ボニボニ

 

JUNIな生活 ― Who is...? ― 3

 




「どうしたのですか?」


アタシを助手席へ落ち着けると ジュニは 静かな瞳を向けた。

ほんの少しの違和感を 奴は決して見逃さない。


ラピュタロボットの眉間から ピーッと青いセンサービームが出て
アタシを 慎重にスキャンしていくみたい。

“・・Sensing・・・ 僕ノ茜サンハ ドウシタノダロウ?”





「・・何でも ないよ」

ハラボジさんを見たってこと。 アタシは なんだか言えなかった。


だって 皆が ハルモニさんだけじゃなくて 
貴子さんやミンジュさん それから大船の大爺様っていう人。

皆が ハラボジさんのことを とても大事にしているから

そんな人を ユーレイだとかオバケみたいに言っちゃいけない気がした。


「貴子さんが ハラボジさんの事を言ってたから どんな人かと思っただけ」


---------



・・あんまり 憶えていないんです。


信号を待つ わずかな時間。
ジュニは握ったハンドルを 指先で叩きながら言った。

「え?」

「ハラボジのこと」




僕が せいぜい5、6歳とかそれ位ですからね ハラボジと会ったのは。

人が語る話を聞くと 厳格で気性の激しいところもあったみたいですが。

「僕の記憶に残るハラボジは とても静かで穏やかな人でした。
 それでも黙って居るだけで 何と言うか その場を支配する雰囲気があるんです」
「へぇ・・」



ハラボジが ハルモニを大事にしてることは 子どもの僕でも判りましたよ。

いつもハルモニを上座に置いて 自分は傍へ控えていました。
家族以外の者など ハルモニに直接話しかけることもさせない感じです。


「ハラボジにとって ハルモニは生涯“大事な姫様”だったのでしょうね」
「ふぅん・・・」
「うふふ。 僕にとって茜さんは 生涯“愛しい奥さん”ですけど♪」


ジュニはすげー早ワザで アタシにちゅっとキスをした。 ば、馬鹿モノぉ・・

信号が青になったよと言うと 奴はウィンクしてアクセルを踏みこんだ。




屋敷へ戻ると ハルモニさんが貴子さんを見送るところだった。

「ぅわ・・貴子小母様 まだいたのか」

「しーっ! 失礼だよ」

・・もぉまったく。 ジュニはソウルの家へ来ると お行儀が3割悪くなる。
まあ ジュニにとっては 貴子さんも気の置けない相手ってことなのかな。



「おや 孫夫婦がようやく帰って来たようだ」 

アタシたちに気づいたハルモニさんは 冷やかに眉を上げて微笑んだ(多分)。

「男がデレデレ嫁と買物など 情けない時代になったものよの」
「いいじゃないの~ぉ 晶さん。 若い夫婦が仲良ければ ひ孫がボロボロ・・」
「貴子小母様!!」

はぁ・・・



貴子さんは 迎えの車に悠々と身体を沈めてから 
思い出したように窓を下げて ジュニを手招きで呼び寄せた。


「なんですか?」

ジュニちゃん。 N.Y.は寒いから “奥様”のコートは役立つと思うわ。

「“奥様”? ええ本当に素敵なコートです。 カムサハムニダ」
「いいのよぉ~・・で? ジュニちゃんは何を着て“奥様”をエスコートするの?」
「え?」
「あのコートに ゴアテックスのパーカーじゃ並べないわよ」

げ・・・


「そういうものなのですか?」

「もちろん! ジュニちゃんもこれからは社会人でしょう?」

ちゃんとしたコートを買わなくちゃ。 良ければ私が見つけておくけど~?って
・・た、た、貴子さんてば どんだけ商売上手だよ。


ファッション産業に関わりたいモンとしては この辺のセールストークは 
メモしときたいみたいな技だけど・・でも! やばーい ジュニ!!

「そうですか。 では よろしくお願いします」

ぎゃー!!




「・・・」

貴子さんの乗った車の後姿が Vサインをしているように見えた。

ハルモニさんは 寒い寒いと中へ引っ込んで行ったけれど
アタシは 全身から後れ毛が出ちゃってます状態で 玄関先で呆然としてしまった。


「茜さん? やっぱり顔が青いです。風邪を引いたのではないですか?」
「ううん。今 顔が青いのは 主に経済的心配・・・」
「え?」

ねぇジュニ 言っとけば良かったけど。 ビキューナのコートって ド高いんだよ。

「そうなのですか? まあハルモニの買物だから 高いだろうと思っていました」



あの人 真性のお姫様だから 物を買うのに値段を聞いたりしないし・・って。
じ、冗・談・じゃな~~いっ!!

