ボニボニ

 

My hotelier side story - ピットマン -

 




水落山麓の山道を シルバーメタリックのジャグワーが走る。

のんびりとステアリングを握るハンターは ふと ルームミラーに眼を留めた。


ミラーに映る後続車のグリルが 猛スピードで近づいてくる。
「・・・古い・・アルファか? ワインディングで遊びに来たのかな」

所謂“走り屋”という輩が カーブの多い山道へ 腕試しにやってくる。
ルームミラーの中の 古い車はFR。 
おおかたカーブで後輪を滑らせるドリフト走行でも 楽しみに来たのだろう。



― 申し訳ないが 僕の車で君のお相手は出来ない。

ジャグワーの重厚な走りに タイトな山路のカーチェイスは似合わない。
ハンターは薄い苦笑でアクセルを戻し 速度を落とした。

後ろの車は待ち構えたように スピードを上げて 追い越していった。





キョキョキョキョキョ・・・・



派手にタイアを滑らせて 車が カーブへ滑って行く。

対向車線のぎりぎり前で 綺麗に方向を定めたアルファは
噛み付くようなグリップを見せ アクセルオンでカーブの先へ飛び出して行った。


ヒュウ・・♪ な かなか見事なドリフト走行だな。

技術の高い走り屋に ドンヒョクが楽しげな眉を上げた。

車は カーブ毎に距離を広げて やがて視界から消えていった。

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ソウルホテルの駐車場には 毎日 沢山の車が停まる。

宿泊客の愛車を始め ホテルの送迎用バスやワゴン車。



VIP対応の高級車まで 数え切れない車が並ぶ。
それらの車のケアをするのが 車両部と呼ばれるセクションで
「ピットマン」は車両部でも 若手一番の腕利きだった。





“ここに勤めた理由? そりゃ いろいろな車がいじれるからな”

有名人のフェラーリだとか 年代物の「RR(ロールスロイス)」とかさ。
この間なんか あの有名俳優が「駐車場入れとけ」って コブラのキーを俺に渡したんだゼ!



車のドアの閉まる音で ほとんどの車種を聞き分けると言う。
メカの事なら何時間でも話すが 女の子とは口下手で 話も出来ない。

『エンスーがつなぎを着て スパナを握っているようなヤツ』


ホテリアー達は そう言って笑いながらも
仕事熱心な 車両部のピットマンを愛していた。

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「・・・あれ?」

ピットマンは振り向いて パーキングへ滑りこんで来た車のエンジン音を聞いた。
理事さんのジャグワーの吹けが悪い。 あれじゃ 一本イカれてるかな?



案の定 所定のVIPエリアでなく ピットの脇へ車が停まり
すらりと端整なスーツ姿が ドアを開けて降り立った。

「こんちゃーす 理事。 ジャグワー ピットインすかあ?」

バカ! お前! 
先輩メカが大慌てでピットマンの頭を殴り ドンヒョクに向かって 愛想笑いをする。

「ど、どうもすみません! 何とも 躾のなってない大馬鹿野郎でして!!」
・・・・って~なぁ・・オッさん・・・
「すみません。 えーと 吹けが悪いみたいですね?」


ふ・・と笑ったハンターは 機嫌のいい顔をして見せた。
シン・ドンヒョクはこの 男にしかいないような性格の 若いピットマンが好きだった。
「ご明察だな。 エンジンの調子が いつもと違うようなんだ」

置いてゆくので診てくれと言い 何気なく周りを見回して
ドンヒョクはピットの隅に 先日の古いアルファロメオを見つけた。



「・・・多分 バルブだと思いますよ。 どれくらい預からせて貰えますか?」

言うより早くいそいそと ジャグワーのボンネットを開けながら
ピットマンはまだ熱を持ったエンジンを うっとりとした眼で見つめていた。

「そこの アルファは?」

「え? あ、俺のです」
「水落山のヒル・クライム? いい腕だったね」
「げ・・、バレましたか?  スンマセン! 理事さんのジャグワーをまくっちまって・・」



謝ることはないさ。 残念ながら この車でドリフトは出来ないけれど。
「あっはっは! 理事さんがジャグワーぶん廻したら 派手だろうなあ・・・やべ」

先輩メカが大目玉を剥いて ピットマンをにらんでいた。
その威嚇を 横目で楽しげに見たドンヒョクが ふと思いついた顔になった。
「そうだ。 君 これ食べるかな」
「え?」


え・・・・・?


