ボニボニ

 

My hotelier special - 愛を航る日 -

 





『My hotelier 1.』のプロローグ。
ジニョンへと ドンヒョクが
世界で一番広い海を越えた日のお話です。


          *         *         *         *


ジョン・F・ケネディ国際空港。
 


出国審査の女性検査員は パスポート写真を見ると カウンターの男へ眼を向けた。
「行ってらっしゃい。 またすぐに 会えるといいわね。」

それは これから国を出てゆく美しい男を惜しんでの 
冗談めいた 本音のセリフ。
その言葉に 男は薄く笑い ゆっくりと顔を左右に振った。


けげんな顔の職員を後に シン・ドンヒョクは 機内へ向かう。
歩を進めてゆくうちに 小さな思いが胸の底から湧きあがり
わずかな不安に揺れていた瞳には  強い 意志の光がきらめき出す。 


― もう僕が この国へ“帰って”来ることは 二度とない。

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ポゥン・・♪


シートベルト・サインが消えて 機内の空気が ふわりと緩む。
一斉に仕事へ動き出した CA達のざわめきを聞きながら
ドンヒョクは スーツの懐から 一通のエアメ―ルを取り出した。



薄手ながら張りのある 上質な紙を使ったエンベロープ。

裏返すと封緘の部分に 誇らしげに刻まれたエンボス・マークは
かつてハンターが標的として 銃口を向けたことのあるものだった。
『Seoul Hotel』。


長い指が 紙片の縁をそっと滑る。
幾度も 幾度も 読み返した文面。  それでも ドンヒョクはもう一度 封を開けた。



            【 お忘れ物のご案内 】

Mr.シン・ドンヒョク

先般 お客様が残されたお忘れ物について お知らせ申し上げます。
お忘れ物に関しては 当方にて 慎重に保管をさせていただいておりますが
遺棄に伴うダメージが大きく 当ホテルでの これ以上の保管は困難な状態です。
何卒ご来訪の上 お受け取り頂けますよう 心よりお願い申し上げます。




                ソウルホテル代表取締役社長 ハン・テジュン
                                 Sign



「・・・・。」
鈍く光る眼鏡フレームの奥に 柔らかく伏せた睫が揺れる。
視線は何度もテキストの上を走り  男の口の端は小さく笑んでいた。


ハン・テジュン。

今にも行間から あなたの声が 聞こえて来そうだな。
記名の前の 余白が大きい。
あなたはきっと 書きたかったのだろう。

“もしも お越しいただけない場合は・・” と。



僕は 他人に弱味など 見せた事は一度もない。
まして誰かの差し出す手に甘えるなど 考える事すら しなかった。

だけど ハン・テジュン。  
今回は有難くあなたの好意に甘えよう。 そして・・


―これから僕は あなた達の様に 生きてみせる。

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“ジニョンさんの様に・・。”
“私の様に 大雑把で 単純な女はお嫌いでしょう?”


“いいえ・・ 僕もジニョンさんの様に 明るく 純粋に生きてみたい。”


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機内は 明かりを落としていた。

CAが 毛布の補充を聞きにくる。

ファーストクラスの椅子の背に沈み ハンターはゆっくり眼を閉じる。
フライト時間は 10時間を越えた。
ドンヒョクは今  世界で一番大きな海を 愛に向かって越えようとしていた。



ジニョンさん。

僕を 温かく包んでくれた人。 
だけどあなたは 最後まで hotelierであることを 捨てられなかった。
幾つもの あまりに暗い夜の底で 正直ジニョンさんを恨んだ時もある。


ジニョンさん。

だけど 僕は やっと見つけた。 あなたを もう一度つかまえる方法を。
「My hotelier。」
あなたをhotelierの そのままで ソウルホテルごと抱きしめればいい。


ジニョンさん。

もう一度あなたを抱きしめられたら  その時 僕は 生まれ変わろう。
あなたのようにシンプルに 明るく愛を信じられる。  僕は そんな人間になる。

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到着ロビーを 通り抜ける。
アメリカは 今や 遥かな過去の国になった。
空港内に響くハングルの中を 男は 大股で歩いてゆく。

