ボニボニ

 

My hotelier side story - ナニー  -

 




“幼児期の子どもには その年齢なりの 「学び方」がある。”


それを知っている人間を ナニーと呼ぶの。
決して ベビーシッターなんかじゃないわ。


ソウルホテルの顧客サービスに お子様預かりのメニューがある。
ノーランド カレッジで 幼児教育を学んだ彼女の
理想のナニーは “メリー・ポピンズ” だった。



「あの パタパタすごい速さで絵を見せるようなのは やらないの?」

ユ支配人が聞く。 ああいう英才教育みたいなのが 人気なんだってね。
「わが国は 教育熱心ですし・・。」
「あれは 発育中の柔軟な脳に より多くの刺激を与えることで
 能力を引き出すという考え方ですが・・。」

私は それとは逆の立場です。 幼児期の子どもには より多くの「時間」を与えたいんです。

「時間・・?」
「そうです。例えば ある時期の子どもというのは 興味を持てばアリの行進を
 半日 じっとしゃがんで 見ていることができますね。」
それが無為な時間であるとは 私 思わないのです。
「まあ・・さ。 幼児教育というのも いろいろなんだろうけど ソウルホテルとしては
 何かこう 子供預かりに付加サービスを 付けたい訳なんだよ。」

では英語のご挨拶くらい 教えましょうか?


そしてソウルホテルでは キッズ・シッター&イングリッシュサービスが生まれた。

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「はう あー ゆー?」
「Fine, thank you. How are you?」
「ふぁいん さんきゅー!」


せんせい えいごをつかうと がいこくのひとと おはなしできるの?

「そうよ。 ミンジュちゃんは 外国の人とお話したい?」
「うん! ミンジュね。 ハリーポッターと おはなししたい。」
「あー・・彼は 素敵よね。 でも 私は ダンブルドア校長がいいなあ・・。」
「おじいさんが すきなんだ。 かわってるね。」


「ナニーすみません。 こちらを お願いします。」

ソ支配人が 男の子を連れてやってきた。
ご両親がディナーショーをご利用ですので21時までお願いします。
「じゃあ ここで楽しく遊んでいてね。」

知らない場所で気弱になった男の子は 派手に べそをかいている。
「どうしたのかな?」
ナニーの注意がそれた一瞬に  ミンジュが キッズルームのドアを開けた。

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ソウルホテルの19時半。

ロビーのソファに 長身の男が座る。
仕事のない週末の彼は こんな風に ホテルでゆっくり時を過ごす。


「はう あー ゆう?」
「?」

はう あー ゆう? 肘掛椅子の向こうから 小さなリボンの頭が出ている。
「Fine, thanks.」
どの客の 子どもかな。 
ちらりと眼をあげたドンヒョクは すぐに 興味を読みかけの新聞に戻した。


「はう あー ゆう?」
・・・親はどこだ? 子どもは苦手だな。
「Fine, thanks. and you?」


「ふぁいん さんきゅー!  うーんと ・・おじさんはアメリカじん?」

やっと望みの返事を引き出して 小さなリボンが にっこり笑う。
まんまる顔に 前歯が 一本抜けていた。
「よく解ったな。 アメリカ国籍だ。」
あまりなつかれないよう用心をして 無愛想に ドンヒョクが答える。

「わあ・・やっぱり! えいごであいさつすれば がいこくのひとと はなせるんだ!」

すごいわ!と 女の子は 上気した顔で言う。
どうやら挨拶が交わせたら 後は 英語が理解できると思っているらしい。
―・・・いや 今 僕たちは 韓国語で話しているだろう?
子どもの 無邪気な思い込みに ドンヒョクが思わず くくっと笑う。

「さあ お母さんはどこかな? 知らない人と話していては 叱られるよ。」


そう 言い置いて席を立つ。
ジニョンは フロントを離れたままだし 
少し早いけれど カサブランカに行こう。

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「マティーニ・・。」

いつものバーカウンターに腰かけて いつも通りのオーダーをする。
ジニョン。 今日は10時くらいに終わるだろうか。
「くっ・・。」
「?」

女性バーテンダーが こらえきれない笑いをもらす。
「理事。 お連れ様には何を差し上げましょうか?」
「え?」
見れば 隣のスツールに 登山中のクライマーがいる。
こちらへ大きく突き出したお尻から プーさんの毛糸パンツがのぞいている。

