ボニボニ

 

ハルモニ  5

 




・・・戦争中の 話です。




ゆっくりゆっくりアタシを撫でながら 昔ばなしのように ジュニは話し出した。 



この屋敷を 高官接待の場として使いたいという申し入れがあったそうです。
うちは 『外厨房』の長官も務めた家柄で 
一流の料理人を たくさん抱えていましたから。

「パク・ジュバン・・って?」


「宮廷の対外的厨房です。 料理人は全員男性で、公式の宴会料理を作ります。」

外厨房に対して 王様とかお妃様の 普段食べる料理を作るのが 
「ほら・・。ママさんの好きなチャングムの『水刺間(スラッカン)』です。」
「へぇ。」


いくら 占領下とは言っても 財閥の力は大きいですから。
「普通なら本家の邸宅を徴収する話など 出なかったはずです・・」

折悪しくハルモニさんのパパ、実力者だった先代が 亡くなったばかりだったという。
 

その頃のイ家には 軍部からの申し入れを拒む力がありませんでした。
日本軍はそこへ眼をつけたのでしょうね。 それに・・
「・・・ハルモニが いたから。」
「?」
今でもかなりの美貌ですが 当時ハルモニは 茜さんよりもっと若くて
「たぶん16か17歳。 “水晶妃”と呼ばれる 壮絶な美人だったそうです。」



それは ・・わかる よ。

ジュニの話を聞きながら アタシは暗い気持ちになった。
敵に占領されるような時代にあって 眼を引くほどの美貌を持っていることは
あまり・・・幸せじゃない気がする。



“日本語 話せるんですか?”
“茜さん? ある程度以上の年令の者は 片言の日本語が話せますよ。”

アタシは・・・。 ものすごく無神経なことを言っちゃったのかもしれない。

なのにあの時 無知なアタシの言葉に ハルモニさんは答えた。
“茜ちゃんの 知らない頃のお話ですよ。
 貴女やジュニは未来を歩く人なんだから もう 手を上げなさい。”


「・・・・・・・。」


黙りこんだアタシを見て ジュニは 切なげに微笑んだ。
「茜さんのせいでは ありません。」
「・・・・・・・。」




由緒あるこの屋敷は 高位官僚専用の料亭にされたのです。

高官たちはこぞって ソウル一と 音に聞こえたハルモニの美貌を見たがり
彼女は 若き女当主として 挨拶に出ることもしばしばだったそうです。

韓国では 身分の高い未婚女性が 男性の宴席に顔を出すことなどありません。
「イ家は “水晶妃”を売って 日本軍になびいたと言われました。」
「・・・・・。」


「それに これは巷間の噂ですが・・」 
ハルモニは 朝鮮総督府のさる実力者の愛人になったとも言われたんです。


「・・・ホ・・ント・・?」
「わかりません。ハルモニは 何も言わないから。」 
だけど 当時の写真を見た事があります。
「総督府の軍人に囲まれたハルモニは ・・奇跡のような美しさでした。」


ジュニの口から出てくる話は 歴史ドラマのようだった。

だけど それは小説でも何でもなくて 「ハルモニさんの過去」・・なんだ。



アタシ きっと 半ベソ顔になってたな。
だってこのお話の敵役 帝国軍のダースベイダーは 紛れもなく日本人じゃん。

「・・茜さん?」


アタシの顎をすくいとって ジュニは じっと覗きこむ。

僕たちの間にある過去は もう変えられない歴史です。 だけど・・・

「僕たち 未来は創れます。」
「・・ジュニ。」
だから 愛し合いましょう。 それが僕と茜さんにできることだから。
「ね?」




戦争が終わって数年間。 イ家は 誹謗と中傷にさらされたという。



「ハルモニは 売国奴と罵られたんです。 親戚は皆 本家を敬遠して。
 自分達は別だというスタンスで 距離を置きました。」
「ひ・・ど! だってそれは 全然 ハルモニさんのせいじゃないじゃん!」

