ボニボニ

 

My hotelier 170. - 乗り越えた者 - 

 





ソウルホテルの一角を占める バー「カサブランカ」は

仏領モロッコをイメージしたという エキゾチックな内装と
無口で確かな腕を持つ 女性バーテンダーのカクテルが魅力になっている。


そして カウンターの向かって右 バーテンダー正面のスツールは

シン・ドンヒョクが 悠々とした時間を楽しむ定位置になっていた。




「どうして僕のマティーニだけ オリーブが1個なんだろう?」

理事が先日 何故この店はオリーブを2個入れるのかと言われたからです。
百選練磨のバーテンダーは グラスを拭く手を休めずに応じる。


「オリーブの分だけカクテルが少ないとおっしゃったではありませんか」

「でも これだとオリーブが1つ少ないんじゃないかな?」
「・・・」



・・お暇なんですね?

バーテンダーは 悪戯そうに口の端を上げる男の怜悧な美貌を恨めしげに見た。


相棒のレオがいない今夜。 愛しい人を待つハンターは
いつものように ソウルホテルに遊んでもらうつもりらしかった。

“私って。 ソ支配人から 盆暮れの付け届けを貰ってもいいかもしれないわ”


それでもプロのホテリアーは 客の期待を裏切れない。

何か気の利いた反撃をと バーテンダーが口を開きかけたとき
カウンターの左側に座っていたカップルの 女性がすっと立ち上がった。




「もうだめね 私たち」

「・・・」


さようならという 言葉は声にならなかった。

青ざめた頬をゆがめた女性は ドンヒョクの後をすり抜けると
「カサブランカ」の 戸外へ通じる出口の方へ去って行く。

背中で女性を送ったドンヒョクは 隣り合ってしまった愁嘆場に

そっと笑みを閉じこめて マティーニのグラスへ唇をつけた。





「追わなくて いいのか」
 
「?!」

残されて身の置きどころを失くした男へ ドンヒョクの声は静かだった。
彼女 外へ行ったみたいだけど。 女性が独りで歩くには この辺 夜は暗いから。

「TAXIは 拾えるだろうけれど」

「・・・」



男は 伏せていた顔を上げると 眼の前のグラスを一気にあおった。

自棄のような男の飲み方に バーテンダーが少し うつむいた。



「仕方がないんですよ」

彼女はこの街を離れられないのに 僕の仕事は海の向こうだ。

「平行線は 決して交差しない」
「・・・」
「俺たちは「結ばれない運命」なんです」
「・・・」



ドンヒョクはゆっくりグラスを空けた。 レオの言葉を思い出した。

“ボス 愛と酒は同じだぜ。 きつい酒ほど頭と胸がカッとするが 
 どんなに強い酒だって 時間が経てば醒めるものだ“


「・・“一生 酔っているかもしれないな”」

「え?」
「あぁいや 独りごとだ」

君が運命と言うのなら それはきっと そうなんだろう。




会話はそれで途切れたのに 男はその場を動かなかった。

カウンターに座る若い苦悩に バーテンダーも声をかけあぐねている。
ドンヒョクは小さく肩をすくめると 彼女に 次のオーダーを出した。  


「My hotelierを貰おうかな バーテンダー。 もう少し待たされそうだから」

「はい! “オーダーしても なかなか出てこないカクテル”ですね?」
「誕生日までだよ。 酷いと思わないか?」
「ふふふ」


酷いと言いつつ 理事は特別 気にしていないように見えますよ。

バーテンダーはからかうように言い オレンジキュラソーの瓶を開ける。
ふわりと明るく 陽気な香りが カウンターのこちら側まで漂ってきた。




男は 何か言って欲しいかのように 恨みがましい眼をこちらへ向ける。

バーテンダーの手元を見つめながら ドンヒョクは小さくため息をついた。


「君の思い じゃないのか?」

「?」

自分の思いを見つめたほうがいい。 君の心が運命を受け入れるかどうか。
僕の場合は「彼女と結ばれない運命」を どうしても 心が受け入れなかった。


「6年前 僕の人生はアメリカにあったんだ。 全部捨てた」

「?!」

「彼女は僕のもとへ来ることが出来なかった。 だから 僕が行くしかなかった」
「・・そんなこと」
「どうしても出来ないと君が思うなら それが答えなんじゃないかな」

「・・・」




ドンヒョクの前へグラスが置かれた。

ストレートで明るく、陽気に香る、ジニョンのような My hotelier。


「思いは運命を超えることが出来ると 僕は 信じているけどね」


---------




半べそ顔のソ・ジニョンは あたふたと中庭を急いでいた。

もぉう! よりによって今日に限って 次々と難題が起きるんだもの。
これから着替えて あぁもう!髪だって走り廻ったからボサボサじゃない。


ドンヒョクssi  怒って・・いるわよね? 

今日は 彼の誕生日なのに。



「こらっ!」

「きゃっ!!」


まったく見ていないと またそんな。 「走るのは厳禁だと言っただろう?」

「ド・・ンヒョクssi どうして・・。 ぁの・・その待ちくたびれて?」
「いや」
「ぇ?」

「会いたくて」
「?」

一生醒めない 恋の相手に。 強いカクテルを飲んだからかな。
僕が乗り越えた運命の その先に会いたくなったんだ。

ドンヒョクがジニョンを抱き寄せる。 着替えなんかいいから 家へ帰ろう。


「制服姿は嫌いじゃない。 脱いでくれたら それ以上に好ましいし」
「どうしたのドンヒョクssi? ・・・酔っているの?」
「ずっとね」

「???」



ドンヒョクはジニョンに腕を回して サファイアハウスへの道を歩き出す。

眼の前の坂を上ってきたTAXIから 若い女性が慌てて降りて来た。

「!」「・・?」



彼女の方が 運命を超える心を決めたのかもしれないな。

唇を噛んで走り去ってゆく女性を ドンヒョクはまぶしげに見送った。


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ところでジニョンは何か僕に 言いたいことがあるんじゃないか?

「え・・? あ! そうだわ!!」



Happy Birthday ドンヒョクssi。 39歳のお誕生日おめでとう!

あなたの今年にたくさんの たっくさんの幸せがありますように。


「幸せはもう 大きなのが1つ 確約されたけどね」
「うふふ♪ それでねプレゼ・・きゃっ!!」
「ん?」

・・・ぁ・・・・

「え?」


眼を丸くした恋人を ドンヒョクは不思議そうに覗きこむ。

ジニョンの両手が 確かめるように お腹を撫でていることに気づくと
ドンヒョクの瞳がきらめいた。

「動いた?」

「・・えぇ・・・」
「おめでとうって?」
「そう みたい」



なかなか礼儀が出来ているじゃないか。 さすがは僕のベビーだな。

まだお腹をさすっているジニョンを 弾ける笑顔で抱き寄せて
有頂天のドンヒョクは 幸せに歳をひとつ 重ねた。

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