「い、いいジュニ? ちょっと高い程度のレベルじゃないの!」
「?」

あのコートがビキューナ100%だとしたら ひょっとして値段は 万の前が3桁だよ。 

「“ウォン”じゃないよ。 “円”でね“¥”!」
「ワォ! それは随分といい品物なんですね」 
「毛織の宝石だもん」



そうか~! それは素敵ですってジュニのヤローは すっかりご機嫌で笑ってる。

ハルモニも何だかんだ言って 茜さんが可愛くて仕方ないんだな。


「何をのんきな・・貴子さんがジュニのコート持ってきたら 請求ン百万円だよ!!」

「はい? そうなるでしょうね」



がっくし。

とほほ・・こいつってばまったく 折々に階級格差を思い知らせてくれる。
ン百万円のコートを売りつけられて 顔色も変えないんでございますかよ。


ふてくされて脱力していると ジュニに ふんわり抱きしめられた。

「茜さん? 僕だってそんなに高いコートを 平気で買える訳じゃありませんよ」
「・・・」



僕が喜んでいるのは ハルモニと貴子小母様の励ましが嬉しいからです。

「ぇ?」
「その気になれば ハルモニはペアのコートでも買えたはずです」
「・・・」
「“頑張れ”と 言っているのです」 

自分の力で 茜さんをエスコート出来るコートを買える者になれと。


「ビジネスの世界へ行く僕に 身を立てよという励ましのプレゼントなんです」

「・・・」



ソウルへ来るたびに思い知らされる イ家の人たちの偉大なスケール。

「ヨソはヨソ」って うちのママならマイペースで構えていられるのかな。

パンピーで これからもまだ学生で。 
せいぜい針路を見つけただけのアタシは・・この名家の系譜に埋まりそうだよ。


--------



「え? ハルモニが 休んでしまった?」


夕食の席へ着くとミンジュさんが 申し訳なさそうに女主人の不在を告げた。
ハルモニさん。 どこか具合が 悪いの・・?

「じゃあ 僕 ちょっと様子を見に行こう」

「相済みません。 ただ今 大奥様は寝ておられます」
「こんな時間から?」
「・・えぇ」




ジュニが来ている時に休むなんて 相当 体調が悪いのかな?

部屋に引き上げたアタシたちは 不安な顔を見合わせずにいられなかった。


「寒い」って さっき言っていたっけ。 それこそ 風邪をひいたのかも。
ついつい ハルモニさんの年齢を 頭の中で数えてみたりする。

アタシの心に もうひとつ。 気がかりなことが引っかかった。


“ハラボジさんがこのタイミングで なぜ 見えたんだろう?”



ジュニが すらりと立ち上がった。

「茜さん。 やっぱり僕 少しだけ様子を見てきます」
「一緒に行っていい?」
うーん・・
「大した事がなければ ハルモニは 大騒ぎするなと怒ると思います」


僕だけ行って そっと覗いてきましょう。 茜さんはここで待っていてください。

そう言うとジュニは 部屋の扉をすり抜けるようにして出て行った。




「・・・」

「・・・・・・」


「・・・・・・・・・」


遅いな ジュニ。


「ちょっと見てくる」はずのジュニが なかなか帰って来なかった。
待つうちに胸がドキドキする。 何か・・まずいことが起きたのかな。

ついに我慢できなくなって アタシは部屋を抜け出した。

ハルモニさんのいるお部屋って えとえと・・奥から2番目だっけ。




ヒタヒタ 廊下を歩いてると 書庫へ通じる角へ来た。

昨日 アタシがハラボジさんを見かけた場所。 つい足が止まる。
アタシは「それ系」が 思いっきり弱い。  だけど・・



吸い込まれるように曲がっていた。 

書庫の扉をそっと引く。 時間とホコリと知識の匂いが 暗がりを静かに満たしてる。


そして その人はそこにいた。



ぽぅ・・と少し 発光するように そこだけ闇から浮いて見える。

端整で 静かな横顔が 書架の上の綴り本を見つめていた。

「ハラ・・ボジさん・・」


アタシが この名で呼んでいいのか 今イチわからなかったけど
カラカラに乾いたアタシの喉から 勝手に言葉が出てしまっていた。

ジュニに似ている横顔が 小さくひとつまばたきをする。

綺麗な頬が すうっと動いてハラボジさんがこちらを見る。




もう一度静かにまばたく眼が “何だ?”と 言っているように見えた。

アタシは 唾を飲み込んだ。


「あ・・の・・・アタシ。 茜と言います」

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