ボニボニ

 

My hotelier 165. - ハイヒール - 

 




花咲ける季節。 


5月のソウルホテルの庭は 鮮やかな色彩にあふれていた。



ガーデナーの丹精するバラ達が 漢江からの風に芳香を乗せる。

見事に開いた大輪の花が 重たげに揺れるその向こうを
すらりと背筋を伸ばしたジニョンが 軽やかな靴音を響かせて歩いていた。




ヒールをはいた彼女の足は 一瞬も スピードをゆるめない。

追い抜いてゆく支配人に気づいたホテリアー達が 口々に声をかける中
四方へ 笑みと挨拶を返しながら ジニョンは飛ぶように先を急ぐ。


バックヤードを滑るように進み 厨房へ続く角を曲がった時

ためらいなく動いていたきれいな脚が 突然 止まった。

「・・?」



 

バイキングの準備が始まったのだろう。
バックヤードには厨房から 美味しそうな料理の匂いが流れて来る。

ジニョンの眉根が 小さく寄った。


・・どう・・したのかしら?  何だか 少し・・・・




その時 ポケットの携帯がバイブレーションで着信を告げた。

「はい 支配人ソ・ジニョンです。 え?」

OK すぐにそちらへ行きます。 ジニョンがきびきびと返事をする。


ヒールのかかとをきゅっと回して 美しい支配人は歩き出し
ほんの一瞬の違和感は 待ち受ける仕事の中に忘れ去られた。



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「女性をターゲットにしたランチコースなので スウィーツも多品種にこだわりました」


パティシエのチーフが 銀盆に並んだサンプルを示してプレゼンを始めた。

ソウルホテルの会議室では 支配人クラスが集まって
サマーシーズンのレストランメニューに関して 最終調整を重ねていた。



チェックボード片手に試食する支配人達へ パティシエがコンセプトを説明する。

「ソルべ、パルフェ、今夏はバウムクーヘンもコールドで・・」

「まぁこれ美味しい♪ すっごくリッチなお味ねぇ」


仕事半分 イ・スンジョンが幸せそうに味見する。

社長のテジュンやノ料理長 各支配人がテーブルの周りを歩き 試食する中で
ヒールをはいたきれいな脚だけが 戸惑うように立ちつくしていた。


「まぁ~♪ この砂糖の焦げたカリカリ~ん ・・あら?」

「・・・」

「ジニョン?」
「・・・」
「ちょっと あなた」
「ぇ?」



ドギマギと慌てるジニョンの周りを 流し目のイ・スンジョンが歩き回る。
それは あたかも口紅を塗った鮫が 獲物を脅すように見えた。

「な、な、何よ! イ先輩」

「ねえぇ~ ジニョン?」
「ぇ?」
「あたくし この頃 どうも気になってたのだけど」
「・・・ぇ?」


いよいよ丸くなったあごを上げて スンジョンはジニョンを舐めるように眺め

やがて ニンマリ笑みを浮かべて 最後通牒を突きつけた。


「あなたの そのハイヒールは問題ね!」


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5月15日のロビーラウンジで ホテリアー達は忙しく働きながら

