ボニボニ

 

ハルモニ  6

 




お起きですか? 




密やかな声がかかった時 アタシはチビに埋まっていた。 あっつぅ・・・

どうやら 夜這い男は 愛犬を 
お守り代わりに 置き去りにして 窓から帰ったらしい。


慌てて起きだして 史上最高スピードで 服を着る。
チビがのっそりと立って戸口へ進み ゴドゴド扉を押していたら
「お開けしましょうか?」と声がして 向こう側から 戸が開いた。

「オモオモ! チビ? ・・・お嬢様 大丈夫でしたか?」

「はあ・・。 なんか 夜中にお越しで・・。」
犬に「お越し」はないだろう!? アタシってば かなり動揺している。


幸いなことに ミンジュさんには 日本語の変さがわからないようで
とても感じのいい笑顔のままで アタシに言った。
「午後には服屋と美容師がまいります。 午前中に バスをお使いください。」
「は?」


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これって ・・・結構 大ゴトじゃないの?


午後になったら服屋が来て シンプルな絹のワンピースを置いていった。
「・・・・・」
それが済んだらネイリストが きれいにネイルを塗ってくれる。
「・・・・・」
最後に美容師のお姉さんが髪をまとめて シニョンに生花をつけてくれた。
「・・・・・」


これは 何?
このまま結婚式の招待客になれそうだ。  ・・ううん それどころか
「ベールかぶれば 花嫁じゃん。」

なんか すっげー凝った織りの絹だなあ。 このワンピース きっと高い。
「・・・・・・どうすんの。 これ?」




“ワオ! 茜さん きれいです。”


振り向くと 扉が少し開いて ジュニが顔だけ覗きこんでいた。
「僕が 髪を上げるように頼みました。 うふふ やっぱりいいですね。」
今回は廊下から来たね。 アタシは横目で嫌味を言うけど 奴は全然応えない。


「屋敷の中を通ると 遠くって馬鹿みたいです。 ・・・さあ 行きましょうか。」



そろそろ 叔父たちが着く頃です。 僕たちは玄関で お出迎えしましょう。
茜さんは僕の傍に ぴったり並んでいてください。
「親戚は苦手だけれど。 茜さんを紹介するのは あぁ・・! とても嬉しいです。」

さあさあさあ・・・ 
陽気なジュニに追い立てられて アタシは 正面玄関へ行った。

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1台・・・ 2だ~い・・・ さ~ん・だ~~~い・・・



車の数が多くなるにつれて 
数えるアタシの心の声が 番町皿屋敷みたいに恨めしげになった。


―何よぅ・・ハルモニさんの嘘つき。 全然 「ちょっと」じゃないじゃん。
大体やって来る車が 揃いも揃って 例のジンベイザメクラス。
アタシ ・・・・何だか お腹が痛くなりそうデス。


「オ! ジュニ! オルガンマニェヨ?」
「イェー アンニョンハシムニカ。」


次々と 親戚の方たちがやってくる。
すらりと玄関に立ったジュニは 礼儀正しく挨拶する。 ・・だけど。
彼の態度がいつもと違う。 どこか そう 不機嫌な感じ。


それにしても・・・   アタシ 呆れてしまったな。



あんまり歓迎されないだろうと 一応 覚悟はしていたけど。
来る人 来る人 示し合わせたように。 まったくアタシの方を見ない。
ジュニに寄り添って立っているのに ものの見事に 無視してくれちゃう。
すごいな・・これ。



「・・・・・・・・。」

そお~っと ジュニを窺って いきなり心臓がバクバクになった。



ジ・・ジュニ。 あのお願い 落ち着いて!
お出迎えが進むうちに 奴が 不穏な獣神に変わっていく。
全身から青い焔がゴウゥゥって出て。  こ、これは ・・とってもまずいかも。
「ジュ・・ニ?」



お客様が途切れるのを待って そうっと ジュニの指先を握った。


ピクリ・・・


一瞬。 眼を閉じてから ゆっくりと ジュニが振り返る。
「茜さん。 ・・・ごめんなさい。」
貴女をこんな目に会わせるなんて あいつら 絶対 許さない。
ジュニの中で何かが揺れる。 狂気が じわりと立ち上がってくる。

