ボニボニ

 

My hotelier 155. - Hug - 

 




シェーバーを使っていたドンヒョクは 妹の言葉を聞き逃した。

「・・・今 何て?」



キッチンにジェニーがいる朝。 コーヒーの香りが とても良い。

ジニョンの機嫌を損ねないように さりげなく妹に
「卵はオムレツに」と頼むタイミングを ハンターは密かに狙っていた。


「今日の午後は忙しい?」
「午後? あぁジェニーは今日 個別休か」

・・オッパに 付き合って欲しいのかな? 大きななりをして甘えた奴だ。

冷静を装おうとしたけれど 口元が 先に微笑んでしまった。
緩んだ目元を隠すために ドンヒョクはカフスボタンを留めた。

午後のアポイントはキャンセルしよう。 なに 妹ほど大事な用じゃない。



「もしもオッパが忙しいなら 私電車にしようかな・・」
「電・・。 どこかへ行きたいのか?」
アボジがね ギックリ腰になって起きられないの。
「!」

「オモ! お義父様から連絡が来たの?」

サラダをつまみ食いしていたジニョンが 驚いた顔でふりむいた。
騒々しくしゃべり始めた2人に隠れて ドンヒョクはそっと眼を伏せた。


アボジが電話に出てこないから 食堂の小母さんに聞いたら 寝ているって。
「具合は悪いの?」
「大したことないから気にするなって言うのだけど・・」
「そうね。 やっぱり心配だから見に・・・ドンヒョクssi?」



ドンヒョクはリビングの窓に向かい 電話で何か 指示をしていた。
端整な背中が戸惑って 思いつめた様に振り返る。 

気遣うジニョンの控え目な眼差しは メタルフレームに拒まれた。


「・・オッパ・・・?」
「僕は 仕事があるから送れない。ヘリを手配したから それで行きなさい」
ヘリぃ?!
「30分後にホテルのヘリポートへ着く」

ケアスタッフが一緒に乗って行くから 診察をしてもらうといい。
事務的な口調で言い切ると ドンヒョクは新聞を片手に椅子を引いた。

ジェニーは紙面に隠れてしまった兄へ ポカン・・と口を開けていた。



「ドンヒョクssiは 行かないの?」

ジェニーが慌てて出かけてしまうと ジニョンは横目でドンヒョクを見た。
「たかが身内のギックリ腰に いちいち駆けつける暇はないんだ」
「・・・・」

既に 完全にシールドを下ろして 夫は平静を装っている。

ジニョンは フン・・と息を吐く。
ねえ My hunter?  
“たかが身内のギックリ腰”に ヘリを飛ばす人こそいないわよ。

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午後1時半のオフィスビル。

ホワイトマーブルのエントランスフロアに きれいな脚が仁王立ちした。


エレベーターを降りてきた シン・ドンヒョクが 立ち止まる。
他の場合ならジニョンの姿は 彼を喜ばせたに違いない。
この日 ドンヒョクは妻を見つけて 不機嫌そうに眼を細めた。


「ソ支配人。 ・・・ホテルはどうしたのだろう?」

「早退してきたの。 一緒に 東海へ行きましょう」
「あいにくこれから人と会うんだ。 僕も そうそう暇ではなくて」
「午後のアポイントなら レオさんに頼んで調整してもらったわ」


ゆっくり ドンヒョクが眼を閉じた。

とても静かに頬が廻り 従いてきたレオへ向けられる。
ゴクリ・・と唾を飲み込む部下を 刃のような視線がひと撫でして
インフォメーションカウンターの受付嬢たちは 凍る空気に震え上がった。

「どういうことだ レオ?」
「ボォス・・」

ハンターが息を吸い込んだ瞬間 ジニョンが2人の間に割り込んだ。
「私が レオさんにお願いしたの。 文句があるなら私に言って!」
「ジニョン」


心配・・なんでしょう? 

