ボニボニ

 

JUNI それからstory 18

 




真由っぺが えらい風邪を引き込んだ。

「ああぼう ばだがでど。(ああもう 鼻が出る)。」



マスクを顎へずらして ずびーっと。 盛大にティッシュを使う真由は
鼻の下が真っ赤にむけて お大事にというより かなりお気の毒だ。


「ねえ~ 今日はもう帰れば? バイトは休むって 伝えておくよ。」
「ぞでば ざっぎデンバじだ。(それはさっき電話した。)」



“ぞでより あがで? だんでずっど がだ ずぐべでんど?”

(それより茜? 何でずっと 肩 すくめてんの?)
真由っぺの言葉に アタシは顔が赤くなる。 ・・・やっぱ 不自然だった?


“ごめんなさい。” ジュニの 困ったような甘い声が聞こえた。

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ジュニがそっと身体を抜く時 アタシは 眼をつぶっている。


おしまいですって頬を撫でて 名残惜しそうにキスをする。
神岡へ行く日。 ジュニは どうしても アタシの身体に印をつけたい。
温かい唇が 鎖骨の辺りをうろついて。 跡をつける場所を 探っている。



ぎりぎり服で隠れる場所を選んで ジュニは自分のマークをつける。 

見えてしまわないかな・・
少しうろたえるアタシの困惑が 悪魔なあいつの 大好物。



だけど今回 ジュニはミスをした。 
アタシが気持ち良さそうなため息をついたら 奴ってば いそいそ喜んで
感じますかって うなじにまでキスをしちゃったんだ。


「・・失敗しました。 ごめんなさい 茜さん。」

「え?」
ここは微妙です。 しばらく襟の高い服を着てくださいって。
ねえ ジュニ? 制服はどーしてくれるのよ?!




「・・で? がだぼずぐめでんど?(・・で? 肩をすくめてんの?)」


はーぁ やだやだこの初心者はって 真由ってば すごく偉そうじゃない。
何よ自分だって きっとそんなに 上級者じゃないくせに。


真由っぺは 肌色の湿布をくれた。 寝違えたことにしときなよ。
シスターに見つかったら大騒ぎだもんって。 ・・・持つべきものは 親友だ。
「ありがとう 真由っぺ! 貴女に 神のお恵みがありますように。」



だけどアタシには ・・・神様の お小言があるのかもしれない。


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Humptyの繁忙期は 一応終わったみたいだけど
アタシ達は まだ バイトを続けさせてもらっていた。


高校生の数時間バイトなんて大した経費にならないし
小手間仕事が片付くので いれば便利という感じだった。



「・・・あれ? 真由ちゃんは?」


常務さんが顔を出した。 今日は何だかお洒落をしている。
真由は病欠と伝えると ふぅん と 少し残念そうだった。

「ねえ。 それが終わったら 横浜へ行かない?」
「は?」
「君を ショーに 連れて行ってあげようかと思って。」




ショーって・・?  ファッション・ショーですか?
アタシってば 思いっきり嬉しそうな声を 出したかもしれない。
だって 本物のショーなんて 今まで一度も見たことないもん。



「コハラ・ヒロコのだから 若向きじゃないけど 結構 勉強になるよ。」
モードに興味あるって 言っていたでしょ?

「あ・・はい。 でも いいんですか?」
「行きたいなら。」


連れて行ってください。
考えるより先に 口が もう返事をしていた。
TVや雑誌でしか見たことのないファッションショーを アタシは 見てみたかった。




表参道で拾ってもらったら 常務さんの車には屋根があった。
「あれ~? ちゃんとした屋根だ。 ・・・車 買い換えたんですか?」

アタシの質問はウケたみたい。 くくくって常務さんが笑う。


「ハードトップのカブレオレなんだよ。カブリオレって意味 知ってる?」
「・・・いいえ。」
「“屋根の開く車”って意味。 これは 閉まっているのが普通なんだ。
 スパイダーなんかは“屋根が閉じる車”。 オープンがキホンってわけ。」