アタシは 握った指先を引っぱって 怒りの浮く手を 柔くつかんだ。
「ジュニ? お願い 怒らないで。 アタシは全然 平気だから。」
「・・・・・。」



そう言ったのは 嘘じゃなかった。 

ここまで旗幟鮮明に拒絶されたのは 想定外だったけど
うわべで取り繕われるよりも いっそ 腹が決まるってものだよ。




お客様が揃ったようなので ジュニとアタシは広間へ行った。

広間には 2列横隊に向かい合って 親戚さんがずらりと座る。
全員の前には床と呼ばれる卓膳が置かれて ぎっしり ご馳走が並んでいた。
アタシとジュニの座る場所は 一番下座の お誕生日席。



そして 向こうの真正面。  ドン突きの最上席が ハルモニさんの場所だった。 



・・・・う ・・・わ・・



そこに 伝説の「水晶妃」が ものすごい貫禄で座っていた。

ふわりと広がるチマチョゴリは 冴えた小豆色と銀鼠で 白銀糸の縫い取りがしてある。

きっちりと結った見事な銀髪。 白磁の頬に 血の唇。
陰鬱そうに伏せるまつげは 瞳の中の色を隠して 誰にも表情を読ませない。



ゾ・・ク・・・
アタシ 本気で震えた。 ハルモニさんってば どんだけよ・・? 
凄惨なまでの迫力とオーラは  それ もう人間じゃないと思う。
ね? ジュニ。   「う!!」



ジュニに同意を求めようとして アタシは もう一度震え上がった。

端整な鼻梁 陰鬱そうに伏せたまつげ。 メタルフレームが冷たく光る。
美獣神が 憤怒を飲みこんで 不気味なほどに静まり返っていた。



『久し振りに集まって貰った。 ・・今日は ジュニが帰っている。』


ハルモニさんが何か言った。


韓国語だからわからないけど ジュニのことを 言ったのかな。
ジュニは 少しだけうなずくだけの すっげー 倣岸な挨拶をする。
上座の親戚から 次々に声が掛かって。 うつむきがちに返事を返す。



そしてアタシは・・透明人間みたいに その場でも きっちり無視され続けた。



ギ・・リ・・

口の中で 小さな歯噛み。 顔を上げたジュニの眼の底が光る。
スゥ・・とジュニが息を吸った時に 大向こうから 声が響いた。
「ジュニの隣にいる者は 茜と言う。 2人を 娶あわせるつもりでいる。」



ザワ・・・   その声に一座が揺れて 数十の目がアタシの方を見る。
ハルモニさんが紹介したので もう無視は出来ないみたい。 

・・でも。

無視の方が 楽だったかもなあ。
冷笑と 嫌悪と 嘲りの眼が 一斉放射みたい身体を貫く。

「茜・・。 イ家の皆だ。」



凍りつくほど冷たい声。 昨日のハルモニさんと 全然違う。
だけどアタシには判った。 多分ハルモニさんは アタシの為に 冷たさを装っていた。


「・・・・・・・」
ジュニの口が動き出しそうだった。  アタシは 急がなくてはいけなかった。
ここは アタシが自分1人で 越えなくてはいけない壁だった。





・・・ねぇパパ。 アタシは 大丈夫だよね?
 
パパの娘なんだから。 雑草みたいに 強いよね?



クンジョルの所作を思い出していると パパの声が 頭の中へ響く。
“・・なあ 茜? お前はどうやったって 日本の小娘でしかないんだ。”
無理して取り繕うこたぁない。 人として きちんと 礼儀を尽くせ。

“そうすれば 先様だって わかってくれるさ。”



「・・・・・・」
ジュニの肩が ゆらりと動いた。
アタシは 敷かれた座布から静かに横へ身体を移して 板の間に 直接正座した。



「高坂茜と申します。 どうぞ よろしくお願いいたします。」

ひたと指をついて 首すじを伸ばす。 
心からの きれいな礼が 出来ますように。 ただそれだけを祈って 頭を下げた。




「・・・・・・・・」「・・・・・」「・・・・」
「・・・・・・・・・・・」



アタシは 霊感とかオーラとか 全然感じるタイプじゃない。
だけどこの時ばっかりは 広間中の感情が 水の温度みたいに伝わってきた。
嘲り 冷笑 軽蔑 憎悪 困惑・・・  そして温かさと 大きな 愛。




「表を お上げ。」

ハルモニさんの声がした。 顔を上げると眼の端に 親戚さん達の皮肉な眼が見えた。



『イルボンサム(日本人)ではないか。 ・・・ハルモニ お気は確かですか?』

1人のオジサンが 口を開いた。 多分 親戚で一番偉い人だ。
眉間に太い文字で「エライ」って 書いたみたいな顔をしている。
皆が 何か言っているけれど 韓国語が聞き取れない。


『僕が 選んだ女性です。 干渉されるおぼえは無い。』

背筋を伸ばして座るジュニが 静かに 前を見据えて言った。
頑固で 強い 意志の瞳。 「絶対結婚する」とか言ったのかな?



