ボニボニ

 

My hotelier 134. - 嫌な客 - 

 




サーヴィス業の辛さのひとつ

それは 迎える相手を選べないところにある。



エントランスを入って来たら その瞬間から相手は「お客様」と言う主人で
ホテリアー達は つかの間の主人に
最大限のホスピタリティーを提供する。


たとえ それが「ちょっと困ったお客様」だったとしても。


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「あ・・の・・お客・様・・・。申し訳ございません こちらでお煙草は。」

「ああ~?」



年若いギャルソンヌが 心底 困惑した声を出した。

たるんだ目元が黒ずんで 震え上がりたいほど醜悪だ。
傍若無人に紫煙を吐く客に 未熟なホテリアーはなす術がなかった。
-どうしよう・・。

オロオロと周囲を見回す視線が 何かを見つけて止まる。
ギャルソンヌの表情が 明るくなった。




きりりと髪をまとめたうなじ。
スリムな肢体をタイトなスーツに包む。 
すらりと長い きれいな脚が 迷いなくまっすぐに歩を進めて来た。

「ソ支配人・・。」

すがるような眼のギャルソンヌへ ジニョンは陽気な目配せをした。




「アンニョンハセヨ お客様。 おくつろぎいただいておりますか?」
「ん? ・・・ああ ここは静かだな。」
「ありがとうございます。 ところで・・申し訳ありませんが。」
こちらの場所は 禁煙になっております。お煙草はご遠慮いただけますか?

涼やかな表情で告げる女支配人を 男は 珍しい物のように見た。



-この俺様に 忠告か・・? 随分と勇気のある女だな。
周囲にいる子分達が 色めき立つのを眼で抑えて
男は さも面白そうに 女支配人をなぶる。


「あいにくと こちらは煙草が吸いたい気分でね。」
「さようでございますか。それでは あちらに喫煙コーナーがござ・・。」
「立てねえな! 喫煙コーナーを持って来い。」
「!」


ジニョンが ぴくりと身じろぎをした。
-・・・・いい女だな。

倣岸を自らのアイデンティティーにする男は 
余裕しゃくしゃくの笑みを浮かべる。


少し 脅しが過ぎちまったかな? 引きつって 声も出せないだろう。
満足げに紫煙を吹く男は 指先の煙草をピン・・とはじく。
その火先からこぼれた灰を 真っ白なハンカチが受け止めた。


「?」

・・・灰が落ちます お客様。
「申し訳ありませんが こちらは灰皿のご用意がありません。喫煙コーナーをご利用ください。」
「な・・・・。」


まじまじと開いた男の瞳に 美しい笑顔が写りこんだ。
今まで一度も見た事のない眼が 
媚も 怖じ気もなく まっすぐにこちらを見つめていた。

「お持ちできればいいのですが 喫煙コーナーは 持ち運べません。」
「・・・・。」
どうぞ 足をお運びください。
「あちらのソファも素敵な座り心地なんですよ お客様。」




なんだと!このアマ! オヤジに何てぇ口をききやがる!

仰天した舎弟達が アタフタと椅子を立ってくる。
周囲のホテリアー達がざわめいて その場が一気に剣呑になった。
「黙ってろ!!」
「・・・オ・・ヤジ・・?」



ゆらり・・・


倣岸な客が 立ち上がった。
普通なら彼が動く時 目の前にいる者は 反射的に後ずさる。
ジニョンは まっすぐに背を伸ばして 柔らかく微笑み続けていた。


「支配人・・さんよ? おめえの名前は?」
「はい。 ソウルホテルのソ・ジニョンと申します。」
「ソ・ジニョン。」

「・・・・憶えておくぜ。」
おい行くぞ! 男は連れに一喝すると 憮然とロビーを歩き出す。
キツネにつままれたような手下どもは おたおたと その後を追いかけた。




「すっご~~い! ソ支配人かっこいい!」

「何言ってるの。」


涙目だったギャルソンヌは 興奮で上気した顔を輝かせる。
「あ~~っ! 恐かった! すっごい眼だったでしょ?」
まるでマムシかガラガラ蛇よあいつ。 ソ支配人は 恐くなかったんですか?


