ボニボニ

 

My hotelier 143. - パッピンス - 

 




「ただいま。 ・・・・ジニョン?」


サファイア・ハウスの 午後9時半。


エントランスホールへ入った男は 唇の端を少し上げた。
視線を下げて歩く耳へ 陽気な音が聞こえてくる。

―どうやら 僕の愛しい人は 夫に隠れて快楽を手にいれるつもりだな。

くすくす・・と若い笑いが聞こえる。 共犯者がいるらしい。
リビングのドアを開けると 音は かなり派手になった。




ヴーン!・・ジャギジャギジャギ・・・・



「パッピンス?」
キャアアアアア! オモオモッ!! ガチャン!!

「!」
ジニョンとジェニーの慌てようが 想像よりはるかに激しかったので
声をかけたドンヒョクは 呆れて カフを外しかけていた手を止めた。



「ドン・・・ヒョク・・・ssi。」
「驚いた。心臓に悪いな。」
何を言っているのこっちのセリフよドンヒョクssiたら帰って来たのならただいまくらい・・

「言った。 だけど 返事はなかった。」


機関銃のように喋りだすジニョンに うつむく男が笑い出す。
My hotelier。  君のいる部屋へ入った途端 僕の世界はかくもにぎやかだ。


「あーあ・・氷を散らかしちゃった。オッパが悪いのよ 急におどかすから。」
テーブルに散ったきらめきをダスタークロスでふき取りながら 妹がむくれる。

「心外だな。 僕は きちんとただいまと断ってから部屋に入った。」
僕をのけ者にしておいて 内緒事を見つかるとクレームを付けるとは 性質が悪い。
つんと冷たい横顔を見せて ドンヒョクは手荒にネクタイをゆるめた。


「パッピンスだろう ジェニー? 僕ももらおうかな。」
えー・・・
「何だ 不満か?」
「ちゃんと食べるのぉ・・ オッパ?」
「今現在 僕は ソウルでもっともパッピンスを食べたい男の1人だ。」 


着替えてくる。 僕の分も作っておいて。
問答無用に言葉を切って ハンターがドアへ消えてゆく。
ふーん だ! すらりとした兄の後姿へ 妹は 顔をひしゃげて見せた。

「そんな顔をすると 男は出来ないぞ。 ・・杏も入れてくれ。」
「!!!」



シャク・・ シャク・・・

小刀ですうっと引いたような 切れ長の眼が兄をにらんだ。
シン・ドンヒョクは 雑誌を膝に片手でパッピンスを「突いて」いる。
わざわざリクエストまでした杏は 溶けかけたクラッシュアイスの中で泳いでいた。


―何よ! やっぱり食べないじゃない。

兄によく似た勝気な瞳が 恨めしそうにボウルを見る。
大体オッパは 甘い物が嫌いなくせに なんで毎回作らせるのよ!

爆発しそうなジェニーを横目で見て 取り繕うように ジニョンが言った。
「あの・・ドンヒョクssi・・・? それ もういいの?」
「ん? あぁ・・ ご馳走さま。」

ただ 溶けただけのように見える パッピンスのボウルを受け取って
ジニョンは ちらりと義妹を見る。
せめて杏をつまんで食べると ジェニーが ぷいと眼を逸らした。


「・・・美味しかったよ。」

いささかバツが悪そうに 兄が 妹に声をかける。
「お粗末さまでした!!」

ふんと小さく鼻を鳴らして ジェニーは ソファを立って行った。

-----



湯上りにローションを叩きながら ジニョンは そっと鏡をのぞく。

鏡に映ったベッドの中で 男は 少し寂しげだった。



「・・・・・」
うつむいた頬がベッドサイドランプに照らされて 反対の頬が闇に溶ける。
ねえ My hunter?  あなたったら 何だか今夜は泣きそうな子どもみたい。