普段は物腰も柔らかいくせに こういうジュニは とても頑固だ。
何があっても 絶対引かない。 奴の身体中が そう言っている。
一座に並ぶ親戚たちは ジュニの気迫に押されて 眼をそらした。



「眉間エライ印」のオジサンが たるんだ目元を歪めて 言い返した。

『イ・ジュニ。 ここは 普通の家じゃない。由緒ある一族の名・・・』




“本家の事は 本家が決する。”



大広間の端に控えるジュニとアタシのところまで 凛々とした声が響いた。


ハルモニさんは眼を上げて 一座を 圧倒的な眼で見回す。
居並ぶ親戚さんは息を呑み 自分の所に視線が来ると
サーチライトに射られた逃亡犯よろしく 首をすくめて うつむいた。



『例え当主が女でも“分家の者は名代を果たせない。” ・・・お前の父はそう言った。』

・・・・ハルモニ・・・


日帝がやってきた時に。 交渉を迫る軍人の前で お前の父が言ったことだ。 
『そうだろう?』
『・・・・・。』
だから私は小娘の身ながら イルボンサムの前へ 出て行った。



『私が 本家の当主である。 本家の事は 本家が決する。』


ジュニにはこの娘を娶らせる。 諸侯 今日を略儀の婚約式と思うように。
『・・・次に 呼ぶのは結婚式だ。』 
私が逝っておれば ジウォンが招ずる。 この言葉は イ家の書士に記録させる。




ザワザワザワザワ・・・


一座が騒然となった。 ジュニは真直ぐ前を向き 氷のように静まり返る。
これって何かな? どういう話になったのかな? アタシは首をひねっていた。




「私はこんな女は 絶対認めん。」
エライ印オジサンは 「日本語で」吐き捨てて立ち上がった。
どうもありがとう アタシに解るように言ってくれて。 トホ・・



オジサンが立ち上がったのが合図みたいに 親戚さんたちも 立ち上がる。
エライ印オジサンを先頭に 1人2人と 大広間から出て行ってしまう。
唐突な賓客たちの退席に 屋敷の者は驚き お供はバタバタと動き出す。




「あ・・のっ!!」



思わず立ちかけたアタシの手を ジュニが ぐっと捕まえた。
「放っておきなさい。」
「だけど。」
「茜さんは 気にしなくていい。」



「でも・・・」  お帰りなら せめて お見送りをしなくちゃ・・・
「え?」



虚を突かれたようにジュニの手が開く。 アタシは ふらりと立ち上がった。
何をするべきかわからなかった。 でも
“きちんと 礼を尽くせ”って ・・・あの時 パパが言ったから。



アタシは小走りに玄関口へ行き 帰ってゆく 親戚さんへ頭を下げた。
1人1人を見送るうちに 何人か 薄く目礼してくれる人に気づく。
ミンジュさんが そばに来て さりげなくアタシのお供に立ってくれた。




「・・・茜さん と言ったか。」



静かな声で話しかけてきたのは エライさんの隣にいた 親戚の人。
そのオジサンの声を聞いて 周りの親戚さんたちも立ち止まった。
オジサンの日本語は かなり流暢で イントネーションも完璧だ。



「この家に嫁ぐのは大変だよ。別な道を 考えたほうがいい。」
「・・・・」

「君はなかなか良い子のようだ。 苦労を 拾うことはない。」

本当だよね。 アタシは なんだか可笑しかった。
微笑むアタシを見て オジサンは 意外そうな顔をした。

「ありがとうございます。 ・・・どうか お気をつけてお帰りくださいませ。」

「・・・・」



君は 面白い子だな。 ハルモニが気に入ったのが少し解るよ。

オジサンはそういうと 使った靴ベラをアタシの方へ差し出した。
アタシはちょっぴり認めて貰ったようで にっこりと靴ベラを受け取る。



ふっ・・・  オジサンは小さく笑い 踵を返して出て行った。

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