ボニボニ

 

近 況

 




日曜午後の 区立図書館。


窓からはペールブルーの空が見えて 子どものはしゃぐ声がかすかに聞こえる。
視聴覚コーナーから出てきた小岩さんは 
しんと静まった書架の間に 偶然 彼の姿を見つけた。


あ・ら・・・ジュニちゃんじゃない?

「ジュ・・」

上げかけた手を途中でそっと握って 小岩さんは 口をつぐむ。
本の森。 書架の木陰を行くその青年は さながら牧神パンのようだった。

ゆっくりと 周囲に視線をすべらせながら ジュニは静かに歩を進めている。
軽く結んだ口元は誰に向ける訳でもないのに 
ほんのわずかだけ 微笑んでいる。

冬の陽が深く入りこんで 薄暗い室内へ 斜めに光の帯を作る。
舞うようにチリが揺らめくそこへ 彼が足を踏み入れると
俳優を迎えた舞台のように ふわり と空間が光を増した。


まったく・・・ なんてきれいな子かしら。

うかつに声などをかけてしまえば  美しいその姿が 砕け散りそうで。
小岩さんはまたため息をついて 歩き去る彼の姿を見送った。



図書館を出て見上げると 冬空に子どもの上げたカイトが見えた。

帰りに甘味処へ寄ってお汁粉でもいただこうかなと 小岩さんは考える。
「あ! コイワさん。」
ドキ・・  この素敵な声は もしかして。


振り向くと自転車を押しながら 彼がこっちへやってくる。
周りの人の視線が すぅと 彼へ集まってゆくのに
当の本人は 周囲の眼など気にも留めていない。


―ジュニちゃんはきっと 他人から見られるのに慣れっこなのね。 
あきれ笑いを薄く浮かべて 小岩さんは ジュニを迎えた。


「お久しぶりです。 コイワさんも 図書館へいらしていたのですか?」
「え? ・・ええ そうなのよ。 こんにちは。」

― あぁ~!口惜しい、ジュニちゃんってば。 

自転車を押しているから あのきれいな手と握手が出来ないわ。
ハンドルを持つジュニの手を 小岩さんは ちょっと恨めしく盗み見る。
その左手には まだ新しいマリッジリングが光っていた。


「そうそう。 今頃でずいぶんだけど 結婚おめでとう。」
「ありがとうございます。その節はお祝いをいただきまして すみません。」
「ま、ご丁寧サマ♪ こちらこそ 素敵なお返しをいただきました。」

にこにこと ジュニちゃんは本当に礼儀正しくて愛想がいいわぁ。

眼を大きく開けてうなずく表情が おざなりでなく。 うぅぅ・・可愛い。
「えーと その後いかが?  茜ちゃんとの新婚生活はうまくいっているの?」
「え・・?」


ぱあぁぁぁ・・・って。  ちょっと! ちょっと! まぶしいわね!

何なの何なの このピカピカは?!


ジュニちゃんときたら まーあ 顔い~っぱいに輝く笑顔。片手を胸に置いちゃって。

「あぁコイワさん。 お蔭さまで とても・・・幸せです。」

はいはいはいはい。 聞いた私が 馬鹿でした。 
そこまでうっとりされちゃうと なんだか小母さん妬けちゃうわよ。


・・・・ジュニィ・・・

「あっ茜さん! 本 借りられたんですか?」
「うん。 あれー?小岩さんだぁ こんちはー。」
小岩さんだぁこんちはーって こっちはまた 全然奥さんらしくないわねえ。

まあね。茜ちゃん やっと19ですもの。 ・・・無理も無いか。




「それではコイワさん 失礼します」

すらりと自転車へまたがったジュニが 愛おしそうに振りかえる。 

後輪のハブにはステップバーが付いて そこに立った茜は ジュニの肩へ手をかけた。
「ちゃんとつかまってください。」
大丈夫だよぉ・・・



あははと陽気に笑いながら ジュニが 自転車をこぎ始める。
おまわりさんに叱られないようにあっちから行こ。 茜が行く手を指し示した。

ま・・まだまだ子どもね。 中学生みたい。

小岩さんが見守るうちに 2人の自転車が去ってゆく。
背中の茜が何かささやいて ジュニの笑う姿が 遠くに見えた。

「まったく。 おままごとみたいな夫婦だわ。」

―ひょっとして赤ちゃんの作り方 知らなかったりして・・・


純情まっしぐらのジュニちゃんに限って言えば アリね それは。
『学生のうちは清い仲で』ってことも 「う~ん 多分言いそう。」

うん!うん!  きっとそう。
韓国はそっちの方がお堅いみたいだし ましてあのジュニちゃんだもの。
「韓ドラみたいに キスだけの夫婦かも・・。きゃーっ!可愛いすぎるっ!」


