ボニボニ

 

ベイビートラップ 1

 




・・・やられた。


アタシがはめられたことに気づいたのは 寝ているはずのハルモニさんが
いつもみたいに ぷーって 煙草の煙を吐き出した時だった。


「・・・・お倒れになったと 聞きましたけど?」

ああ、そうだねえ。 倒れたんだ。

「まったく チビのバカが。 扉の前に丸まっているから つまづいてね」
「お怪我はなかったんですか?」
「チビを下敷きにしたからね。 まぁ あんな犬でも役に立つよ」
「・・・・」

で?  「倒れた」けれど 「何事もなく起き上がった」と言うわけね。



ハ~~ル~~モ~~ニ~~~~!!

-----



今から思えば 全部が 変だった。



アタシ。 ジュニが留守の時に ネットで調べ物をしていたの。

そしたらいきなり「seoul」から ビデオチャットの招待が来て
“ジュニは今留守です”とタイプしたら PCの向こうはミンジュさんだった。

慌ててビデオチャットに切り替えると ミンジュさんってば 大泣きなの。

「大奥様がお倒れになりました! 
ジュニ様には携帯にご連絡して 今 空港へ!
 茜様のチケットは手配しました! 予約シートを送信しますからお急ぎください!」



・・・高校時代 演劇部だったんだって。 ミンジュさん。


「あんなクサイ芝居でも 結構イケるものだねえ? ミンジュ」
「まぁ!大奥様ったらお口の悪い。 これでも 私 プロを目指したこともございます」
呆然とするアタシの前で 大魔女と弟子が言い合っている。

ねえ?  問題はソコなわけ? アタシ・・・ソウルにいるんですけど。


アタシってば パスポートとバッグいっちょで 大慌てで家を飛び出して。 
ジュニは飛行機の中だからって 携帯で連絡することも頭になくて。
金浦空港で待ち構えてたジンベイザメベンツに飛び乗って 一息に ここまで来ちゃったのに。



「世田谷とソウルと言っても その気を出せば 4.5時間で来るねえ」
「・・・・・・・・」
「あの時間じゃ 茜は お昼を食べ損ねただろう? お夕飯は何がいいかい?」

ほっほっほ・・と。  ハルモニさんは 優雅に手の甲で口を隠す。


そうそう、ご実家が心配するだろうから 電話だけはしておきなさいだって。

-----



「え~? 茜ったら 今ソウルにいるの~ぉ? なんで~?」


じゃあ お夕飯はいらないの~ぉ?って 電話に出たママは 言ったモンだ。

おまけに 帰りに甘い方の韓国唐辛子をサヤで買ってきて~♪って。
まったく・・・
この母の動じないことったら 化け物級だ。

ママの後生楽な声を聞いているうちに 
・・・・アタシは もうドーデモいいって気持ちになった。



「“ジュニも空港へ向かった”って言ったじゃないですか ・・嘘だったんですか?」

「まぁ~ぁ 若奥様ったらお口の悪い。 私“空港へ!”までしか申しておりません。
 空港へ 来てくださったらいいな~と思っただけで。 ねえぇ 大奥様?」
「あぁ。 だけど あれはもうスレッカラシでね。 ひっかかりゃしない」

やっぱり 若い嫁は可愛いねえ。 ほっほっほ・・

ハルモニさんは上機嫌で ミンジュさんと笑い合う。
はぁ・・ きっとアタシってば 振り込めサギとかに引っかかるタイプなんだろうな。




「さあて♪ 茜は人質にしたし。 不義理な孫に連絡しよう」

大体こんな近くに住んでいて 正月に来ないなんてとんでもないよ。
「!」
ハルモニさんはニコニコと ミンジュさんに電話を言いつける。
ああ そうか・・。 ハルモニさんは旧正月にジュニが韓国へ来なくて 寂しかったんだ。



「あ・・の すみませんでした。ジュニは 今度大学卒業だからバタバタしているんです」

おや。 だけどジュニは春からは 大学院へ進むんだろう?
「あ、はい!  でも 一応 試験みたいなものもあるようです」
「そんなもの 落ちやしないだろうよ? あれは優秀の誉れ高いジホの孫なんだから」

つん と鼻を空へ突き出して ハルモニさんは澄ましている。
その物言いを聞いたとき 何かが コツン・・と 心に触れた。


ねえ? ハルモニさん。 

「ジホ」ってイ家の書生で 優秀を買われて婿養子になった ハラボジさんのこと?
なんか 今の言い方。 ちょっと自慢っぽく聞こえたんですけど・・・。

よおぉ~~~~く見ると ハルモニさんの白磁の頬が 微妙に紅い。
ふぅん・・。  アタシは上目遣いで ハルモニさんを盗み見た。

ハルモニさんって・・ 
ハラボジさんと 案外ラブラブだったんじゃないのかな?

今度2人のことを聞き出してやろう。 アタシは その時心に誓った。

-----



「・・・それで?  今 ソウルにいるんですか?」

電話の向こうでジュニは 静か~に 呆れた声を出した。
それでは一旦家に帰って 羽田に向かいます。 着くのは10時過ぎになります。

「あのぉ・・ジュニ。 もしも忙しいようなら アタシだけ泊まって帰るよ」
「とんでもないっ!!」

茜さんと離れて眠る位なら 性格の悪い祖母の罠に落ちるほうがずっとましですって

ジュニ・・あんたホント昔から ハルモニさんに苦労して来たんだねえ。



「大体 どうするつもりですか? バレンタイン」
え? あ!!
「忘れていたんですか?」 はぁ・・・

それではと電話を切る時に ジュニは またちょっとため息をついた。
・・・ごめんね ジュニ。 
バレンタインデー、きっと すごく楽しみにしていたんだろうな。

-----



「ハルモニはひどいです!  
 縁起の悪い嘘をついて 茜さんを呼びつけるなんて・・」

夜遅くにやって来たジュニは もう思い~っきり ブンむくれていた。
「フンだ、嘘はついていないよ。茜が 誤解しただけだからね」
「前に同じ手で僕を騙したじゃありませんか。あの時なんて僕 アメリカから飛んで戻ったんですよ」

