ボニボニ

 

愛しのプロフェッサー 1

 




米国ニュージャージー州 プリンストン。

来てみれば 馬鹿みたいにつまらない郊外都市だった。


言うこともない駅が1つに 退屈なメインストリートが1本。
行く気のしないショッピングモールがその辺にあると 街の案内看板に出ていた。


退屈で 何も無いこの街。 
でもこの街こそが まさに 私の望む場所だ。 
駅前のロータリーで そう確信する。

だって私は何もいらない. 何も 欲しくないんだから。


摩天楼もいらない、刺激もいらない、気の利いたレストランも。

ウォールストリートも 甘い口をきく男も。  何もかもがもうたくさんだった。

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「どうしてN.Y.からこちらへ 来られたのですか?」


「プライベートな理由です。 この場で言う必要がありますか?」
「・・いえ。あの ところで 貴女はご結婚されていますか?」
「!!」
「え・・いえ。 もちろんお答えいただかなくて結構です。」


「こちらへ」来た理由? ・・ふん。
そんなもの ど・れ・に・し・よ・う・か・な・で選んだの!

具体的な理由をあえて言うなら 「この街が火星人に襲われたから」よ。




1938年10月30日 CBSラジオで
オーソン・ウェルズが マイクに向かって言った。

“ニュージャージー州プリンストン郊外に 宇宙からの飛行体が着陸した”って。

それは「宇宙戦争」と言う小説の朗読だったんだけど 迫真の朗読だったから
途中からラジオをつけた人がパニックになったと言う。

そんな話を昔マス・メディア論の講義で 聞いたことがあった。
(実を言うとそれは都市伝説で パニックはなかったらしいけど・・)


作家が 火星人に侵略させようと思うような サバービア。
そこはきっと 眠ったように退屈な場所なのだろう。

私はそういう地の果てのような土地で 誰の印象にも残らない生活がしたかった。



「韓国語、英語、PC・・・技能的には申し分ないですね。ええと・・」

これは 少々風変わりな質問になりますが・・。 
事務長とか言う痩せた男は 眼鏡越しにもったいぶった物言いをした。

「あなたは そのぅ 面倒見のいいタイプですか?」
「は?」
「コホン 失礼。」 
えぇ例えば 食事の用意に事欠いている男性に 料理を作りたくなるタイプですか?


ガタン・・・


―大学の教授秘書を募集していると言うから来てみたんだけど こんなことね。
 料理を作る? 
 いったい それのどこが「秘書」の業務なのよ。


いきなり立ち上がった私を見て 事務長はぽかんと口を開けた。

「Ms・・・?」
「ユナです ソン・ユナ。もっとも 名前を憶えていただく必要もないようです」


私は ビジネスとして 秘書業務につきたいと考えております。
プロフェッサーのスケジュール管理までは 業務の一環として承りますが
「女性的かつ家庭的なサービス」業務をご希望でしたら まったくのお門違いです。

「恋愛にも男性にも興味はないし。 料理? 他人の為になど作る気もしません」
「!!」


―はぁ・・・ またこれで求人データベースコーナー行きだわ。

私ってば ここはN.Y.みたいにカラード向きの求人が豊富じゃないのに。
しょうがないか・・・ 小さくため息をついて椅子を立ち上がる。
こんな所まで来て 気に染まない職についても仕方ないもの。


「大変 結構です。 明日より勤務をお願いします。」
「・・・は?」

さっきまで眼鏡越しに覗いていた事務長が ほっとしたように書類を置いた。
「Ms.ソン。貴女のような方のご応募を 当方はお待ちしておりました」
「は・・あ・・・」

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黒いリスが いましてね。

それがこの大学の名物みたいなものです。ほら あれです。


まるで観光ガイドでもするように 痩身の事務長は構内を歩く。
よく見れば上品で温厚そうな初老の横顔を ユナは 少々申し訳なく盗み見た。

「あのぉ・・。 事務長さん?」
「マクドネルです」
「えぇマクドネルさん。 私がその 適任というのはどうしてですか?」

あぁ・・と事務長は嬉しげに笑った。 あなたのプロフェッサーは「札付き」でしてね。
「えっ?!」
「あっ! 誤解なさらないでください。決して悪い人間ではありません」


むしろ180度逆と言うか とても良い方です。 頭も性格も・・ルックスもね。
「秘書の方がね。その“女性的かつ家庭的なサービス”を 自発的にしたくなるのですな」
「オモ! ・・いえ まぁ」



あの方はね “秘書らしい秘書”が欲しいのです。ビジネスライクな。

マクドネル事務長は歩みを止めて ユナへ柔らかな眼を投げた。
理想はただきちんと 職種として 決められた範囲の秘書業務を遂行してくれる。
「貴女のような方です。 歓迎しますよ Ms.ソン」

