ボニボニ

 

My hotelier side story - コンフィチューリエ  -

 




“五月の風を ゼリーにして持ってきてください”


どこかの国の詩人が 病の床からねだったと言う 美しい我がまま。

言われた人は困っただろうな。 だけど
私だったら作ってみせる。 きらめく五月の風の ジャム。


様々な果実を煮詰めて作る 多彩な彩りと 味わいのペースト。

四季の恵みに 砂糖を加えて 水彩画のように季節を留めたジャムは
ソウルホテルのショップの中で とりわけ初夏に人気が高い。


コンフィチュールと呼ばれるこのスイーツを 専門に作っている彼女は 
近寄るといつも ほんの少し 甘酸っぱい香りがした。

スポーツ選手を思わせる 筋肉質で伸びやかな肢体。
短くカットしたくせっ毛を いつもバンダナで包んでいる。
仕事熱心な若きコンフィチューリエは 頭の中がジャムで満ちているような人だった。

「問題は ・・・理事なのよね」


シン・ドンヒョクに認められることが コンフィチューリエの目標だった。

理事が褒めたら 特級品。
それはソウルホテルで厨房と呼ばれる場所に立つ者の 共通認識になっている。

甘い物嫌いのあの理事に スイーツを食べさせることは至難の技だけど
ショコラティエはやってのけたし 確か パティシエも成功したはず。
それが不可能な事でない以上 私もトライしてみたい・・ 


職人は まるでそれがコンテストででもあるように 闘志を燃やしていた。

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「う~ん・・ルバーブかぁ・・」

ペッパー風味にして スパイシーに仕上げようかな。
「・・・ちょっとねえぇ・・だめね・・」
「え、だめですか? モノは確かだと思いますが」
「え?」

見れば出入りの果物屋が 顔を赤くして慌てている。
コンフィチューリエは どうやら自分のひとりごとが誤解を生んだらしいと気づいた。
「あ? ううん。この品物のことじゃなくて」

どうしても 気になる人がいるのよ。

「ええっ!!」
「・・何よ。 そんなに驚くことないでしょ?」
「きっ、きっ、気にしますよ!!」
「?」




・・・まったく 鈍感なんだからな。

相手の代わりにルバーブをにらんで 果物屋はむくれていた。

彼女がここへ勤めて4年。
俺は ず~~~~~っと アプローチしているんだぜ。
どこの馬の骨とも知れない奴に 横取りされてたまるかってんだ。


果物屋の3代目は ジャンパーのポケットに手を挿した。
Kリーグサッカーのチケット やっと手に入れた人気のカードだ。
彼女は 俺と一緒に見に行ってくれるだろうか?
「・・・・あ・・のぉ」


「ねえ?! なんか目先の変わった季節ものってない?」

ビワとか ・・ああ! 桑の実もあるわね。
「いやそりゃ仕入れて来いって言えば いくらでもお持ちしますけど。あのぉ」
「見てすぐ味が想像出来るようなものでは 口へ運んでくれないと思うのよ」

とは言え 奇をてらったようなのも駄目。 王道好きなのよね あの方。
バナナとオレンジのバニラ風味なんかはどうかな。
「・・ええと “あの方”って?」
「え? シン理事よ」

げ・・・・

お、お、お宅の理事さんといやあ ソ支配人しか眼に入らないって評判ですよ!
「それにもう 結婚しているし・・・」
「そんなの関係ないじゃない。 私 絶対 諦めないもん!」
「ええっ?!」

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・・なんだい ジャムのことかよ 紛らわしい。

脅かさないで欲しいよな。
あのドハンサムの理事さんが相手じゃ 俺には 完璧メがねえもん。
「あーあ・・しかし チケット渡せなかったな」

納品口へ留めたトラックの ボンネットに憮然と腰掛けて 
片思いの果物屋は 頬杖の上へ不満顔を乗せた。
噛みしめていた くわえ煙草を 靴底へ押して火を消す。
吸殻を持った指先の前へ 綺麗な脚が 仁王立ちになった。


「ちょっと。 その煙草 どうするつもり?」
「・・・え? あ!」

まさか その辺に捨てないわよね?

両手を腰で拳固に結んで ソ支配人がにらんでいる。
「この前ここに吸殻落としたの アナタじゃない?」
「ち、違いますよ! ほら 俺は 携帯灰皿も持ってるし・・」
「ふうん。 じゃあ 犯人は別か」

疑ってごめんなさい。 この頃よく吸殻が捨てられていて 気になったものだから。

いきなりにこやかな表情になって ジニョンは あっさり謝った。
美人だよな。 だけど この人の旦那サンが 当面 俺のライバルだ。
「ソ支配人。あの・・理事の好きなものって・・・」
「え?」
あ!!

違うよな。 理事さんの大好きなものと言ったら この人だ。
もしも今 何が欲しいと聞かれたら 俺が「コンフィチューリエ」って言うように。

「ええと ・・ソ支配人?」




「これが お勧め? ・・ゆすら梅じゃない」

「桜桃、梅桃とも言います。ジャムになりますよ」
「まぁ ・・・なるでしょうけど」  
どうしてこれがお勧めなの?

