ボニボニ

 

My hotelier 131. - バゲット - 

 




サファイア・ハウスの早朝。
ドンヒョクが ランニングから帰って来た。


大事に胸から取り出したのは まだ釜の香りがする全粒粉のバゲット。

「さ・・。 うちの眠り姫は キスで起きるかな?」

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ハン・テジュンが ホテリアー達を前に檄を飛ばしている。

「ソウルホテルは年末の繁忙期へ向け 各部一丸となってパンの拡販に務める。」


パン・・? の拡販?
なによ テジュンssi。客室稼働率のアップじゃなくて パン?
“・・ぁに・・よ・・。テジュンssi・・・?”

「君は 誰と話しているんだ?」
「・・・え?」


ジニョンが はっと眼を覚ますと 不機嫌なドンヒョクが目の前にいた。
片肘を付いて横たわる夫は 何故か バゲットの袋を抱えている。

-あぁ この香りのせいね。テジュンssiがパンの拡販などと言い出したのは。

納得したジニョンは 次の瞬間 自分が寝言で
誰の名前を呼んだのかについて 恐怖とともに思い至った。
「・・ド・ド・・ンヒョクssi? どうしたの このバゲット。」
「君こそ 何の夢を見ていたのかな?」



2人の間で 焼きたてのパンが香る。

包装紙の中で パリパリ・・と軽い音を立てて熱を放つそれは
多分 ついさきほど釜から出てきたばかりに違いない。
「美味し・・そう・・ね。」
「とても 美味しい。だからジニョンに食べさせようと 思ったんだ。」


けどね・・・。と言葉を途中で切って ハンターの眉根が冷たく寄った。
「僕は 君の事を思っていたけれど。」
「・・・・・。」

ひたと見つめるハンターは 充分すぎる沈黙を恋人の瞳に打ち付けて
ふい と視線を外して行く。
あたふたと枕から頭を引き剥がして ジニョンがベッドに起き上がった。

「・・・・・。」
「ドンヒョクssi・・?」
「・・・・・。」
「仕事の夢を見ていたの。 ねぇ・・本当よ。」



“知って いるさ  My hotelier。”

怜悧な横顔を見せたまま ハンターは心で返事をする。

ジニョン・・? 君は知らないけれど
眠っている時の君は 意外とにぎやかだ。
お客様に謝っている時もあるし オ総支配人に喰ってかかっている時もある。
夢の中でもホテリアーなのかと 呆れ笑いで聞いているけれど。

「・・・・・。」

どこまで 僕はつまらない焼もちやきなんだろう。
“その名前”が出るたびに 気持ちの中で何かが揺れる自分を
馬鹿馬鹿しいと思いつつ でも どうしようもない。



そっと 白い腕が伸びた。
「?」
我に返ったドンヒョクは 冷えた眉を上げて妻を見る。
こぼれそうに大きな瞳が 困り切って 揺れていた。

後が 少しはねた髪。 深くくれたカットソーの胸元には
数日前にドンヒョクが付けた所有印が 薄く見える。

僕の ひと。
そうだね。 今 君は僕の隣で 安らかな寝息を立てて眠る。
「ジニョン・・。」


男の声が甘くなったのを 寝ぼすけ支配人は聞き逃さなかった。
眠い目をこする媚を総動員して ここぞとばかり甘えてみせる。
「ドンヒョク・・ssi? うふ 愛しているわ。」

-ちょっぴりまずかったみたいだけど これで何とかご機嫌が直りそう。
「じゃあ ジニョン・・愛し合おうか?」
「え・・?!」


ジニョンの視線がアラームクロックをちらと見る。
それを横目でなぶり見ながら ハンターは にっこり笑いかけた。
「“愛し合おう”か?」
「・・・・え・・ええ。」

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サファイア・ハウスのベッドルーム。

ベッドサイドチェストの上には 焼きたてのバゲットが置かれている。
幸せそうな香りの向こうで 大きな背中が揺れている。
愛しい人を組み敷く身体は 今日は少しだけ嫉妬まじりで
身体の下からシーツへ逃げる手は 捕まえられて背に回される。

・・ぁ・・あ・・ドンヒョ・・ssi・・
「僕につかまって。」


ふわり とパンの匂いがする。
たくましい腕のブーランジェは 次々鉄板を釜に送っているだろう。
部屋が明るくなってきたけど 僕らは夫婦だ かまうもんか。

「ねぇ・・。今日は早番だから。」
「仕事なんか 待たせておけばいい。」
「またそんな・・ ・・あ・・ぁ・・あ・・! ねぇ・・。」
「愛しているよ。」


ソウルホテルの午前6時。

ブーランジェはイギリスパンを焼き上げた。
パン屋の妻は眠りに沈み 支配人は快感に顎を上げる。

今日が動き出すには もう少し。
ドンヒョクは うっとり微笑んでいた。

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