ボニボニ

 

My hotelier side story - クローク  -

 




今日最後の披露宴が  終わった。
 

華やかに着飾った招待客が ロビーにあふれ出てくると
クロークカウンターに立つホテリアー達が 一斉に背筋を伸ばす。

手に手に皆が差し出す 小さな銀色のナンバープレートが
クロークスタッフの手で 魔法のように 預り荷物に姿を変えてゆく。

せっかちに先を急ぐゲスト達の目にも
ソウルホテルの クロークの仕事は 滞りなく美しかった。


「そろそろ・・。お終いかしらね。」

主任が 他のスタッフへ 柔らかい声をかける。
披露宴の客も まばらになり クロークに歩み寄る姿もなくなった。 
クロークスタッフの 緊張が ゆっくりと溶けてゆく。

「今日の披露宴は 大人数でしたね。」
「ええ 盛大だったわね。じゃあこの後は お忘れ物のチェックをお願い。」
部下と並んでナンバープレートを揃えながら 主任が指示を出す。


その時また1人 披露宴帰りの客が 近づいた。
2人並んだクロークを見た客は きょろきょろと左右を見比べて
おずおずと 若いスタッフのほうへナンバープレートを差し出す。

「はい お客様。少々 お待ちくださいませ。」
にこやかに対応して 部下が 預り荷物を取りに行く。
カウンター客に 微笑を送りながら  主任の胸が ほんの少し痛んだ。


―私・・、とっつきにくいのよね。


クール・ビューティ。

この美しい主任は 少しだけ 表情が冷たく見える。
主任と他のスタッフが並ぶ時、大抵のゲストは 
若く気さくな雰囲気の もう1人にプレートを差し出す。

ゲストが混んでくれば 誰よりも素早く荷札交換をしてのけるのに‥‥。
有能な主任は ほんの少しの コンプレックスを抱えていた。

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退勤途中の地下鉄で 主任はふと 視線を感じる。
向かいの席の男性が 物言いたげにこちらを見ていた。

誰だったかしら? その面差し。主任の記憶にも 何かが ひっかかる。
「あ!」


慌てて席を立ち 主任は男性に声をかけた。
「お客様・・。 先日 ソウルホテルに お忘れ物をなさいませんでしたか?」
「あ!! クロークの人か! 何処かで見たと思ったんだ。
 忘れ物・・・あ!ひょっとして それファイルケース?!」
「はい。ああ よろしゅうございました。まだ当ホテルでお預かり中です。」


男性は 感心したように主任を見る。
「すごいな。1回見た客を 全部憶えているのですか?」
「いえ・・そんな。たまたまです。」

主任が 恥ずかしげにうつむく。 彼女がその男性を憶えていたのは
珍しく まっすぐ自分に向かって歩いて来た人だったからだ。


「ホテルにお立ち寄りいただけますか? それともご住所をいただければ
 お送りいたしますが。」
「う~ん・・あっちに行く都合が無いし、自宅に送ってもらっても
 留守がちだから受け取りにくいな。 あの・・貴女 通勤はこの線なの?」
「はい・・?」
「僕もこの線使ってるんです。どうだろう? 明日でも明後日でも
 どこかの駅で待ち合わせて 渡してもらえないかな?」


どうかしら? 規則を頭の中で考えながら 主任がうなずく。
「そうですね・・。あの ナンバープレートはお持ちですか?」
「うん。確か財布に ああほらこれだ。」
「結構です。 お届けできると思います。」

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それが 先週のこと。


主任は クロークカウンターで いささか浮かない顔をしていた。
―いきなりそんな事を 言われたって・・・。

地下鉄の駅で待ち合わせて クロークの忘れ物を届けると
その男性は お礼に食事を と言い出した。
自分の仕事をしたまでですから。 
断る主任に 思いつめた様に その男性は告白をした。


“実は・・ 電車の中で ひとめ惚れしたんです。
 どこの誰かもわからない 貴女に会うのが楽しみで。 
 ソウルホテルで カウンターに貴女がいるのを見たとき
 僕・・。 これは 神様のくれた機会だと思いました”


わざと荷物を忘れてきたのです。 地下鉄でずっと貴女の前に座っていました。
今度は 忘れ物抜きで会ってくれませんか? お願いします。


―からかっている風には見えないけれど。
 はいそうですか と会うなんて・・・。

清潔な感じの人だった。 ・・でも 見ず知らずの人だもの。
私は 軽い女じゃないわ。主任は うつむいて 小さく首を振った。

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「・・ねえ 主任? 預ってくれないんですか?」


「は?」
にこやかに シン・ドンヒョクが カウンターに立つ。


「あら? 理事。 理事が・・クロークをご利用なんですか?」
「これを・・ね。」
ふわり。   カウンターの下から 派手な花束が現れた。

「・・・ま。きれい。」
「僕は 受け取りに来ないけれど 『代わりの者』が取りに来ます。」
ハンターは いたずらそうに 眉を上げる。
主任の口元が なるほどね・・とほころんだ。


理事の趣味は “ソ支配人で遊ぶこと”  ソウルホテルの誰もが知っている。
一見冷たげな容貌の シン理事が 時おりしくむ 可愛らしい悪戯。
「ふふ・・・かしこまりました。 お預かりいたしましょう。」
「それからもう1つ。 言葉も預ってください。」

「メッセージカードを・・?」
「いいえ 口頭で。  "愛しています” って。」

「な・・・・。」


みるみるうちに 美しい主任が 赤くなる。
「それを・・私が お預かりするんですか?」
「だめかな? 口頭で渡す方が 面白いんだけどな。」

お願いします。 いささか強引に話を押し付けて シン・ドンヒョクは去っていった。


ソウルホテルの クロークカウンター。

胸の中に “愛しています”の 預かり荷物を置いて 仕事をする。
その午後は 主任にとって
思いがけなく 楽しい時間になった。


やがて ソ支配人がパタパタと 慌てふためいてやってくる。

頬を染めてカウンターに立つ主任に ジニョンがナンバープレートを渡す。
「ね? シン理事が 大事な荷物を預けたって言っているんだけど?」
「はい。」
主任は綺麗に 一礼をして クロゼットへ引き上げる。

「オモ・・・。」
見事な花束をささげて戻った主任を見て ジニョンの口が ぽかんと開いた。
「もう1つ・・・お預かりしています。」
「え・・・?」
「・・・愛しています・・。」

ジニョンの眼が ぱっちりと丸い。あんぐりと口を開けるジニョンにつられて
主任も ぱっちりと目を開く。
ぷっ・・!

「あはは! ごめんなさい。理事に是非に と 頼まれました。」

どぎまぎと  照れたり怒ったり謝ったり  ソ支配人が忙しい。
そんなジニョンを眺めながら 主任の心が 柔らかく揺れてゆく。


―恋をするのも ・・悪くないわね。

これから毎晩 8時に駅で待つと 言っていた人。


―今日は あの駅で 降りてみようかな。


愛しい言葉があると 胸の中が温かいわ。
おだやかな微笑を浮かべて 主任は こっそり 考えていた。

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