ボニボニ

 

My hotelier 130. - ループ・ゴールドバーグ - 

 




サファイアハウスの 24時。

ジニョンが夜勤でいない夜 ドンヒョクはチェス盤へ向かっていた。



棋譜を見ながら 駒を動かす。 
ポーンをつまんでいた長い指が止まって  眼鏡を ゆっくりと持ち上げる。
― 面白いかも しれないな。


握ったこぶしに顎をのせて 夜更けのハンターが思考する。
ビショップを突いて、 ルークを走らせる、 ナイトが惑い、 ポーンが騒いで・・
「クイーンの お出まし。」

くっくっく・・


― どれ程 時間がかかるかな。 意外と楽しいゲームになるかもしれない。

ナイトキャップにスコッチでもやって もう少し よくアイデアを練ろう。
新手の狩りを思いついて ハンターは 満足げに椅子に沈んだ。

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【アクション:1】



― もっと甘めがいいだと? ふん! 甘い物が苦手なくせに・・・。


料理長は むっつりと 糸のような眼を光らせていた。

この秋 彼は スモーク料理に凝っている。 
フライパンで軽くスモークした牡蠣は 最近自慢のアペタイザーなのに。
味にうるさいあの野郎は ひと口食べて もう少し甘めの香りがいいと抜かしやがった。


言われてみれば甘めの香りは 牡蠣の コクのある味を引き立たせるかもしれない。
だけどどんな風味で行くか。 甘すぎたらあいつは眉根を寄せて きっとフォークを置くだろう。

まったく我儘な理事だよ と 料理長は考える。
スモークチップのブレンドが問題だ。
サクラや蜜柑は知れているからな あいつの知らない物で燻そう。

ソウルホテルの厨房では ノ料理長が 時間を見つけて試作に励む。
そのいそいそとした挑戦者の後姿に 厨房のスタッフは 肘を突き合って笑った。
やがて 週が変わる頃  料理長の新作が完成した。


―あいつめ いつ顔を出すかな。 さりげなく オードブルの皿に添えてやろう。


しかし 手ぐすねを引く料理長の前に シン・ドンヒョクは現れなかった。




【アクション:2】



「お気に召しませんか?」


「うん? いや バリスタの珈琲はいつも美味しいよ。 ただね・・。」
「?」
「秋・・なんだろうな。 深いコクのある 新しい味の珈琲が飲んでみたいと思うんだ。」


丁寧にカップを洗いながら 老バリスタは 考える。

焙煎を 少し変えてみようか?
或いは 産地の違う豆を試してみるかな。
そういえば ヒヨッコが言ってたな どこかの業者が売り込みに・・。


「おい! この前言ってた豆屋。 売り込みに来たって奴。 あれどうした?」
「え~? 親爺さんが いつものでいいというから 断りましたよぉ。」
結構いい豆 持ってたと思うけどなあ。 ヒヨコ・バリエスタの口がアヒルになる。


その愛らしい横顔に 笑いながら 会ってみるかと老バリスタはつぶやいた。




【アクション:3】



「ボス。 ハン社長に 今週ボスがお伺いできない旨は伝えておきました。」
「うん。」
― もうすぐかな・・。


スタッフからの報告に ドンヒョクは薄く微笑んだ。
その表情をいぶかしみながら レオは ボスに資料を手渡す。 
「どうしたんだボス? 今週なら ソウルホテルのコンサルに行けるだろう?」

「もちろん行ける。 ただ 行かないんだ。」
ふっ・・と笑ったシルバーフレームが 機嫌よく資料に沈んでゆく。

またかよ。 どうせ ジニョンさんがらみだな その様子じゃ。
目立たない程度に肩をすくめて 有能な弁護士は 仕事に戻る。
ジニョンさんも 災難だねえ。

・・・でも まあいいや。  ボスがご機嫌でいることは  俺の平和と言うもんだよ。


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「おい ソ・ジニョン! お前の旦那は 忙しいのか?」


むっつりとした料理長に ソ支配人がうんざりとする。 
― まったく この頃 何かしら?
  バリスタといい料理長といい なんで皆して ドンヒョクssiに会いたいの?

「そんなに 忙しそうでもないですが・・。 何か 伝える事がありますか?」
「あー・・・、いや! そんなものはない。」
「?」

― 「あいつが来るのを待っている」などとは 口が裂けても言いたくない。


「しかしなあ。お前もたまには旦那を誘って “うちの”レストランにでも来たらどうだ?
 仕事仕事ばかりで理事に愛想を尽かされたらしいと サービスの奴らが噂してたぞ。」
「オモ!」


ぷんとむくれて逃げてきたものの ジニョンは少し不安になる。

そういえば この頃 ちょっとすれ違いが多いわよ・・ね。
ドンヒョクssiが帰ってくる頃に 先に寝てしまっている事も 2度3度・・・4度?
― これって まずい・・?


