ボニボニ

 

My hotelier 168. - 交 代 - 

 





真夏の夜は どことなく現実の輪郭があいまいで

誰かに夢だと囁かれたら いきなり消えてしまいそうな不確かさがある。


或いは それは夏という季節が 切り取って思い出にされるためのもので
そのため 時間が少しだけ日常から浮いているのかもしれない。




ジニョンが寝室へ入って行くと ドンヒョクはテラスで夜を見ていた。

肩幅の広い彼の背中が 想いに沈んでいるように見える。

ごしごしとラフにタオルを使いながら 気楽な視線を投げたジニョンは
愛しい後姿が いつもの強気を装えずにいることに気がついた。





・・ドンヒョク・・ssi・・?


子どもが出来たと知った途端 毛を逆立てるように緊張した彼。

それから一転。 いつものように 陽気で悪戯なハンターになった。



だけど・・・ そうよね My hunter。 

戸惑わずにいられる訳はない。 あなたの中にある 特別な言葉。  
「父親」に もうすぐあなたはなろうとしている。



むこうを向いた横顔が 部屋の灯りで作られた影の中に沈んでいた。

ジニョンは黙って恋人に近づき 立ちすくむ背中を抱きしめた。

「!」





「・・・」

温もりで話す わずかな時間。 少年のもろさが腕の中で揺れる。
やがて振り向いたドンヒョクは 晴れやかな意志を眼にたたえていた。




「・・僕は 遠慮しすぎていた?」

「ぇ?」

体調が悪いこともあるだろうと 大事にしているつもりだったのだけど。


「悪かった。 思わず抱きついてしまう位 君が欲求不満を抱えていたなんて」
「な・・!」
「もちろん 妻がその権利を主張するなら 僕には 喜んで応じるつもりがある」
「ち、ちょっと!」


いいんだジニョン 僕が悪かった。 

策士はすっかりいつもの調子で ふわりと妻を抱き上げる。
いそいそとベッドへ向かうドンヒョクから つかの間の憂いは消えていた。




すんなり伸びたきれいな脚が シーツを柔らかく撫でてすべる。

筋肉質の脚が膝を割り 白い腿の奥深く鍛え上げた身体が入り込んでいる。

肘で身体を支えたドンヒョクは 組み敷いたジニョンを気遣いながら
両手で彼女の頬を包んで 満足そうなため息をついた。


「今にお腹が丸くなって 君に乗れなくなったとしても
 何かバリエーションを考えてあげよう。 僕は 愛妻家だからね」
「まったく・・」



いつも通りの 悪戯な彼。

さっきベランダで夜を見ていた 傷つきやすい瞳を思い出す。
ジニョンは そっと腕を伸ばしてドンヒョクを胸に抱き寄せた。

「・・・」

「ドンヒョクssi。 ・・何か あった?」
「ジニョン」


--------



半身に 隠しておけるなんて 考えるほうが間違いだったな。

ジニョンの胸に抱かれながら ドンヒョクは薄く苦笑した。
ほんの少しの戸惑いを ジニョンは見逃さずにいてくれた。



「・・ジョンミン先生に 電話したんだ」

「パパに? オモオモ 何か ウルサいことを言われた?!」
「“早急に2人してこちらへ来るか。 わしらの来訪を待つか決めろ”って」
「?」

我々の家族が増えるという 重大極まりない報告を

「“ドンヒョク。 まさかお前は 電話で済ますつもりではあるまいな?”」
「きゃー・・!」

家族への愛は地中海よりも深く。 熱血舅ソ・ジョンミンは あい変わらずだった。



「もちろん 即座に聞くしかなかった。 “次のお休みは 何をされていますか?”」
「わぁ じゃあ 実家へ行かなくっちゃ」
「ぅ・ん。 ・・それで行くことになった。 その・・東海へ」

「!」





“ドンヒョク。 お父上には伝えたか?”

