ボニボニ

 

JUNI 20

 



ジュニにとって それは 悪夢のような夜だったはずです。


話の途中から ジュニパパはもう 涙をこらえなくなっていた。
何度か目元に指を走らせるけれど 拭いたそばから 目元がにじんでいた。


「眠りかけていたジュニは  ものすごい力で抱きしめられながら 
 母親が断末魔を迎える瞬間を 見ていたのでしょう。」
「・・・・・。」
「ソニンは ジュニをしっかり抱きしめたまま ・・死体になりました。」

あの位の子どもにとって 死体に抱かれるということが どれほど恐怖なものか。
ましてそれは さっきまで自分を愛し 守ってくれていたはずの母親なのですから。


「私が彼を 布団から抱き上げた時 眼を開けたジュニは 呆然としていました。
 ・・・そして いきなり 狂ったように私から逃げ出しましたよ。」
「・・・・・・。」

「・・・・『抱擁』が  あの子には恐怖になったのです。」

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ママが ジュニパパに お風呂の用意が出来たと言いに来て 
ジュニパパの話は 中断された。


「茜? ・・・あんた ジウォン先生と 何話していた?」


甲斐甲斐しく ジュニパパをバスルームに送りだした後 ママが 固い声で聞いた。
無理もない。 ママが来た時の アタシとジュニパパの雰囲気は かなり不自然だった。
「ジュニの お母さんが死んだ時の話を・・・教えてもらったの。」

「・・・先生。どんな風に 言ってたの?」

アタシが ぽつぽつ聞いたことを話すと ママは黙って聞いていたけど
ジュニパパが アタシに事実を告げたと知って そうね・・とうなずいた。
“そうね。 もう茜が知っても いいのかもしれない。”


「ジュニちゃんの一家。 何年か日本にいたのよ。筑波学園都市に住んでたの。」

近い年の子どもがいると聞いて 茜を連れて1回遊びに行った事があったわ。
「ジュニちゃんは6歳かな。 そりゃ可愛くってね。アンタなんか彼にひとめ惚れよ。」
げ・・・


その頃のアンタってば ママも恥ずかしい位おしゃまで。 気に入った男の子がいると
“アタシが お嫁さんになってあげる~!”って もう そればーっか。
「ジュニちゃんなんか 逃げ回っていたんだから・・。」

―ああ・・お母様。 
 そんな こっぱずかしいアタシの過去は 教えてくれなくて・・・イイデス。



ジュニちゃん一家が帰国して3ヶ月くらいかな。ソニンさんが亡くなったの。

お葬式に行く事になった時
折悪しく うちのお祖母ちゃんが体調をくずしていたそうだ。
「茜を預ける人がいなくて困ってたら 茜が 自分もジュニの所へ行くって。
 絶対大人しくするから 連れて行ってちょうだいって言ったの。」
「・・・・。」
「ジュニちゃんに 猛烈に惚れてたのよ。 あの頃の茜は・・。」

―ええと・・ “今も惚れている”のです。 ママ。


ジウォン先生からジュニの様子を聞いていたので 両親はアタシを連れて行くことを
かなり悩んだそうだ。でも 韓国に戻ったばかりで ジュニには友達がいなかった。

「だから ひょっとしたら・・ ジュニちゃんの気がまぎれるかもと 思ったの。」

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それは 事情を知る大人にとって あまりに 惨い光景だった。


恐怖のあまり白髪になった わずか7つの子どもが 葬儀場の片隅でおののき続けていた。
抱きしめてやりたくても その子を 抱きしめてやることは出来ない。
温かく抱かれることを必死で求めながら ジュニには 抱擁が恐怖だった。

アタシの両親は 変わり果てたジュニの姿に 絶句したという。
「アメリカで・・いい心療内科に かかろうと思うんだ。」
ジュニの父親はうなだれていた。


 
その時。 『アタシ』は大人の手を離れて “大好きなジュニ”へ歩き出した。

大人達がはっと気づいたとき 『アタシ』は いっぱいに腕を広げて
にこにこと ジュニを抱きしめていた。
「茜!」
ママは 大慌てで私を離したそうだ。 ジュニちゃんに あなたなんて事を!!
2人の身体が引き離されると ジュニの小さな腕が 『アタシ』を追った。


