ボニボニ

 

ハルモニ  1

 




夜明け前。 ほんのり青い闇の中で ジュニは静かに眼を開けた。

「・・・・・・・」


久しぶりに あの夢を見たのに
うなされもせずに目覚めたことが 何だか とても不思議に思える。
ゆっくりと 周囲へ眼をやって 思わず ジュニは微笑んだ。


ぶかぶかの 男物パジャマの上だけを着た背中が 隣で丸くなって眠っている。

投げ出された左腕の ちょうど関節の所へ頭を乗せて 
茜は ジュニの腕を抱くようにつかまえていた。
「・・・それでは  僕が 動けません。」

ひどいな。 ああ 左腕の感覚がない。

身動きできない閉塞感が 僕に あの夢を見せたのかもしれない。
だけど腕をつかんで離さなかったのは 柔らかで 愛しいこの温もり。 
「だから うなされなかったのかな。」


怖ろしいほどに筋肉のついた大きな肩が ゆっくりと身を返して
眠りこんでいる頭から 静かに腕枕を外す。
2、3度 軽く腕を曲げると やっと血が流れ始めて
チリチリ痛痒いようなしびれと共に 手に感覚が戻ってきた。


・・・んん・・・・・

枕を取られたブーイング。 ジュニの口元が またほころぶ。

「茜さん・・」
華奢な背中を抱き寄せて 眠る身体を腕の中へ入れる。
僕のものだ。 満ちた想いで頬をすりつけていると 寝ぼけ半分の茜がうめいた。
・・・ぅ・ん・・・ ジュニ?・・・

「ごめんなさい 起こしましたね。」

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目が覚めたら ジュニがアタシを抱きしめて くしくしと頭へ頬ずりをしていた。

もぉ・・・ 気持ちよく寝ているんだから起こさないでよ。


「すみません。 だけど 先に茜さんの方が僕を起こしたんですよ。」
「ふーん、だ。 寝ている自分に 責任は取れないモン。」

寝相が悪くて すみませんね。
「アタシが邪魔なら いいよ ベッドを別にすれば。」
「そんなこと ダメですっ!」
ぐえ・・・ 

「ジュニ! ぐるじ・・ギ・・ギブギブ・・」
「あ すみません。」
まったく なんて力があるんだ。
ジュニのハグってば デスロックだよ。 アタシを「オトシて」どーする?


朝が始まるまであと少し。 ブラインドの隙間が 白み始めている。

ジュニは薬指で アタシの髪をすくって 愛おしそうに耳へかける。
「僕たちはずっと一緒です。寝る時も ね?」
「寝相悪いよ アタシ。」
うふふ・・

大きな掌が首筋を撫でおりて パジャマの裾から胸へすべりこむ。
後ろから抱きしめる奴の手が アタシのふくらみを 大切そうに包んだ。
「こ・・らぁ・・。」
・・・・・ふふ・・柔らかいです・・


「茜さん。 僕 オンマの夢を見ました。」

「え・・」
昔から 繰り返し見ていた夢です。 柔らかなオンマの腕に抱きしめられて 
夢見心地でいるうちに いつか 腕が白い骨になって・・僕は 恐怖で叫び出す。

「子どもの頃は 死ぬほど怖い夢でした。」
・・ジュ・・ニ・・・・・
「大・・丈夫?」
不安になって振り向いたら ジュニは 静かに笑っていた。 


「茜さんの おかげです。」
へ?
「僕はもう あの夢にうなされる事はないようです。」

今日の夢。 オンマの腕は僕を抱きしめるだけで 骨に変わりませんでした。

眼を伏せて きれいな頬が笑みに揺れる。
「オンマは今 向こうの世界で きっと安らかなのでしょうね。」
あ・か・ねさん。  ジュニはアタシのおでこに コツン と自分の額をつけた。




ジュニ・・。

幾つもの。 幾つもの暗い夜の中で 子どものジュニは悲鳴を上げていたんだ。
なーんにも知らないお気楽なアタシが 安らかに眠っていた頃に。

アタシは少し切なくなって 奴の胸へ頬をすりつける。
?と眉を上げたジュニは アタシを抱き直して 明るい声を出した。
「茜さん。 そろそろオンマに会いに行きましょうか?」
「え?」
「お墓参りです。こちらも落ち着きましたし 一度ソウルへ行かないと。」

そうだね。 アタシ まだハルモニさんにご挨拶もしていない。
「今頃挨拶とはなんて嫁だって 蹴られそうな気もするんですけど。」


アハハハ・・・!  茜さんでも そんなこと心配するんですか。

「大丈夫です。ハルモニがいじわるをしたら 僕が 守ります。」
「ジュニよりハルモニさんの方が 強そうだよ・・」
うーん・・ 問題はそこです。

ハルモニは あれで無敵だからな。  
困った風に言ってみせて ジュニは また愛しげにアタシを撫でる。
「茜さんは 僕の宝物です。」


誰にも ・・・・文句なんか言わせない。 

ささやくような甘い声。 だけどアタシはその声の底に 
チラリと揺れる青い焔を感じて ほんの少しだけ 緊張した。

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「ね~え~? ママ達は ホントに行かなくっていいかしら?」

ママが心配そうに言う。 先様に ご挨拶をしなくていいの~お?


