ボニボニ

 

My hotelier179 - コクーン - 

 




小さな指が 頬に ふれる。

ミルクとはちみつに似て 甘く 柔らかな温度のある匂い。


ドンヒョクはゆっくり胸を膨らませて 深く息を吸い込むと
静かに眼を開け 自分を眠りから 呼び出した相手へ眼を向けた。

・・・パァパ・・



突然 底から突き上げて 身体をつらぬく感情は

2年半を過ぎた今になっても まだ ドンヒョクを戸惑わせる。

ちぎれるような愛しさに耐えて なんとかぎこちなく微笑むと
ドンヒョクは こちらを覗きこんでいる娘を 撫でるようにまばたきをした。

「アンジー・・まだ 朝じゃないだろう?」

「パァパ」



バーッデー・・

ぺたぺたとした手が肩に触れて まだ眠たげな頬に 柔らかい唇が吸いつく。
シン・ドンヒョクは 娘のキスで42歳の誕生日を迎えた。

「凄いプレゼントだな。おかげですっかり眼が醒めた」

「プェゼント パタパ・・」


だめだめだめ! 

ささやくように止める声が ベッドルームの暗がりから飛んだ。
ジニョンがベビーベッドから赤ん坊を抱き上げて こちらへ指を振っていた。

「アンジー それは内緒でしょ?」

「ないちょ」

「パパを起こしちゃったじゃない」
「バーッデー」
「お祝いの練習をしたから 言いたかったの」



いろいろ分かるようになって来たから 油断すると大変だわ。

ジニョンは赤ん坊を抱いて戻り 母乳を含ませながら苦笑する。

パタパ・・と言うと?「パタパタ」のことか。 どうやらジニョンは誕生日に
僕が買おうと狙っていた 新しいタブレットをくれるらしい。

ドンヒョクは“ないちょ”を推定すると 気づかない風を装う。

赤ん坊が泣いてジニョンが起き アンジーも眼を醒ましたということらしかった。




ゆっくり寝たいジニョンの為にあつらえた 湖ほどもある2人のベッド。
ベビーベッドを卒業した娘は ここで眠ることを選んだ。

産休中のジニョンが 夫の睡眠を妨げないよう 寝室を分ける提案をしたが

厳然と申し出を却下した結果 ドンヒョクは女2人と寝起きしていた。


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んくんくと 幼い喉が鳴る。

ジニョンは赤ん坊を胸に抱いて 眠そうに頭を揺らしている。


アンジーは 丸い眼をみはって 母と弟の姿を見つめていたが

シーツの草むらを這ってゆき ジニョンの脇へ横たわると
体温を分けてもらおうとするかのように 小さな身体をすりつけた。




“下に赤ちゃんが生まれると 赤ちゃん返りするわね きっと”

周囲の皆がそう言った。 だけどドンヒョクの小さな娘は
両親と弟をじっと見つめて 静かに 事情を理解しただけだった。



“アンジー”

ドンヒョクの眼元が 少し歪む。

眼の奥に 細い膝を抱えて しゃがみこんでいる少年が見えた。

父親が 自分を見知らぬ国へ行かせる話をしている時に
心の叫びを呑みこんで しゃがみこんでいた少年。


アンジー? 君は 僕みたいに「事情を理解」したりしなくていいんだ。

ドンヒョクは大きく腕を広げて 娘を胸に抱きしめた。
その向こうにいるジニョンと ジニョンに抱かれた弟ごと。

「あー?」
「きゃっ! ち、ちょっとドンヒョクssi? なっ?!」
「パァパ ぎゅうぎゅう」

「ふふふ」


そうだな ぎゅうぎゅう。 

今の僕は 半身を 増えた幸せごと抱きしめることが
出来るくらい リーチが長くなった。

ジニョンがぷっと吹き出して こちらへ身体を寄せて来た。

両親から盛大に迫られて アンジーがくすぐったそうに身をよじる。


サファイアハウスのベッドの上。 アッパーシーツで出来たコクーン(繭)は
くすくすとくぐもって笑いながら もう少しだけの朝寝をした。


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ソウル市内の オフィスビル。

豪勢な大理石張りのエントランスホールでは 外国人らしいビジネスマンが
インフォメーションカウンターにしがみついていた。



「申し訳ありません。 Mr.シンは アポイントの無い方とはお会い出来ません」

「だから! そこを何とか! 5分だけでいい!頼む!」

「申し訳ありません。 アポイントを取ってまたお越しください」
「取るよ! 次は必ず! だけどせっかくソウルまで来たんだ!
 今夜の飛行機で戻らなきゃいけない。その前に 少しだけ話をさせてくれ!」
「本当に申し訳ないのですが 規則ですから・・」


