ボニボニ

 

My hotelier 175. - 1枚の写真 - 

 




ソウル市街中心部。 オフィスビルのエレベーターから 背の高い男が歩み出てきた。


チャコールグレーのビジネススーツにグレーのシャツを合わせて 

シルバーのタイを結んだ彼は ビジネスマンながらどこか 危険な香りを漂わせる。



彼が企業のM&Aを仕掛ける凄腕ハンターと知る 受付カウンターの女性たちは

すらりとしたドンヒョクの長身がエントランスホールを横切って
正面のドアから外へ出てゆくのを ハート形の瞳で見送った。



「ラッキー♪  Mr.クールビューティーに会えたわ」

「ホ~ント眼の保養になるわね。 仕事先へ お出かけかしら?」

「それがね! 実はこの頃 Mr.シンったら 今みたいにフッと出かけて行くの。
 毎度一緒の小さいおじさんは 連れないで。 大体30分とか1時間くらい」
「えー?! そ、それって何というか。 怪しい兆候 なんじゃなぁい?」



愛妻家という話だったけど Mr.シンも 結婚して何年? 


「今年で・・8年?」

「子どもも産まれてしまったし」
「・・となると次は」


「仕事が出来て あのイケメンで」
「・・浮いた話のひとつやふたつ・・」


「いやーん 私も立候補したい~~~」

「いや貴女っていうセンはないから」
「何よぉ。 そんなの立候補はしたもん勝ちでしょ?」


「だめ。 受付カウンターまで 50,000kmは優にあるから」



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少し人影の途絶えた午後。 

オフィスビルのインフォメーションで 受付嬢らがおしゃべりをしている時
シン・ドンヒョクは オフィス街の一角にあるフォトサロンへ足を踏み入れていた。


  ~♪~♪~♪♪~~~


「あ! これは Mr.シン」

「出来ているかな?」


「お運び頂いてしまって。 はい ストレージでお送りいただいたお写真ですね。
 出来ています。 オフィスでもお宅でも 言って下さればお届けいたしますのに」
「いいんだ。 フォトフレームも見たかったし」

「さようですか。ちょうど 今夏の新商品が入ったところです」



にっこり笑ったフォトサロンの店長は  心の中で自分の読みにVサインを作る。

そろそろ次をお探しだろうと思って 「いいお値段の額」を仕入れておきましたとも。





初めての子が産まれた家庭において 飛躍的に増加するのは写真を撮る機会だ。


とりわけ アメリカ育ちのドンヒョクの場合 マントルピースの上縁を
家族の写真を入れたフレームで 埋めつくさねばならないという使命感は絶対で。

かくて オフィス街の中にある有名フィルムメーカーのフォトサロンは

ドンヒョクという 熱心で金離れの良い上客をゲットした。




全紙サイズのプリントを ドンヒョクはそっと袋から取り出した。


「ああ やっぱり発色が違うな。 アンジーの天使らしさが良く出ている・・ね?」

「さようで。 本当に 愛らしいお嬢様です」
「まあ それはね」



全部の写真を大きく焼きたいのだけれど ジニョン・・妻が

「可愛いフレームが無いから普通サイズのプリントにしろ」と言うんだ。

残念そうなドンヒョクが端正な眉根を寄せるので 危うく 店長は吹き出しかけた。



眼前の男は キング・オブ・レイダースと呼ばれる韓国財界の有名人だと聞く。

怜悧な美貌のこの男が 呆れるほどの親バカだと知っている人は少ないだろう。


「せめて4切・・」

「まあまあ Mr.シン。 お子様部屋向けに愛らしい木製パネルもございますから」
「・・パネル?」
「10枚写真が飾れます。いかがですか? 身長計にもなっているんですよ」