だって 理事を落としたいんでしょ? 俺なら“こっちから”攻めるな。
「これはソ支配人が 懐かしくて食べたいと言った果物です」
「!!」

まじまじと 大きな瞳が果物屋を見た。

ああ今 俺は 彼女の瞳の真ん中にいる。 恋する男は感激に震えた。

「ソ支配人は言ってました。 ・・この頃 気候がいいから」
夜勤明けには理事さんと待ち合わせて カフェテラスで朝食を喰うことが多いそうです。

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ソウルホテルの 朝7時。

小脇に英字新聞を抱えて 背の高いスーツ姿が歩いてくる。
ジャケットをラフに椅子へ放ると 
ドンヒョクはゆっくり眼を巡らせて 愛しい人の姿を探した。

「おはようございます 理事。 モーニングですね?」
「うん」
どうやらジニョンはいつもの様に 少し 遅れているようだ。
長い脚をすらりと組んで ハンターは新聞を無造作に広げた。

オレンジジュース、ホールウィートブレッド、ジャム、オムレツ、ヨーグルト・・
ギャルソンが 次々に器を並べる。
ドンヒョクは 新聞の為替欄に気を取られている。


やがてパンプスの音が聞こえると 新聞から 柔らかな笑顔が覗いた。
「冷めないうちに来たね」

おはよう 夜勤は疲れたかい? 
片手を伸ばして椅子を引きながら 朝のハンターが妻を気遣う。
うーん でも昨夜は平和な夜だったわ。

「僕は 君がいなくて寂しい夜だったな」
ドンヒョクの横へすべり込みながら ジニョンは慌てて周囲を見た。
オモオモ、またそんな事を言って。人に聞こえるでしょ?


「・・・あら? うわ嬉しい」

愛しい人の歓声に ドンヒョクは新聞を畳みながら眼をやった。
華奢なガラスのココットに 赤い 美しい実のジャムが入っていた。
「何?」
「これ ゆすら梅だわ 懐かしい。 家の庭にも植わってるの」
「ユスラ・・ウメ?」

うちのママは果実酒に漬けるけれど コンフィチュールにもするのね。


ジニョンの声にギャルソンが寄って にこやかにメニューの説明をする。
「ユスラウメとレモンのコンフィチュールです」
淡い甘みを大切に 砂糖は控え目にしてありますから。

ギャルソンの言葉が終わる前に 食いしん坊がもう試食をはじめて
ドンヒョクを小さく吹き出させた。 ふ・・・
「美味しい?」

こくん、こくん。

トーストをくわえた丸い眼が 満足そうに激しくうなずく。
幸せそうだね My hotelier.
ハンターはスプーンを取り上げて 愛しい妻の好物を試してみた。

「・・・あ これはいいな」

酸味が爽やかで野の味がする。 ほのかな甘みで フレッシュだ。
「ホテルで作った物なのかな」
「そうじゃない? うちのコンフィチューリエ女性なの」

「ふぅん。 いい腕だね」

厨房の中のコンフィチューリエが 飛び上がるようなセリフを言って
ドンヒョクはもうひとさじ ジャムをすくった。

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やった! やった! やった!

いい腕だねって言ったんだって! とてもフレッシュだって! 野の味がするって!


狂喜乱舞のコンフィチューリエが 厨房の廊下を駆けてくる。
運んでいたダンボールを降ろし何事かと見る果物屋に 甘酸っぱい腕が抱きついた。


「ありがとう! 最高のお勧めだったわ!」
私の 何年越しの望みが叶ったわ。 本当にありがとう!きゃー!
「よ、よ、良かったですね」

いきなりハグの幸運に 果物屋は眼を白黒させる。
無邪気に抱きつくコンフィチューリエに こっちから抱き返しちゃまずいかな。

「あああ、ぱーっとお祝いでもしたい気分!」
愛らしい頬を紅潮させて コンフィチューリエが首を振る。
恋する男は千載一遇の このチャンスを逃さなかった。


「あ!じゃあ今夜FCソウルの試合観に行きませんか? 応援して騒いでビール飲んで・・」
「わぁ素敵! うん行く行く! でも・・チケットは?」
「あります!!」

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夕方の空が 気持ちよく青い。

日暮れが随分遅くなって ソウルは明るい季節になった。


果物屋は従業員通路で それは嬉しげに人待ちをする。
その眼前を 社長と理事が会話しながら通り過ぎた。

「・・・銀行の方は相談してみます。 理事はこれからオフィスへ?」
「いえ 今日はもう」

「ああ。ジニョンが夜勤明けで休みですね。 じゃあ このままお帰りに」
―まったく いつまでも新婚気分の抜けない男だな
「ええ、まあ」
―だ・か・ら 僕の妻を呼び捨てるな!



「あのっ! シン理事!」
「・・・?・・」

背筋の伸びた後ろ姿が 怪訝そうに振り返った。
片想いから一歩進んで有頂天になった果物屋が 理事に向かって 帽子を脱いだ。
「あの! どうも ありがとうございました!!」


何 だったかな?

ドンヒョクの脳裏には記憶がない。この若い男は 誰だったろう。
それでも彼が幸せそうで ハンターは 曖昧に微笑んだ。

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