インフォメーションカウンターのスタッフは ちらりと警備員の方を見る。

合図をするのは最終手段で そのカードは 簡単に切るものではない。

とはいえ しぶとく粘る相手を 振り切ることが出来ない彼女は
後でクレームをもらう覚悟で もう一度 上のフロアへコールをかけた。




「ですから。 アポイントの無い方は お帰りいただいてください」

セクレタリーの声には わずかに苛立った色があった。

プライベートオフィスのドアを開けて レオと話しながら出て来たドンヒョクは
珍しく 平静を揺らしたセクレタリーの応対に眉を上げた。


「何だ?」

「あぁボス! すみません」

アポイントの無いお客様がどうしても会いたいと 下で騒いでいるそうで。

「ちょっと行って お帰りいただいてきます」


デスクを立ちかけたセクレタリーに レオが 軽い口をきいた。

「誰だよ? まさかまた ジョンミン先生じゃないよな?」

「いえ シンガポールの商社の方です。 お名前は カイ・ジョンストンさんと」
「商社マンは 強引が商売だからなぁ」

「・・・」



5分だけ会うと 下に伝えてくれ。

ドンヒョクはすらりと踵を返して オフィスの中へ戻ってゆく
思いがけないボスの言葉に レオとセクレタリーが眼を丸くした。


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青年の用件は これからする仕事のオファーを受けて欲しいという要望だった。

貴方でなければこの仕事は出来ないと確信したので 無理を承知で会いに来ました。
30代前半とおぼしき青年は 熱のこもった口調で言う。

ドンヒョクの前には まだ受けてもいない仕事の資料が積み上げられた。



「報酬の件は 何があろうと役員会の了承を取り付けます」

その為に 一度 貴方に会っておきたかったんです。やっぱりあなたは凄い。
「ご無理を申してすみませんでした!」


「次回は 忘れずにアポイントを取ってもらえると 皆が困らない」

「すみませんっ! 俺・・僕、もう夢中で・・会えて本当に良かったです!」
「それは何より。 では時間だ。 もう帰っていただけるかな?」
「はいっ! ありがとうございました」


あのぅ ところで・・

帰りがけに振り向いたビジネスマンは ドンヒョクの怜悧な顔を見つめた。


「どうして 会ってくれたんですか? 僕に」
「君が会わせろと言って 退かなかったんだろう?」
「ええ それはそうですが」

貴方は どんなに相手が強引でも その気が無ければ会わない人ですよね?

「なのに どうして会ってくれたんですか?」

「そうだな。 ・・・君が カイ・ジョンストンだから かな」
「?」


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サファイアハウスのリビングは ペーパーモビールでいっぱいだった。

天井から吊り下げられた 色とりどりの紙玉は
今日の主役のためというより 祝う子どもたちのためのもので

小さな2つの眼は ずっと ゆるやかに揺れる色に夢中だった。



「わあ これじゃまるでトルチャンチね」

いささかやり過ぎの飾りつけに ジニョンが 腕組みのまま首を振る。
ドンヒョクssiは 確か クールでドライな企業ハンターじゃなかったっけ?


「いいのいいの!」

子どものいる家は クールだドライだなんて言ってられないの。

祝う子どもが楽しいことが オッパには嬉しいはずだもの。

きれいにアミューズグールを並べた トレーを抱えてジェニーが笑う。
最近 ドンヒョクの妹は 前菜をまかせてもらうようになった。


「でもオッパったら 遅いわね。 今日は半休じゃなかったっけ?」

「打ち合わせ1つだけと言ってたけど。まあ 行けば忙しいんでしょ」
「ジニョンオンニ 1ポイントゲット」
「え?」


ホテルに行けば 年がら年中「仕事で遅刻」だもん オンニの場合。

「産休のうちに 少しでもマイナス取り返すつもりでしょ?」

「オモオモ!そんな・・ことは・・あるかな・・・」
「あ!オッパの車の音だ! あんまりポイント稼がせてくれないね」
「だからねぇジェニー・・。 ポイントって」



おかえりなさーい!


わいわい賑やかな家の中に 花やギフトボックスを抱えて
シン・ドンヒョクが帰って来る。

この歳でいらないと言ったんだけど。スタッフがね。

ジニョンに手土産を渡したドンヒョクは テテと駆けて来た娘を抱き上げた。



「バーッデー!」

「ありがとう。 ・・すごい飾りだね」
「アンジがちた」
「それはそれは とても素晴らしい飾りだね」

「パァパ! “ぎゅうぎゅう”!」

「・・え?」



荷物を置いてきたジニョンが いたずらそうに肩をすくめる。

ドンヒョクssi? アンジーは パパの“ぎゅうぎゅう”が 
すっかり気にいってしまったみたいよ。

「“ぎゅうぎゅう”?」

「やってみましょうか?」


両手を広げたドンヒョクの妻が アンジーを抱えたドンヒョクを
力いっぱい抱きしめて アンジー越しにドンヒョクへキスをした。

「すっごいきゅうくつ。 Happy Birthday ドンヒョクssi」

「ワォ・・」
「ぎゅうぎゅう~♪」


やれやれ いつまでもお熱いコト。 

ジェニーが大げさに呆れた顔で オーブンから焼き上がったケーキを取り出す。


ジニョンが腕を放した瞬間 ドンヒョクが片腕でジニョンを抱きしめた。

「オモ?!」

「誕生日だぞ。もう一回キスしよう」

「ぎゅうぎゅう~♪」
「アンジーも賛成だそうだ。 ・・カイは?」
「寝てる。 ディナーが始まってから起こすわ」

「ケーキまで起こさなくていい」


それではkiss。 

ドンヒョクとジニョンにつぶされて アンジーが楽しげな悲鳴を上げた。



「ところで どうして遅くなったの?」
「しょうがないだろ。 来たのがカイだったんだから」

「?」

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