― は・・・・。

ハイスツールに 全身でしがみつく彼女は やがてついに頂上を征服し
すまして スツールにスカートを広げる。
「あたしも まてーに。」

「・・・・。」
ゆっくりと ハンターがうつむく。  こういう局面は ビジネスではあまりない。
ドンヒョクのオーダー。 こちらのレディには 『スクリュードライバー』を 
「・・・ウオッカ抜きで お願いしよう。」

かしこまりました。 

吹きだしそうなバーテンダーが カクテルグラスにオレンジジュースを注ぐ。
お客様? とても強いカクテルですから お気をつけて・・。
「今夜はいったい どうなさったんですか 理事?」
「・・・こっちが 聞きたいくらいだな。」

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お預かりした お子様がいなくなった。

ホテリアー達に 緊張が走る。
青ざめるナニーは それでも 取り乱すまいと必死に 周囲を探し回る。
「誰か 5歳くらいの女の子見なかった?!」

ソ支配人がインカムで スタッフに聞く。
あいにく 週末のディナータイムで 誰しも 自分の持ち場が忙しかった。
「ベルスタッフを集めて。 ブロックを分けて探します。」

ドアパースンに 館外に出た子どもがいないかどうか 確認して!


その時 てきぱきと 指示を出すジニョンの視界の端を
トレーを捧げた ギャルソンヌの姿が かすめていった。


「ちょっと待って!」
「はい? ソ支配人。」
「その・・プリン・・。 どこへ運ぶの?」
「ああ・・これは。」

ギャルソンヌが お盆の上のプリンを見て 可笑しげに笑う。
「理事が 『カサブランカ』からご注文です。 お珍しいですね。」
「!」



ほんの一瞬眼を離しただけで やすやすと 子どもはいなくなる。

そんなこと 解っていたはずだったのに。
気丈に自分を落ち着かせながら ナニーは心を震わせていた。
もしミンジュちゃんに何かあったら・・ そう考えると 恐怖に 叫びだしそうだった。

切れるほどに 唇をかんだナニーの前に ソ支配人がやってくる。
「ひょっとしたら 誘拐犯が 見つかったかもよ。」
「・・・・え?」

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はう あー ゆう?

ナニーの顔を見た少女は 満面の笑みでそういった。

「せんせい? ふぁいん さんきゅーって いわないの?」
ドンヒョクの隣に陣取って 足をぶらぶら。 
プリンとオレンジジュースをもらったレディは 至極 ご満悦だった。


「どうして ドンヒョクssiが 彼女を連れているの?」
詰問調のソ支配人に うんざりと 理事が答える。
「いいがかりは よしてもらおう。
 “僕が”連れてきたんじゃない。 “勝手に”ついてきたんだ。」

フロントへだって 連絡してもらった。
「プリン代はそっち持ちだ。 シッターフィーは・・まけておいてやる。」
つんと そっぽを向くハンターに ナニーが そっと進み出る。
「ほ・・ん・・とうに・・ ありがとうございました。」

深々とした お辞儀。

小刻みに震える ナニーの肩に コホン・・とドンヒョクが咳をする。
「ソウルホテルのせんせいは だいすきって 言っていましたよ。 彼女。」
「!」


さあて 僕はもう帰ろう。 子どもは苦手なんだ。

「じゃあねレディ。 Good night!」
「うん ぐっない。」
ジニョンにまだ何か言われながら シン・ドンヒョクが去ってゆく。

その後姿に向かって ナニーが深々 もう1度 お辞儀をした。

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翌日の チェックアウトタイム。

キッズ・ルームにミンジュと両親がやってくる。
「どうもお世話になりました。 ミンジュったら英語をたくさんおぼえて。」
「は・・あ。」
昨夜は ぐっない まみーって 言ったんですよ。 
「!」
―それは・・ きっと 理事のお仕込みね。

この子 すごく英語が気に入っちゃったみたいです。 ・・・だけど
「“まてーに” ってのは 何のことですか?」
「あ・・・。」

少女はにこにこ 笑っている。 
“すくるーどらいあー”も おいしいのよ。


ああ ミンジュちゃん・・・。  ナニーは 目まいをこらえていた。 

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