ボニボニ

 

My hotelier 174. - ダッド - 

 




ソウルホテルの朝7時。 

気温は 零下2ケタに近い。



凍った道を走るのはやめてと ジニョンに言い含められたドンヒョクは
路面を見るなり肩をすくめて ホテルのジムへ向かって歩き出した。

“・・ジムへ行くなら 少し泳ぐか”


ジムにある彼の専用ロッカーには ホテルで出来るあらゆるスポーツの
ウェアと用具が揃っている。

早朝 トレーニングをする客のために ジムは6時半から営業している。

トレーナーがいれば筋力トレーニングでもと考えながら ドンヒョクは足を運んだ。





「なんだ。 そんな 振り方があるか!」

「?!」


ジムへ足を踏み入れるなり ドンヒョクは ピタリと動きを止めた。 

あまり考えたくないことが どうやら現実になりつつあった。



聞こえた声は 方向からすると ドンヒョクの背中にあるスタジオのようだ。

普段はエアロビやヨガなどの レッスンに使われているその場所は
時に テコンドーや剣道などの稽古場として使われることもあった。



「・・・」


ガラスばりのスタジオから こちらの姿は丸見えに違いないけれど

幸い 中にいる人から見えるのは トレーニングウェアを着た男の背中だ。


“このまま 決して振り向かずに そっとここを立ち去ろう”

ひそかな一歩を踏み出そうと 体重を傾けたドンヒョクに
後ろから ばっさり袈裟懸けで斬り下ろすような声が響いた。


「いいか? 腕で振るんじゃない。身体の芯で振るんだ。 おう ドンヒョク!」

「~~~」




端正なドンヒョクの横顔が ため息とともに眼を閉じた。

誰だか知らない教え子を叱咤しながらも ジョンミンは 娘婿の姿を捕えたらしい。



“まったく・・”

春節(韓国の正月、二月)には 挨拶に行くと言っておいただろう?


冷たい美貌に 精一杯の愛想らしき表情を浮かべながら 
ドンヒョクがゆっくり振り返った。

スタジオの中では ジニョンの父親が顔いっぱいに笑っている。

彼の傍らには 今は支配人のユ・チーム長が情けない顔で立っていた。




「お義父さん・・」

「ドンヒョク! お前も朝の鍛練か? うむ感心だな! 私は今 レストランのユ君に 
ちょっと手ほどきをしていたのだ。ドンヒョクも 来てやらないか?」

「・・・ぃえ 僕はランニングマシンですから・・」
「何だっ? ドンヒョク? 聞こえんぞっ?」
「・・あなたの大声は 遮音のスタジオからもきわめて良く聞こえますね・・」


「り、理事っ! ぁの・・すみませんっ」

スポーツセンターのフロント係が 慌ててドンヒョクに近寄ってきた。
他のお客様がおられますので お話はその ガラス越しでなく中でお願いします。

「~~~~」


-------



ヒュッ! 


不承不承のドンヒョクが 教えられるままに剣を振り下ろす。

まっすぐ空気を断った剣は わずかさえも 先端を揺らがせなかった。



「こう ですか?」

「・・・」


「お義父さん?」

「?!  あ・・ああ それでいい。お前は 剣道を習ったことがあるのか?」
「いいえ?」

「ふうむ・・。 それにしては筋がいい。 足や身構えが剣士のものだ」

「仕事で 年中斬り合いをしているからじゃないですか? 僕は冷酷な喧嘩屋ですし」
「なるほど! お前は 勝負の世界で集中力を磨いておるのだ。 偉いな!ドンヒョク」


「・・・」


冗談を言ったつもりなのに 真正面から褒められて ドンヒョクの頬が赤らんだ。 

やめて欲しい。 まったくこの人は これだから僕は困るんだ。



「えー・・と。 ところで なぜここに?」


孫に会いたいお義父さんのために クリスマスホリディにも顔を出したし
春節には 伺うと言ってるじゃないですか。

いささか呆れ顔のドンヒョクに ソ・ジョンミンは胸を張る。

家族を愛して止まないソ・ジョンミンは 今回 立派な理由を用意していた。



「それはな!  あれだ。 下見を兼ねてホテルで年を越すのもいいかと思ってな!」

「下・・見?」

「アンジーの「トルチャンチ」だ! もちろん ここでやるのだろう?」
「!」


「知らんのか? 韓国では 赤ん坊の1歳の誕生日を「トルチャンチ」と言って・・」
「知っています。 僕だって10歳までこの国にいたのですから」 
「そうかそうか。 ならば「トルチャンチ」は 「家族で」「盛大に」祝ってやるもんだということも 
 もちろんお前は知っているだろうな?」

