ボニボニ

 

My hotelier side story - バス・ボーイ -

 




レストランの中には 
・・と言っても それなりの格式を備えたレストランに限られるが。


そんな レストランの店内には 目に見えない 2本の川が流れている。



一本の川は “サービス動線”。
お客様のテーブルへ  至上の美味を 運んでゆく。

もう一本の川は “バス動線”。
いったんテーブルを離れるや否や 洗い物となってしまうプレートを
お客様の目につかないように そっと厨房へ引き下げる。


至上の美味と 洗い物が 決して交差しないよう
ギャルソン達は 細心の注意を払う。

そして バス動線を専門に行き交う者。 彼は バスボーイと呼ばれている。




ソウルホテルのメインダイニング、
厨房に メートル・ド・テールの怒声が響く。


「馬鹿やろう!」
「す・・すんません。」
何やってるんだ! テーブルから近いからってサービス側から下げる奴があるか!

バスボーイの ほんのちょっとだけの 怠惰な気持ち。
目の前に見える厨房へ ふっと足を運んでしまい
出てきた料理と 接触した。

カチャン!


2つの盆は 十分に 人目を引くだけの音を立て
“洗い物”と ぶつかってしまった料理は 
そのままお客様のテーブルへ 行くことはできなくなった。


「メインデッシュが作り直しだぞ! どうするつもりだ!」
「で・・でも・・ 別に 料理が 触れたわけじゃないですよ・・・。」
「!!」

この野郎!

気色ばんで手をあげる 先輩ギャルソンの盆の上に 
すうっ と 節くれ立った手が伸びた。

「・・あ・・・料理長・・。」



ノ料理長は ディナープレートを とても静かに持ち上げる。

「バスボーイ?」
「は・・・はい。」
「君は 一流レストランへ 何をしに行く?」


はぁ? それはもちろん 料理を食べに。
「違うな・・・。」
一流レストランで食事をすると言うことは 料理を食べるだけじゃない。

ざらざらと 出来立ての料理が ゴミ箱へ落とされる。
「お客様は 美味しくて気持ちのいい時間を 味わいに来るんだ。」
「・・・・。」
「汚れた皿と交差したような料理を 客は 気持ちよく味わえるかね?」

作り直しだ! お客様を待たせるなよ!
ウィ ムッシュー!

くるりと料理長は背中を向け グリルの前へと去ってゆく。
バスボーイは1人 顔を伏せて 動き出す厨房の音を聞いていた。

-----



「もう辞めてやるよ! こんな仕事!」

まだ夜は冷える 屋台の隅で
バスボーイが やさぐれた声を出す。
「もお・・。 ちょっと 飲みすぎなんじゃない?」

凹んだ新米を慰めようと 連れ出したまでは良かったけれど
ぐだぐだ酔って愚痴るので 同僚達もすっかり閉口していた。


「ギャルソンってのは 料理を 運ぶのが仕事だろ?
 俺はどうだよ? 毎日毎日 “汚れた皿”を運んでいるんだぜ。」

やってらんね~よ・・・・



バスボーイの声は 次第に 愚痴から寝言へと代わり
くしゃくしゃした頭が テーブルに突っ伏した。

「つぶれちゃったわよ。 どうしよう?」
ギャルソンヌ達が 口々に 途方にくれた声を出す。



「つぶれてしまえば 後は運ぶだけだから 簡単さ。」

一座の端でスルメをかじっていたイ主任が どっこらしょうと腰を上げた。
「ま、ギャルソンでもコックでも “追い廻し”は 辛ぇよな。」
ほら ジェヨン。 そっちの肩を抱えろ。

「こいつ ヤケ起こして本当に辞めるなんて 言わなきゃいいけどなあ・・。」

------



この数日間と言うもの、 
ノ料理長は 何食わぬ顔でソースパンの中を嗅ぎながら、
ただただ 1人の男を待っていた。

―あいつが 認めたら リリースだ・・。


もちろん 自信は ある。
だが 大胆な構成のソースは どう評価されるだろう。



「料理長! パールヴィラのVIP アレルギーがおありでーす。」 
禁止食材のリストを持って来ましたと ジニョンが飛ぶようにやってくる。
「ああ わかった。 ・・・今夜は 夜勤か? ソ支配人。」

ええ そうです。 陽気な笑顔が くるりと軽快にターンして
次の仕事へと 今にも動き出す。

「おい! ドンヒョクは!?」
「・・・は?」
「あ・・ いや。  理事の夕飯は どうなっているんだ? 今日は 奴・・仕事か?」
「え・・。」
きゅっと 照れくさそうな笑顔を見せて ソ支配人が肩をすくめた。