へえ・・。 そんなこと 考えもしなかったな。

常務さんのウンチクが耳新しい。 
アタシは 世界に眼が開くような感じがした。




第三京浜を走っている時 常務さんが こっちへ袋を放った。
「? ・・何ですか?」
「あげる プルオーバー。」
「え?」


そのスクールセーターじゃ 俺がコスプレ趣味かと思われるから。
「あ・・。」


君に似合いそうなのを選んできたから 上だけちょっと替えちゃいなよ。
常務さんはそう言うと ルームミラーのアタシにウインクをする。

服なんて 簡単にもらっていいのかな。 アタシは 少しだけ躊躇する。
だけど 新横浜の表示が出て来て アタシに 選択肢はないみたいだった。 


助手席で ごそごそとスクールセーターを着替えた。
男性の横で着替えるなんてとんでもないですって ジュニが知ったら怒りそう。
「そのデザインなら 中がスクールブラウスでもOKでしょ。」
「・・・はい。」



その首どうしたの?という問いに 一瞬 訳がわからなかった。 あ! 湿布!
「ね・・寝違えちゃって。」
君の恋人って 神岡にいるんじゃないの? 常務さんが いきなり振る。
「あ・・はい。」
「ふうん。」



・・ばれたかな? アタシは ちょっとわざとらしいけど 首の痛そうな振りをした。


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ショーのオープニングは 幻想的だった。


ホリゾントから綺麗なブルーの光が ため息のように 染みあがって来る。
その中を 白いドレスのモデルさんが 左右から陶然とした顔で歩いてきた。
ロングのドレスは 肩とか腰とかを 不思議な形につまんでいる。


「わ・・あ・・ あそこで素材が変わっているんだ。」


“コハラ・ヒロコはさ。 ラインはコンサバだけど 素材使いが独創的だよ。”


常務さんが 耳元でそっとささやく。 うん うん! 本当にそうですね。
アタシの眼は 花道に釘つけだった。
次々に出てくるモデルさんの服がどうなっているのか 見切るだけでも忙しい。



―・・・ショーって こういうモノなんだ。 

連れて行ってもらったのは 赤レンガ倉庫の広場に出来た
サーカスみたいな 仮設テントの会場。
お店で売るような服でなくて 今期のテイストを見せるコレクションのようだった。


ひとかたまりのドレスが去ってゆくと 音楽や照明が変化して 
次のテーマの服を着たモデルさんの群れが現れる。


カジュアルなものや ハードなスタイル。 様々にテーマが展開する。
アタシ ジュニ以外の何かに対して こんなに胸がときめいたことがなかった。



きっと 思いっきり 興奮した顔をしていたんだろうな。
常務さんがアタシを見て 楽しいかい? と可笑しそうに笑った。
「最後はマリエ・・ 花嫁衣裳。」


常務さんの言葉の後に モデルさんが現れた。


眼が燃えそうな赤のドレス 薄い布が何枚も重なって すごいインパクトだ。
「き・・れいな 赤・・。」
「すごい発色だな。あれだけ重ねて 沈みもしない。」


ふ・・わ・・・


いきなり天井から 眼がくらむほどの赤い花びら。
呆れるくらい大量の赤が降ってきて アタシは まじに 鳥肌が立った。



ショーは マリエがフィーナーレだったようで。 会場の音楽が一転した。

今まで出てきたモデルさんたちが 次々 花道を歩いてくる。
解き放たれた熱帯魚のように 華やかに揺れる腰つきを見ていたとき
ふと 客席に 眼が留まった。
「?」



それは 小柄な女性だった。
銀髪をきりっとひきつめて 目立たないけど品のいい服装で座っている。
舞台エンド。 モデルさんがターンをする前の まさに一番良い場所にいる。