“?! ・・はい その 妹のほうから”

“そんなことだと思っておった。 我が家へ来るのは 次の休みの次でいい”
“ぇ? いいえ。 でもそれは”
“ドンヒョク”

“・・はい”

“お前から手を伸べて差し上げなければ 父上は 絆にすがれないぞ”






「・・・」

黙り込んだ恋人の髪を ジニョンの指が優しく梳いた。
ドンヒョクがぼんやり眼をやると ジニョンが愛しげに見つめていた。

「交代ね」
「?」

「ポジションが1個ずれるのね。ドンヒョクssiがアボジでお義父さまはハラボジ」
「・・・」

「私がママかぁ。 そんな重要な役がこなせるかなぁ」
「・・・」
「でも きっと大丈夫よね。 ドンヒョクssiと一緒だもの」


「・・・」



---------




今日の漁は すでに競りまで片付いたようで 東海の漁港は静かだった。

訪ねて来たはいいけれど なじみの店に聞いてみると
父はそのへんの堤防で 小魚を釣っているという話で

ジニョンは 夫を急きたてるようにして堤防にやってきたのだった。




「あ いらしたわ。 ね!あそこに座ってるのが そうじゃない?」

「・・・」

振り向くジニョンは 居心地悪そうにポケットへ手を挿したドンヒョクを笑う。

コットンのシャツが 似合っているわ My hunter。
一枚ずつ あなたが鎧を脱いでゆく。



舅の元へ急ぐジニョンの後を あきれる程離れて ドンヒョクが追う。

ようやくドンヒョクが近づく頃 父は嫁のおしゃべりに笑っていた。


あっはっは・・

「もー! おもちゃ屋さんが開けそうな位なんですから」
「しょうがないさ。 子どもが生まれるのは嬉しいもんだ」

“!”

「あ ドンヒョクssi」


お義父さまに買い過ぎを叱ってもらおうと思ったのに 当てが外れちゃったわ。
ジニョンが 大げさに膨れてみせる

息子の姿を見た父は 慌てて笑いをしまいこみ 気後れしたような微笑になった。



「・・・」

「ぁ・・忙しいのに よく 来たなドンヒョク」

「・・えぇ」


ドンヒョクは ちらりと半身を見た。 ジニョンの眼が 心配そうに揺れる。
きっと ジョンミン先生も あんな眼で僕を思っているのだろう。

胸に 温かいものが満ちた。 



「アボジに 交代を宣言しようと思って」

「ぇ・・?」

「これからは 僕がアボジになるのだから アボジは交代してハラボジです」
「そ、そうだな」
「年長者はもう少しいばってもらわないと 孫に示しがつきませんよ」
「あ あぁ・・」


そうだな と 父はやっぱり小さな声で言う。

ドンヒョクはせいせいと空を見上げて 今日も暑いなと額に手をかざした。


--------




「・・・」

「・・・」

「・・・僕に夢中なのは仕方ないが そう覗き込まれると気が散るのだけど」

「オモ ご、ごめんなさい! あの・・ドンヒョクssi?」
「却下」



何にも言っていないじゃない。 助手席でジニョンが頬を膨らませる。
「好物」のふくれっ面を横目で見て ドンヒョクは前方へ眼を戻した。

「君の言いそうなことはわかるよ。 シーフードだろう? 絶対だめ」



特に 活きたタコなんか食べて お腹のベビーが吸いつかれたらどうする。

「・・ハーバード卒らしからぬ 非科学的な事を言うわね」


「とにかく生ものは絶対却下。 夏場だし 君は普通の身体じゃない」
「妊娠は病気じゃないわ。 ・・って 今は 食べ物の話じゃなくて」
「ダーリン。 それ以上の欲求は ソウルまで我慢してもらうしかない。
 ・・まぁどうしても我慢出来ないと言うなら 茂みに車を入れるけど?」
「ドンヒョクssi!!」



どうしたの?  


何だか ドンヒョクssiが嬉しそう。

そりゃあ今日は お義父さんと上手く話せたけど。 それだけじゃなくて。

「?」



淡く微笑む半身を ジニョンは不思議そうに見る。

“子どもが生まれるのは嬉しいもんだ”

僕がアボジの子どもだった頃 アボジは そう思ったのだろうか。
ドンヒョクは サクラ貝のような言葉をひとつ 思いの中で転がしていた。

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