ボニボニ

 

My hotelier 172. - ハロー!マイ・ベイビー - 

 




“・・あぁ もう最低・・・”



ホテリアー達が大騒ぎするなか タクシーの座席へよじ登りながら
ジニョンは あまりの間の悪さに自分の食欲を怨みたくなった。

“きっと私 一生 言われるわ”


食いしん坊のソ支配人ときたら つまみ食いをしている時に 

いきなり産気づいちゃって それは大騒ぎになったのよって。


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ドンヒョクとジニョンの初めての子は 出産予定日が過ぎたと言うのに
外の寒さが気に入らないのか お腹の中でのんびりしていた。

その朝。 

ジニョンは渋るドンヒョクを 無理矢理オフィスへ送り出した。



「冗談じゃない。 僕が 出産の時に君のそばにいな・・」

「だから! 産まれるまでには時間がかかるから オフィスから来ても間に合うの!
 ドンヒョクssiったらもう いったい何日 職場放棄をしているの?」
「・・・仕事に集中できないし・・」
「じゃんじゃん電話が掛かって来るのに 私に張りついてることないでしょう?」


何かあったらすぐ知らせるからと くどいほど何度も念を押して
心配性で過保護な夫をようやく出社させた後 ジニョンは ホテルを覗きに行った。




ソウルホテルの1月は 春節をホテルで祝う客で賑わっていた。

台湾そして中国からのお客様も この数年で随分増えている。

それに合わせて ファミリーユースやレディースユースを意識したサーヴィスも増え
産休中のジニョンとしては ホテルの動向が気になって仕方なかったのだ。



「・・・」


「何をコソコソ物陰から覗いているのかしら? “産休中のソ支配人”?」
「きゃっ! ・・ぁ・・・イ先輩・・・」

イ・スンジョンは 大きなお腹でもじもじしているジニョンを呆れ顔で見た。
貴女 そろそろ予定日じゃないの?


「・・もう・・過ぎてるんだけど。 なんか赤ちゃん・・のんびり屋さんみたい」

「それは間違いなく貴女の血ね。 一人で出歩いて 理事に怒られるんじゃない?」
「出歩くって程の距離じゃないもの。お願い! ドンヒョクssiには内緒にして!」
「・・まったく。 じゃあ 一緒に厨房へ行く?」

「え?」
「ノ料理長が レディース向けの試作メニューを味見しないかって」

「オモ!本当? 行く行く!」


そして 丸々としたお腹を抱えて 海老のアボカドムースを1さじ食べた瞬間

ジニョンは陣痛に襲われて 厨房を大騒ぎに陥れたのだった。


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シルバーメタリックのジャグワーは 山道を 噛みつくように登って来た。

遠眼にもかんかんの怒りマークを貼りつけて 爆走してくる車を
最初に出迎えるドアパースン達は 引きつった笑顔で直立していた。



バンッ!!


「お帰りなさいませ理事 あのっ・・!」

「車をすぐ出せるようにしておけっ!」
「ソ・・!」

ソ支配人は 理事とすれ違いで病院の方へ行かれました。

ドアマン=ミスター・ソウルホテルの 必死の報告は虚しく空に取り残された。
手のつけようもなく激怒する虎は ヒョンチョルを突き飛ばしてロビーを進む。

バックヤードへ押し入ろうとするドンヒョクの腕を テジュンがつかんだ。



「落ち着けっ!」

「?!」
「ジニョンは病院へ行った」
「!」




連絡したんだ 携帯に。 

テジュンはつかんだ手を離すと ポンポンとドンヒョクの腕を叩いた。
夢中で 運転して来たんだろ?


「彼女は 大丈夫だよ」
「・・・」

「すこぶる元気だ。イ支配人と医務室のスタッフが付き添って行った」
「・・・」
「我がホテルのホスピタリティを信用しろ」




怒りに咆哮していた虎が ゆっくり牙をおさめるように
ドンヒョクは張り詰めた緊張を解いて ぎこちなく 冷静さを取り繕った。

「・・病院へ・・行かないと」

「そうしろ。あージニョンからの伝言だ。“運転に気をつけてゆっくり来て”だと」
「・・・」
「安全運転で行けよ“パ・パ”」

「!」





ミスター・ソウルホテルは ドアを開けて 理事が戻るのを待っていた。


「・・悪かった」

「ご心配なのはわかります。 大丈夫ですよ ソ支配人は強運ですから安産です」
「ありがとう」
「あの ソ支配人から伝言が」

「“運転に気をつけて”だろ? ああ セーフティードライブで病院へ行くよ」
「そうなさってください」




“病院へ行くんですかっ?!”