「今日の夕食は “僕の家”で食べる って言っていました。」

彼が “僕の家”といったら ソウルホテルなんですよ。
サファイアハウスは “僕達の家”。
「多分 料理長のお料理が 恋しくなったんじゃないかしら?」


いいじゃないですか。 理事が いくら足繁く通っても 
相手が料理長なら 浮気の心配はないや。 あっはっは・・
厨房スタッフにからかわれ 赤くなったジニョンが 逃げてゆく。

そうか あいつが来るんだな。
糸の眼を ほんの少し見開いて ノ料理長は ソースパンを振り返った。

-----


彼が姿を見せると ダイニング全体が 少し 高揚したムードになる。


すべてのギャルソンが 一瞬そこへ視線を流し
ソムリエは ほんの少し 背筋を伸ばす。


お帰りなさいませ理事。 今日はお越しと伺って お待ち申し上げておりました。

グリーターがにこやかに 奥の席へと腕を伸ばす。
「ジニョンが言った? 危ないな・・ 他所で食事をしたら大変だった。」

前を歩くグリーターから 頭ひとつ高い長身。
くつろいだ手をポケットに挿して 
ドンヒョクは にこやかに歩を進める。

メートル・ド・テールは この時とばかり 彼を独占しようと歩み寄り
店内を 流れるように動くギャルソン達は 
ゆっくりメニューを開く理事の姿を まぶしげに そっと盗み見る。


「本日はその 実は 料理長がお待ちでして・・・。」


できましたら と 至極 控えめな提案に  ハンターが眉を上げる。
「へえ・・? 新作? それは良い時に来たな。 では もちろん。」
「かしこまりました!」


オーダー No38テーブル。 シェフのお勧めプレートです。

厨房に響くコールに  料理長が 一文字に唇を引き締める。
ソムリエにワインを聞きながら 
ドンヒョクがテーブルで 好戦的な笑みを浮かべた。

-----



まいったな・・・・。

綺麗に パンでぬぐったディナープレート。


ノ料理長の 新作料理は まちがいなく ソウルホテルの名物に加わる。
焦がした蕗のとうと 豆乳のソースか
身体中の血液が 野の香りで きれいになっていくようだ。
この勝負だけは 何度負けても気持ちがいいな。 

満足そうに口の端を上げて ドンヒョクはワイングラスへと 顔を伏せる。


「お客様。 よろしゅうございますか?」

おずおずとした声。 見慣れないバスボーイが プレートを持ち上げた。
「お下げいたします。」

うつむきがちな一礼をして プレートを掲げたバスボーイへ
ドンヒョクの 深く 凛とした声がかかった。
「背筋を 伸ばせ。」

「は?」
バスボーイが うろたえて 声をかけた相手を見る。


強い光をたたえた眼差し。 
柔らかく結んだ口元と 王のような威厳。
シン・ドンヒョクは 逃さない視線で バスボーイを見据える。

「君は その皿を 厨房へ運ぶのだろう?」
「は・・い。」


「その皿に載っているものは “賞賛”だ。 背筋を伸ばせ。」


そんな辛気臭い顔で厨房に下がったら 料理長が 自殺しかねないぞ。
「君は コックに 客の賞賛を伝えるメッセンジャーなんだからな。」
「!!」


新作は お気に召しましたか?

メートル・ド・テールが にこにこと 理事の感想を 聴きに来る。
「この春一番の 傑作だね。 できればトドには 出さないでくれ。」 
あははは・・・ 陽気な笑い声を背中に バスボーイが歩き出す。


その皿に載っているものは “賞賛”だ。

王のような人の 深い声が 耳に残る。
この皿は 決して “汚れ物”なんかじゃないんだ。
バスボーイは 一瞬 立ち止まり 堂々と胸を張って 次の一歩を歩き出した。


No38テーブル  バスでぇす・・。

厨房のドアの内側で バスボーイが 明るい声を出す。
ばたばたと 可笑しいほどに大慌てで 料理長が勝敗を知りに 駆けてくる。
ソースを拭われた ディナー・プレート。
かっと頬を紅潮させ 料理長が 満面の笑顔になった。

「・・・・この春一番の 傑作だって・・・メートルDに 言ってたみたいっす。」
「そうか。」

ディナー・プレートを持ち上げて 料理長は 嬉しげだ。
―なんだか メダルもらったスポーツ選手みてえだな。しげしげ見ちゃって・・。


俺の運んでいるものは お客様の 返事なんだな。

「俺・・・ ちょっと 少しわかっちゃったかも・・。」
「ん? 何がだ?」
バスボーイの 独り言を聞きつけて ジェヨンがのんきな声を出す。
「下っ端のコックには ちょっと難しいことですよ・・。へへへ」


なんだと!この野郎! 先輩だあぞ 俺ぁ!
この前 抱えて帰ってやった恩を 忘れたのか!
「申しわけないっすね。 寝込んでたから憶えてないや。」


振り上げられたげんこつを 機敏な動作でよけながら

半人前のギャルソンは 誰よりも 楽しげに笑っていた。

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