だ・か・ら・ママ! 韓国で正式にお披露目をするのは ジュニが卒業してからだもん。
「ジュニの家は親戚が多くて披露宴は準備がいるって ジュニパパ言ってたジャン。」
「そうね~え・・ でもぉ~。 ママは今回 行かなくていいかな~?」


知っているよ。 ママが珍しく粘るワケ。

アタシ達をダシにして ソウル旅行がしたいんでしょ?
ママってば この前ネットの履歴を見たら「ソウルグルメ情報」とか
「チャングムを巡る食旅」とか そんなのば~っか 山ほどググっていたもん。  

でも 結局ママはあきらめて お土産に買う韓国食材の長―いリストをよこした。



KE6708便。

羽田を飛び立った飛行機では 機内食にコリアンフードが出た。
これ 結構辛いね。 モグモグ・・・
「茜さんってば。」

呆れたようなジュニの顔。 食事は控えておいた方がいいですよ。
「向こうについたら ハルモニが きっとご馳走を用意していますから。」
ぐ・・・・
前にハルモニさんちで出てきた。 テーブルいっぱいの 豪勢な料理か。

食べ物を残すと怒る母に育てられた娘としては あのご馳走は 強敵だ。
今度は 口からモヤシをぶら下げないようにしなくちゃ・・
結構マジに自戒したら あぁ茜さんなんて可愛いって 派手にジュニが抱きしめた。

もおぉ・・やめてよ人前で。 スッチーの呆れ顔が恥ずかしいじゃん。



金浦空港の入国審査は 「外人」と韓国人に分れていた。

そうか アタシもこの国じゃ 外人さんって訳だよね。 
「外人」なんて言われると 気分は 金髪&ブルーアイ? くくく・・
「嫌です。審査カウンターが別々なんて。」

茜さんもこっちへ並びませんか? ジュニは ぶつぶつ文句を言う。

「んなコトしたら 入国審査の人に怒られちゃうよ。」
まったく ジュニには困ったもんだ。
「せっかく茜さんを奥さんにして帰国したのに 口惜しい。」んだって。



正面出口のドアの前で いきなりジュニが立ち止まるから
アタシは 大きな背中の真ん中へ 顔からめりこんでしまった。
「んぷ・・」

・・・茜さん?
ちょっと言っておきたいことがあります。ジュニは うつむいて言いよどんでいる。
「なに?」
・・・ええ と。

僕に親戚が多いのは 言いましたね。 普段はまったく関係のない方々ですから。
「会った時に何を言われても 茜さんは 全然気にすることはありません。」
「?」
「それだけです。」


では行きましょう。 ジュニはすっきり前を向く。 ・・・あのねぇ。

「ちょっと!」
“それだけです” じゃないでしょ?!
何よその振りは? 何を言われてもって 誰に 何を言われるの?アタシ!

大股で歩き出すジュニを追いかけて シャツをつかんで引っ張った。
「ねえ! いったい何で! ・・ん・・・・」


んくんくんくんくんく・・・

「・・・ぷ・・・ぁ・・」
「心から愛しています。知っていますね?」

ばーかーやーろーっ!! こ、こんな所でキスなんか・・するなあ・・ぁ・・



何を隠してるんだかジュニのヤローは それ以上は聞くなとばかり
公衆の面前で悪魔みたいなキスをして。 アタシは・・・カクンと膝が折れた。
 
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空港の建物を出た途端 眼の前に 車が滑り込んだ。

で~~~~っかい ジンベイザメくらいのベンツ。
こんな車に乗るのって 日本じゃ ヤクザ屋さんあたりかな?
野次馬根性で見ていたら  降りてきた人が ジュニに向かって(多分?) 挨拶をした。

「お帰りなさいませ。」
ほえ?
「ジュ・・ニ?」
「えー・・・と 茜さん。車の中で説明します。」


ジンベイザメベンツの内装は そりゃあ 金がかかっていそうだった。
アタシはキョロキョロ見回して ついでに 運転席のオジサンを覗く。
オジサンはひと言も口をきかずに ルームミラー越しにちらりとこちらを見た。

ジュニの腕をそっと揺すった。
ねぇ?ジュニ。 親戚の人? 紹介してくれないの?

「彼はショーファーです。名前は キムさんです。」
「ショーファーって・・この車の 運転手さんってこと?」
お抱え運転手つきのジンベイザメベンツが なんで ジュニを迎えに来るの?


ねえ・・・。 何か 変だよ? ジュニ?

アタシは 腹が立ってきて アヒルの口でブンむくれる。
「・・・ちゃんと説明してくれないなら 怒るからね。」
「茜さん。」
「なに? この状況。」
「・・・・・」
ジュニは すっごいハンサムな顔でアタシを見つめてから は・・と息を吐いた。


「茜さん? ・・・・財閥を知っていますか?」
「ん? 財閥? “オカネモチ”の財閥?」
「はい。」

日本は敗戦後 財閥解体されましたけれど 韓国ではまだあります。
「現代とか三星とか 十大財閥が有名です。」
「ジュニのお家は ・・そういう あの 財閥なわけ?」
まぁそうです。 僕たちは 親戚と離れて生きていますが・・・
「ハルモニは 本家の1人娘なんです。」
げ・・・

何かそれって 面倒な話なんじゃないの? ・・えーと アタシ庶民だよ。
そんなご大層なお宅に嫁ぐような 教育も何も 受けてない。

「あのぉ。 アタシ・・・実家に 帰らせていただきます。」
「茜さん!」
慌ててジュニが腕をつかむ。その手にマリッジリングが光っている。



え~~ん! 助けて~! お母さーん!

アタシ とんでもない奴と結婚したみたいですぅぅ・・

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