ジニョンはベッドへ滑り入って しょげた男へ囁いた。
ねえ ドンヒョクssi?
「甘いものはいかが?」
「・・・え?」

ジニョンの白くしなやかな腕が たくましい首へ抱きついた。
いかが? あなたも食べられる 甘いもの♪ 
「・・・ジニョン。」
それは えぇと・・もしかして 誘ってるのかな?
「そのつもりだけど?」


は・・・
不器用に固まった表情が溶けて ドンヒョクがぎこちない笑顔になった。

「ジニョンから誘ってくれるなんて 珍しいね。」
「発情期なの。」
ストップ レディ! 何て言葉だ。
陽気になったハンターが 下品な獲物をたしなめる。
アッパーシーツがふわりと浮いて ドンヒョクがジニョンを組み敷いた。



サファイアハウスの寝室の壁で 2つの影が揺れている。

華奢な影が抗っては 甘く噛まれて大人しくなる。
・・・や・・ん・・ドンヒョクssi・・・
「逃げるなよ。 自分から誘ったくせに。」

明日は 非番なんだろう? 心ゆくまで可愛がってあげるよ。
捕まえた頬を撫でながら ドンヒョクはうっとり微笑んでいる。
「もう ご馳走様。」
「小食だね。」


あなたも ね。 
毎回 食べると言い張るくせに いつもパッピンスを残す。
ジェニーが怒るのも無理ないわよ せっかく美味しく作ってくれるのに。
「そう・・だね。」

食べたい気持ちはあるのだけれど いざ食べると どうにも甘くて。
「今度からは 私の分を 少しだけ食べることにすれば?」
「・・・・・・」
なんなら 先に 好きなものだけ食べていいから。
「・・・・・・」



嫌な わけね。 

言葉を飲んで静まる夫に ジニョンは 小さく肩をすくめた。

何でも 合理的に割り切るあなたの 理解しがたい小さな我儘。
家でパッピンスを作るとき 何が何でも 欲しがって。
そのくせ いくらも食べるわけでなく 結局氷を溶かしてしまう。


・・・ねえ? 知っている? ドンヒョクssi。

甘い物が苦手なあなたのために ジェニーは すごく苦心しているのよ。
苦味の強いコーヒージェリーや 杏も 甘さを控えて自宅で煮ている。
「なのに。 毎回ひと口ふた口じゃ ジェニーだって可哀そうだわ。」


・・・う・・ん・・・

わかって ・・・いるんだ。 
ため息と悔いに沈む姿に ジニョンの胸が切なくなった。

―本当に困った人ね。 1人で 寂しくならないで・・
枕の上へ身体を起こして ジニョンはドンヒョクの頭を抱いた。
ぴくり と一瞬身を硬くして。 ハンターは 大人しく愛しい胸に頬を埋めた。


フランク・シン。 遠い日の 寂しいアメリカンボーイ。

あなたの時間は取り返せないけど 
これからは 皆と一緒に 幸せに生きていける。
忘れないでドンヒョクssi。 あなたは フランクから羽化したでしょ?



「・・・届かない憧れ・・なのかな。」
「え?」

ジニョンの胸を頬で分けながら シン・ドンヒョクがぽつりと言った。
「アメリカにいた頃 夏になる度に パッピンスが恋しかった。」
たっぷりとチョコのかかった 豪勢なアイスクリームをもらっても。

「僕にとって 最高の氷菓は ・・・杏が乗ったパッピンスなんだ。」
「ドンヒョクssi・・・」
「食べてみれば もう甘くて 今の僕の口に合うものじゃないけど。」


ああ・・ そうか。

僕はあの日のフランク・シンに パッピンスを食べさせたいんだ。
あの夏の パッピンスを食べたら美味いと思っただろう 彼に。
・・・・馬鹿だな・・・。



バフンッ!!

