ボニボニ

 

My hotelier side story - 設備管理 -

 




午前2時。


薄暗がりの中でゆっくりと 男の眉根が寄る。
整った横顔がわずかに揺れて とても静かに まぶたが開いた。
「・・・・。」

探る手が シーツを滑り 空白を握りしめて立ち止まる。
―そうか・・・。 今夜ジニョンは 夜勤だった。


それで 眼が覚めたのか。
こめかみに眼鏡を挿しながら シン・ドンヒョクが ふっと笑う。
ジニョンを抱きしめて眠る夜に 僕はこんなに 馴染んでしまったんだな。


「・・・まったく。 このざまでは 僕は 本当に君を失えない。」

ハードリカーでも 引っかけようか。
ベッドを抜け出して リビングへ歩きかけたドンヒョクの足が ふと 止まった。


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ソウルもいよいよ 肌寒さと別れる決心をしたらしく
真夜中だというのに 今夜は 闇が ゆっくりとぬるい。

薄手のセーターに ジャケット代わりのシャツを羽織って
バラ園の茂みからソウルホテルの庭へ入ると 
夜の中で 庭の植物が ひっそり息をしている匂いがした。


ジニョンは今頃 フロントにいるのだろうか。
眠れないから 少し ロビーに座ろうかな。

“オモ! ドンヒョクssiったら また来たの?”


困ったように恥ずかしそうに それでいて少し嬉しげに きっと ジニョンは笑ってくれる。




「こんばんは 理事。 こんなお時間に 散歩ですか?」

虚をつかれて振り向くと 作業服にジャンパーを着た 男が立っていた。
「申しわけありません。 驚かれましたか?」
「あ・・いや。  ・・うん。」


ソウルホテルの 設備管理担当です。

実直そうな男は 控えめながらも落ち着いた口調で 柔らかく挨拶をした。
ドンヒョクに並ぶほどの長身なのに ひと回り小さく見えるのは
物静かな そのたたずまいのせいらしかった。

「・・・仕事?」
「はい。」

庭の表示灯のFL(蛍光灯)が点滅するので 交換していました。
お客様の寝静まる夜は 私たちの書き入れ時ですから。
「そうだな。」



ホテルの建物に向かう道。 
並ぶでもなくドンヒョクは 彼の後ろを のんびりとついてゆく。

歩きながらも設備管理は 路上に落ちたピンを拾い フットライトの球切れを替える。
案内板の緩んだボルトを締めなおし 分電盤の状態をチェックする。
てきぱきと作業をこなしながら 設備管理の男は 話をしない。

時折目が合うと あるかなしかの愛想笑いを見せた。


―無口な 男だな。
それでもドンヒョクは 彼が 気に入る。
口数こそ少ないが決して無愛想ではなく 温かな雰囲気が 伝わってくる。 




「それでは 理事。 失礼します。」

STAFF ONLY の鉄扉を開けて 設備管理が 頭を下げた。
「そこは?」
「バックヤードの ・・そのまたバックヤードへの 入り口です。」

入ってもいいかな と思わず口にしてしまったのは 何故だったろう。
シン・ドンヒョクは この男と もう少しだけ一緒にいたかった。

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カツー・・ン  カツーン カツン・・


天井高く吹き抜けた 暗い通路に 靴音が反響する。
見上げると闇になるほどの 階高い空間に 様々な機械が並んでいた。

「・・・これは?」
「浄水装置です。ソウルホテルでは 調理用に純水を使う場合もありますから・・。」
「ふうん・・。」

居並ぶ機械達は 物々しい姿で 暗がりに立ちつくしている。
中には ぶうんとうなりを上げて まさに稼動している機械もあって
設備管理の男は 巨大な恐竜の飼育係のように 
そっと その具合を確かめてゆく。



「・・・ソ支配人は・・ お幸せですか?」

突然の問いに ドンヒョクはゆっくりと 設備管理を見る。
まっすぐ機械に向かいながら 男は さりげなさを装っていた。


・・どうかな?
「彼女の気持ちは解らないけれど 僕は 彼女と暮せて とても幸せだよ。」

そうですか。
ほっとしたように眼を伏せて 設備管理は 薄く笑う。
「じゃあ・・ 当分 ソ支配人は 僕のエリアに来ませんね。」
「?」



純粋で明るく 一生懸命で 負けん気の強いひと。

「それでも時折 辛い事があると  あの人は “僕のエリア”に来るのです。」
それは 階段室だったり ボイラーの陰だったり。
「“ソ支配人の屋上”は 有名ですからね。 あそこでは泣けない時も あるみたいです。」
「・・・・。」