毎年この日に行われる小さなイベントを 今か今かと待っていた。



それは 今ではちょっと昔。

ソウルホテルの存亡を賭ける大きな嵐が吹き荒れた時に
奇跡のように実を結んだひとつの恋の エピローグ。



永遠のチェックインをしたハンターが あの日と同じ場所に立って
愛しい半身 ソ支配人が自分のもとへやってくるのを迎える姿は 

ホテリアー達を微笑ませる 年に一度の幸せな行事になっている。




それにしても 今年のロビーには やたらとホテリアーが多かった。


ポーター達は荷物を運ぶと 大急ぎでロビーへ駆け戻るし

交代時間になったギャルソンヌも ラウンジの持ち場を離れない。


フローリストは必要もないのに 店先の花バケツ位置を直しているし
設備管理係が 切れてもいない電灯をチェックするのを見るに及んで

ソウルホテルの社長テジュンは 呆れ顔で天を仰ぐしかなかった。




「まったく どいつもこいつも。 “今年のドンヒョク”の反応を見逃すまいと」

「そういう社長も ロビーになんのご用事で?」
「?!」

オ総支配人が からかい顔でテジュンの隣へやってきた。
彼とて 尊大なあの理事がどんな顔をするのか 見逃したくはなかった。





2人がニヤニヤと見るフロントでは ジニョンがお客様を迎えていた。

カウンターに立つスタッフは ちらちらとエントランスへ視線をやる。



やがて ザワ・・と ロビーの空気が揺れて 背の高い影が現れた。

「ソ支配人。 理事が」
「! ・・・えぇ・・」



クスクス笑いのスタッフに苦笑いして ジニョンがフロントカウンターを出る。

にこやかに近づくドンヒョクは 毎年のようにたった1輪
「My hotelier」と名づけられたバラを持ってやってくる。


「あの日の場所」まで来たドンヒョクが 幸せそうに立ち止まった。


「・・・」

「・・・」

「・・・・」


・・・・・・・・・?・・・・





不思議そうなドンヒョクの顔。 ジニョンはじっと立ちつくしている。

・・どうした?  君は なぜ来ない? 
いぶかしげな顔のドンヒョクは ふいに 妻の顔色が青ざめていることに気がついた。


「ジニョン? 具合が悪いのか?」
「ぇ? あ・・。 ・・・ええ 少し」
「?!」




馬鹿だな 早く そう言えばいいのに。 

慌てて近寄ったドンヒョクは 妻の腰に腕をまわして抱き寄せた。


「ちょっ・・! ドンヒョクssi! 皆が見ているから!」

「見世物になるのは毎年のことだ。 どこが悪い? 頭痛?」



「・・・・ル」

「え?」
「ハイヒール」
「えっ?」




転んだりするといけないから ハイヒールはもう・・だめだそうよ。


モジモジとジニョンが小声で告げて ロビー中が息を飲む。
たった1人だけ カンの悪い男が 妻の容態を心配していた。

「ハイヒール?! 外反母趾か何かかい?」

「いいえ。 ・・もぉ!」
「?」
「イ先輩が皆に言いふらすから もぅ いやっ!」
「?」




いったい 何が起きているのだ?  

辣腕のハンターは 周囲を見回す。
いきなり自分だけが知らないゲームに参加させられたような気がした。


それでも妻を抱き寄せたまま ドンヒョクは周囲へ視線をめぐらした。

今にも笑い出しそうなフロント 眼を2倍にして見ているポーター
俺は見物してないぞと わざとらしく咳払いするテジュン・・・

 “!!”



突然 稲妻がドンヒョクを撃った。

転んだりすると いけないから?




「・・ジニョン?」

「ええ」
「pregnant?」
「・・・」


こくり こくり。 

恥かしそうに染まった頬が ドンヒョクの胸へ逃げ場を求める。
周囲をぐるりと見回した理事は ようやく 呼吸することを思い出した。


「I got it」


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きゃぁあああああ!


ドンヒョクssi! ちょっと! だめよ! 降ろして!



連れ去られてゆくジニョンの悲鳴が ロビーラウンジに響く。

大股で歩くドンヒョクは ドアの前で立ち止まり 
あ然と見送るホテリアー達を 冷ややかな顔で振り返った。



「諸君」

「・・・」「・・・」「・・・」「・・・」



妻は明日から産休に入る。 「以後はよろしく」
「なっ?!」

冗談じゃないわよ! ちょっと!ドンヒョクssi!

「うるさい。 ハイヒールは厳禁だから 僕が運ぶしかないだろう」
「運ぶって ちょっと! ねえ!」



何を馬鹿な・・降ろしてってば!!

産休だなんて私は絶対! ヤッ! シン・ドンヒョク!!!






花咲ける季節。

5月のソウルホテルの庭を バラの香りの風がわたる。
首尾良く 妻を身ごもらせたハンターは いそいそと棲み家へ引き上げてゆく。



大騒ぎするジニョンの声がドアの向こうに消えたロビーでは

我に返ったホテリアー達が どっと 大きな笑い声を上げた。

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