ボニボニ

 

My hotelier 146. - 暴君 - 

 




ドンヒョクが  いつまで待っても 出てこない。



ドアの前をきっちり3往復して ジニョンはバスルームの扉をにらみつけた。
「どういうつもりよ! シン・ドンヒョク」



“ドンヒョクssi、お風呂なの?”
“・・・あぁ お帰り。”
そんな会話は 1時間も前。 終日 ホテル中を飛ぶように歩いたジニョンの足は 
疲れが限界までに固まって 今にも窒息しそうに悲鳴を上げていた。


私はもう仕事の後に ジャグジーマッサージを欠かせない。

ドンヒョクssiったら 誰よりもそれを知っているくせに。
「そりゃあ 約束していたディナーをフイにしたのは 悪かったけど・・。」



気難しいお客様だったのよ。退勤後のトラブルだから 断れなくはなかったけれど
「ソ支配人を呼んでください」と言う声に 聞かないふりは出来なかった。


にこやかにロビーまで迎えに来た彼は 片眉を上げただけだった。
「ごめんなさい ドンヒョクssi。」
「・・・・」
「どうしても行かなくちゃ。 ね? お願い!」


・・・・ふぅん・・
「ドンヒョクssi?」
怒るでもなく、いいよでもなく ふぅんですって? 
すらりと踵を返した彼は 何も言わずに立ち去った。


「悪かったわ。 ・・・でも こんな所で仕返しはずるいじゃない!!」

疲れた足は もう限界だった。ドアの向こうでは柔らかな湯音が響く。
ふん!と鼻で息を吐いて ジニョンは手荒くノブをつかんだ。 
「ドンヒョクssi!」

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サファイアハウスのバスルームは 呆れるほどの広さがある。



“君へのエンゲージリング”


ドンヒョクがそう呼んだ円形のバスタブと バーカウンター。

音響と映像設備を整え 座り心地のいいカウチまで据えられている。
そこは ドンヒョクがジニョンの為に 最も力を入れてプランした空間だった。


そして今 ジャグジーの縁には氷を盛ったワインクーラーが置かれ 
シャンパン色のお湯からは めまいがするほどの芳香が立ちのぼる。
軽やかに湧く泡の中には 見事に鍛え上げた身体。


ドンヒョクは軽い頬杖をついて 壁のモニターを一心に眺めている。
悪戯な笑顔を予想していたジニョンは きれいに無視されて 息を飲む。

目の前にいる美しい男は つんと冷ややかな眼をしていた。

「オモ・・・」
何よ。 ドンヒョクssiったら。  
モニターには数字の川が滔々と流れている。株式レポートの類を見ているらしい。
「お仕事 していたの?」



「ソ・ジニョン。」

たっぷり10カウント。 完璧な横顔を見せつけてから 
ハンターは 静かに振り返る。
「・・・相手が僕だから許すけれど 入浴中の男を襲うのは 感心しないな。」

眼鏡を取った夫の眼差しは 微塵も 甘さを見せてくれなかった。
不満げだったジニョンの表情が きつい視線に射られて戸惑う。 
なによ 私。 怒るつもりが 逆に叱られているじゃない。


「だって・・ ドンヒョクssiがいつまでも出てこないんだもの・・・」

「自分の家で自分の風呂に入っている。 文句を言われる筋合いは ない。」


取りつくしまもないハンターは 悠然と浴槽の中で身をすべらせる。
たくましい胸筋が湯に洗われてきらめき ジニョンは 慌てて眼をそらした。


「・・ひょっとして 君も 入りたい?」
怜悧な表情が忍び寄るように溶けて 悪魔の瞳が柔らかくなった。

「かまわないよ。」

「!!」
ジニョンのうなじに血がのぼった。 「かまわないよ」ですって? 言ってくれるじゃない。
ぷうっと頬が盛大に膨れるのを ハンターはもう一度 きれいに無視した。



「どうぞ。」
「結・構・です!!  ド、ドンヒョクssiは あとどれくらいで出るつもり?」
「出ない。」
「は?!」
「今夜は 一晩中入っていることにしたんだ。」


大粒の 鈴をはったような眼が絶句した。 なんて可愛い僕のジニョン。
ゆっくりまぶたを伏せながら 水銀の様にドンヒョクは静まり返っていた。

「・・・・あのぅ ドンヒョクssi?」
「うん。」

“ゲスト用のバスルーム。 コントローラーが効かないのは なぜ?”

「本当かい? どうしたんだろう。 明日にでも修理を頼んでおかないと。」
「・・私は その。 ゆっくりお風呂に入りたいのよ。」
「僕もだ。 だけど 君の頼みとあらば甘んじてスペースを割いてもいい。
 君さえここで泳ぎたいと言い出さなければ うちのバスタブも結構余裕があるよ。」



バンッ!
かんかんに怒ったジニョンの背中が ドアの向こうへ消えて行った。
ちらりとも視線を送らずに ハンターはワイングラスを取り上げた。




覚悟してもらおう My hotelier, 「今夜は 手加減なしだ。」


仕事に懸命な君は大好きだけど この頃の君は 少々 僕を忘れすぎている。
ちょっとだけ 思い出してもらおうかな 
僕と言う男は 2番手に甘んじることが嫌いだということを。

「僕が 1番。 ホテルはその次だ。」



35、36、37・・・

100くらいかな。 ジニョンときたら堪え性がない。
今夜の寒さに風呂をあきらめることなど 何があっても出来ないだろう。
満足そうに頬を上げて ハンターは 獲物を待っている。