・・何だか甘くなっちゃったから お汁粉やめて豆カンにしよう。

今日は陽射しが温かすぎるわねって 小岩さんは 手をパタパタした。

-----




こら・・茜さん。

ジュニのヤローは いそいそとアタシの脚の間へ身体を入れて
腿を 左右に押し開ける。 「逃げてはだめです。」



“茜さんのご都合”で 1週間も愛し合えなかったんです。 「大変辛い日々でした。」 
だってジュニ 3時だよぉ。
「おやつでも食べたいんですか?」


だ~か~ら~! まだ 日も暮れていないじゃん・・。
「そんなことは平気です。」
僕たちは“新婚ほやほやさん”です。 八百甚のおじさんが言っていました。

だから・・ね? って 

長い指が アタシの髪を愛しげに梳く。日曜の午後は のんびり長くて
取り立てて急ぎの用がないジュニは アタシを捕まえて満足そうだった。




RRRRRR・・・

「?」「!!」

ベッドサイドのノートPCから 電話みたいな音がした。 
「・・・何? ジュニ。」 
「スカイプです。ここへかけてくるなんて 誰だろう?」

誰かがPCにIP電話をかけてきたのだと言う。へぇ そんな機能もあるんだ。

ジュニはアタシに乗っかったまま 腕を伸ばしてPCを動かす。
じたばた逃げようともがいていたら ひどいよ、鼻をつままれた。


モニター上にはメッセンジャーウィンドウが開いて こちらの受諾を待っている。

「あ・・・」
「“seoul”・・・? ジュニ? “ソウル”さんって 誰?」

はぁ・・・。 

「ハルモニです。」


あきれたようなため息をついて ジュニがキーをポンと叩いた。


あーあー、テス、テス、テス・・ 
大奥様これでいいみたいです。お話くださいと聞いたことのある女性の声がして
つんと澄ました声のハルモニさんが PCから話しかけてきた。



「聞こえるのかい?」
「ハルモニ。 ・・・とりあえず やってみたかったんですね?」
「おや これは不義理な孫の声のようだ。」

新し物好きなハルモニさんは この冬PCを新しくした。
ついでに入れたメッセンジャーサーヴィスを どうやら「お試し」しているらしい。
どれどれミンジュ? 映像を出すのはどういう風にするのだえ?



げ・・・ ハルモニさん?  

画像って もしかして。 ビデオチャットをするつもり!?
あのぉ。 ただいまちょっと取り込んでいるんですけれど・・・。


PC画面にビデオチャットへの『招待』メッセ-ジが出た。をいをいをい・・

「ハルモニ・・。 僕は今 ビデオチャットはちょっと。」
「うるさいねえ。 お前の見てくれなぞ気にしないよ。ほら、早く『承諾』をお押し!」
「・・・・・」


とっても とっても まずいと思う。
アタシは毛布をかき寄せて 奴の胸の下へ縮こまる。 
ジュニは 静かにため息をついて アタシへ柔らかく笑いかけた。


クリック。

ぎゃ~っ!ジュニってば!ジュニってば! 何すんのよっ!


PCが画像読み込みを始めて 小さなウインドウにハルモニさんの姿が現れる。
きれいに結った銀色の髪。きちんと座って片眉を高く上げていた。
「・・・・・・」



「アンニョンハシムニカ。お元気そうですね ハルモニ。」
「ああ、お前も息災そうだ。 ・・・腕立て伏せでもしているのかえ?」
「いいえ。茜さんに迫っているところです。」 


きゃああぁぁぁ!! 

ジュニはアタシを押しつぶしたまま 肘をついて上体を起こす。
あーもうっ!ジュニの奴。 照れた風を毛ほども見せずに 
ハルモニさんを 見つめちゃってる。

ハルモニさんもまた 眉のひとつも動かさずで・・どんだけ冷静なんだ コイツらは。


「・・・邪魔をしたと お言いかい?」
「いいえ。 ただ 少々取り込んでいるだけです。」
「日本とは時差は無いはずだが 今はまだ 日のある時分だったねぇ?」
「ええ。 妻をいつくしむには 申し分のない時間です。」 


あぁもう この会話。 
一歩も退かない竜虎の2人が モニター越しににらみ合うよ。 トホホ


「茜。」
「うわっ! ・・・は、はい!」

いきなり 凛 と呼びつけられた。 ひえええ・・・
仕方がないからジュニの下から ペンギンの子みたいに顔だけ覗かせる。


あぁアタシ多分 今 顔がゆだってる。 きっと涙も ちょちょぎれてるよね?
だってこの状況で 一体アタシはどんな顔をすりゃいいのよ?
「・・・ご・・ご無沙汰しています・・・」


ハルモニさんは たっぷり20秒 片眉を上げたままアタシを見つめ
それから至極満足そうに 芍薬のような笑顔になった。
「茜や?」
「は・・はい。」


「ややこが出来たら いつでも ハルモニが育ててあげるからね♪」

げ・・・・・




ホッホッホ・・と高笑い。
気が済んだらしいハルモニさんは また来ようと言って消えていった。

「やれやれ。 ハルモニが煩いですね。アレは よほどひ孫が欲しいんだな。」
「・・・・・・・・・・・」
「うふふ でも茜さん? ハルモニの夢を叶えてあげましょうか。」


それも悪くないかもしれませんね。 
茜さんと僕のベビーは きっと可愛いです。
「パパさんとママさんに 今度 お伺いしてみましょうか?」

いけしゃあしゃあと ジュニの奴は アタシの髪を撫でている。



ちっきしょう このド悪魔。
こんな眼に合わせてくれちゃって・・ アタシは死にそうに恥ずかしかった。

邪魔者がいなくなったから やり直しです。
「愛しています。 知って いますね?」

・・・・茜さんは怒ったゾ。 今日は 絶対拒んでやる。






 ジュニの掌が頭から ゆっくり首筋へ降りてくる。

その温もりに揺れながら  アタシは 反撃のタイミングを測っていた。

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