10代の小娘だったハルモニさんに 一体 何が出来たって言うのよ?!
「一族なんて言うくせに 誰も ハルモニさんを守らなかったの?」



本当ですよね・・・

「でもね。 ハルモニはそんな中で 1人 傲然と顔を上げていたそうです。」
だから余計に憎まれて。 投石騒ぎさえあったと聞きました。
「まったく 強情な人です。」



ひどい中傷にさらされた時。 ハルモニさんは アタシより若かった。

石に打たれる屋敷の中で ぴんと 背筋を伸ばしていたんだろうな・・。
「ハルモニさん ・・・可哀そうだ。」
「ええ・・。」


ふわり・・と ジュニが腕をまわして アタシの身体を抱きしめた。
「ジュ・・ニ・・。」
「こんな話を聞くと 逃げ出したくなりますか?」
「・・・かなり・・・引いてるかも。」


うふふ 逃しませんよ。 「もう僕たちは 結婚しました。」
悪魔顔のジュニのヤローは ぴらぴらとマリッジリングを重ねて見せる。 
うえ~ん お~か~さ~ん・・・





「でも ハルモニの名誉。 今は 回復されています。」
「・・・え?」

刑務所に収監されていた政治犯が釈放されて “英雄”の彼らが 証言したのです。
「ハルモニが 処刑に助命嘆願したり 裏で便宜を図ってくれたって。」
「そう・・なんだ・・。」


そうなると 掌を返したように親戚が寄ってきて・・・。

「だけどハルモニは あんなですからね。 もう誰も寄せつけなかったそうです。」



名誉は回復しましたが 良家の姫としての評価は取り戻せませんでした。
「ハルモニは 傷もの扱いです。」


親戚が薦めた縁談に ハルモニさんは ガンとして首を縦に振らず
とうとう先代の書生で 最も優秀だった祖父が選ばれて 入婿になったそうだ。

「それ以来 一族の中で本家だけは 他家と距離を置いて暮らしています。」


先代がやっていた数多くの事業も ほとんど分家に手渡しました。 
まぁ 相応の株は持っていますけど。 
「ハルモニは ・・・親族を捨てたんです。」


だからね。 今のイ一族にとって 本家というのは 
「例えるなら ・・・奥の庭にある 祠みたいなものかな。」
「お飾りってこと?」
「ふふふ 祠と言ってもハルモニですから。 『鬼塚』ですね。」
「ジュニ!」

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ジュニがごろりと寝転んだので アタシは 奴の腕に頭を乗せた。

すり寄ったアタシが意外だったのかな。  ジュニの眉が 嬉しげに上がった。




ねえジュニ・・?  明日 親戚って何人来るの。 

「さあ? ハルモニが誰を呼んだか 聞いていません。」
婚約式でもないし 気にしなくていいと思います。 ああ そうそう・・

「多分ハルモニは ものっすごく不機嫌ですけど 気にしないでくださいね。」
「ん?」
親族が集まる時 ハルモニは いつも機嫌が最悪です。
「・・・でも 茜さんの事は大好きですから心配はいりません。」



茜さんは僕の隣で 座っていればいいです。

「僕が・・・」
誰にも 何も 言わせない。 くっとアタシを引き寄せて ジュニが頬へキスをする。

最初に会ったハルモニさん。  そういえば すっげー怖かった。

明日はあんな顔って訳か。 ジュニがうなじに吸いつくけれど
アタシは あれこれ考える。

そうそう。 着るのは コットンのワンピでいいかなあ・・・。 
あ! マスカラ忘れちゃったよ。 


「・・ジュニ。 明日街へ お買い物に連れて行ってくれる?」
いいですけど。 お化粧のことなら多分 美容院の人が来ますよ。
「はい?」


うふふ 茜さん。 また 結婚式の時みたいに髪を上げませんか?
後ろ髪に花をつけたあのスタイル 可愛かったです。

ちょっと待ってよ。 「美容院の人が」来る?
「それって ・・・どういうこと?」
「だから 茜さんのヘアとメイクを・・。」




ドン! ゴドン!ドン!

