ボニボニ

 

My hotelier side story - ショコラティエ -

 




真冬の行軍で ボロクソに負けたナポレオンは
“余に 一杯のショコラがあれば・・” と 嘆いた。



そう。 チョコレートは ほんの少し前まで「飲み物」だった。

その甘美な液体を つまんで口に入るような
イーティング・チョコレートという宝石に 作り上げる者。
神の食べ物といわれるカカオを 魅惑の美味に仕上げる者。


“ショコラティエは 恋の媚薬を調合する 誇り高い錬金術師だ。”

ソウルホテルの ショコラティエは 時折 そんな言い方をした。

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ショコラティエは ここ数ヶ月というもの じっと考え込んでいた。


多分 チャンスは一回しかない。
甘い物嫌いの あの無粋な男は ソ・ジニョンが手渡す“それ”以外を
進んで口にすることはないだろう。


去年の秋。
ヴァレンタイン・フェアの企画会議で 打ち合わせ中の雑談にソ支配人が言った。
「そうそう。来年のヴァレンタイン・・ 困っちゃうなぁ・・。」
「理事?」
「そう。ヴァレンタインに チョコレートをあげる約束なの。」 
「理事は 甘い物を食べないだろ?」

ディナーで さりげなくデザートをパスする男が ショコラ?


「ちょっと訳アリなのよ。 意地でも チョコレートが欲しいみたい。」
「ふうん・・。」
「甘くないチョコレートなんて ないかしら? ショコラティエ。」
「ソ支配人。 もともとショコラは甘くはないよ。 
 アステカ帝国じゃトウガラシ入れて飲んでいたからね。 はは・・ 先祖帰りさせる?」



じゃあ 来年のヴァレンタインには ソ支配人のために
僕が 最高の “恋の媚薬”を作ってやるよ。
そんな 軽い口約束。 
ヴァレンタインが近づくにつれて ショコラティエの 職人魂に火がついた。

シン・ドンヒョク。

世界中のホテルの美味を知る男だ。 相手にとって 不足はない。
ショコラは本来 帝王に飲まれるものだった。
大の男を溶かす媚薬。 それが・・・ ショコラだ。


ショコラティエの 膨大な試作が 始まった。


酒の好きな男 には
最上級のアルマニャックを閉じ込めた ボンボン・ショコラという手がある。

いやまて ジンというアレンジはどうだ。
マティーニの好きな男だ ドライベルモットを効かせるか。

・・・逆の発想もあるな。 
オリーブをジンに漬けて刻み込む。ガナッシュ・フリュイテ。
そういえば 理事は前に ナッツでウィスキーを飲んでいた。
プラリネが いいのかもしれない。


試される配合。 幾度と 数え切れないほどの失敗。
憔悴する試行錯誤の中で 
ショコラティエは いささか途方にくれていた。

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「ずいぶんな頑張りようだな? ショコラティエ。」


「社長・・。」
ヴァレンタインも近い ある深夜。 
ショコラティエの厨房へ ハン・テジュンがやってきた。

「チーフが眼の色変えて新作に励んでいるって スタッフが嘆いていたぞ。」
「はぁ。」 
「これが 新作か。 ・・・いいか?」
「あ どうぞ。」


チョコレートに目のないテジュンが ぽい と1つを口にする。
ゆっくり変わる 男の顔を ショコラティエはじっと見ている。

ぽい・・ 2つめ。 ぽい・・ 3つめ。
「し・・ 社長。」
「あ? ああすまない。 しっかし どれも美味いな。」

ありがとうございますと言いかけた礼は テジュンの視線に叩き落される。
「でも これは帝王のチョコレートじゃないな。」
「!」


「・・・“あいつ”を 落とすんだろう?」
いい事を教えてやろう。 
あいつは嫌な奴だよ。 いつだって 一番いいものを 持って行きやがる。


「おもねることはないんだ。 まっすぐ 正統派で行け。
 “ショコラティエは 恋の媚薬を調合する 誇り高い錬金術師。”だろ?」
「あ・・・。」

じゃあな。 「失敗作」は 俺が片付けてやるよ。
陽気な笑顔でにっと笑い ほくほく試作をかき集めると 
ハン・テジュンは去っていく。

ショコラティエは 夢から醒めたように やや猫背気味の後姿を 見送った。



そうだ。  おもねることはない。

ショコラは 大の男を魅了する “恋の媚薬”だ。
余計なアレンジの 必要はない。
もっともショコラらしい 最高のショコラを 作ればいい。

―ショコラティエが ショコラの魅力を信じられなくてどうする。


もう1度 カカオビーンズの ブレンドから始めよう。
深まってゆく夜の中。 ショコラティエは はじめて 自信に満ちた笑みを浮かべた。

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「ねえ。 用意してくれた?」

ヴァレンタイン・デーの夜近く ジニョンが ショップに顔を出した。
「お! 感心感心。 ちゃんと 時間通りに来たな。」
「あんなに うるさく言われちゃ・・ね。」
わざと口をとがらせて ソ支配人がふくれてみせる。


さあ これが取っておきの“恋の媚薬”だ。 必ずこう言って渡してくれ。
「“私の気持ちよ”って な。」

「なあに? それ。」
「そう言わないと 効き目が半減するんだよ。」

そうだ。 ショコラの半分は 心で 溶かすものだから
理事へのプレゼンテーターとして ソ・ジニョン。 君以外は役に立たない。
彼女の手から渡された 僕のショコラは 必ず あの人を魅了する。


どんな女性の肌にも劣らない なめらかなクーベルチュール。
恋を集めて練り上げたような 濃密な味わいのガナッシュ。


配合、温度、すべてに細心の注意をはらって作った“媚薬”だ。
「後で・・  理事の反応を聞かせてくれよな。」


うきうきと軽い足取りで帰るジニョンに ショコラティエが 声を投げた。

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数日後 

ショップのスタッフが 興奮した顔で厨房へやってくる。
「ショコラティエ! 店のほうに ・・・・理事がお見えです。」
「!」

慌てて店頭に出てみると  背の高い男が
スーツのポケットに片手を挿し ショーケースに向かってうつむいている。


「シ ショコラを・・お求めですか?」

思わず揺れるショコラティエの声に ドンヒョクが すいと眼を上げた。
「ああ・・ うん。」
この前ジニョンにもらったのが すごく 美味しかったんだ。
「あれは どれ?」


こちらです。ショコラティエが 銀のトレーにトリュフを差し出す。

「形が違うな。」
「ハート型に作るのは 年に1回だけです。」

なるほどね。
ドンヒョクが ぽいとトリュフを口に入れる。
しばしの 沈黙。

シルバーフレームの目元が ゆっくりと微笑む。
「ああこれだ。 もらっていこう。」
良かったよ。ハート型のチョコレートなんて買うのは 気がひけていたんだ。

甘い物嫌いの理事が ショコラの包みを受け取っている。
その光景が奇跡に見えて ショコラティエは 胸を震わす。 
「お買い上げ ありがとうございます。」


じゃあ・・と帰りかけたドンヒョクが ふと ドアの近くで振り返った。
見事な長身。 ぴんと背筋の伸びた 端正なたたずまい。
―ああ・・この人は 本当に王のようだ。

「また来よう。」
「!」


ショコラは 神の食べ物から生まれて  人の心を溶かす媚薬になった。


― どうやら 僕の錬金術は成功したらしい。

高揚した気分の中に ショコラティエは立ち尽くしていた。

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