こちらを見ずに 機械のメーターをチェックする男を
シン・ドンヒョクは じっと見る。
「君が ・・・慰めるのかな?」


とんでもない。 

男の顔に朱が走った。 僕は ただの設備管理です。
「僕は ・・・・自分の作業をしているだけです。」
ソ支配人はいつだって 自分1人で元気になって 「表」へ戻って行きます。

カン、カン、・・
緩まないナットをレンチで叩いて 設備管理は作業を続ける。



―君の 何も言わない優しさに 癒されて・・な。
眼を伏せて ドンヒョクが笑う。 不思議な男だな。

「少々 妬けるな。」
「え・・?」
驚いて顔をあげる男へ ドンヒョクが 柔らかな眼を向ける。
「ジニョンは ・・君が お気に入りなんだな。」

無理もない。 この男には不思議な包容力があり 僕自身も 安らぎを覚える。
彼の手で行われる 誠実なメンテナンスをただ見るうちに 
自分の中の僅かな不調が ゆっくりと リセットされてゆく。

― ソウルホテルの設備管理は ホテリアーのメンテナンスまでも するのかもしれない。


ドンヒョクは 口元だけで笑って わざと眉根を寄せて見せる
「僕のライバルは もういないと思っていたけれど ここにもいたか。」
「そんな。」

僕にとって ソ支配人は 恋愛の対象などではありません。
「あの人は ショーウィンドウの中で光る 宝石です。」
きれいだな とは思っても 手に入れたいとは思いません。

「幸せで 輝いていてくれれば 十分です。」


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「“きれいなもの”を ごらんに入れましょうか?」


いたずらそうな声を出して 設備管理が先を歩く。
こればかりは 僕の仕事をしていないと 見られません。
「さあ ここです。」
そう言うと 設備管理は バックヤードのドアを押した。


ぱあ・・・

重い鉄製のドアが開き ソウルホテルの ロビーが見える。
機械室の暗がりから入り込めば まばゆいほどきらめく その世界。
深夜にもなお 人が行き交い ホテリアー達が立ち働いている。


そして・・ 突き当たりのフロントデスクに 
きりりと髪を上げた美しい人が 花のような笑顔を見せて立っていた。



「お・・・。」
「いかがですか? あの機械室を抜けて来ないと このソ支配人は見られません。」


今度こそ 本気で口惜しそうなドンヒョクが 設備管理をにらみつけた。
「・・・気に入らないな。」
「役得です。 ご不満なら 設備管理に職種替えなさいますか?」 
「・・・。」



“オモオモ! ドンヒョクssi? そんなところから どうしたの?”

フロントに立つ恋人が ぴょこぴょこと こちらを覗いて問いかける。
いやねぇもぉ。 ・・また 眠れないって 我がまま言いに来たの?

いきなり飛び出す コロコロとした言葉の弾丸に
くすり と 設備管理が笑う。



―こんな宝石が 僕のものだ。

切ない瞳のハンターは たまらずフロントに歩み寄り
カウンターから出てきたジニョンを 大きな腕で抱きしめた。

ちょっちょっと!ドンヒョクssi! 夜中でもお客様はいるんだから 何をいきなり・・
「・・・黙れ・・・。」
「!」
「黙らないと キスするぞ。」
「きゃ。」

「君・・・。」
シン・ドンヒョクは 伏せた眼を ゆっくりと 設備管理の男へ 向ける。
愛しいジニョンを 陰からいつも 優しい眼で見守り続ける男へ。
「はい 理事。」

それでも ジニョンを幸せにするのは 僕だ。
「宝石は 責任をもって管理する。 以後のメンテナンスは 無用だ。」
「・・・お願いします。」

ゆっくり笑った設備管理は 踵を返して バックヤードへのドアを開ける。
物静かなその後姿を ジニョンは ドンヒョクの腕の中で見送った。



「ねえ いったいどうしたの? 彼と 何かあったの・・?」
「何も ない。」


ねえ ジニョン。そろそろ休憩時間だろう?
「家で 休めば?」
「だめ。 ・・ゆっくりしたいんだもの。」

ゆっくりしたいなら 家が一番じゃないか。 
「ゆっくりさせてくれるかしら? ドンヒョクssi?」
「もちろん。」


もちろん だよ。 My hotelier。
君を愛する役目も 安らぎを与える役目も  誰にも 譲れない。

君が疲れているのなら 僕はただ 黙って傍にいよう。
あの優しい男が 今夜 教えてくれたように。


サファイア・ハウスへ 向かう道。
ジニョンが そっと 腕をからめる。
「・・・甘えないでくれ。 君を ゆっくりさせたくなくなる。」
「オモ。」

冗談だよ。 
暖かい飲みものでも 作ってあげよう。



愛しい人の肩を抱いて 家への道をたどりながら 

設備管理が直した灯りへ  ドンヒョクは 柔らかく微笑みかけた。

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