そうだ。 今日は彼  コンサルに来るんじゃない?
「一緒に帰りましょう」って 甘えてみちゃおうかな・・。
うきうきと社長室前にやってきて ジニョンは 秘書に耳打ちをした。

「ねえ? 今日は 理事 何時位にくる予定だっけ?」
「は?  本日は都合がつかないとかで お見えになりません。」
「・・・え?」
「ご存知なかったんですか?」
「あ・・ いえ・・。 聞いて た かも。」


― ま・・まずいわ。

ドンヒョクssiが来ない事を 私が 知らなかったなんて。
冗談じゃなく この頃コミュニケーションを取るのを さぼっていたのかもしれない。

ソウルホテルの バックヤード。
両手を腰に 仁王立ちして ソ支配人は小さな決心をする。
そしてこの時 ハンターの仕掛けは ゴールに向けて動き始めていた。

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『ループ・ゴールドバーグ』


簡単なことをする為に わざわざ複雑な仕掛けを作り その過程を楽しむ知的ゲーム。


ボールが転がり ドミノを倒す ドミノが留め金を外して 鉄球が落ちる・・
そんな仕掛けを次々クリアして 最後にする事が「カメラのシャッターを押す」だったりする。
「フィニッシュは 単純な方が 面白い。」

― 例えば「ジニョンのキス」とか ね。


くくく・・と 笑うハンターは 玄関に 神経を集中する。
そろそろジニョンは帰ってくるだろう。この時間ここにいる為に 僕はかなりの努力をした。
「さあ。 ラストまで届くかな?」


やがてガチャリと 待ち望んでいた音が ドンヒョクの耳へ聞こえてくる。

「あら・・? ドンヒョクssi? 帰っているの?」

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サファイア・ハウスの 午後4時半。  ジニョンは しなを作っている。


「ねえぇ・・ ドンヒョクssi? 忙しいんじゃなかったの?
 今日はコンサルに来る予定だと思っていたのに 来なかったでしょ?」
「ああ クライアントのアポが2転3転してね。  結局 今日は 仕事がなくなった。」
「なあんだ。 私 “あなた”と一緒に帰ろうと すっごく楽しみにしていたのよ。」


安手酒場の女のような 下手くそな媚。  ドンヒョクの口元が緩みかける。
「それは 申し訳なかったね。 今度埋め合わせをしよう。」

さあ フィニッシュだよ My hotelier。
この頃 君は妻として 僕を愛することを 少し怠っていた。
だから今日はなんとしても 君の方から キスしてもらわないと。

「ねえぇ じゃあ・・。 お夕飯を 食べに行かない?」
「これから? 明胴へでも?」
「ソウルホテルが あるじゃない。」

眉を上げて ハンターは 少し考えるふり。
恋人がNOと言わないうちに ジニョンは 慌てて彼の膝に乗った。



チュッ!

「ジニョン・・。」
ドンヒョクがふわりと甘い笑顔を見せて 彼女は 内心得意になる。

「料理長の 今週のスペシャリテね。 牡蠣が とても美味しいのよ。」
「ふぅん。」
― 知ってるよ。 さて あれからスモークは どんなアレンジになったかな。


愛しい人を抱き寄せて 肩越しの策士が にんまりわらう。
ジニョンは しっかり腕を廻して 男を誘惑するのに懸命だ。

「そ・・そうそう! バリスタがね。 新しい豆を手に入れたって。」
「へえ。」
― N.Y.で あの珈琲を飲んだ時は驚いたよ。 輸入ルート作るの 手間だったんだぜ。



2人の抱擁が 少し離れて ジニョンはドンヒョクを覗きこむ。
なんだい? 包み込むような彼の眼差しに 恋しい気分が満ちてきた。
 

「ドンヒョクssi・・ たまには デートしましょうよ。」

これで ゴール。
愛しい人の頬が寄って 2つのキスは1つに溶ける。
ゆっくり唇を味わいながら ハンターは 勝利に酔いしれた。

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「ねえ ジニョン 今夜のデートは・・・食事だけ?」
「んもぉ・・。」
わざわざ 念を押さないで。 ジニョンのうなじが朱に染まる。
「・・・やっぱり食事は 後にしようか?」
「だめ! フォーシーズンズが 先!」

私は彼に 愛想を付かされてなんかいないもん。 
ユ支配人やサービスの皆に 仲のいい所を 見せなくっちゃ。


ソウルホテルへ向かう道を ドンヒョクとジニョンが 歩いて行く。
ジニョンはぴったり身体を寄せて 夫の腕にからみつく。


―最高だな。 組み立てに少々 手間取るけれど・・ これはなかなか 楽しいゲームだった。


秋の夜は まだこれから。

満足そうなドンヒョクは つかまるジニョンの手を撫でた。

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