ボニボニ

 

My hotelier177 - house +α=□ - 

 




ソウルホテルの 朝7時。 

キム・ソンミンは 寒風の中 敷地内の道路を走っていた。



ジョギングが日課という訳ではなく することがなかったというのが理由。
会社がクリスマスホリデーに入ってしまうと 意外な程にやることがなかった。

とはいえ普段から走っている訳ではないので ペースがつかめず 息が乱れる。

少し休もうかと考えた時 背の高い男が横を駆け抜けて行った。

「!」




男は 大きなストライドで 見る見るソンミンから離れて行った。

走り慣れた余裕のフォームは ゆったり走っている様にすら見える。

軽快なスピードで走ってゆく男に すれ違うホテリアーが手を振った。
ソンミンは 親しげなその様子を見て ホテルの馴染み客かなと思った。 


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11月末のある日。

キム・ソンミンが帰宅すると 妻が家から消えていた。



「考えたい」だって? 何を考えるというんだ。 

考えるのならこの家で いくらでも時間を持てるだろうに。


どうせ実家へ戻ったはずの妻に ソンミンは謝る気がなかった。

「勝手に予定を変えて連絡しない」とか 仕事なんだから仕方ないだろ?

まるでこっちが悪い様に言われて 電話なんかするつもりは 絶対にない。
キム・ソンミンは フンと鼻を鳴らして 独り暮らしに突入した。




そして 暮が押し迫った頃。 彼はホテルに部屋を取った。 
家での暮らしが 不自由で仕方なくなったからだった。


コーヒーマシンで 朝のコーヒーを飲む方法がわからない。

シャンプーが切れたが 仕事帰りにコンビニで買うのを毎回忘れる。

きれい好きな妻が片付けなくなった部屋は 次第にゴミ箱の様になり
コンビニで買った食べ物の空容器からは 怪しい臭いがするようになった。



脱いだ衣類が 脱衣カゴの飽和量を数倍越えてあふれ出し

妻が洗ったシャツのストックが切れた時 ソンミンの神経の限界が来た。


ソンミンはスマホを取り出して 妻の携帯のナンバーをしばらく見つめた後
車を出して ソウルホテルへ向かったのだった。 


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「おはようございますお客様 お早いですね」

「?! ・・あぁ おはよう」



先程ソンミンを抜いて行った男に 手を振っていたハウスキーパー達が

ジョギングをあきらめて歩いているソンミンに 愛想良く朝の挨拶をした。

部屋へ戻るとクローゼットの中には クリーニング済の衣類が掛けられており
シューシャインコーナーへ置いた靴は 顔が映りこむ程に磨かれていた。


「私は無料の家政婦じゃないの」と ため息まじりに妻は言った。

全くだな。 確かにホテリアーなら 彼女のように文句なんか言わない。 




ロビーでのんびり新聞を読みながら ソンミンは朝出会った男を思い出していた。

悠々とした大人の雰囲気。 3つ4つ上かな すごくカッコ良かった。

「!」

ぼんやり思い出している時に その男が いきなり眼前を通った。
ラフにジャケットを引っ掛けて 大股でビジネスセンターへ向かって行く。

ソンミンはとっさに新聞を置いて 彼の行った後を追っていた。



「おはようございます理・・ Mr.シン。 データは出来上がっております」

「ありがとう。 悪いね毎年毎年 年の暮れに面倒をお願いして」
「いいえ。 ご利用有難うございます“お客様”」
「フフ・・」


君が手伝ってくれるのを見込んで 会社をクリスマスホリデーにしてるからな。

Mr.シンと呼ばれた男は パラパラと資料へ眼を通す。
窓越しに覗き込んでいたソンミンは 男の端正な容姿に眼を丸くした。



な・・んか ホッントにカッコいいな。

こんな暮れまで仕事なのか 金融関係か何かだろうか? 

ビジネスセンターのセクレタリーまでが 馴染みになっているなんて
ひょっとしたらあの男 このホテルに 住んでいたりするのかも知れない。


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ソンミンが Mr.シンを3度目に見たのは 夜のバーカウンターだった。

カサブランカをテーマにしたという エキゾチックな内装の店。
彼は ブルーマルガリータをのんびりと味わい バーテンダーと低く話していた。



「今夜 ソ支配人は遅番ですよね? アンジーちゃんはどうされたんですか?」

「誘拐された」
「えっ?!」
「義父母が来ているんだ。 孫と一緒に寝ると言ってゲストルームに連れ込まれた」
「ま」

「まあ もう寝てしまったし。 アンジーは寝たら起きないからいい」


敵は大量のぬいぐるみ作戦で来てね。 本当に熱血センセイは困ったものだ。

「仕方がないから 今夜は譲って ここでジニョンの帰りを待つことにしたんだ。
 夜道の暗がりで転ぶといけないし 荷物も持ってやらないと」
「・・・ソ支配人は もう安定期ですよね・・・?」
「それが 何か?」