「たとえば 君は」 
僕がのぼせて這い出てくることを ひょっとして期待をしているのかもしれない。
残念だな。 君がきっちり1時間はドアの前で待つだろうと踏んで 
バスタブに入ったのは ほんの先程だよ。



「・・僕が ゲームで遅れを取るわけがないだろう?」

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58まで数えた時。  カチリ とドアが音を立てた。
「・・・・・・」
アヒルのような不満顔。 ハンターは すんでのところで吹き出すのをこらえる。



バスローブの中から睨みつける人へ 眉だけ上げて会釈をする。
ここで怒らせては元も子もない。
礼儀正しく 近づくレディに背を向けて 策士はモニターを覗き込んだ。

『ABCP市場の混乱沈静化に向け、米大手銀行3社がSIV基金の詳細について
 合意に達したと報道されていた中・・・』



後ろに小さな湯音がして ジニョンがバスタブへすべり入る。
ドンヒョクの腿に愛しい足が触れて 大慌てで 向こうへ引っ込んでいった。

ブクブクブク・・・・
ジャグジーが 陽気に湯気を揺らす。 勢い良く吹き出す温水に足のコリが緩んでくる。
ため息の出そうな快感の中 ジニョンは意地っぱりな顎を上げていた。


盗み見るバスタブの対岸で ドンヒョクは のんびりワインを飲んでいる。

黄金の水を入れたグラスは 美味しそうに玉の汗をかいていた。
― 多分 キリキリに冷えているのよね。 
ゴ・・キュン・・・

思いがけなく大きな喉音。 ジニョンのうなじに朱が走った。
憎らしいほど不思議そうな顔をして見せて ハンターがこちらへ眉を上げた。
「欲しいのかな?」
「・・・・・・」

あぁもう ドンヒョクssi・・! 今日のあなたって まったく最低。
ジニョンが降参の息を吐く。 
彼女の恋人は こうなると世界で一番強情な男だった。
「・・・ちょうだいよ 私にも。」


ふん と勝者の小さな笑い。
美味なる液体を口に含んで 長い腕が波の下を走る。

ウエストをいきなり引き寄せられて ぶつかるようにドンヒョクに抱きとられた。
・・んっ・・!

口へ注ぎ込んだ分の酒代として ドンヒョクは舌を持ち帰ろうとしている。
ゴクンと もう一度喉が鳴った。 温まった胸の奥を 冷えたワインがすべり落ちる。
仕上げにジニョンの下唇を噛んでから やっと ハンターの唇が離れた。

「ソーテルヌ。 好きだろう?」
「口うつしで飲ませてくれなんて 言ってないわ。」
「グラスが1つしかないんだ。わがままを言うな。」
「!!」


愛妻家を自称してはばからない夫が 今夜は ジニョンへ歯を向ける。

―なによ。 まるで横暴なんだから ・・・もう。

それでもフイにした約束の数を思うと マイナスポイントが溜まってきた気もして
後ろめたさのあるソ支配人は 愛しい君主に抗うのをあきらめた。

身のうちに虎を飼う彼が こんな風に牙を見せたら  「敵うわけなんかないわよね。」




鍛え上げた肩先へ頭を預ける。 ジニョンの甘やかな敗北宣言。

頭を包んだタオルをすべり取り 長い指が 髪の中へ差し入れられる。
引き寄せた頭にキスをして ハンターは やっと武装解除したようだった。

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足を 揉んであげようか?

戦利品を膝へ抱き上げて ドンヒョクはすっかり機嫌がいい。
ジニョンは 胸を包む彼の手が悪さをしないか 少し 身体を硬くしている。
それでも絶妙の湯加減は ゆるゆると気持ちをほどいていった。

「ジニョン? ・・・さあ これだ。」
「え?」
「プレゼント。」

淡い薔薇色の 美しいそれは どうやらバスボールのようだった
「また 買ってくれたの?」
「この前の出張の時にね。」
「N.Y.の? どうもありがとう ふふ・・いい香り。」


使ってみていい? 素直に期待を浮かべる恋人に 男は柔らかな笑顔を見せた。
ため息のような泡を吐いて バスボールが湯に溶け出す。
品のいい 甘い香りが ふわふわと浴室に拡がった。
・・・あ・・ら・・・?

何だろう? いきなり 踊る湯の中に紅色の物が現れた。
ふわり ふわり・・  縮んでいた花びらが 目覚めるように開いてゆく。
「オモ!これって本物の花びらじゃない?」
「薔薇の花弁を バスボールの中に仕込んだものだそうだよ。」


ジニョンが丸い眼を向けた。 
My hunter, 今夜の強引さは ひょっとしてこれのため?

ドンヒョクの瞳に面白そうな色が浮かぶ。これで 目標達成だ。
「こうしないと 喜ぶ君が見られない。」

呆れたジニョンが息を吐いた。 彼女の恋人は どこまでもロマンチストだった。



それではお礼をもらおうかな。


ゆっくりと。 温まった身体を撫で下ろして ハンターは次の狩りに取りかかる。
「・・愛しているって 言わせたいんでしょう?」
「別に? 君が言いたいなら止めないけれどね。」



愛の告白なら ジニョンよりも正直な場所に 聞けばいい。


サファイアハウスのバスルームで  暴君は 火照るうなじに歯を立てていた。

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