ボニボニ

 

― Who is...? ― 1

 





話は まだ梅が咲いてた頃へ さかのぼってしまうんだけど・・


ジュニとアタシは 来るべきアメリカへの渡航 っていうか移住のために
あれだのコレだの何だのカンだの ドタバタとした雑事に追われていて。


それからアタシは 大学を卒業して 留学しちゃうぞなんて準備もあって

結婚してからこっち一番くらい ローリングストーン(=激動)な毎日を送ってた。





その朝 アタシは半分寝てた。 

まだ5時くらいで 真っ暗で 何だか少し寒くって。

アタシの専用湯たんぽ(ジュニ)が ベッドの中にいないみたいだなって
眠りの淵へ沈みながら考えてたら ヒソヒソ 声が聞こえてきた。




・・・だめですよ 無理を言っては・・・・

“ん?”



・・・本当に・・今は・・忙しいのです・・・・わかってください・・・

“ん??”



ジュニの声。 

そっと なだめるような声。  断わってはいるんだけど優しいというか。  

「愛しげ」とか 言っちゃってもいいくらいな雰囲気なんですけど?
アタシは 胸がドキドキしてきた。



・・ジュニってば どなたはんと電話してるの?
妻のアタシは パーテーションのこっちで独り寝しちゃってるんだけど?


人の動く気配がして ジュニが小さくため息をついた。 

ふうって 途方にくれたように。


--------




ジュニ特有の 静かな足音。


180㎝も背があって 筋肉こぶこぶのガタイをしてるくせに
ジュニの動きはとても静かで 草むらを歩く獣のようだ。

忍び寄るみたいにベッド脇へ来て ウソ寝しているアタシを  ・・見てる?



「あ・か・ね・さん」

“?”

スルリと腕が差し入れられて すくうようにアタシは抱きしめられた。

ジュニはちゃぽんと海へ入るみたいに ベッドに身体をすべりこませると
両腕でアタシを抱きしめて あぁって おっきくため息をついた。

茜さんっ!!

「ぐぇ・・」

 



ソウルへ 行かなくてはだめみたいです。

「ソ・・ウル?」


あっ! “アレ”はスカイプか?! アタシは急に気がついた。 ・・なぁんだ。 

妬いた自分が恥かしくて ニヤけないように澄まし顔をしてたら
ジュニは アタシが機嫌をそこねたと思ったのか 申し訳なさそうにうなだれた。



「本当にごめんなさい。 ハルモニときたら まったく我儘で困ります」

「・・ハルモニさんから スカイプだったの?」
「はい。 忙しいと断わったのですが “米国へ行く前に挨拶しないつもりか?”と。
 ついこの前 春節の挨拶に行ったのに。 “あれはお年賀”と言い張るのです」
「あはは! ジュニにまた会いたくなったんじゃない?」



“そっか~♪ さっきのは ハルモニさんね・・”

アタシの頭上に垂れ込めていた雲が ぱあ~っと消えてなくなった。
現金なもんだネ。 とぼけても 顔が勝手にニコニコしちゃう。


「・・怒って いないのですか?」

「何で? ソウルなんかすぐじゃん。 ハルモニさんに会いに行こう行こう♪」
「あぁありがとう 茜さんっ!」
「ぇ?」




小うるさい大姑をそんなに愛してくれて 僕はとても嬉しいです!

感極まったジュニは んくんくキスした勢いのまま アタシへかぶさってくる。
「感謝のついで」で メイクラブに持ち込もうという魂胆だな。

 

だけど今日は 愛していまーす!っていう ジュニの1000%ハグが嬉しいから

アタシは 奴の筋肉ポン・デ・リングみたいな腕に包まれて微笑んでいた。


--------






「寒かっただろう?」


ハルモニさんは さも嬉しそうに微笑んだ。 ・・たぶん。

実際には口の端がちょっとだけと 細い眉が3ミリ上がっただけだけど。


かつて「氷の美貌」と呼ばれた ハルモニさんの感情表現はわかりにくい。
だけど 何となくアタシには そのコツがつかめちゃったみたいな気がしている。



ハルモニさんてば 氷点下のソウルで震える孫ヨメを心配してくれてるのかな?

「それほど寒くないです」って 強がり言おうかと迷ったけど 
実際 とんでもなく寒かったから正直にうなずくと ハルモニさんが眼を細めた。


「コートを買ったのだ。 帰りはそれを着るといい」
「は? コート? アタシ・・にですか?」 
「うむ。 それ あれにな」 




ハルモニさんが指差す先には コートがハンガーにかかってた。

シンプルで すごく品の良いAラインのコート。

形は優しい感じだけど 遠目にも質の良さそうな薄手の織地で
深みのあるベージュ色が なんか 大人のフェミニンって感じ。



着てごらんと言われて 羽織ってみる。

びっくりする程軽いのに 温かくって 着心地がいい。
何だか これを着たら「皇室アルバム」で ナントカ妃殿下と並べそうだよ。

そう思いつつも アタシはひと目でこの手触りのいいコートが気に入った。





N.Y.も 随分寒い所だそうだから 暖かいコートを持って行くが良かろう。

「茜はややこを産む身ゆえ 身体を冷やさぬようにしねばのう」
「はぁ」

「僕のコートもあるのですか?」
「ふん。 お前なぞ 男ではないか」

何とかパーカーかジャケットか知らぬが いつものナイロン服で事足りよう?