いきなりジニョンにすり抜けられて 甘え男は シーツに捨てられた。
「?!」

「シン・ドンヒョク!!」
「・・・・? はい。」
「教えて!あなたの口に合う甘いものは 私? それともパッピンス?!」
「それはもちろん ・・・ジニョンだろ?」 

そうでしょうね!アッパーシーツで胸を隠して 片手を腰にジニョンがにらむ。
「・・・それで? あなたは今 幸せじゃないのかしらっ?!」
「!!!」


いいのよ! あなたが不幸なら 他の方と人生をやりなおしても・・

女神のようにシーツをまとい ジニョンがベッドを降りてゆく。
裸のままで残された男は 慌てて 女神の足首をつかんだ。

「放してよ。」
「・・・口頭弁論の時間は いただけないでしょうか?」
「申請を却下します。」
「じゃあアウト・ローで行こう。 ・・そっちは得意なんだ。」



嫌だったら!もう知らないから。頼むよ!僕が悪かった。

鍛え抜かれた筋肉質な身体が 逃げる女神を捕まえる。
どうだいジニョン? 僕の場合 チャンスの女神は後からでも捕まえる。
「そのために 日頃鍛えているからね。」 

シーツのままのジニョンを抱いて ハンターがベッドへ戻ってゆく。
「愛しているよ 僕のジニョン。」 パッピンスの数万倍も。 
「ふんだ・・カキ氷に勝っても 嬉しくない。」

危なかったな・・・
センチメンタルな記憶にかまけて 大事な時間を失くすところだった。
ばたばた抗うきれいな身体を しっかり腕で縛り上げて ハンターは我を取り戻す。

盛大にむくれた可愛いジニョン。 僕は 今年の 夏の光の中にいたね。



惑いの醒めた 強い手が 愛しい頬をそっと撫でる。
心のすべてで見つめれば ふくれっ面の恋人は怒りをゆるめて見つめ返す。
「僕は とても 幸せです。」

こぼれんばかりの大きな瞳が シン・ドンヒョクをまっすぐに見る。
ふ・・と笑って まばたきをひとつ。
閉じたまぶたが開かないうちに ハンターが唇を狙ってつかまえた。
「・・・・・んん・・・・」
「・・・悪かった。」

My hotelier。 お詫びをさせてもらえませんか?

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ヴーン!・・ジャギジャギジャギ・・・・


小豆に 桃に カラフルなゼリー 忘れないで杏をひとつ。
「キウイも入れちゃう? んふ・・」

ジェニーとジニョンが 嬉しげに ガラスボウルを覗きこむ。
女という生きものは どうして スイーツが好きなのか。

―あ・・・ だから ジニョンは甘いのか。

華やいだ声を背中に聞きながら ドンヒョクはうつむいて薄く笑う。
不届き者は 柔らかな肌に舌を這わせた夜を思い出していた。 


「オッパ! はい! パッピンス。」
「え・・?」
僕は 頼まなかったけど? 妹の声に振り向くと 笑顔が2つ並んでいた。
「はい。 “オッパの分の”パッピンス。」

テーブルの上に ボウルが2つ。
女達は くすくす笑っている。
「僕の分? じゃあ・・1つ足りないだろう?」
ふふふ・・ くすくす。

「ドンヒョクssi?」
「うん。」
あーん・・!  陽気に片手で頬杖をついたジニョンが 大きな口を開けた。
「ジェニーったら小姑の嫁いびりよ。オンニの分は オッパにもらえって。」
「あ・・・」


ソウルの夏の風物詩 クラッシュアイスのカキ氷。

ジャクジャク混ぜてすくい上げれば 口を開けて待つ人がいる。
「・・・僕は まだひと口も食べていないけれど?」
「杏からね! 小豆もいっぱい。」



あーん・・・

氷より キスを乗せてやりたいよ。
ジニョンの舌へ氷を乗せると 幸せそうな笑顔になる。


僕の中のフランク・シンが ほどけるような顔で笑った。

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