「?」「!!」


な、な、何?! 今の音?
誰かが扉を叩いている。  それもかなり乱暴だ。 ・・お屋敷の人?
だけどもう 夜中だよ。 一体 何の用だろう? 




げ・・・! そういえばアタシ  ここでは 1人で寝てることになってんじゃん!

どーするのどーするの! ジュニを引っ張りこんでいる この状況。
「と、と、とりあえずアタシ 自分の パパパジャマを着る・・・。」


黙って。
ジュニは 片手を目の前にかざして アタシの言葉をさえぎった。 シィ・・・
「・・・・・・・。」


ドン!ドドン! ゴドゴド!

すうっと静かに立ち上がって ジュニは 扉の向こうをうかがう。
切れ長の鋭利な眼が 冷たく光って。 信じられないほど 横顔が端整だ。 
まったくこんな時なのに アタシってば 奴に見惚れていた。



クス・・・ 


「なんだ そうか。」
「?」
「心配いりませんよ 茜さん。 ちょっと邪魔者が来たみたいです。」
「え?」


まったく しょうがないなあ・・。 
いきなり陽気な声になって ジュニが戸口へ立ってゆく。
怖いくらいの筋肉が 頑丈な扉を音もなく開けた。 “ワフ”


「・・・来るなよ。 お前が来ると 僕がここにいるってバレちゃうだろ?」
僕は 茜さんと一緒に寝るんだから お前は帰れ。 
「大体 お前 夏場は暑いんだよ。」
“ワフ”

「・・・・・チ・ビ?」
“ワフ!”


巨大な カキ氷色をした毛玉が のそのそと部屋へ入って来た。
頭をかきながら引き返してきたジュニの 横にぴったり寄り添っている。

“ワフ・・”
「うひゃ・・ チビ。 な、舐めないで。」
「あっ バカお前! 僕の茜さんにキスなんかして! どけよ!」



全然 どかない。
どうやらチビは ご主人様がいる間は 一緒に寝ると決めているらしい。

飼い犬は主人に似ると言うけど チビって ジュニにそっくりじゃん。
「夜這いしてでも 一緒に寝たいんだね。」
「こ・・こらっ 茜さん! 女の子が 何てことを言うんですか!」



まったく なんでこんなことに・・。 

ジュニは ブツブツむくれている。
アタシを抱いているジュニの背中に でっかいチビが丸まっている。
「暑いぞ ・・・くっつくな。」


アタシとジュニとチビの 川の字。
筋肉コブコブの向こう側で ふわふわの白い毛が揺れている。

しかし・・・ このまま こいつら 一緒に寝るの?


・・ねえ ジュニ?

「大丈夫ですよ。 僕は夜明けに帰ります。チビは残れ。」
毛が散るし お前が来たのは隠せないから。
「困った奴です。 あ ひょっとしたらチビも茜さんに会いたかったのかな ふふ・・」



あぁでも 韓式の布団に寝ている茜さん。 とても色っぽいです。
そそられますね。 どうですか? もう1・・
「やだ。」
「犬は視力が悪いから 見えませんよ。」
「怒るよ。」
「・・・・我慢します。」


パジャマの裾から手を入れて ジュニは 未練がましくお尻を撫でる。
明日の晩は 忘れずにチビをつないでおこう って。
ジュニは 明日も来るつもり?




ハァハァいってたチビの息が ゆっくり静かになっていく。
おっきなチビに背中をくっつけて ジュニは 長いまつげを伏せる。

・・・明日のこと 聞きそびれちゃったな。

「まぁ、なるようにしかならないか。」


おやすみ・・ ジュニにキスをする。
アタシの身体にまわされた手が 無意識に アタシを抱き寄せる。
長い脚もアタシにからんで ・・・まるでアタシは 抱き枕みたいだ。



ジュニとチビは 揃った寝息をたて始めた。


置いてきぼりになったアタシは ハルモニさんを 思っていた。

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