ソウルホテルの車寄せに 悲鳴にも似た女性の声が響いた。

ドアをつかんで立つドンヒョクは 転げるように駆け寄る老婦人に眉を上げた。



「病院へ行くんですかっ?! 私を! 私を乗せて行ってください!」

「?」「!」

子どもが運ばれたんですタクシーを呼んだけど15分位かかると言われて・・。
気が触れた様にわめく老婦人は 完全に冷静さを失っている。

慌てて彼女に説明しようとする 若いドアパースンを振り切って

老婦人は ドンヒョクのスーツの胸にすがりついた。



「お願いです!子どもが! 息子が倒れて運ばれたんです! お願いっ!!」
「お客様っ! お客様! 理事は病院と言っても あの・・」

「どちらの病院ですか?」

「!!」「?」「!」


お連れしましょう。

ドンヒョクは老婦人の肩を抱いて助手席へ座らせ 静かにドアを閉める。
ドアパースンとミスター・ソウルホテルは 呆然と 言葉を無くしていた。




「ミスター・ソウルホテル?」

「はい 理事」

伝言をお願いできるかな ジニョンへ。

「“ゆっくり運転して行くから 少し遅くなっても心配しないでくれ”と」
「いいんですか?」
「君なら 断われるか?」


「・・いえ」


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息子さんは おいくつですか?

知りたい訳でもない事を ドンヒョクは運転しながら聞いた。
狼狽してオロオロと泣き続ける老婦人に 少しでも落ち着いて欲しかった。

「・・55歳。 ・・もうすぐ56になるわ」

「?!」


それは そうか。 

道路標識で道順を確認しながら ドンヒョクは心の中でうなづく。
この老婦人の“子ども”ならば 僕よりもずっと年上のはずだ。


「・・そんな年の息子が心配なのかって 呆れたのでしょう?」

「いえ」 

「貴方 お子さんは?」
「はい。 ・・ぁ・・・まだ産まれていませんが」
「まあ それは楽しみね」

「・・・」




子どもはね。 楽しみで 心配で 心配なものなの。

取り乱すのに疲れたように 老婦人は静かにつぶやいた。


「子どもが産まれた瞬間から いくつになっても ずうっと心配」
「・・・」
「貴方も もうすぐそうなるわ」

「・・・」


ドンヒョクはじっと黙ったまま 車を病院の入口へ滑り込ませた。

テジュンが連絡をしたのだろう。老婦人の孫らしい女性が 玄関へ迎えに出ていた。


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「本当に 何とお礼を言ったらいいか」

「いいえ。 息子さん 命に別状がなくて良かったですね」


子どもの無事を確認した途端 見事なまでに穏やかな老婦人に変わった人へ
ドンヒョクは 感嘆の笑みを浮かべた。



「すっかり足止めしてしまったわ。 貴方のご家族は どちらの病棟?」

「あー・・・いえ」


僕の行く病院は ここではないんです。

「まあ!」

「ええとその 産科病院なもので。 これから 産まれるところです」
「産まれるって・・。 ええっ?! 今日これから?!」
「願わくば」


ああどうしましょうごめんなさい早く行って 本当にとんでもないことをしたわ。

老婦人はまた気の毒なほど動転して ドンヒョクに謝罪の言葉を重ねる。


優しげな顔を泣きそうにゆがめて謝る老婦人を見て ドンヒョクは柔かく微笑んだ。

“こんなに人に気を使う女性が 倒れた子どもを心配するあまり
 僕を 噛み殺しそうな勢いで 病院へ乗せて行けと脅したんだからな“




「貴女のおかげで・・」

「ぇ」

「少しだけ 親の気持ちを知ることが出来ました」
「・・・」
「心配で 心配で でも楽しいんですね?」
「えぇそう。 どうか早く行ってあげて」


「そうします。 どうもありがとう」


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もしも あの時ホテルから ジニョンの元へまっすぐ飛んで来ていたら

僕は今日という1日を 持ちこたえることが出来なかったかもしれない。


気が遠くなる程の不安の後で やっと 緊張が解けた時
シン・ドンヒョクは安らかな脱力の中で 眼をつむり 静かな息を吐いた。

ジニョンはすっかり疲れ果てて それでも最高に気分が良さそうだった。




看護師たちは 狭い空間を行き交っていた。 

どうしてぶつからないのかと思うほど それぞれの仕事を手早くこなし 
きれいな布に包まれた3120gの赤ん坊を ドンヒョクの腕の中へ置いた。


「おめでとうございます。 元気なお嬢さまですよ」

「・・女・・の子・・・」

「“お父さま”は ご存知じゃなかったのですか?」
「ドンヒョクssiったら 知りたくないって言っていたの。 ふふふ・・
 女の子がいいなって言うから 私は教えたかったんだけど。 良かったでしょ?」
「・・最悪だ」
「ええっ?!」


赤ん坊というだけで充分心配なのに そのうえこれほど可愛い女の子だなんて・・。



“子どもはね。 楽しみで 心配で 心配なものなの”

“産まれた瞬間から ずうっと心配”



僕はこれから何十年も この愛しい心配を抱えて生きてゆくんだ。

分娩室に立ち尽くしたまま ドンヒョクは腕の中に抱いた娘をじっと見つめている。


廊下で赤ちゃんのお爺様が大泣きなの 早く見せてあげなくちゃ。
忙しく立ち働く看護師たちが きらめくような笑い声をあげた。

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