「・・・ユナと呼んでください。どうもありがとうございます」



どうやら私のプロフェッサーは 火星人よりはマシみたいね。
その時 私は そう思った。


・・・・だけどプロフェッサー・イ・ジウォンは ある意味 火星人以上だった。

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この大学は とても古い。

なんてったってアメリカ合衆国そのものより 歴史があるんだから
この大学の創立は 独立戦争の1年前で 
歴史のないこの国にとっては まあ・・・高句麗時代からあるようなものだ。

そして この国において「歴史がある」ということは
それはそれは 大したステイタスで。
だから ここのプロフェッサーって存在は きっと お偉そうなのに違いない。



コンコン・・・

「Come in」


ドクン・・

あらら 胸が鳴っちゃった。 まったく 私の声フェチにも困ったものだ。
それにしてもイイ声ね。 この声の主がボスなら 仕事中の楽しみが1つはある。
「失礼します。プロフェッサー」
「ああ。事務長?」
「はい やっと。 ・・・・あ・・の?」



「・・・・・・・・・・・・」

私と事務長の目の前に 立派な背中がしゃがんでいた。
がっしりした肩と引き締まった腰。  何よ? この むこう向きの○ンコ座りは?

「おほん、・・あの どうなさったんですか? プロフェッサー?」


お加減でも?と 覗き込む事務長に 教授が 何やら床を指している。
「ここのね。 床の隙間から 何か植物が生えてきてしまって。 これは・・葦かな?」
「ははぁ 床板の節が抜け落ちて穴が開いたんですな。これが葦ですか? ははあぁ」



「・・・・・」

・・・・お・前・ら・は アホか!!


二人並んでむこうを向く背中に 私は蹴りを入れたくなった。
葦っていうのは 水辺の草でしょうが? どうしてこんな所に出てくるのよ!

どれどれ どんな草?  大きな背中越しに 向こうの床を覗き込んだ時 
ふわりと目の前が浮き上がり 私の足が 宙に浮いた。


「きゃっ!!」
「Oooops!」
「あ?」

いきなり浮いた身体を支えるため 私は 目の前の首にしがみつき
突然聞こえた悲鳴を受け止めるため 大きな手が 後ろ手に私のお尻をつかむ。

そして私は 90度のおじぎをして立つ (たぶん)プロフェッサーの背中へ
見事におんぶされる形になった。 ・・・最低だわ。



「えぇと。 ・・・・Mr.マクドネル?」
「えっ? ええ、はい! プロフェッサー」

貴方がそこにおられるということは ですね。 
「私の背中に乗っているのは ・・・どなたということになりますか?」
「あ、ええ、その方は 新しく秘書になられた Ms.ユナさんです」
「なるほど」

初めましてって。  ちょっと ・・この格好で言うべきかしら。

「とりあえず 降りていただいてもいいですか?」
「あっ ・・は・・はいっ!!」

気をつけてね。 教授はゆっくり背を立てる。
落ちないように支える教授の手に 私のお尻が めり込んでいく。
慌てる私は じたばたと床に降りて 彼が振り向くまでに 必死で服装を直した。

「よいしょ・・っと。 あ 失礼」

ぽんぽんと つかまれたシャツの後ろ襟を直して 
プロフェッサー・イ・ジウォンが振りかえった。
「初めまして Ms.ユナ。 イ・ジウォンです」
「・・・・・・」



だから 神様。 私がこの街を選んだ理由は 「何もない」からだったの。

摩天楼もいらないの。 刺激もいらないの。
まして・・ こんなにきれいな眼をした 美形のボスなんていらないのよっ!!

「・・・・・・・・・」
「Ms.ユナ?」
「は? はいっ!」
「初めまして。 お会いできて嬉しい」
「あっ・・・はい」

うう しまった。 
温厚な事務長のマクドネルさんには ユナでいいと言ったけど
プロフェッサーに会ったら ソンと呼んでくださいと言うはずだったのに。
それより何より この醜態。 私 即刻クビになるんじゃないわよね?

「ところで 貴女のご意見はどうですか?」
「は?」
これですよ。 ぴよぴよの芽を指さして プロフェッサーがにっこりと笑った。

「葦でしょうか?」


話題はそっちか。 ともあれ そんなに機嫌を損ねてはいないみたい。
「あ、いえ。 ・・それは 何か南方系の植物ではないでしょうか?」
「南方系?」

葦は水生だし 地下茎で伸びる植物ですから この環境では生えないと思います。
葉が出ないとわかりませんが その芽の感じでは南国の植物らしい気がします。

「なるほど! ねえ。事務長そうかもしれませんよ。」
「はいはい」
ここの構内はリスだらけだからな。 あいつら 何でも運んでくるんだ。


「Ms.ユナは なかなか頼りになりそうですね」

期待します。 大きな手が差し出される。
長い指・・。 申し訳程度に手を握ったら 
白い歯がぱあっときらめいて よろしくと まぶしいほどの笑顔が輝いた。



やめて・・ください。 そんな顔は。

これが「札つき」プロフェッサー・イ・ジウォンとのファーストコンタクトだった。

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