ソウルホテルのロビーの片隅には、
飴色の美しいデスクが置いてある。
カウンターベルを置くその机には、 ―Concierge―
案内係と 小さなプレートが出ている。
「ソウル中央高校への道順ですか?かしこまりました。」
カウンターの中で、落ち着いた女性がにこやかに微笑み、ファイルを取り出す。
きれいに整ったインデックスから、アクセス・見所・周辺のチェックポイントと
必要なだけ情報のコピーを取り出して、彼女はにこやかにお客様に説明を始めた。
ソウルホテルのベテラン・コンシェルジェが持つ情報は、
すべて彼女が自分の足で稼いだものだ。
「今日」そこへ行くお客様に、間違った古い情報を手渡して
大事な時間を無駄にさせないように・・。彼女は常に 現場確認を欠かさない。
新しいお店、意外な穴場、素敵な花束を作るフローリスト・・
彼女のデータバンクは、トッププロだけが作れる、情熱に満ちたものだった。
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そんな揺るぎないプロが、今日は気になる事を抱えていた。
“だいじょうぶ、ちゃんと・・待てる。
だから・・行ってきて。ママ”
はあはあ・・と赤い顔で言いながら、それでもけなげに送ってくれた娘。
高齢で産んだ子どもなので、彼女の年齢に比べて、子どもはまだ幼なかった。
人に伝染する類の病気なので、いつもの所へ預けられなかった。
突然すぎて、どうしても、時間内にシッターの手配がつかなかった。
“大丈夫。あの子は待てる。でも・・”
こんな時、働く母親はいちばん切ない。
ピンと伸ばした背筋の中で、コンシェルジェは、いたたまれずに心を揺らしていた。
2人の男が、コンシェルジェのデスクに近寄ってきた。
「すまないけど・・・、ソウルで一番洋書の充実した本屋はどこになるかな?」
「その周辺でコピーもしたいのだけど・・。」
「あ、はい・・・。」
気を取り直してお客様に向き合う。
そんな彼女にドンヒョクが、いぶかしそうに声をかけた。
「君は常に、もっとにこやかなはずだけど、・・・何かあるのかな?」
「は?・・・!」
その時になって、彼女は自分の接客相手が、シン理事とレオである事に気が付いた。
「あ・・・すみません。私事に気をとられまして。」
どうした娘さんが病気でひとり?信じられないそれでも仕事しているのかと、
アメリカ人らしくレオが大声で言う。早退しなさいよ。
「・・本当に 帰ったほうがいいんじゃないのかな?」
控えめに心配するドンヒョクに、コンシェルジェが言った。
「ありがとうございます、理事。でも私の仕事は、経験が命で・・代替がいません。
・・ご心配をおかけしました。」
ソウルホテルのコンシェルジェが にっこりと微笑んだ。
少し目尻にしわの見える彼女の、きらめくようなプライド
ドンヒョクがまぶしげにホテリアーを見た。
「じゃあ、すまないが、少々お手数をおかけできるだろうか?。」
「もちろんです。お客様。」
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「ママ? ・・・お仕事はどうしたの?」
「ちょっとだけ、抜けられたの。ああ、今朝よりも顔色が良いわ。もう少しだからがんばって。」
「大丈夫よママ、わあ、アイスクリーム!」
「美味しいわよ、ソウルホテルのパティスリーのなんだから。」
少しだけ母親に戻ったコンシェルジェが笑う。鼻の奥がつんとして涙がこぼれた。
“用事を頼む。熱を出した子どもにアイスクリームを届けてくれ、”
「申し訳ないが、君が行ってくれないか?」
「でも・・・。」
「その位の時間ならいいだろう?コンシェルジェデスクは、決して混乱させない。
・・・それとも理事命令にしなくては 聞けないか?」
―今頃、ジニョンがコンシェルジェ・デスクにいるのかしら?
理事に言われてデスクにいるだろう人を思って。彼女は少し焦る。
―あの娘ならまあ、安心だけど、でも早く戻らなきゃ・・。
子どもを抱えて働いてゆく女性なら、何度でもある、こんなこと。
ああ、でも今日だけは、本当に心配だった。
コンシェルジェには 素直に理事の思いやりが嬉しかった。
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レオの運転でホテルに戻り、ロビーに入ったコンシェルジェは、・・・デスクを見て
あまりのことに呆然とした。
「・・・そのシーンのロケ地なら、プラザホテルです。行きかたはこちらにコピーが・・」
「まあ、どうも・・あの~、ありがとう。」
デスクの前で、客がやけに嬉しそうに笑う。
「どうぞ楽しいご観光を。あ、お客様。午後から気温が下がるそうです。
できれば何か・・、羽織るもののご用意をなさって行かれたほうがよろしいですよ。」
澄ました顔で、ドンヒョクが優雅に微笑む。
「・・・一体これは、理事?」
「上手いだろう? まだノートラブルだ。僕はコンシェルジェデスクの常連だから
“先輩”の仕事の仕方はよく見ている。君のファイルは、インデックスがしっかりして
実に憶えやすい。もう市内なら、半分近くは憶えたな。」
「・・・・」
さて行こうかとデスクを立つと、ドンヒョクがレオを連れて去ってゆく。
「あっらー? あのハンサムな人は、もう交替?」
残念そうに寄ってきたお客様を前に、 コンシェルジェは目まいをこらえていた。