「ん~・・・・そうねえ。」

口をつぼめて 小首を傾げ ジニョンが何かを思い出す。
「私の知ってる一番恐い眼は あんなものじゃないもの。」
「は・・・・・?」

じゃあ もう仕事に戻って。
ジニョンはくるりと踵を返し フロントに向かって去ってゆく。

「一番恐い眼・・・? あ!!」

けげんな顔のギャルソンヌが その後姿に大きくうなずく。
「とにかく助かっちゃった! もうあいつ 二度と来ないといいな。」



・・・しかし 迷惑なマムシ男は それ以降頻繁にやって来た。


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「これは下がりますね・・。 1回売って 利食っておきましょう。」


深い ビロードのような声が モニターの値動きを見ながら言った。
刻々と変わる折れ線グラフは その時点でまだ 上昇し続けていた。
「もう少し見よう ドンヒョク。」

プリンスの視線が 強気だった。「まだ少し上がる。」



ふ・・・。 

ハンターの眉が 高くなった。口元に温かな笑みが浮かぶ。


「よろしいでしょう。12500ウォンを超えたら 上がっていても売ってください。」
「だが・・・。」
そう言う間にもグラフは持ち上がり 12500のラインを超える。

「売って。」
「・・・・。」

増える利益にためらう指へ ドンヒョクの冷たい声が飛んだ。
クリック・・。 『売却受付』のメッセージが出る。
すると 合図を待っていたかのように グラフの線が急降下した。
「!!」

「売り抜けましたね。 お見事でした。」




それでは 今日はこれ位にしましょう。

シン・ドンヒョクの長い指が ノートパソコンをはたりと閉じる。
勝利を喫した青年は 少し 惜しそうに時計を見た。


「プリンスは 大変に素質がおありです。」

ただし 少々 気がお強い。株はもっと臆病にやらなくては。



「・・・・・・・。」
「何か?」
「“シン・ドンヒョクに” 気が強いと言われるとは思わなかった。」
私の知っている者の中で 一番強気なのは お前であろう?
「とんでもない。」


取り澄ました眼を伏せたまま ハンターは書類を片付ける。
私は 葦原にひそむ野兎の如く臆病ですよ。
つんと横を向く虎に プリンスが呆れた顔をした。

「ドンヒョクも ディ・トレードをするのか?」
「ええ。たまに・・ですね。息抜き程度に」。
「何故? 大きく動かせば 結構稼げるだろう?」


ふ・・と ハンターの口元が上がり このうえなく強気な笑みになる。
-まったく・・・どこが臆病なんだ。

こんな顔をする男がどこにいると プリンスは内心 舌を巻いた。



ディ・トレードは ジャックポッド(スロットマシン)のようなものです。
カジノの入り口付近でやるにはいい。
「ですが 本当に大きな“ゲーム”は 奥の別室でするものです。」

プリンスほどの地位の方が コインを稼いでは笑われますよ。
一応株の仕組みを知ったら ディ・トレードは終わりです。
「後は “王の投資”をお教えしましょう。」



コン、コン・・・


控えめなノックが聞こえ 侍従長が 顔をのぞかせた。
「若。 そろそろお時間でございます。」
「・・・侍従長。 今しばしだ。」
「!」

普段 決して自分の都合を言わないプリンスが
この男と過ごす時間だけは 1分でも長くいようと なされる。

本当に お楽しいのでございましょうなぁ・・。 老いた執事は微笑んだ。



「いや。今日はこれまでですプリンス。 私もこれで 多忙でしてね。」
「こ・・・こらっ! シン・ドンヒョク! 何という無礼を!」
「良いんだ 爺。 ドンヒョクは私の師だ。」


それでは 帰ろう。

名残惜しげに席を立つ若君は 思いついたような笑顔になった。

「侍従長 帰りにジニョンに会っていこう。」

それが目当てで ここへ参っておるからな。


いきなり憮然となるハンターへ さも愉快そうにプリンスが言う。

確かに ドンヒョクは臆病な男だ。

「ジニョンを娶ったくせに まだ 盗られる心配をしておる。」


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ドンヒョク達が 現われた時

ソウルホテルのフロントロビーは 奇妙にざわめいていた。




「申し訳ありませんが お客様。 規則ですので。」


困惑気味のその声に ぴくり・・とドンヒョクが反応した。

どんな場所でも聞き違える事のない 愛しい人のその声。
「・・・ジニョン?」

どうした? どうして君が そんな声を出している?