その人に眼を惹かれたのは 他でもない。 歩いてくるモデルさんの中に
明らかに彼女へ目礼する人がいたからだ。

「常務さん・・。」
「うん?」
「・・あの女性は 誰ですか?」
「え?」


ああ 小坂千賀子先生だよ。 へえ・・見に来ていたんだ。
「知らない? 駿河台服飾学園の校長で 有名デザイナーを多く育てた人。」
「あ・・! 知ってます。 タカミさんも門下生ですよね?」



そういえば ファッション雑誌で読んだ事があったっけ。

舞台では コハラ・ヒロコがモデルを従えて 満面の笑みで歩いて来たところだった。
わぁぁ・・と ひときわ華やかな拍手の中で 客席の女性はすっと立つ。
壇上のデザイナーへ拍手を贈る その口元が 小さく動いた。



「貫禄だよなあ。 世界のコハラ・ヒロコに “良かったわよ”だぜ。」


あれ・・・ 茜ちゃん? 泣いてるの?
常務さんの声を聞いて 初めてアタシは 自分が泣いているのを知った。


何だろう?  信じられないほど 感動した。
素敵な服を作ったデザイナーと 優しい瞳で 称えた恩師。

アタシも 壇上のあの人のように 導いてくれる人に出会いたいと思った。


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ショーが終わると 車に戻った常務さんは 飯を喰おうとアタシに言った。 


車は第三京浜でなく 横浜横須賀道路へ向かう。
「・・・あの? どこへ行くんですか?」
「鎌倉。 茜ちゃんは 魚 好き?」
「は・・あ・・。」


ショーに連れて行ってもらう事になった時 家には夕飯を断ったけれど
まさか 鎌倉まで晩ご飯を食べに行くなんて 思わなかったな。


横・横道路は空いていて 常務さんのカブリオレは 嘘みたいに飛ばす。
空を見上げると 星がキラキラしていて
アタシは ちょっとだけ 神岡を思い出した。




しかし 大人ってのは 豪勢なことをするもんだねえ。


アタシはお腹が空いたから ラーメンとかでも良かったのに。
そう言えば 前に真由っぺが パーティに連れて行ってもらった時
常務さんがバカウマのリゾットを 二口しか食べなかったって 騒いでいたっけ。



“でーっかいパルミジャーノを ギャルソンが でろ~ってこそげてさ。
 そこへ 刻みトリュフをかけた奴を・・・たった二口だけだよ!”

パパがレストランでそんなことをしたら ママにお尻を叩かれるな。
ジュニなら そんなおいしいリゾットは 絶対おかわりする。 うふふ。



キ・・・・

小さく 何だか 神経に触る音をさせて 車が止まった。


アタシ 随分ぼんやりしていたんだ。 周りを見回すと瀟洒な建物が見えた。
あれ? アタシここへ家族で来た事があるよ。 七里ガ浜の 山の上の・・ホテル。
「常務さん? ここってあの・・。」



いきなりジャケットが近づいて アタシは 唇をふさがれた。
コロンの混ざった 煙草のにおい。
何が起きたかわからないアタシは 身体が一瞬 フリーズした。


背中に腕をまわされて 抱き寄せられそうになった時
やっと アタシの金縛りが解けた。
ダン! いきなり両手で押し返されて 常務さんはびっくりしていた。



「な・・・何 するんですか・・。」

自分の声じゃ ないみたいだった。 
カラカラの喉にひっついた舌を 無理矢理剥がしたみたいな声。



「何って 君こそ。 ・・え・・?」
飯を喰って「休んで」行こうよ。 君も そのつもりじゃなかったの?

「アタ・・アタシは・・。 ショーに連れて言ってくれるって言うから。」

ショーには行っただろ? 君も 喜んでいたじゃない。
まるでアタシの失態をなじるように 常務さんは 不機嫌な声を出した。




・・・ああ・・ そういう事だったんだ。


何だか身体の力が抜けて 急に 目の前が暗くなる。 
バッグを欲しがるオンナを バッグで釣るのと同じ様に
常務さんはアタシを釣るのに ショーっていう名の 「餌」を使った。


“簡単に 男の車になんか乗っちゃダメです。”

ジュニの 声が聞こえた。
そうだよね。 何にも出来ないジョシコーセーに 大人が 何を期待するっての?