ジニョンさんは忙しく働いているだろうか。 ドンヒョクは ひとつ深呼吸をした。




ソウルホテルの メイン・エントランス。

一台のタクシーが 正面へ滑り込む。


モールの付いたフロックコート。  大柄なドアマンが 客を出迎える。
ガチャリ・・・。 開いたドアから すらりと降り立ったその男を見て
ミスター・ソウルホテルは ほんの一瞬 息を呑んだ。



「いらっしゃいま・・・    お帰りなさいませ。 ミスター・シン。」

ドアマンは柔らかく 彼へ 微笑む。
「お戻りに なられましたか・・・・。」

「 ・・・・戻った?」
眼をやれば 温かく見つめ返す 懐かしいhotelierの眼差し。
― ああ 僕は またここへ帰って来た。


「 ・・・・ありがとう。 戻りました。
 ソウルホテルが “忘れ物”を届けてくれないから  僕が 来たんだ。」

忘れ物を お持ちになるおつもりですか?
「それは・・ 寂しくなります。」
「ならないさ。」
シン・ドンヒョクはまっすぐ前へ  愛しいソウルホテルへと 足を踏み入れた。


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エントランスを 歩むうち ドンヒョクの胸が温まる。


すれ違いざまに彼を認めて ホテリアー達の瞳が輝く。
お帰りなさい。 お帰りなさい!  オモ! お帰りになったのですね?


お客様のカートを引きながら ベルスタッフが笑いかける。
ロビーラウンジでコーヒーをサーブしながら ギャルソンヌ達がさんざめく。
交わされる笑みと 柔らかな会釈。

ソウルホテルは双の腕を広げて シン・ドンヒョクを抱きしめた。



“僕の 場所だ。”

あの日 ジニョンさんの向こうに見えた きらめくように明るいところ。
馬鹿馬鹿しいと どれほど冷笑してみても こらえようもなく眼がそこを追った。

自分を裏切るほどの力強さで こみ上げてきた渇望。


―僕は  幸せになりたい。



フロント・カウンターのスタッフは 弾けるような笑顔を見せた。
「オモ!お帰りなさい。 ミスター・シン!」
早く早くともどかしげに 彼女はインカムを引き寄せる。

ガッ・・・ 
ハン社長は いらっしゃいますか?!


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“ハンです。 ・・ああ わかった すぐ行きます。”


テジュンの深く 懐かしい声は カウンターに立つドンヒョクの耳にも届いた。
もう1つ。  ほんの少しだけ 聞こえたのは 忘れようもない人の声。
「ただいま こちらへまいります。」
「どうも ありがとう。」


ありがとう。

あなたに会えた 奇跡に。  ここへ たどり着けた幸運に。



まるで少年のように 頬が 熱を帯びてゆく。
視界の向こうに捉えたあの人は  ・・・まだ 僕に気付いていないね?
ぷりぷり  何を不機嫌そうに ふくれっ面をしているのだろう。
やっぱりあなたの その顔は 最高だな。


「!!」

ジニョンが 立ち止まる。 
鈴をはったような瞳が 突然の愛に 大きく揺れる。
たまらず 2,3歩歩みだした男は 思いなおして 足を止めた。


「君」が おいで
僕のもとへ。 
僕は もう追わない。 君の番だ。


どれほど追いかけても すり抜けて行った愛が  一歩 一歩 ドンヒョクへやってくる。
愛しい人の眼が潤むのを うっとりと見つめながら ハンターは 自分に言い聞かせる。
ここまで来たら つかまえよう。  そして もう二度と離さない。



「・・・・・・・・。」

「僕を 待っていましたか?」

こくり こくりと  涙が浮かぶ。

「僕も 待ちました。  チェック・インを?」
「・・・いつまでご滞在ですか? お客様。」

「永遠に。  永遠に あなたのそばにいます。」



腕の中へ飛び込んで来た君を抱いて   そして今  僕は 生まれ変わった。

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