・・ない・・わ・・・よね・・・?」




そして 疑問は ついに明かされる時が来る。

きっかけは レオの間違い電話。


「はい ソウルホテル。 当直支配人のソ・ジニョンです。」
「Ooooops! これは・・ ジニョンさん?」
「オモ? レオさん?」
「いやぁ! 失礼。 短縮番号をミスプッシュしたようです。 えーと、お元気ですか。」


こんな機会に ついでのようにご機嫌伺いなど いかにも間抜けですが。 アハハハ・・。
人のいいドンヒョクssiの片腕は そつなくジニョンに愛想を言う。
その陽気さに引かれたように ジニョンは 彼に聞いてみた。


「あの・・? レオさん。 
 ドンヒョクssi・・・。 この頃少し 変じゃありませんか?」

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ソウルホテルの 支配人オフィス。
皆が帰ってガランとした部屋の中で 宿直支配人がため息をついた。


“・・え? ジニョンさんもですか? いやもうボスの機嫌が悪くて こっちは仕事にならないくらいです。”
ジニョンは 自分のシステム手帳を取り出す。


“どうせジニョンさんの事だと・・おっと失礼! 思っていたのですが。心当たりがないんですか?”
ぱらぱらめくって見るのは 今月のスケジュールページ。

“21日に 何かありませんか? その日は「絶対予定を入れるな」って・・。”
手帳に書かれた21日。 そのメモを見たジニョンは 眼を見張った。


『シェラトン・ウォーカーヒルH 21:00  ハン・テジュン』


「・・・・・・・・・・・・・・。」
まったく!
ドンヒョクssi。 あなたの 沈黙の訳は これなのかしら?  これなら私。 
「たぶん 怒ってもいいわよね?」

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21日 夜8時半。


とある有名ホテルの前へ 目立たないように 車が停まる。
まるで 闇へと溶かすように 街灯を避けて止められたシルバーグレーの英国車。
とても静かにドアが開いて すらり と背の高い男が滑り出てきた。

周囲の視線を気にしながら 大股で歩くその男は
玄関先に掲示されたウェルカム・ボードを ゆっくりと読んでいく。

「・・・・・・。」

一寸の隙もなく着こなした 上質なスーツの腰ポケットへ ラフに挿した大きな手。
黙然と掲示の文字を追うメタルフレームが 何かを見つけて ぴたりと止まった。
『於:レセプションルーム ソウル市観光産業協会年次大会』



―ふっ・・・。  

それはもちろん。 僕は ジニョンを疑ってなどいない。
私の妻は貞淑な女だし。 妻が 私を愛していることを 僕は・・。
「もとより まったく疑ってなど いなかったから。」


それでは 帰ろう。
ええと某社の依頼がどうだとか レオが煩さかったな。 あれは 何だったか。
そうそう! ジニョンは今日遅くなると言っていた。
彼女が帰ってくるまでに ジャグジーの用意を しておいてあげ・・・。

「!」
息を飲んで シン・ドンヒョクが立ち止まる。
暗がりに停まった車の横で 腰に手を当てたソ支配人が 仁王立ちをしていた。


「・・・・・・・・・・・・・・・。」 
「ジ・・・ニョン?」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「や・・あ 偶然だね こんな所で。」


今夜は君 遅くなると 言っていなかったかな?
取り澄ました顔で眉を上げ 冷静なハンターは車のドアを開ける。
ふん  と 鼻で息を吐いて ジニョンが助手席に滑り込んだ。

「・・・・・レセプションは?」
「何の レセプション?」
「ソウル市観光産業協会。そこのボードに記載があったから 君も出るのかと思ったけど。」


『ご心配』を どうもありがとう。 ドンヒョクssi。
出張に出ていた社長が間に合ったので 今日の会に「代理出席」する予定だった私は
「めでたく お役御免よ。」

「ああ・・ それは良かった。 ええと ではもう家に?」
「他にどこかで夜遊びをしろとでも?」
「あ いや。」


居心地の悪そうな ステアリング。
横目で 恋人を盗み見ながら シン・ドンヒョクが車を走らせる。
助手席のジニョンは まっすぐ前を向いたまま むっつりと こちらを見ない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
ええと。 途中で 買い物などはないのかな? ジニョン?



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

-----



サファイア・ハウスの 午後9時半。


シルバーグレーのジャグワーのドアから 分の悪い男が降りてくる。
うつむきがちに車を周り 助手席のドアをもじもじと開けて
さあ と 伏目で降車を促した。

家に入ると ハンターは手早くジャグジーを整えて お湯の上にふんわりと
スイレン型のバスバブルを浮かべてゆく。 
優雅に芳香を放つそれは ドンヒョクが N.Y.出張から持ち帰った新製品で
ちらり と バスタブに眼をやると ジニョンの瞳が ゆら と揺れた。



ブクブクブクブク・・・・ 

「・・・・・・・・・。」


コホン。
長い指が メタルフレームの鼻梁の部分を そっとはさんで押し上げる。

「見る気はなかった。」
「・・・・・・。」
「手帳のページが 開いたままで 置かれていたんだよ。」
「・・・・・・。」


僕は君の愛情を もちろん 疑ってなんかいない。
バスタブの縁に腰をかけて 背中を向けたハンターは 恋しい人に寄り添っている。
タオルで髪を高く上げ 香り高い泡に包まれて ジニョンはマガジンを読んでいる。

は・・と聞こえないほどのため息。 肩幅の広い背中を見せてシン・ドンヒョクがうなだれる。
きょろりと大きな眼が動いて 小さく ジニョンが吹き出した。


「ジニョン?」
「・・・・・・。」
つん と澄ましたあごを上げて ジニョンはふくれたフリをする。
おずおずと振り向く反省男は その眼の中に 小さな笑みを見つけた。

「・・怒っている?」
「当然ね。」
「許してくれる?」
「・・・・・・・。」

柔らかな頬へ 大きな手が伸びてくる。
ジニョンは 僕を避けるかな。 一瞬のためらいの後で 掌が頬をつかまえた。
「・・・・・・・。」

じっと見つめる愛しげな眼に ジニョンの表情は 何も伝えない。
愛しているんだ。 情けなさそうな言い訳と 気持ち全部の切ない口づけ。


もぉ My hunter。  本当にしょうがない 怖がりさんね。
「どこへも 行かないでしょ。」
「ジニョン・・。」
「よくも 私を疑ったわね。」

ぎゅうっとにらむ 可愛いジニョンに ドンヒョクはみるみる笑顔になった。
「・・・僕も 一緒に入ろうかな。」
「だめ!」
「ジニョン。」
「ペリエが飲みたいです。」

もちろん 持ってこよう。 レモンかライムを絞ろうか?
緊張の解けたドンヒョクが キッチンへ いそいそと立ち上がる。
彼の背中へ もぉ と軽くにらんでみせて ウィナーが最後のブレイクをした。


「ライムは1つ。 ベッドで飲むから 待っていて。」

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