つん・・と鼻の奥が 熱くなったけど こいつの前だけでは泣きたくなかった。
鞄とスクールセーターを入れた袋を握って ドアレバーへ手を掛ける。
助手席の鍵が ロックされていた。

「ここを開けてください。 ・・・降ります。」


常務さんは 呆れたように 何だよ と小さく言い捨てた。
「はぁ・・。 勘違いだったわけ? しょうがないな。」
じゃあいいよ 飯だけ喰って帰ろうと 常務さんは信じられないことを言う。


「こ・・こをっ 開けてください。大声を出します。」
え? そんなに怒るなよ。 何でだよ。


「彼氏が遠くにいる時に 首にキスマークをつけているから 
君ってもっとさばけたコだと思ったのに。・・そうじゃないの?」
「!!」


バン! バン! バン!
「おい! 窓が割れるよ!」

慌てた常務さんはロックを外す。 アタシが外へ飛び出すのを 彼の腕が追った。


「離してください!」
「わかったって! 降りてどうするんだよ! ここからじゃ1人で帰れないだろ?!」
もういいから 乗れよ。 うんざりしたように常務さんが言った。



ごめん ジュニ。


アタシは こんなに世間知らずだった。
大事に大事にされてきたから 誰でもイイヒトだと思ってた。


ジュニを思うと泣きそうになるけど 切れるほど唇をかんで我慢する。
「ここで 降ります。」


車に乗るのが そんな意思表示になるのなら 何があっても もう乗れない。
アタシが睨み続けていたら 常務さんがため息をついた。

「頼むから乗ってくれ。 君だけここへ置いてはいけないだろう?」

「1人で帰れます。 ・・離してください。」
「君・・。 頑固だなあ。」

勝手にしろよ。 常務さんは諦めて アタシはゆるんだ手から 腕を引き抜いた。



一刻も早く ここから離れたかった。
前に来た時の記憶を頼りに 小走りに駐車場を出て 坂を下る。
後で 常務さんが何か言っていたけれど もうアタシは 聞きたくもなかった。




防風林が切れた途端 潮風が 顔に吹き付けた。

突き当たったのは海岸沿いの道路で 車が川のように流れている。
道を渡った向こう側は 暗い海に面した大きな駐車場。 
右手には 江ノ島の灯りが 寒風に吹かれて揺れていた。



アタシは駐車場の方へ渡って 砂浜へ降りる階段の 途中に座った。


身体は まだ震えていた。 耳の中がわんわん鳴る。
夜の風が切るように冷たいけれど
今はその痛みでもないと 自分を 保てないような気がした。



口惜しかった。
未熟な自分が口惜しかった。 甘っちょろい自分が 口惜しかった。



“君も そのつもりじゃなかったの?”

あの男はそう言った。 絶対 そんなつもりなんかじゃない。

だけど ・・・じゃあ どんなつもりだったんだろう?

少女マンガみたいに 都合の良いストーリーを期待して
自分の空っぽさに知らんふりした。 いい加減で 小っぽけで 青臭いアタシ。 
それが ただ どうしようもなく口惜しかった。




ピュウッ!  口笛が 闇に鳴った。


アタシは ビク・・と顔を上げる。 
よく見えないけれど 砂浜を歩く人が どこかで犬を呼んでいた。


こんな所にいちゃ いけない。 涙を拭いて立ち上がる。
だけど膝ががくがくと鳴って きちんと歩けそうもない。
アタシは 凍えた 震える手で ポケットからケータイを取り出した。



RR・・・

2つも鳴らずに 電話がつながった。
アタシが夜に外出している時 ママは いつもすぐ電話に出る。
心配させちゃ ・・・いけないのに。  


ごめんなさい。  だけどママ、 アタシ 今日はもう限界だよ。 



「・・・・・ママ?」
「茜? どうしたの?」
「歩けない。」



言葉と涙が一緒にこぼれた。  アタシは今夜 世界一みじめだった。

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