「・・・いえ」



そんな会話は 離れた席でドンヒョクを窺うソンミンには届かない。

明日が大晦日だという日に バーで悠然とくつろいでいるなんて。
ホテルで気ままに暮らしているんだ 男の理想みたいな人だな。


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大晦日の朝。 

冷蔵庫を開けて ソンミンは小さく舌打ちをした。


ホテルに備え付けの冷蔵庫に いつも飲むブランドのコーラがなかった。

ルームサービスに電話すれば もちろん 買ってきてもらえるけれど
それには わざわざ頼まなければいけない。


“コーラばっかり飲まないの!”

うるさく言いながら 買い置きをストック棚の隅に隠していた妻を
頭の隅に思い出したソンミンは 慌てて 頭を強く振った。




ロビーへ行ってみると ホテルには年越しの客があふれていた。

ツアーの旅客に、子ども連れのファミリー、カップル、のんびりくつろいでいる夫婦。

ホテルは そんなゲスト向けに 様々な趣向を用意しており
ソンミンは 他の日と違う賑わいの中へ 入るのを少しためらった。



・・・こんな時  あの人はどこにいるのだろう?

探すともなしに館内を歩いて ソンミンは カフェで Mr.シンを見つけた。
磨きこまれたカウンターに座り 年配のバリスタと話している。

なるほど やっぱりカッコいいや と自分もカウンターへ座ったソンミンは

カウンターの端にいるドンヒョクを チラリとのぞいて アゴを落とした。


肩幅の広い背中に隠されて ちょっと見ただけではわからなかったけれど
Mr.シンの隣に乳幼児用のハイチェアが置かれて 2歳位の赤ん坊が座っていた。

「こ、子どもがいたんですかっ?!」

「?」


思わず大きな声が出て ソンミンは自分にうろたえた。
ドンヒョクは 少し困ったように ソンミンの方へ振り向いた。

「すまない 騒がしい子ではないから」


ここのミルクプリンが好きでね 人待ちの間に食べさせていたんだ。

申し訳なさそうにドンヒョクが言う。 

隣でスプーンを不器用ににぎって ミルクプリンとやらを食べていた赤ん坊は
突然話しかけて来た男を 丸い眼で不思議そうに見上げた。



「邪魔になるかな?」

「・・ぁ いや。 いいえ そういうことじゃなくて」
「?」

ここ数日何度か貴方をホテル内で見かけて てっきり独身でここに住んでいると・・
しどろもどろに答えるソンミンに ドンヒョクが柔らかく微笑んだ。

「以前はヴィラに住んでいたんだ。 今も 近所に住んでいる」

ここは 素敵な家だったから。 今でも 何かと来てしまうんだ。




あの・・ どうして・・・?

「え?」


素敵な家にいたのでしょう? どうしてホテル暮しをやめたんですか?

初対面の人に 僕は何を聞いているんだ! ソンミンは 自分に困惑していた。
だけど 「男の理想」と憧れた人に 何故 と答えを聞きたかった。


どうしてって・・

「ヴィラは 素敵なhouseだったけど 僕は homeが欲しかったから。
 具体的にはジニョン・・妻が 欲しかったから が答えかな」

「で、でも。 妻がいなくてもホテルなら 日常には不自由しないでしょう?」

「?? 日常の事をしてもらいたくて 妻が欲しい訳じゃないだろ?」
「?!」
「それならハウスキーパーでいい。 僕は 半身が欲しかったんだ」
「半・・身」





“ドンヒョクssi !!”


明るい声がカフェに響いて ホテルの制服が見事に似合う美しい人が現れた。

「ごめんなさいっ!片付いたわ。 直ぐに着替えて・・オモッ! お客様」



し、失礼しましたお客様。 じゃあ ドンヒョクssi先に行って ね?

私話と愛想を交互に混ぜて ジニョンがあたふたと去ってゆく。
仕方ないなと笑うドンヒョクの 愛しげな表情に ソンミンは見とれた。


「並んで 道を歩く半身」

「・・・」 
「要らないなら 無理に持つこともない。 だけど僕には必要だった」
「・・・」


では 失礼。

ドンヒョクがスタイを取って抱き上げると 幼い子は嬉しげに抱きついた。
2人が 通り過ぎる時 柔らかな匂いがした。


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「ご注文は?」

「! ・・・ブレンド・・を」
「承知しました」


バリスタの淹れたブレンドの味は 妻のよく買う豆に似ていた。

何だか憑き物が落ちたように ソンミンはコーヒーをすすりこむ。

これを飲んだら家へ帰って 少しでも部屋を掃除しよう。
それから 電話をするか考えようと ソンミンは心の中で思った。

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