「こっちは客だからなあ。 規則の方を変えてもらおうか。」

ひどく耳障りな声だった。
下卑た物言いの底に 闇の世界の悪臭が沁みていた。
蛇の眼をしたその客は ソ支配人を無遠慮に見る。

-見れば見るほど いい女だよなぁ・・。


下衆な笑いが 男の唇をだらしなくゆるめた。




周囲には ホテリアー達が集まっていた。
ヒョンチョルは ソ支配人に寄りそい 
他のベルパースンも 足早に駆けつけて来る。

テジュンを呼びに駆け出そうとしたポーターが ひっと言って立ち止まった。
「理・・事・・・。」


その場の視線がいっせいに集まり 
そこにいる者を 震え上がらせる。
片眉をギリ・・と持ち上げて シン・ドンヒョクが立っていた。


「・・・・な 何だぁ・・手前ぇ?」
「・・・・・。」

た・・大変! ちょっと!安全管理にコールして!
フロント係がうろたえて 後輩にささやく。
場合によったら 警察を呼ばなくちゃ・・・



その時。 

すいと手が伸びて 動き出す理事の歩みを制した。
「・・・・。」
「ドンヒョク・・ いや“先生”。 ここは私の出番のようです。」
「・・・?」



プリンスが 一歩 前に出た。

いきなり現われた 高名な青年に その場の人々が仰天した。

「・・・久しいな 蛇。」


蛇 と呼ばれたその男は 跳ね上がるようにソファを立つ。
傲慢さがいきなり微塵なく消えて 怖じたように肩をすくめる。

慌てて プリンスの傍へ駆け寄った侍従長は 
職名に相応しいほどの 威厳を見せて 言った。


「これは・・・良い世の中になりましたな。」

主家の若君の御立ち寄り所に お前ごときが顔を出せるとは。

「!」
「・・・・そこにおられる女性は かつての妃候補である。」
「!!!」
「まさか 万が一にも失礼はなかっただろうな!!」


老いた執事に睨みつけられて 男の顔が蒼白になる。

もう そんな男など眼に入らないが如く
上機嫌で プリンスが笑った。


「ソ・ジニョン♪ ご機嫌よう。 健勝でしたか?」


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サファイアハウスの 23時。


ジニョンの大きな眼が きょろりと動く。
むっつり黙った彼女の夫は まだモニターの前にいた。
「ド・ン ヒョク・ssi・・?」
「・・・・・。」

はぁ・・・。 

まったくこの人ってば 子どもみたいに拗ねるんだから。
だけど 今日は助かったなあ。
プリンスがいなかったら 流血沙汰だったかも。

「今日は 若君が来ていて・・・助かったわ。」
あのお客様は きっともう 来ないと思う。
「・・・・お役に 立てませんで。」

「もぉ ・・・ドンヒョクssi。」


するりと ジニョンの白い腕が ハンターの首に巻きついた。
モニターを見たままのドンヒョクが 
わずかに 頬を動かした。

だけど愛しの My hunter、 あなたに何もなくて良かったわ。
あなたときたら あの時まるで 本物の虎みたいだった。

「ドンヒョクssiは 他の人に頼めないことで“お役に立って”よ。」
「僕などに 出来ることがあるかな?」
「あるじゃない・・・。」



肩がね 寒くて寝られないの。
可愛い人の誘惑に 虎が 半分機嫌を直す。
それでも今夜のドンヒョクは まだ少しだけ怒っている。

「寒ければ肩掛けを使えばいい。僕は君のヒーターじゃない。」
「肩掛けじゃ 気持ちは温まらないもの。」
「・・・・。」

「肩掛けは キスしてくれないし・・。」
「・・・・。」
「他の誰かのキスじゃ 嫌だし・・。」
「・・・・。」



ああ My hotelier。

君は 本当に上手くなったな。


抑えようもなく上がってくる笑みを 幸せ者がかみ殺す。
今日は 君を救うナイトになり損ねたけれど
ご褒美だけは ・・もらえるという訳だ。


“寒いなぁ・・。”

愛しい茶番を受け取って ドンヒョクの腕がジニョンを抱く。
ジニョンは 首にまわした腕を伸ばして 夫のPCをオフにした。

ハンタータイムは もうお終い。
「これからは 私のヒータータイム。」
「甘ったれた奥さんだな。」
「うふん。」


シン・ドンヒョクの大きな腕が ジニョンを軽々と持ち上げる。
寝室へ入ってゆく背中の横から
きれいな脚が ひらひらと揺れた。

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