ジニョンの瞳がゆるくなった。
不器用なひと。 ソウルホテルへ帰ってきた日に 
あなたは 決めたはずじゃない? 「私みたいに生きる」って。 

「私みたいに がさつで単純な女はね。 身内が痛んだらオロオロするの」 
「・・・・」
「そして ともかく駆けつけるのよ。 たとえ何にも出来なくてもね」
「・・・・」


行きましょう。 マリッジリングの光る手が ドンヒョクに向けて伸ばされた。
いったいどこが単純なんだ。 これだから女は 油断が出来ない。

「・・・その左手を差し出すなんて ひどい反則だと思うけどね」

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つましい海辺の実家の居間で ドンヒョクは 黙りがちだった。

くたびれたパジャマを着た父は これ以上ない程 恐縮していた。


「た、大したことは無いんだよ。 心配かけたな ドンヒョク」
「・・・具合の悪い時は 言ってくれないと」
「すまない。 迷惑をかけるつもりはなかったんだ」
「・・・・」

それに その寝間着。 息子は父親のみすぼらしさから 切なげに眼をそむけて
食事の準備をする妹へ すがるように問いかけた。
「もっとましなパジャマはないのか ジェニー?」

「あるわよ い~っぱい♪」
憶えてない?それオッパのくれた物なのよ。 アボジってば そればかり着るんだもん。
「!」


「・・・・」
帰ったらパジャマを2~3着かしら? 100着くらいも買いそうね。
皆にお茶を淹れながら ジニョンは薄く笑っている。

父はゴソゴソと身体を動かして ベッドから這い出ようとしていた。

「オモ お義父さま! 横になっていないと・・」
「いや。その・・ちょっと・・・厠に行きたくてね」
「ああ。 じゃあ私に つかまってください」

ジニョンが脇へ手を差し入れて 義父の身体を支えようとする。
よろける2人を見かねたように ドンヒョクが ジニョンへ歩み寄った。
「それじゃ転ぶよ。 僕が 替わろう」



父を支えたドンヒョクが そろそろと部屋へ戻ってきた。

コムタンを卓へ並べながら ジェニーが2人を嬉しげに見る。
「さあ・・じゃあ。 ゆっくりベッドへ座って」
両手で父の脇を抱えて ドンヒョクは父を支えていた。

「!」

父は黙って手を伸べて 息子の背中へ腕をまわした。

「大きく・・・なったな」
「・・・アボジ」
「手放した時は まだ小さかったのになあ」

あんなに小さい背中をしていたお前を 俺は 行かせちまったんだ。

父はもう腕に納まらない息子を確かめるように 抱きしめる。
思いがけない抱擁に ドンヒョクは その場を動けなかった。


「アボジ・・・腰が痛むから。 ・・・寝て」
「あ? ・・・ああ・・・」
ベッドへ父をそっと下ろして ドンヒョクは小さく息を吐いた。

抱えた父の背中はもう 随分小さく丸まっていた。

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整った横顔が物思いに沈み ハンターは 黙ってステアリングを握る。

ジェニーは車の後部座席で かすかな寝息を立てている。


彼の様子を窺いながら ジニョンは レバーを握る夫の手に
そっと 自分の手を重ねた。

「・・・ドンヒョクssi?」

ドンヒョクは手を抜き取ると 妻の手ごとレバーをつかみなおす。
応えてくれた半身に ジニョンが薄く微笑んだ。
「ジニョン」
「・・・ええ」

僕は どうしていつまでも こんなに不器用な人間なのかな?

親を知らずに育ったジェニーの方が 僕よりずっと自然に子どもになれる。
それなのに まったく僕ときたら・・・
「いい歳をして みっともない」





「!!」

前を見据えたドンヒョクが 撃たれたように眼を丸くした。
愛しい人の唇が 頬へ優しく押し付けられた。

「ドンヒョクssiが不器用じゃなかったら 私 ここにいないかもよ?」
独りぼっちで寂しそうで だから 抱きしめたくなった。
「・・・・」



信号が赤に変わって 車が静かに立ち止まる。

エンジンのうなるわずかな音だけが 2人の間を流れてゆく。



My hotelier, その言葉は まるで 
「愛の告白みたいに 聞こえるよ」
「・・・そのつもりだけど いけなかった?」



青になる。 その先へ行けと 道が言った。

照れくさそうに少し笑って ドンヒョクはシフトレバーを引いた。

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