・・・そうなんだ。

しかし またこの2人はやり合っている。 本当は仲がいいんだけどな。



「第一 今日はバレンタインです。 恋人たちにとっては大事な日なのに」
「あ~ぁ 煩い! まったく 何をべたついた事を言っているんだろうねえ・・」

きれいな扇子で口元を隠して ハルモニさんは眼を細める。
「恋人恋人って お前たちはもう 立派な夫婦だろう?」
今更バレンタインに告白するってえ訳じゃなし いいじゃないか。

それを聞いたジュニは片眉を上げて フンッて 口の端だけで笑った。
そうですね・・、僕たちは “立派な夫婦”です。

「だから今夜は僕。 絶対 茜さんと同じ部屋で寝ますからねっ!!」


ぎゃ~!!  ジュニってば、ジュニってば、ジュニってば!

まったくそんなハズカシイ事を ハルモニさんに 力一杯 念押さないで欲しい。
勝ち誇っているようなジュニの横で 
アタシは笛吹きケトルみたいに 耳から湯気を噴き出した。

-----


お風呂を使って西翼の客間に戻ると 布団が2つ 敷かれてた。
ジュニは片方へ腹ばいになって 静かに本を読んでいた。

英語の ハードカバー。 研究のご本かな・・? 


本を読んでいる時のジュニときたら 
眼を伏せた顔が端整で ページをめくる指が とってもキレイ。
アタシはいつも そんな奴を見ると 声をかけることが出来なくなる。

「・・・・・・・」

「? あぁ 茜さん。 やっと来ましたね」
いらっしゃい。 
ふんわり優しい笑顔のジュニは こちらへ布団をめくってみせる。
ねえ? 布団は2つあるけど。  アタシも そっちなわけ?


「オンドルが入って温かいです。 茜さん 初めてでしょう?」

この家のオンドルは 古いんです。
今は温水をパイプに通すタイプも多いですけど ここは 昔ながらの釜炉です。

ジュニは布団をパペットのようにして おいでおいでをしてみせる。
「いらっしゃい♪」
もじもじと隣へ滑りこむと 貝の蓋みたいに 掛け布団が閉じた。


「・・わぁ 温かい」

ふふ もっと温めてあげましょう。
オンドルで温まったぬくぬくのジュニが ぎゅーっとアタシを抱きしめる。
「愛しています。知って いますね?」
「ん・・・」

「バレンタインですから。 この先も いいですね?」
「・・・でもぉ ヨソのお宅だよ?」

一応ためらってみたけれど もちろん ジュニは気にしちゃいない。
“ヨソの”ではなくて “僕の”実家です。 
茜さんは 僕の奥さんなんですから 大いばりで抱かれてください。

大いばりって ジュニ・・

「もうお話は 終わりです」
脚を開いて下さいって ジュニのヤローはとんでもない。
だけど・・・アタシ、バレンタインのチョコを東京に置いて来ちゃったしな。


オンドルの布団は温かくて 裸にされても寒くない。

ジュニがアタシに入る頃 アタシは うっすら汗をかいていた。

-----



その晩 アタシがうなされたのは 慣れない温かさのせいだったのかな。

街が一面火の海で 怪獣が ギャオーッて吼えていた。
必死で逃げ出す人並みに逆らって アタシは ジュニを探していた。


“ジュニ! ジュニ! ジュニッ!! どこっ?!”

“・・・あ・・かね・・さ・ん?・・・・”

必死で腕を伸ばし続ける。 ジュニ! ジュニ!
何とかジュニがアタシを見つけて いきなりふわり と抱き取られた。
アタシは夢中でしがみついた。 早く!早く!! 逃げなくちゃ・・
“・・・は・・・や・く・・?・・・”

「もう! 早く! ジュニ!!」


そこで いきなりアタシの意識が 現実世界へ戻って来た。

眼の前に 筋肉こぶこぶのジュニの胸。 
寝ぼけまなこのくしゃくしゃ髪で ジュニは アタシを抱いていた。
「ジュニ・・? ・・あ・・れ? ・・夢・・・?」

「・・・夢を・・見たん・・ですか?」

ジュニは脱力したみたいに はぁとアタシの胸に倒れこんで・・
ガバッ!! と いきなり上体を起こした。
「茜さん! ・・僕・・・」

気がつけば裸ンボで寝ていたアタシたちは 半分寝たまま 1個になっていた。

-----




はわぅ・・・



ハルモニさんの2個目のあくび。 

「まったく チビにも困ったものだよ」
でかい図体でキュンキュンと いつまでも 諦めないで鳴いているのだから。


「ジュニもたまに帰ってきた時くらいは チビを傍に居させておやり」

茜だったら いつだって可愛がってやれるだろうって
ハルモニさんってば アタシとチビを同じくらいに言ってるじゃん。
ジュニは聞こえませんって顔で 静かにコーヒーを飲んでいた。


「・・・ところで ややこはまだなのかい?」

「!」「!!!」

早くひ孫が見たいねぇ。  
おかゆに飽きたハルモニさんは おさじで器をかき混ぜる。




アタシは そっとジュニを見た。

ねぇ ジュニ? まさかさっきので・・・ややこなんて・・出来ない・・・よね・・?

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