ボニボニ

 

My hotelier side story - 清掃管理  -

 




誰 だったかな・・


カクテルグラスの縁をなぞり 惑った指を 軽く組む。

マリッジリングを回してみても 
ドンヒョクの記憶は はっきりとした形を成さなかった。


ソウル市内に新しく出来た ヨーロッパ資本のホテルの一角。
開業して間がないので 多少 サービスが浮ついていたが 
なかなかの クオリティを見せている。

打ち合わせに寄ったホテルで シックなバーを見つけたドンヒョクは
その夜の1杯目の酒を このカウンターで飲んでいた。




― やはり 僕は 彼女を知っている。


上品な 初老のその女性に ドンヒョクは 確かに見覚えがあった。

ホテルのバーのテーブル席に 1人で座って馴染むということは
なかなか 出来ることではない。
地味すぎることもなく 派手でもなく 彼女は空間に溶けている。



人待ちでもなく寛いだ風で そんなことの出来る女性。
いったい僕は どこで 彼女に会ったのだ。


「・・・・・?」

少し 見つめすぎたのだろう。 
ハンターの視線に気づいたらしく 女性が こちらへ眼を向けた。
あいまいな表情で目礼をすると その人は あら・・と微笑んだ。


こうなったら 謎解きをして帰るか。

心を決めたドンヒョクは カウンターからすべり降りる
問うような眼で寄るバーテンダーに 次のグラスを注文した。
「あちらのテーブルへ 運んでくれ」





「今夜は とても幸運みたい。 ここで理事にお会いできるなんて・・」

― ・・・理事? 

僕を理事と呼ぶからには ソウルホテルの関係者だろうか。
にこやかに椅子を引きながら ドンヒョクは 記憶を探っていた。

オーダーテイカーがやってきて 注文の酒をテーブルへ置く。
女性は 華麗なカクテルグラスに うらやむような眼を向けた。
「まあ・・綺麗。 これは 何と言うカクテルですか?」

「ブルー・マルガリータです」

良かったら 貴女もいかがですか? 
女性の前へ置かれたままの スリムタンブラーへ眼をやって
理事はにこやかに誘いかける。 せっかくだから ご馳走させてください。

「でも 理事がお飲みになるものなら 強いお酒なのでしょう?」
私 お酒はあまりいただけなくて カクテルも良く知らないんです。
ホテルの雰囲気に馴染んでいる割に 女性は 恥ずかしそうに笑った。


― この微笑み方・・・

確かにどこかで見たことがある。 僕の 心休まる場所で。
それは ジニョンのいるあの場所しか 思いつけないのだけれど。


「お酒が弱いのに ジン・トニックを?」
「・・すみません。 たまたま知っている名前だったから」
「もったいないな。 カクテルは もっと楽しめるものです」



・・そうだな 桃は お好きですか?
ちょっと早いけれどフレッシュがあるみたいです。 僕がオーダーしても?
「果物は大好きです。 もし ご迷惑でなければ・・」

そして テーブルへ置かれたのは 美しいピンクのカクテルだった。
「どうぞ。ソフトにしてもらったから アルコールは控え目です」
「ま・・あ」
とても 美味しい。 身体がふわりと浮くみたい。



「カクテルって 素敵なものですね。ホテル巡りの楽しみが増えました」

―ホテル巡り? それでは ソウルホテルで会った人か。

薄皮一枚はさんだような もどかしい記憶を繰りながら
それでも 穏やかなこの婦人との一時を シン・ドンヒョクは楽しんでいた。

「・・・あら?・・」

テーブル上の丸い跡に 婦人の視線が引きつけられた。
「まだ新しいバーなのに こんなシミを残すのは だめね」
「ああ。 こういう跡は 取れないから」
「そんなことないわ」
「・・・え?」


“落ちない汚れ”というものを そんなに 簡単に作っちゃだめよ。
「20回。 黙って ただ拭いてみるの」

何も言わずに20回 ただ一心に 拭いてみる。
それでも消えず 薄くもならないものが “すこし気難しい汚れ”なの。
「!」
「ああ ごめんなさい。 こんな話は 気が利かないですね」



貴女は・・・ 思い出した。 

と言うより 僕は見違えていた。 ソウルホテルのバックヤードで 
いつもデスクを 手すりやキャビネを 丁寧な手つきで拭く人を。

「ホテル巡りが・・・ご趣味なのですか?」

「ええ。生意気でしょう?」
こんな仕事でも 一応ね 他所様の仕事が気になるもので 
お休みの時に 時々1人で よそのホテルに泊まるのが好き。


年老いた母を看る為に 清掃の仕事を始めたと言う。
母を送り 自由に仕事を選べるようになった時は この仕事が好きになっていた。
「ソウルホテルが好きなんです。 もう 定年を過ぎたのに」

テジュンさんが新人の頃 大事な書類を捨ててしまって。
「私が拾ったの。 そのコネでまだ嘱託で あ・・いけない。これは内緒!」

あはは! それは良いことを聞いたな。
「嫌だ。 私 ちょっとお酒に酔ったみたいです。でも いい気持ち」
「それは良かったですね。 カクテルは そういう為にあるものです」

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サファイアハウスの24時。 

ジニョンは バスを使っているらしい。

ジャグジーの湯音と 気楽な鼻歌をもれ聞いて 
薄く笑ったハンターは リビングのキャビネットから スコッチのボトルを取り出した。


カラン・・・


“ジニョンは 気さくでいい子だわ。 理事はとてもお眼が高い”

ほんのり頬を カクテル色に染めて 
愛しいジニョンを 褒めてくれた人。
ソウルホテルには どこまでも 僕を驚かせる深さがある。
「・・・?・・」

見れば サイドテーブルの上に グラスの跡がついていた。
思いついたハンターは ダスタークロスを手に取った。

キュキュキュキュ・・・ゴシゴシゴシ・・
「取れない」
20回か。 何も言わずに 黙って20回。


シャツのカフスを2回折って ドンヒョクは クロスを持ち直す。
夜半を過ぎたリビングで ハンターがテーブルを拭いていた。

「・・オモ ドンヒョクssi? お帰りなさい。 ・・何をしているの?」

「うん。 グラスの跡を拭いている」
「ああ 取れないのよね」
「!」

17回を数えた時に 丸い汚れのリングが切れた。
そのまま拭き続けるうちに グラスの跡が 消えていった。



「あら取れた? ドンヒョクssi 力があるから」

違うよジニョン。 力じゃない。
「これは 数値化の問題だ」
「数値・・化?」
「どこまでの努力を 作業の基準とするかということだ」
「?」


20回。 この数字を生み出したのは 仕事に熱のある人だ。
僕の愛するソウルホテルには こんな宝石が眠っている。

“この名簿に載っている人と一度でも会ったことがあるか?
 一所懸命働きながらどんな希望や夢を持っているのか 知っているか!”

そうだなテジュン。 僕は 知らなかった。

「・・・見つけられて 本当に良かった」
「え? なあに?」


何でもないよ My hotelier. 僕の為の グルーミングは済んだ?
「なんで・・・ ドンヒョクssiの為の なのよ」
「わかっているくせに」



それじゃあ 連れて行ってあげようか。

コン とグラスをテーブルに置いて ドンヒョクが妻へと立ち上がる。
こうして グラスを置き去りにするから 後でリングが出来るんだよな。

「でも大丈夫。 良い事を聞いたから」
「ねえ なあに?」
「寝物語に 教えてあげるよ」




今夜は 掃除に一家言を増やして ふわりとハンターがジニョンを抱いた。

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