奥歯の歯ぐきまで見えそうだった ピットマンの笑顔が 引き潮のように消えた。
車のシートから取り出されたのは 
ワックスペーパーに包まれたサンドウィッチだった。

「理事さん・・・これって・・・表の・・・駐車場ン所に・・よく停まる」
「ああ 移動販売で買った」


ジニョンを怒らせそうだから もう 買う気もないのだけれど。
ワゴンの売り子は いいお得意さんとばかり 僕を見ると声をかける。

「呼び止められてしまうものだから ついね」



・・は・・・・理事さんは・・彼女に・・・呼び止められるンすか・・・
「?」

ピットマンはつなぎの腰でごしごしと手を拭き ドンヒョクの差し出す袋を取る。
まるで宝物でも眺めるように 青年の頬が 紅潮していた。
・・・ふうん?・・・


ドンヒョクは車を置き去りのまま エレベーターホールへ向かって歩き始める。
2,3歩行って立ち止まり ピットマンへ振り向いた。

ドライブにでも 誘ってみればいいじゃないか。
「! な、な、なんすか?!」
「VWワゴンの彼女」
「お、お、俺は別に・・・あの子とどうとかって訳じゃ・・・」



俺は別にと言いながら ピットマンは 頭から湯気が噴き出しそうだ。

どうやらソウルホテルが誇る 腕利きの自動車整備士は
こと女性に関しては ドライビング程 堪能ではないようだった。


「まぁ ね」 

見ているだけでいいのなら それは 君の勝手だけれど。
もしも 半身と思える人が自分の心に飛び込んできたら 決して 諦めないほうがいい。
「一生醒めない恋に出会ったら つかまないと」


機械オイルの匂いのする およそ殺風景な景色の中で
ピットマンを見据えたドンヒョクは ほどけるようにふわりと笑った。

自信に満ちたその笑みに ピットマンは目を奪われた。



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ソウルホテルの 朝6時半。

ドンヒョクは ランニングの足を止めた。
駐車場近くの植え込みに 鈍く光るものが落ちていた。
「・・・・・」



「おはようございます 理事。 車 出来ています」
「直った?」
「もう バンバン! ヒルクライムもイケますよ」
「有難いね」

だけど残念ながら ドリフトは遠慮しておくよ。 
「見通しの悪い山路であまり飛ばすと ジニョンが文句を言うからな」
「へへへ・・、 じゃあ ここにサインお願いします」

理事の上質なスーツを汚さないよう オイルの汚れを気づかいながら
ピットマンは バインダーにはさんだ伝票を渡す。

修理票を受け取ったドンヒョクは 替わりに持っていた物を 渡した。


「ありがとう。 では これは君へプレゼント」
「え?」
「駐車場近くの植え込みで拾ったんだ」

パウダーブルーにメッキされたそれは  直径30㎝程の 古びた鉄の円盤。
「何すかこれ? ・・・ホイルカバーか?」
「誰かの落し物だろう。 ブランドマークを見ろよ」
「VW・・・・、 あっ!・・・」


あの子じゃ 多分 はめられないだろうな。
伝票にサインをするビジネスマンが 悪戯そうな眼を上げる。

「君なら得意だろうけどね?」
「でも・・俺・・・・」
「気にするな。 車を直すのに 洒落た会話はいらない」

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ソウルホテルのピットマンは 赤いつなぎのユニフォームを着る。

女と話せない青年は その つなぎより真っ赤だった。

「いらっしゃいませ~! ・・・あら?それアタシの」
「・・・・これが・・あの・・植え込みに・・」
「わあ! 外れちゃったんだ! いやだー。どうしよう」




“おおおおおおおおおおおれで良ければ つけてあげるよ”

一生一度の勇気を出して ピットマンが申し出る。 
彼の心拍タコメーターは 8000rpm/minを 振り切っていた。
「えー?! 本当ですかー? ラッキー!」
「!!!!」

今日は・・何日だったかな。 後でカレンダーを見とかなきゃ。
丸でも付けておこうかな。 俺が 彼女のラッキーになった日。


ソウルホテルの屋外パーキング。

数台 車が並べるスペースに レトロなVWワゴンが停まる。
ピットマンはタイヤを外し 念入りにホイルカバーをはめて
ついでにボルトのチェックやら ホイルバランスまで調整する。

「ホントにすみません。この頃 カーブでタイヤがふらつくと気になっていたの」
「・・・うん・・」
「あ! お礼にサインドウィッチ! 食べて行って下さいね!」
「・・・ぁ・・・うん・・」

ピットマンは親切だけれど 可笑しいほどに口が重い。
それでも工具を使う手はよどみがなくて
機械をいじる男の人って ちょっと素敵・・と彼女は思う。


もう直す所はないかなと ピットマンは探している。

駐車場前の坂では ジャグワーが小さくクラクションを鳴らした。

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