「ナイロン・・。 あれは『ゴアテックスのダウンジャケット』です」
「ともあれ お前はそれで間に合う」



それでも寒ければ走れば良いと ハルモニさんってばツーンと冷淡だ。
お前の祖父は 真冬でも「寒い」などと根性無しを言うたことはないぞ。

「・・まったく。 今時の男は意気地がない」

「僕は ひと言も寒いと言っていませんよ。 ハルモニ」
「顔に寒いと書いてある」
「もぅ」


ジュニは小さく肩をすくめ アタシを振り返って困り顔で笑う。

・・アタシは自分が妻なのも忘れて 奴の笑顔に見惚れてしまった。






「ハルモニは 茜さんをとても気に入っているのです」

いつも泊めてもらう寝間へ引き上げてから ジュニは 嬉しそうに言った。


「おおかたハルモニはあのコートを 貴子小母様から押売りされたのでしょう」
「おばさまって 誰よそれ? また親戚?」
「ハルモニの親友です。 皮革と衣料の店をやっている・・ちょっとした怪物です」
「は?」



鬼のように元気で 商売上手な ハルモニの昔からのお気に入りです。

茜さんの話を聞いて これ幸いとコートを売り込んだのに違いありません。

「ハルモニさんに押売り出来る人なんかいるの? ・・凄いやり手のおばさんだね」
「凄いやり手? いいえ違います。“とんでもなく”やり手のおばさんです」



貴子小母様なら 牛にレザーコートを売りつけたと言っても 僕信じます。

ジュニはうんざり頭を振った。 そ、そんなに濃いキャラがまだいたのか。
まったくジュニの周囲には 天才から湯ばぁばまで オールスター揃いだ。




アタシはうつぶせになったまま 枕をたぐり寄せてあごを乗せた。


・・まあね。 当のジュニからして 常人とは遥かにかけ離れてる。

所詮パンピーのアタシと めぐりあったのが奇跡みたいなものだモン。

何万回も考えた ジュニとアタシのトホホな不釣合い。 
うっかりため息をついちゃったら ジュニのヤローが鋭い眼でにらんだ。


「茜さん。 何を 考えているんですか?」

げ・・、まずい。

「そ、外は寒いけど オンドルは温かいな~って・・」
「僕が抱くほうが もっと温かいです!」
「・・ジ、ジュニ」 



オンドルと張合うことないじゃんって 言ってみたけどもう無駄だった。

ジュニは 「どこへも行かせないぞ」の拘束オーラを発散しながら
問答無用でアタシを引き寄せて ごしごしマーキングみたいに頬ずりを始めた。


「だ・か・ら、ジュニ! ・・ヨソのお宅でそんなこと」

「だから ここは“僕の実家”です。 声が出ても僕が唇をふさいであげます」 


ジュニは 不審そうに眼をすがめた。
茜さんは今 何か 僕から離れるような不穏なことを考えましたね?

「か、考えてない・・です」
「本当ですか?」
「も、もう超ラブラブ・・」
「!」


lovelove ?! 

その言葉はジュニのご機嫌を 一瞬で呆れるほど良くしたみたい。

僕たちはloveloveの2人ですー!って。 アタシは ジュニに飲み込まれた。


---------




「馬っ鹿 野郎・・」


翌朝。 身体的にもパンピーなアタシは 半分ボロけて廊下を歩いてた。

ジュニはいったい いつになったら 自分のド外れた体力を自覚するんだ?


ジュニめ。 僕らはloveloveでーす!って 喜んだのはいいけれど
盛り上がった気分のまま フルパワーで愛してくれちゃって・・

アタシは ヨソ様のお宅の寝間で エライめに遭ってしまったのだった。



怪物ジュニは朝から元気で 「ひと走り」って チビの散歩に行った。
(チビもそろそろおじいさんで あんまり嬉しそうじゃなかったけど)

茜さんはゆっくり寝ていてくださいって ジュニは言ってくれるけど

・・アタシも 一応ヨメだからね。 




とはいえ ハルモニさんの家のお台所は「厨房」と呼ばれるプロの仕事場で

何かお手伝いします~なんて シロウトが言える所じゃない。

でも一応「寝坊はしてないぞ!」って アピールなんかしておきたくて
アタシは用もないのだけど 屋敷内をキョロキョロ見回っていた。



市の文化財に指定されている イ家の屋敷はそれは見事だ。

ハルモニさんが居住している奥の棟は かろうじて生活感があるけど
表側の座敷や広間は まんま 博物館級の迫力がある。


この辺は火の気を入れていないので 寒さも相当なんだけど

アタシは飽きずに この素晴らしい韓風の室内の風情に見とれた。


外へ眼をやると中庭越しに 奥棟の書庫が見えた。

古い文献や道具類が 納めてあるとジュニに聞いた。
書架の前に男性がいた。 アタシは視線をめぐらせて屋敷の様子を記憶しようと


・・え?

男性?


慌てて もう一度奥の棟を見た。 中庭ごしに書庫が見えるけど
そこにはいつも誰もいなくて。 もちろん今も 誰もいない。

「え?」 

パチパチと素早くまばたいた。 ソウルの冷たい空気に 眼が・・乾いたのかな?




「ここにいたのですか 茜さん」

ジュニが廊下をやって来て 朝から派手な笑顔を見せた。 


「ご飯ですよ。僕 お腹がペゴパです」
「ぅ・・ん」
「チビの奴ときたら 走るよりも周りへ愛想振りまくのが得意です」
「あはは! ・・ねぇ ジュニ?」


このお家にはジュニの・・その・・叔父さん・・みたいな人も 住んでる?

「? いませんよ。ハルモニの他は使用人だけですけれど 何か?」
「ぅうん」
「では 朝食です」
「あ、うん」



ジュニはアタシの腰へ腕をまわすと 奥へ向かって歩き出した。

アタシは歩きながらぎこちなく そっと後を振り返る。 そうか叔父さんいないのか。





じゃあ 今書庫で見たあの人は・・・誰?

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