それは鮮やかな色合いのキリン。楕円形の網目がくりぬかれて中に写真が入れられる。

コミカルな表情で笑うキリンは 確かに 子ども部屋にぴったりだった。

「ワォ・・・」



店長がドンヒョク狙いで仕入れたフォトパネルは 品も高級だし 値段も高い。

おまけに身長計なので パネル自体の高さもかなりのものだった。


「では これを包んでもらおう」

「は? お持ちになるのですか? かさばりますし・・お届け致しますが?」
「No」



キリンだぞ。 


ドンヒョクは 愛想笑いの店長に ツンと冷たい視線を向けた。

アンジーに見せた瞬間の 反応を何としても見ねばなるまい。


家に届けてもらったりしたら ジニョンが先に開けてしまうじゃないか。




「?!」

店長をにらんだドンヒョクの眼が 驚きに大きく開かれた。

カウンターに立つ店長の 後ろの壁に掛けられたたくさんの額の中に
小さいけれど 見間違うはずもない愛娘の顔があったのだ。



手札サイズの写真の中で アンジーはジョンミンに抱かれていた。

小さくてもわかる柔らかな頬 年齢を重ねた義父の顔との
ドラマチックなまでの対比。


7.5×11cmの掌に納まるほどの画面なのに 吸い込まれそうな魅力がある。

そこには 胸をしめつける 愛しさがそのまま写し取られていた。




「こ・・の・・写真は?」

「? これですか? これはプロが撮った写真です。ソウルホテルの写真スタジオで」
「ソウルホテル?!」


これは銀塩、つまりフィルムで撮られた写真です。 


「ソウルホテルでは 以前より手前どものフィルムをご利用頂いておりまして」
「・・・」


この写真は 現像もあちらでなさった物なのですがあまりに出来が良いものですから。
肖像プリントのお手本として 1枚分けて頂いた次第で。


「個人的に私が魅了されてしまったんですな ハハハ」

「・・・」



もちろんモデルの方にはご許可を頂戴して 飾らせて頂いておりますよ。


「“我が人生最高の傑作写真だからどこへでも出す”と感激されていました」

「・・・」



「ソウルホテルの写真スタジオは 人物撮影に定評がございますよ。
 何ですか就職の応募写真は あそこで撮ると採用される率が高いとまで・・」
「・・・」


「カメラマンの腕がいいのでしょうね。まさに傑作です。お目が高いですね」

「・・・」



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ソウルホテルのエントランスロビーを ドンヒョクが大股で歩いて行く。

フロントスタッフは 大慌てでオフィスのソ支配人を内線で呼び出そうとする。


ところが ドンヒョクはフロントを見て 愛妻の姿がないことを確認すると
不機嫌になるでもなくロビーを通り過ぎて ホテルの奥へ歩き去った。



「肖像写真の神と 言われているそうだな 君は」

「そんな有難い称号を 頂けているとは知りませんでしたが。 何か?」


「思えば結婚式の写真も先日のトルチャンチの写真も それは素晴らしい写真だった」

「理事のお気に召したのなら光栄です。お客様の大事な記念に永く残る物ですから
 一写入魂を心掛けて 勉強させていただいています」


「一写入魂か」
「大袈裟ですよね・・ハハハ」

「いや」




今度 僕に写真術の手ほどきをしてもらえないだろうか?

「僕で良ければ 喜んで。 ・・あ!」

「?」


「それではレッスン代の代わりに 写真を1枚 撮らせてもらえませんか?」
「僕の? いいとも」

「毎日 お客様の記念日の写真を撮っている僕ですが ソウルホテルの記念日に
 カメラが無くて 撮れなかった写真があるんです」
「?」


「5月15日の記念日です」



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5月15日のソウルホテル。


エントランスホールの片隅に カメラマンが立っている。




バンケット会場で 目立たなく撮影する術を知っている彼は
大型のカメラを手にしても 通り過ぎる人々の注意を惹かない。



夕刻。 フロントスタッフが 淡い微笑みを一斉に浮かべた。

ミスターソウルホテルの開けたドアから シン・ドンヒョクが入って来た。
My hotelierと名付けられたバラと アンジーを腕に抱えて。


仲間に照れた笑みを浮かべて ジニョンがフロントカウンターを出る。

一歩、一歩、進むヒールに 小さくシャッター音がかぶさる。




「もぉ・・写真なんて 恥ずかしいじゃない」

人生最大の傑作を 僕も撮ってもらわないとね。



ドンヒョクが柔らかく笑う。 ジニョンが上目使いで笑う。

2人の笑みが交差する中へ アンジーが小さな手を伸ばして
その指先を撫でるように 一写入魂のシャッターが降りた。




「ではソ支配人 チェックインをお願いできますか?」

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