「・・・」



子どもはすべて 溢れるほどの 愛を注がれるべきものである。

熱血親父改め 今や熱血祖父になった ジニョンの父は揺るぎない。



ドンヒョクはクスリ・・と小さく笑って 温かな暴君に降参した。


-------




「まったくパパってば 何を言ってるの! 今日は結婚記念日なのよ!」

ジニョンの声が リビングからバスルームまで聞こえて来る。



ベビーバスの真ん中に座り アヒルを持ったまま声の方を見るアンジーに 
ドンヒョクが とろける声で話しかけた。


「Don’t worry. ママは電話を掛けているんだ。 ママの怒っているパパは 僕じゃない」

「ダア・・」
「賢いな。 そうだ 僕はアンジーのパパ。
 君は大きくなっても僕を あんな風には怒らないだろう?」

「ァア~ジ」
「そうか アンジーは結婚しないんだったな。 忘れていた」



蜜月ムードのバスルームに ジニョンが笑いながら入って来た。

「まったく 何を言ってるの? アンジーは 結婚するに決まってるでしょ!
・・パパって人種は どいつもこいつも」

「パパというのは 生物学的に区分できる「人種」ではないよ」

「ドンヒョクssiは きっとうちのパパみたいに 親離れを拒否するパパになるわね」
「ならない。 第一 僕が「離れる」なんて アンジーの方が断固拒否するから」
「やれやれ・・」


「で? 何だって 君のパパは?」
「パパ達は 新しくなったサファイアヴィラに泊まるんだって。 それでね・・」

「“パパとディナーを一緒にしないか?”」

「そうなの・・ごめんなさい。 せっかくの結婚記念日なのに」
「かまわないさ。 ジョンミン先生も 娘一家の幸せを見ていたいんだろう」

「?!」



ジニョンの眼が丸くなった。

ドンヒョクは ベビーバスから抱き上げた娘をふかふかのタオルで拭いている。
穏やかに微笑むその顔には 不機嫌さがひとかけらも浮かんでいなかった。


・・いったいどうしたの ドンヒョクssi?  

誰かにこの日を邪魔されたりすると 虎のように怒る貴方なのに?



「ドンヒョクssi ・・いいの?」


「くくく。  しかし アンジーの「トルチャンチ」の下見だって?
 ジョンミン先生もまあ 僕が蹴っ飛ばしにくい 上手い言い訳を考えたもんだ」
「怒って・・いないの?」

「僕も父親になったからかな。 君のパパの気持ちがわからないでもなくて」

「オモ・・。 ドンヒョクssi・・・」



優しく微笑んだドンヒョクは 片手でジニョンを引き寄せて 愛想のいいキスをする。

けれど抜け目のない男は もちろん 計算を忘れていなかった。


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“クリスマスにジニョンの実家へ行った時 意外なくらいに快適だったんだ”


まだ小さなアンジーは 一瞬たりとも目が離せないから 

例えば食事をする時に しっかり彼女を見ていてくれると
信じられる誰かにちょっとだけアンジーを預けるのは とてもいい休憩になった。


どうせベビーシッターを頼んで レストランでディナーを食べたとしても

アンジーは今頃どうしているかと気になって食事を楽しめないだろうから。




「ジニョン?」

「なあに?」


「ジョンミン先生たちがヴィラにいるなら ディナーはヴィラへ運ばせたら?
 その方がレストランで食事するよりも 周囲を気にしなくていいだろう?」
「オモ! ・・でも いいの?」
「ただし。 周囲を気にしないからと言って ドレスアップは忘れないでくれ。
 せっかく君の見事な今の胸が 引き立つドレスを買ったんだからさ」


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そして ドンヒョクは絶句する。 サファイア・ヴィラのドアを開けて。



“また やられたな。 ソ・ジョンミン”

決して忘れてはいないはずなのに いつだって 僕は思い知る。


“子どもはすべて 溢れるほどの 愛を注がれるべきものである”


貴方の言う「子ども」の定義には すべての子どもが含まれるんだ。
娘であろうが 教え子であろうが。 

・・そして いつまでも大人になり切れない “僕の中の子ども”であろうが。




久しぶりで入る サファイア・ヴィラのダイニングテーブルには
ジニョンの両親に挟まれて 肩をすくめる父がいた。  気の毒な程 恐縮して。

「め・・迷惑だろうと断ったんだが。 ・・ジニョンssiのお父さんが 誘ってくれて」

「なにせ可愛いアンジーの「トルチャンチ」の下見ですぞ!
 ここは我々 「家族」全員で祝ってやらねばならんでしょう!
 なあ? ドンヒョク?」


ジェニーさんも仕事にキリがついたら こっちへ来ると言っているんだ。



「・・ジェニーも?」

「当たり前だ。 「お前の家族」だろう?!」

「・・・」



「ドンヒョク」
「・・・はい」

「忘れるな。 今はもう お前がこの家族の幹だ」
「・・・はい」




それでは 乾杯しようじゃないか!

情に厚い熱血教師が 晴れやかな声を張り上げる。



私は美味い酒にうとくてな。 コストパフォーマンスのいい酒なら詳しいんだが・・。


「だけど ソムリエが「ドンヒョクはクリュッグが好きだ」と教えてくれた」
「!」
「クリュ・・パパッ?」


「1ダースばかり頼んだから 今日はせいぜい酔おうじゃないか!」



Happy New Year!  来る年に。 たくさんいいことがある年に!





サファイア・ヴィラの 大晦日。

遊び疲れたアンジーは 主寝室のベッドで眠ってしまった。


アンジーに布団をかけるジニョンを ドンヒョクの父がこっそりと見る。
幸せをまぶしく見るような 安心したような父の眼差し。



父に近づくことができずに ドンヒョクは眼の端でそれを見つめた。

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