“・・・アカネ・・ア・・カネ・・”

「!」 「!」「!」



そして  ジュニは 泣いた。 

あの夜以来閉じ込められていた声をふりしぼって 『アタシ』へ 必死の両手を伸ばした。
「アカネ! アカネ!! アカネェッ!!」

堰を切ったように ジュニが 涙をこぼし始める。
突然わんわんと泣き出したジュニを 呆然と見ていた『アタシ』は 
「だいじょぶ・・」と ひと言いうと もう1度 ジュニを抱きしめた。


『アタシ』が ジュニを抱きしめて 
ジュニが 『アタシ』を抱きしめる。

ほんの小さな2人の とても真剣な抱擁を 大人たちが 遠巻きに見る。
アカネ 僕をずっと抱いて。 僕を ずっと 抱きしめて。

「じゃあ アーちゃんジュニのお嫁さんになって ずっとジュニを抱いてあげるよ。」
本当に? 約束だよ・・・。


そして ジュニはやっと安心して 僕 眠いなと言った。

ジウォン先生が引きとめて その夜 アタシ達はジュニの家に泊まった。
「アナタと ジュニちゃんはその間 ず~っと 抱き合っていたわ。」
ジュニちゃんがアナタを離したがらなくてね。 帰る時 それは困ったのよ。

「結局パパが ジュニちゃんを 説得したの。」

君はまだ小さい。 大きくなったら茜をやるから 立派になって日本に来なさい。
ジュニちゃんは“ボクがりっぱになったら ぜったいアカネをくれるね?”と言ってた。 
「・・・・・・。」

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まいったな・・。

その晩 アタシは眠れなかった。
布団にもぐりこんだけど 身体が小刻みに震えていた。


今になってみれば 変だと思っていたジュニの行動が わかる。

アタシが『高坂茜』だとわかった時 いきなり抱きしめたことも 
12年前のパパの口約束を 馬鹿みたいに大事にしていたことも
恋人がいても ちっとも諦めず ずんずんアタシに 迫ってきたことも

アタシを自分のものだと しつこいくらいに言い張ることも 
他の男に 奪われる事を 異常なくらいに怖がることも


5歳の『アタシ』は ジュニが  恐怖の中で見つけた “救い”だったんだ。
アタシ 口惜しいけれど ・・・・一生 5歳の『茜』に勝てない。


“それだって 茜の 一部でしょ?”

真由っぺの慰めが聞こえてきた。 だけど アタシ・・

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「どうしたんですか? こんなに遅く。」

夜中に家を抜け出して アパートに行ったアタシに ジュニは驚いたみたいだった。


「来ちゃだめなの?」
「そんなことは言っていません。だけど 夜道をこんな深夜に・・。」
眠れなかったから・・。


電話をくれたら迎えに出たのに だめですよ。 今度からは言ってください。

「急に 会いたくなったんだ。」
「え・・・?」
「ジュニに 会いたくなったの。」
「茜さん。」


ああ ジュニが笑う。

花が咲くように 種が芽吹くように 雲間が晴れるように ジュニが笑う。
『茜』を求めて 必死の腕を伸ばし続けてきた ジュニが 笑う。

アタシの手はジュニに届かないけど せめてアタシは ジュニの手に届いてあげよう。


「僕に ・・・会いたくなったんですか?」
「うん・・。」
あまりにもジュニが嬉しげで アタシは ちょっとうつむいてしまう。 
両手をもじもじ広げると 腕の中にジュニが滑りこんで ふわっとアタシを抱きあげた。


「僕が ・・・好きなんですか?」
「うん・・。」

きゃっ! ジュニはアタシを抱いたまま くるりと1つまわって見せる。
最高です 茜さん。 僕 なんだか泣けそうです。
「・・・靴・・。ジュニ・・。」 
アタシ まだ 靴を脱いでない。


ジュニは おやおやという顔で 抱き上げたままのアタシを振って 足から靴を落とした。

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